自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆続々・核なき世界への一歩

2016年04月23日 | ⇒メディア時評
  アメリカのオバマ大統領が来月(5月)下旬に三重県で開かれる伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)のため来日する折、被爆地・広島の平和記念公園を訪問する方針で最終調整しているとメディア各社が報じている=写真=。実現すれば、現役のアメリカ大統領としては初めてのことだが、それより何より、オバマ大統領が掲げる「核兵器のない世界」に向けた国際的な取り組みを継続的に発展させるためのシンボリックな一歩となる。

  オバマ大統領がまだ訪問を鮮明にしていないのは、アメリカ国内の退役軍人らを中心に「原爆投下によって終戦が早まった」とする意見が根強いからだろう。オバマ氏が広島を訪問する目的を「謝罪」ではなく、「不戦の誓い」の献花でよいのではないか。オバマ大統領の広島での献花の後、安倍総理が機会をつくって、今度はハワイのパールハーバーで献花すれば、日米相互の信頼関係を新構築する外交のチャンスだと考える。

日本政府がアメリカをはじめとする連合軍の占領から統治権を回復するまで、原爆問題はタブーだった。連合国軍総司令部(GHQ)の指令によって、日本のメディア(主に新聞、ラジオ)は情報統制(プレスコード)下に置かれたからだ。プレスコードの内容は、1)報道は絶対に真実に即すること、2)公安を害するようなものを掲載してはならない、3)連合国に関し虚偽的または破壊的批評を加えてはならない、4)連合国進駐軍に関し破壊的に批評したり、または軍に対し不信または憤激を招くような記事は一切掲載してはならない、5)連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまでその事項を掲載しまたは論議してはならない、といったものだった。つまり、原爆の問題性を議論することそのものがこうしたプレスコードにひっかかった。

  1952年4月のサンフランシスコ講和条約以降になって、日本国内で自由に原爆問題が議論された。また、広島に平和記念公園が開設された1954年から現在の平和記念式典が開催されるようになった。戦争の恐ろしさと参戦という悲惨な過ちを繰り返さないという趣旨の行事であり、アメリカ側に原爆投下の責任を求める集会とはなっていない。

  むしろ、アメリカに原爆投下の責任を問うたのはストックホルム・アピール(1950年3月)だろう。1949年、ソビエトによる原爆保有声明が発せられ、アメリカのトルーマン大統領が水爆製造命令を出すなど、米ソの核軍備競争が過熱し出した。国際緊張が高まり、1950年3月にスウェーデンのストックホルムで開催された平和擁護世界大会で、「原子兵器の絶対禁止」「原子兵器禁止のための厳格な国際管理の実現」「最初に原子兵器を使用した政府(アメリカ)を人類に対する犯罪者として扱われるべき」とのアピールを採択された。世界中で署名運動が繰り広げられ、2億7347万の署名が集まったとされる。

  日本では署名が639万の署名が集まった。しかし、1950年の平和擁護世界大会に日本代表として作家の川端康成ら3人が派遣される計画だったが、GHQの渡航許可が得られず、出席は果たされなかった。

  同年(1950年)6月に朝鮮戦争が始まり、国連軍総司令官のダグラス・マッカーサーが核兵器使用を主張したが、トルーマン大統領はマッカーサーの司令官を罷免し、核兵器使用は見送られた。この核兵器使用の見送りはストックホルム・アピールや署名活動など国際的な反核運動の高まりが背景にあったとされる。

  北朝鮮は、アメリカと韓国の両軍による合同軍事演習を非難し、遂行するならば米韓両国に「無差別の」核攻撃を実施するとの談話を発表している(2016年3月7日付・BBCウエッブ版)。核兵器の使用を「正義の核先制攻撃」とする北朝鮮の挑発する事態の中でこそ、オバマ大統領のヒロシマ・アピールが期待される、と考えている。

⇒23日(土)午前、金沢の天気  はれ
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★続・核なき世界への一歩

2016年04月14日 | ⇒メディア時評

   アメリカのオバマ大統領の被爆地訪問をめぐっては、同国内で意見が分かれるだろうことは想像に難くない。アメリカでは現場投下が終戦を早めた「正しい判断だった」とする認識がこれまで喧伝されてきたからだ。では、今の若い世代はどう考えているか興味深い。

   2015年8月6日付でニューズウィーク日本版ウェブがこう伝えている。引用させていただく。インターネットマーケティングリサーチ会社の「YouGov(ユーガブ)」が発表したアメリカ人の意識調査によると、広島と長崎に原爆を投下した判断を「正しかった」と回答した人は全体の45%で、「間違っていた」と回答した人の29%を依然として上回っていた。しかし、調査結果を年齢別に見ると、18~29歳の若年層では45%が「間違っていた」と回答、「正しかった」と回答した41%を上回った。また30~44歳の中年層でも36%が「間違っていた」と回答し、「正しかった」と回答した33%を上回った。ちなみに、45~65歳では約55%、65歳以上では65%が「正しかった」と回答した、という。

   これまでアメリカでは、原爆投下を肯定する意見が世論の大半を占め、世論調査機関ギャラップが戦後50年(1995年)に実施した調査では59%が、戦後60年(2005年)の調査では57%が原爆投を支持していた。日本とアメリカ両国で戦争の記憶が薄れる中、アメリカの若い世代では、核兵器への忌避感が強く、原爆投下にしても「間違っていた」と徐々に変化していることは想像がつく。オバマ大統領は被爆地訪問を希望しているといわれるが、こうした国内世論を慎重に見極めているのだろう。民主党、共和党がそれぞれに大統領候補の指名争いのただなかにある。ここで、退役軍人らの支持を広げたい共和党の候補者らを勢いづかせては元もこうもないとオバマ大統領が思案していることは察しがつく。


  とくに、オバマ大統領の外交姿勢は、アジア重視を強調しながら、その成長の明るい面ばかりに目を向け、たとえば中国が周辺国に与えている脅威などリアルさに十分注意を払っていないと、とよく指摘されている。こうしたリアルさをサ欠いたままで、被爆地訪問が果たしてどれだけば効果があるのだろうか、と。

  では周辺国の反応はとチェックすると。これはあくまでも、韓国・中央日報の論調なのだが、オバマ大統領に被爆地訪問は現時点で反対なのだ。12日付のウェブ版の社説「米国務長官の広島訪問、日帝免罪符なってはいけない」として、以下のように述べている。「オバマ大統領も来月の日本G7首脳会議を契機に広島を訪問することを検討中という。任期初めから核なき世界を推進してきたオバマ大統領としては歴史的なここでフィナーレを飾りたいと思うだろう。しかし東アジア全体の目で見ると、いま米大統領が広島に行くのは時期尚早だ。まず日本は韓国や中国など被害国から完全に許しを受けたわけではない。被害国が心を開けないのは、日本政府が心から過去の過ちを反省していないと見るからだ。」と。

  「東アジアの許しを得ていない」という、まるで戦勝国の発想なのだ。日本は韓国を併合したが、戦った相手ではない。むしろ、オバマ大統領の被爆地訪問がどれだけ北朝鮮の核開発に対してプレッシャーを与えることになるだろうか。韓国政府がどのような見解なのか、知りたいところだ。

  ケリー国務長官の今回の広島訪問が、オバマ大統領が5月の伊勢志摩サミットの際に広島を訪れる「試金石」、あるいは「さきがけ」「露払い」になったのかどうか。オバマ氏が広島の地に立ち「核なき世界」の演説をすれば、彼自身の人生最大の政治ショーとなり、「レガシ-(遺産)」となることは間違いない。「アメリカは原爆投下の道義的な責任がある。核廃絶の先頭に立つ」(2009年4月・プラハ演説)

⇒14日(木)朝・金沢の天気   はれ

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☆核なき世界への一歩

2016年04月12日 | ⇒メディア時評

  G7(主要7ヵ国)の外務大臣がきのう(11日)、広島市の平和記念公園を訪れ、原爆死没者の慰霊碑に花輪をささげた。とりわけ、アメリカのケリー国務長官の姿に視線が注がれた。ケリー氏は予定になかった原爆ドームも見学した。テレビ画面を視聴しての印象だが、すがすがしい感じがした。

  今回の外相会議に際してアメリカ側は「原爆投下について謝罪はしない」とのスタンスだ。なぜなら、今は現在と未来について話し合っているからだ、と。この方針のもと、ケリー氏は平和記念公園を訪れた。適切なスタンスだ。日本人として不快感を感じる人はいなかっただろう。記者会見したケリー氏は帰国後にオバマ大統領に「(被爆地)訪問がいかに大切かを確実に伝えたい」と述べたという。未来を切り拓く、未来を担保するとはこのようなスタンスなのだと思う。

  もし、日本の世論がケリー氏に原爆投下の責任と謝罪を迫ったり、非人道的な行為だったとデモが平和記念公園周囲で起きていたら、おそらくこうはならなかった。アメリカ側も戦勝国意識を強く打ち出していれば、ケリー氏の被爆地訪問すら実現しなかったろう。

  70年前の過去の乗り越えて、いかに被爆地・広島から核兵器のない世界を目指すか。核軍縮と不拡散にG7で一致して取り組むかが、今問われている。ましてや、核実験や弾道ミサイル発射を繰り返す北朝鮮問題が憂慮されていからなおさらだ。

  核なき世界を掲げたオバマ大統領にとって広島への訪問はおそらく悲願だろう。オバマ大統領は2009年のプラハ演説で「核兵器を使った唯一の国として行動する道義的責任がある」と述べ、ノーベル平和賞を受賞している。が、それが思うようにできないところにアメリカの事情がある。大統領の被爆地訪問を「謝罪」と受け止めるアメリカ側の世論があり、原爆投下によって戦争を早く終結させたとのアメリカ側の大義名分を揺るがす恐れがあるからだ。

  日本はこれまでアメリカ側に原爆投下に関して謝罪を求めてこなかった。国際司法裁判も起こしていない。現実を受け入れ、未来に向けて、日本とアメリカが共に協力して、自由と民主主義、基本的人権の尊重、法治と国際法遵守の価値観のもとで世界の平和にどう貢献していけばよいか、これまで模索してきたからだ。戦勝国と敗戦国の関係で世界平和は築けないことは両国が一番よく気づいているのではないか。 

  今回G7の外務大臣が平和記念公園を訪れたことによって、国際社会で核なき世界を作っていく機運を盛り上げる歴史的な一歩になった、そう感じたニュースだった。

⇒12日(火)朝・金沢の天気   はれ





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★花の季節は移ろう

2016年04月08日 | ⇒トピック往来
  東京の知り合いから「地震の対策はできてますか」とメールがあった。なんでも、ラジオのFM電波で地震活動の前兆となる変動現象を発見した天文学者が独自に「地震予知」のニュースレターを発行していて、それによると「4月9日 M7.8±0.5」の地震が福井や石川県加賀地方で起きる可能性があるという。このメールを読んで、1948年(昭和23年)6月28日16時13分29秒に発生し福井県を中心に北陸を襲った福井地震の再来かとピンと来た。そのときは、都市直下型で、規模はM7.1だった。同規模の地震が果たしてくるのかどうか。

  大学の地震学者でも、公立天文台に所属しているわけでもない、私設の天文台の研究者だ。地震予知を必死に観測する姿はニュースレターを読めば分かる。「4月9日」を固唾の飲んで見守っている。

  公園の桜は春の嵐で桜吹雪の状態になっていた。そして、自宅の庭に出て、観察するとタイツリソウやイワヤツデといった花が咲き始めている。このタイツリソウは、面白い花だ。ネットで調べてみると、タイツリソウは別名で正式にはケマンソウ(ケシ科)。中国や朝鮮半島に分布していて多年草です。日本には15世紀の初めの室町時代にに入ってきらしい。ケマンソウの名前は花を寺院のお堂を飾る装飾品「華鬘(けまん)」に見立てて付けられたとか。

  長くしなるような花茎を釣り竿に、ぶら下がるように付く花をタイに見立てた「タイツリソウ(鯛釣草)」の別名の方がイメージがわいてわかりやすいので、今ではタイツリソウの名が一般的という。写真を見てわかるように、赤いに近いピンクの花はぷっくりとしたハート型で外側の花びらと、その下方から突き出るように伸びる内側の花びらがある。花は開き切ると外側の花びらの先端がくいっと上を向き、またその姿がなんとも愛らしいのだ。

  日本では鯛釣草というめでたいようなネーミングだが、欧米はちょっと感覚が違うらしい。この花が心臓のように見えるので、英語名は「bleedeng heart(血を流す心臓)」、ドイツ語名は「tranendes Herz(涙を流す心臓)」、フランス語名は「coeur-de-Jannette(ジャネットの心臓)」。これに比べれば、本場の中国名は「荷包牡丹(きんちゃくぼたん)」。このほうが何となく日本人としては受け入れやすい。そんなことを思いながら、季節の移ろいを感じている。

⇒8日(金)朝・金沢の天気   あめ
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☆論点のずれ

2016年04月06日 | ⇒メディア時評
  高市総務大臣による「放送局の電波停止の可能性」について、テレビの著名なキャスターやコメンテーター、評論家から「政治家の発言は現場の萎縮を招く」や「権力の言論への介入は許さない」といった批判が相次いでいる。検証したい。

  3月24日、田原総一郎氏や鳥越俊太郎氏らが外国特派員協会で記者会見したとの報道があったので、各紙の記事をつぶさに読むと、以下のようなことが書かれてあった。

  会見に臨んだコメンテーターらは「高市総務大臣の発言は黙って聞き逃すことのできない暴言だ」と述べ、「政権がおかしな方向に行ったときはそれをチェックし、ブレーキをかけるのがジャーナリズムの使命。それが果たせなかったとすればジャーナリズムは死んだもと同じだ」と。田原氏らは「テレビ局の上層部が萎縮してしまう」と指摘した。しかし特派員から質疑応答が始まると、逆に鋭い質問が会見者側に向けられた、という。

  前ニューヨーク・タイムズ東京支局長は「圧力というが、中国のように政権を批判すると逮捕されるわけではない。なぜ、日本のメディアはこんなに萎縮するのか。どのような圧力がかかるのか、そのメカニズムを教えて欲しい」と。インターネットニュースの記者は「高市発言、あの程度のことでなぜそこまで萎縮しなければならないか。NHKは人事や予算が国会に握られているから政権に弱腰なのはわかるが」と。

  さらにきつい一発が飛んだ。香港のテレビ局の東京支局長は「そもそもみなさんは記者クラブ制度をどう考えているのか。また、日本の場合は電波を少数のメディアが握っているため規制を受けている。この放送法の枠組みをどう思うのか」と。

  会見者側は、国による電波停止の発言はジャーナリズムの危機だと訴えたかったのだが、話はむしろ日本のジャーナリズムの異質性や矛盾へと展開していく。とくに記者クラブに関しては日本独特の制度でもある。公的な機関の中で、クラブというマスメディア(新聞・テレビ・通信社)の拠点がある。もともとメディア間の親睦組織だ。記者はよく「虎穴入らずんば虎児を得ず」と言う。ジャーナリズムを名乗る以上、政治との間に明確な一線を引き、緊張感のある関係を維持しなければ、権力監視の役割などできるはずもないのだが、記者クラブはまさに「虎穴」の入口のようでもある。公的な機関の幹部との懇談なども記者クラブが窓口になっている。その記者クラブには他のメディアは実施的に入れないので、排他性や多様性の無さが問題となっているのだ。

  そうした日本固有のジャーナリズムの在り様や現実問題には触れずに、「報道現場が委縮すると」「権力の言論への介入」と言ってみたところで、違和感を感じるのは外国特派員だけではないだろう。記者クラブだけでなく、ある新聞社が購読料を一律に読者に請求する再販制度、あるいは香港のテレビ局の東京支局長が指摘したように、新聞社が系列のテレビ局をつくり、持ち株や人事など支配するクロスオーナシップなどは、少数のマスメディアの特権と化していると言っても過言ではない。

  誤解のないように言うが、記者クラブを廃止せよと主張しているわけでない。新聞社とテレビ局、通信社が独占的に運用している記者クラブの制度に問題があるのではないかと問うている。誘拐事件のとき、人命尊重を優先させるため報道を控えるという記者クラブと警察当局による報道協定などメリットなども否定しているわけではない。

  よれより何より、高市発言で一番の論点は、電波停止の可能性の発言で本来、異議申し立てすべきテレビ局の動きが目立たないことだ。3月17日、民間放送連盟の井上弘会長(TBS会長)は定例の記者会見で、電波停止発言について、「放送事業者は放送法以前に、民放連や各社の放送基準から逸脱しないよう努力している。(電波停止という)非常事態に至ることは想像していない」と述べた。また、テレビ業界で萎縮が広がっているのかという記者の質問に対して「そんな雰囲気はない」と否定している。会見の場で高市発言に真っ向反対の意見を期待した記者団は肩透かしだったに違いない。この高市発言の論点の何かがずれている。

⇒6日(水)朝・金沢の天気   はれ
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