自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★雪かきのご近所ルール

2014年02月09日 | ⇒トピック往来

  昨日、東京都内の知人に電話した。すると、「雪が降っていて、電車も止まって、とにかく怖いので外に出れない」との返事だった。雪が降るだけで、身震いしている様子が容易に想像がついた。きょう9日のテレビニュースでも、都心(大手町)の積雪が25㌢を観測するなど、関東甲信を中心に記録的な大雪となったと伝えている。都心で20㌢を超える積雪は1994年2月以来、20年ぶりとか。気象庁は東京に大雪警報を発表している。こんな中、午前7時から東京都知事選の投票が始まっている。

  それに比べ、なんとも金沢らしくない天気が続く。自宅周辺は割と金沢中心部より積雪がある。数日前は降ったものの、積雪は20㌢に満たない。この冬は青空が多く、「(雪が降らないので)助かりますね」というのがご近所さんとの会話だ。きょうは朝から雨。さらに雪が溶けそうだ。

  金沢の雪にまつわる「金沢のしきたり」の話を紹介する。「しきたり」とは暗黙のルールとでも言おうか、明文化された決まりではないが、「昔から(伝統的に)そういうことになっている」ことなのだ。ちょっとアカデミックに言い方をすれば、「コミュニティを存続させるための伝統的な集団行動(知恵)」となるかもしれない。前書きはさておき、雪が降った朝、金沢では持ち家の前の道路を除雪する。それを「雪かき」あるいは「雪すかし」と言う。「かき」は「掻き」で「押しのける」の意味、「すかし」は「透かし」は「取り去る」という意味だ。

  時間的には朝、それも学校の児童が登校する前に7時ごろだろうか。誰がするのかはその遺家々の人だが夫であったり、妻であったりと決まりはない。問題はタイミングである。ご近所の誰かが、スコップでジャラ、ジャラと「掻く」あるいは「透かす」とそれが合図となる。別に当番がいるわけではないか、周囲の人たちがそれとなく出てきて、始める。「よう降りましたね」「冷え込みますね」が朝のご近所のあいさつとなる。

  「掻く」あるいは「透かす」の範囲はその家の道路に面した間口部分となる=写真=。角の家の場合は横小路があるが、そこは手をつけなくてもよい。家の正面の間口部分の道路を除雪するのである。しかも、車道の部分はしなくてよい。登校の児童たちが歩く「歩道」部分のみである。雪をどこに「掻く」のか。それは、家の前の側溝である。そこにどんどんと押しのける、積み上げる。晴れて気温が落ち着くと、側溝に水が流れ、積み上げた雪が溶ける。冬場の側溝は雪捨て場と化す。

  「しきたり」破りに制裁はあるのか。とくにない。雪はそのうち自然に溶けて消える。誰も実害を受けることはないからだ。でも、ご近所の人たちは、その家の雪に関する対応意識(危機管理のガバナンス)など見抜いてしまう。「雪かきもできない。あの家は大丈夫か」と見透かされてしまうのだ。

⇒9日(日)朝・金沢の天気   あめときどきくもり 

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☆学生とメディア

2014年02月05日 | ⇒メディア時評
  金沢大学では「ジャーナリズム論」「マスメディアと現代を読み解く」といった共通教育の科目(それぞれ2単位)を担当している。講義の中では、「ニュースは知識のワクチン」と繰り返し言っている。それは、間違った情報やうわさに惑わされないために、普段から新聞やテレビのニュースを読んだり見たりすることで、間違いのない情報の判断ができる、と。

  大学生はどのくらい新聞と向き合っているのか、昨年(2013年)10月に授業でアンケート調査を試みた。任意提出で112人が回答してくれた。「世の中の出来事を知る媒体は主になんですか」(複数選択可)の問いでは、①インターネット(47%)、②テレビ(42%)、③新聞(6%)の順だった。媒体としての新聞の存在感は薄いのだ。「新聞に対する印象」では、好きになれない理由として、「政治に関することが多く書かれており、内容がかたい」「おじさんが読む、かつ、おじさんが作っているもの」「文字を読むよりテレビで見た方が情報の取得が早く、読んでいる時間がもったいなく思える」「手が乾燥する、紙質が悪いのであまり触りたくない」「フニャフニャで読みにくく、手が黒くなる」「文字が多い。字が小さく目が疲れるので、あまり良い印象をもっていない」「家でゆっくり見るのには便利だけど外では見ることができないので不便なもの」など。

  一方、好意的な理由として、「ネットニュースと比べると情報量が多く、種類も豊富であると思う。誤報をできるだけ少なくするために取材が丁寧になされていると感じる」「書かれているイラスト等がとても分かりやすい。これによって難解な問題も簡単に分かる」「情報を得る媒体としては非常に人間的なスマートなもの、様々な情報があり、良い意味で興味のない記事にも出会える」など。

  新聞の現状は、情報としては一流だが、媒体としては学生たちからの支持が少ないとう現実が浮かび上がってくる。

  「新聞などメディアは特定秘密保護法になぜ反対しているのか」。そのような授業をこれまで何度か行った。報道機関は「権力のチェックが仕事」と自ら任じている。それは、民主主義社会は三権分立だが、権力は暴走しやく腐敗しやすいからだ。権力が隠そうとする秘密を暴くことで、浄化作用を促してきた。しかし、特定秘密保護法によって、権力側の取材のガードが強固になる。メディアの最大の懸念は、「国民の知る権利」「報道の自由」「取材の自由」が侵害されるということ。

  「掲載されない写真と映像、あなたはどのように考えるか」を授業で問いかけた。日本のマスメディア(新聞・テレビなど)は通常、遺体の写真を掲載していない。読者や視聴者の感情に配慮してのことだ。一方で、海外メディアはリアリティのある写真を掲載している。学生にこのメディアの有り様を問うと、「現状でよい」61%、「見直してもよい」39%だった。「現状でよい」の主な理由は、「見る側への心理的な影響(トラウマ、PTSDなど)が心配される」「遺体にも尊厳がある。プライバシーの問題もある」「インターネット掲載など別の方法がある」「これは日本人の独自の文化、メンタリティーである」など。一方、「見直してもよい」の主な理由は、「現実、事実を報道すべき」「メディアはタブーや自己規制をしてはならない」「見る側の選択肢を広げる報道を」など。

  「新聞記者の数が激減したアメリカで起きていること」をテーマにした授業も大きな反応があった。リーマン・ショック(2008年9月)以降、アメリカで212の新聞社が休刊。1990年代に6万人を数えた新聞記者は現在4万人に減った。「取材空白域」ではさまざまな事件も起きている。こうした、アメリカの「取材空白域」を調査したスティーブン・ワルドマン氏の言葉を授業で紹介した。「ニュースの鉱石を地中から掘り出すのは、現在でももっぱら新聞です。テレビは新聞の掘った原石を目立つように加工して周知させるのは得意ですが、自前で掘るのは不得手です。ネットは、新聞やテレビが報じたニュースを高速ですくって世界中に広める力は抜群ですが、自ら坑内にもぐることはしません。新聞記者がコツコツと坑内で採掘する作業を止めたらニュースは埋もれたまま終わってしまうのです」(2011年10月29日付・朝日新聞)

 
  学生たちにはこのようなメディアへの考察を通じて、「知識のワクチン」を打っている。

⇒5日(水)夜・金沢の天気    ゆき
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