自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★外交の仕掛け

2014年01月26日 | ⇒メディア時評

 新聞に毎日目を通している。記憶は不思議なもので、新しい記事は以前見た記事との関係性を自動的に引っ張り出してくれる。そう、「記憶の引き出し」を開け閉めしてくれるのだ。そんなことを考えた記事がある。

 きょう26日付の各紙で報じられた記事(WEB含め)。ニュースの概要はこのようなものだった。沖縄県・尖閣諸島周辺の領海内で今月1日、熱気球による尖閣上陸に失敗した中国人男性を海上保安庁の巡視船が救助した際、中国政府が男性を逮捕したり連行したりしないよう日本政府に要求していたことが25日分かった。中国政府は、逮捕や連行をすれば、日中関係が抜き差しならないものになると理由を挙げたという。上陸未遂は安倍晋三首相が靖国神社に参拝してから6日後に発生。日中関係が緊迫する中、立件は見送られた。

 「逮捕や連行をすれば、日中関係が抜き差しならないものになる」とは穏やかではない。たかが気球が外交どう関係があるのか、思ったが、「記憶の引き出し」は開かれた。正月早々、3日付の記事である=写真=。1日午後2時26分ごろ、台湾の救難調整本部から海上保安庁に「中国人の乗った熱気球が魚釣島の南で行方不明になった」と救助要請があった。第11管区海上保安本部(那覇市)が、沖縄県の尖閣諸島・魚釣島の南約22キロの日本の領海内の海上で熱気球が漂っているのを発見。近くに浮いていた中国人の男性(35)を救助した。11管によると、男性は1日午前7時に中国・福建省複製位置を1人で離陸。「魚釣島に向かい、上陸するつもりだった」と話したという。11管は1日夜、魚釣島の周辺を航行していた中国公船「海警2151」に男性を引き渡した。

 この2つの記事から分かること。そうかこの気球の一件は中国側の外交の仕掛けだったのか、と。以下推論である。中国側は、気球の達人を使って、元旦早々に尖閣諸島に着陸させようとした。ところが、海面に不時着してしまった。それを、日本の海上保安庁が救助し、連行しようとしていた。中国側は、もし尖閣に気球が舞い降りていたら、おそらく人道的な救助目的で尖閣に上陸して、そのまま居座るという戦略ではなかったか。それは気球の男と打ち合わせ済みであったので、日本側に連行されてそのシナオリがばれると大変なことになると思い、「逮捕や連行をすれば、日中関係が抜き差しならないものになる」と脅したのだろう。

 合点がいかないのは、台湾の救難調整本部から海上保安庁に「中国人の乗った熱気球が魚釣島の南で行方不明になった」と救助要請があったことだ。これは台湾側が中国と連携していたとうことなのか、よく分からない。中国側とすれば気球が着陸失敗したのだから、むしろ救助されない方が「死人に口なし」である。あれやこれや憶測で、真実は定かではない。

⇒26日(日)正午、金沢の天気  はれ

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☆目に留まった言葉

2014年01月09日 | ⇒ドキュメント回廊
 過日のコラムで、金沢市の東山界隈を元旦に歩いた様子を記した。茶屋街で知れた東山だが、寺院も点在している。その日、ある寺院の門前に貼りだされていた言葉がふと目に留まった。「信はなくて まぎれまわると 日に日に地獄がちかくなる」と=写真=。「蓮如上人」とあるので、室町時代に浄土真宗を全国に広めたとされる高僧のありがたい言葉だ。

 念仏を唱えたことすらない身なので、言葉の仏教的な意味合いは測りかねる。それでも目に留まったのは、勝手にいろいろと解釈し、現代的な意味合いが浮かんだからだった。こう解釈してみた。「自分の生き様の信念も持たず、情報化時代の中で右往左往していると、ろくな死に方もできない」と。「アラ還」の同年代を見渡しても、日常の中で、趣味を大切にして生きている友人たちや家族思いの心優しい友人たちは多くいる。ただ、世の矛盾と闘っている、あるいはチャリティ(慈善活動)に身を投じている、といった信念というものを感じる人はめったにお目にかかったことがない。もちろん自分のその一人だ。

 情報があふれ、「アベノミクスで株価がどうだ」「2020年 東京オリンピックだ」「2015年春 北陸新幹線開業だ」「靖国参拝で中国、韓国がどうだ」などといったニュースに目と心を奪われている日々ではないか。

 自宅に戻ってインターネットで「信はなくて まぎれまわると 日に日に地獄がちかくなる」を検索してみた。出展は『蓮如上人御一代記聞書讃解』とあり、この言葉に続きがあった。「信はなくて紛れまはると日に日に地獄がちかくなる、紛れまはるがあらはれば地獄がちかくなるなり。うち見は、信不信見えず候。遠くいのちをもたずして今日ばかりと思へ、と古き志の人申され候」

 ホームページの出展は省くが、以下の現代意訳が丁寧に付いていた。「真実の信心が得られないまま、世間の事に紛れ果てていると、日に日に地獄が近付いて来る。紛れ果てている証拠に、地獄そのものの生活が展開してしまうものである。外からは人の信・不信は見えないものである。しかしその当人にははっきりと自己の信・不信は明らかだと思われる。命というものが長々と続くものとは考えずに、今日只今だけの命と思って聞法に励むべしと先師はおっしゃっておられるが、まことにその通りではなかろうか」と。

 さらに私の勝手解釈が続く。「自分の生き様の信念も持たず、情報化時代の中で右往左往していると、ろくな死に方もできない。こうした情報過多の日常に埋没していると、自身に死が近づいていることすら分からなくなってしまう。自らの生き様を見極めることができるのは、決して他人ではなく、自分自身ではないか。人生は長くない、日々にいかに生きるか、目を凝らせ、考えよ、自らの信念を探せ」と。

⇒9日(木)朝・金沢の天気    はれ
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☆2014年を迎えて

2014年01月01日 | ⇒トピック往来
  2014年元旦の金沢は雨ときどき曇りだった。家族で金沢神社に初詣に行き、帰りに東山の茶屋街に立ち寄った。街中は静かだったのに、ここは観光客でにぎわっていた=写真・上=。午前中だったが、店も一部は開店していた。店の前で芸子さんが姿を現すと、珍しげに観光客が集まった。「写真撮らせていただけませんか」とスマートフォンを構えている。芸子さんが「いいですよ」と微笑むと、ちゃっかりと「ツーショットと撮っていただけませんか」と横に並ぶおばさんもいた。

  話は前後するが、初詣をした金沢神社の隣に兼六園管理事務所がある。事務所横の庭には、まだ背の低い松などが植えてあり、雪つりまで施してある。本来ならば、兼けんろ六園の園外であり、名木でもないのにコストをかけてまで雪つり施す必要はない。理由がある。これらの松は、兼六園の名木たちの2世なのだ。兼六園といえども、強風や台風、大雪も、そして雷などの自然の脅威には常にさらされている。そして、いつかは枯れる。

  そのときのために名木の子孫がスタンバイしているのである。これは兼六園管理事務所の関係者から聞いた話だが、子孫とは、たとえば種子からとることもあるが、名木のもともとの産地から姿の似た名木をもってくる場合もある。兼六園きっての名木「唐崎(からさき)の松」。これは、滋賀県大津市の「唐崎の松」から由来する。歌川広重(安藤広重)が浮世絵「近江八景之内 唐崎夜雨」に描いた松である。その唐崎の松は2代目だが、第13代加賀藩主が2代目の種を取り寄せて植えた松が兼六園の「唐崎の松」である。

  兼六園管理事務所では、滋賀県の唐崎の2代目の種子で成長した低木を譲り受け、管理事務所で育てている=写真・下=。若いが枝振りもよい。これならば雪つりを施す価値があると個人的にも思う。ただ、この子孫の出番はいつか分からない。100年後か200年後か。ただ、名木の2世のスタンバイは永遠という時空をつけている。兼六園は四季の移ろいを樹木などの植物によって感じさせ、それを曲水の流れや、玉砂利の感触を得ながら確かめるという、5感を満たす感性の高い空間なのだ。その空間に永遠という時空をつけて、完成させた壮大な芸術品、それが兼六園。

⇒1日(水)夜・金沢の天気   くもり
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