農業と環境の問題にいち早く警鐘を鳴らしたレチェル・カーソンは1960年代に著した「サイレント・スプリング(沈黙の春)」に、「春になっても鳥は鳴かず、生きものが静かにいなくなってしまった」と記した。農薬を使った農業で収量は上がったが、生き物は静かになったと警告したのだ。最近、ある現象を肌で感じた。
「そして人は静かになった」
「パソコンのキーボードはにぎやかだが、人は静かになった」。所用である会社を訪ねると、社員は黙々とパソコンに向かっている。受け付けのカウンターに来訪者が来ても、誰も席を立って応対しようとしない。「あのう」と声をかけて、ようやく振り向く。朝なのに、その職場には「おはよう」とあいさつを交わす言葉も飛び交っていない。沈黙の職場だった。おそらく、隣の席との会話もやり取りはメールで行なっているに違いない。
「固定電話のベルはにぎやかだが、人は受話器を取ろうとしない」。最近よく「自宅にいると固定電話に恐怖に感じる」と耳にする。日中かかる電話はセールスやらアンケートがやたらと多く、応対にうんざりする。しつこく何度でもかかってくる電話もある。受話器を取っても、「はい、○○ですが」とこちらから名乗らないという人が多い。オレオレ詐欺もある。ヘタに電話に出るととんでもことになる、いっそうのこと固定をなくし、携帯電話だけでもよいと考えている人が意外と多い。
「テレビはにぎやかだが、人は見ていない」。テレビはつけておくだけ、という人が増えている。CM総合研究所は、3ヶ月ごとに実施するモニターへのテレビ視聴実態調査で各年齢層のテレビ視聴パターンを「ながら視聴」と「専念視聴」に分けてデータを採集している。それだと、テレビ視聴時間のうち「専念視聴」と「ながら視聴」はそれぞれ5割。つまり、半分の時間はなんとなくテレビをつけているだけ。「テレビは第2の空気」化しているのである。
パソコン、電話、テレビを象徴的に取り上げたが、われわれを取り巻くの通信手段やメディアの有り様が変化しているように思える。そして、人は知らず知らずのうちにコミュニケーション能力を失いつつある。レチェル・カーソンの「サイレント・スプリング」流にいえば、「パソコン、電話、テレビはにぎやかだが、人は静かになった」。これはある意味で次に到来する社会の予兆かもしれない。ちょっと気が重い。
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