自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆N響と「体内メロディ」

2016年08月28日 | ⇒トピック往来
  N響(NHK交響楽団)の金沢公演に出かけた。N響は1926年に結成されていて、今年で創立90周年になる。年間54回の定期公演(NHKホール、サントリーホール)をはじめ、全国各地で120回余りの演奏活動をこなしている。時折、NHK教育のクラシック・アワーで聴くが、やはりコンサートホールの方が胸が高鳴る。11年前にサントリーホールで聴いて以来だったので、今回の金沢公演を楽しみにしていた。

  マエストロは高関健氏。1977年にカラヤン指揮者コンクール・ジャパンで優勝し、カラヤンのアシスタントを務めたことがあるベテランだ。開演でメンバーが入場、中でもコンサートマスターの篠崎史紀氏がバイオリンを持って入ってくると拍手が一段と大きくなった。演奏曲目はスメタナ「歌劇~売られた花嫁~序曲」、グリーグ「ピアノ協奏曲 イ短調 作品16」、ドヴォルザーク「交響曲 第8番 ト長調 作品88」。

  よく知られるグリーグのピアノ協奏曲。ピアノを担当した児玉桃氏は赤いドレスで現れた。ティンパニーのクレッシェンドから雪崩落ちるようなピアノのフレーズで演奏が始まる。この出だし、映画やテレビドラマで主人公が絶望の淵に追いやられたときの効果音としても有名ではないだろうか。そして、ピアノが音階を駆け上がり、そして駆け下る。壮大に全楽器で演奏されて圧倒的なクライマックスで全曲を終える。

  この曲を聴いていて、映画で何度か視聴した松本清張の推理小説「ゼロの焦点」のシーンと曲のイメージがかぶってきた。児玉氏の赤いドレスが私の想像をたくましくさせてくれたのかもしれない。男は過去の記憶を消すことが出来ないが、女は上書き機能付きの記録回路を持っていて、割り切りで記憶をコントロールしてしまう。現在と過去が交差しない女と、過去の愛と現在の愛が両立してしまう男の欲望と執念の愛憎劇。北欧ノルウエーの作曲家の感性と、北陸の能登と金沢を舞台にした映画のロケーションが妙に合っているように思えてならない。

  ところで、第一楽章の真ん中あたりから、体内から「メロディ」が鳴っているのに気がついた。胃の上ありで、キュルキュル、グーグーとまるで曲に合わせるかのように腹鳴(ふくめい)がするのだ。普段でも腹鳴はめったにしないし、空腹でもなかった。そして不思議なことに、雪崩落ちるようなピアノのフレーズが三連符で表れて決然と曲を閉じて第一楽章が終わると、腹鳴もピタリと止んだのだ。

⇒28日(日)夜・金沢の天気   くもり
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★タカサゴユリのしたたかさ

2016年08月21日 | ⇒トピック往来
   「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」。女性の美しさとは、立っていても、座っていても、歩いていてもまるで花のよう、との言葉のたとえと自己流に解釈している。五月ごろ、山中の沿道に咲くササユリの横を通り過ぎると、そこはかとなく高貴な香りがする。「お守りして差し上げたい」と本能がくすぐられる。ところが、同じユリの花で姿、カタチはよく似ていても、香りがしないのが高砂百合(タカサゴユリ)だ。わが家でも5、6輪咲き誇っている=写真=。

    ただ、いつ植えたのか記憶が定かではない。というのも、ユリは種から育てると開花までに長い年月を要すると言われる。そのためユリを育てようと思ったら球根から育てるのが普通だ。としたら、球根を誰からかいただいたり、買ってきたりするものなのだが、その覚えがないのだ。

    3日前、そのナゾが解けた。今月18日、輪島市に所要で赴いた。能登半島を縦断する自動車専用道路「のと里山里道」を走行していると、道路を切り開いた斜面地に白い花が咲いていたので、下車してよく見るとタカサゴユリだった。それもかなりの数だ。能登への道はよく走行するが、これまで気に留めていなかったせいか新たな「発見」だった。

    東西の斜面地にあり、日陰でも日なたでも同じように咲いている。確か、この辺りは11月ごろに一面に黄色い花を咲かせるセイタカアワダチソウの「名所」ではなかったと思い起こした。ということは、タカサゴユリは、あの嫌われものの外来種の雑草と同じ生活圏で生育する、いわば雑草化したユリだ。肥料分の少ない斜面地でもすくすくと繁殖できるチカラ強さがある。ということは、風に乗ってやってきた種がいつしか、わが家に落ちて育ったのだろう。

    香りはないものの、花の姿のしなやかで、お茶花としても生けられる。雑草の力強さ、そして床の間を飾る華麗さ。なんとも、したたかなタカサゴユリではないか。

⇒21日(日)朝・金沢の天気    はれ

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☆夏の夜の睡眠不足

2016年08月20日 | ⇒トピック往来
地味なイメージがある陸上競技の競歩。かつて新聞記者時代に何度か取材した経験があり、そのくねくねした歩き方がテレビのモニターで映し出されると、つい目が止まってしまう。昨夜(19日)9時ごろからリオ・オリンピック種目の陸上男子㌔競歩をNHK-BSで視聴していた。3時間40分余りの長丁場、いつの間にかうとうと眠ってしまった。

    ところが夜中0時半ごろ、ふと目を覚ますと大変なことになっていた。日本勢でトップを走っていた荒井広宙(あらい・ひろおき)が3時間41分24秒の3着でゴールした後に妨害行為があったとして失格になっていたのだ。荒井はレース終盤の残り1.2㌔で、カナダの選手を追い抜く際に上半身が接触。カナダ選手はバランスを崩してよろけして後退した。これに、カナダ側が進路妨害だとして抗議し、審判長が受け入れて荒井を失格としたのだった。

    ネット上でその時のビデオが公開されていたので再生すると、荒井が追い抜く際に両者の肘が接触していることが確認できるが、それを「進路妨害」と決めつけるのには疑問符が付くのだ。その審判長の判定がひっくり返ったのは夜中の3時半ごろだった。今度は日本陸連の方がビデオを精査して「不可抗力の接触。カナダ選手の肘が先に当たっている」と判断し、国際陸連理事5人で構成する上訴審判に申立書(英文)を提出して審判長裁定の取り消しを求めたのだ。時間にすれば2時半ごろ。

    それから1時間後、上訴審判は協議の結果、日本側の訴え通り「その接触とカナダ選手の失速に因果関係はない」と判断。荒井は銅メダルを手にしたのだった。その時の第一声が日本人らしい一言だった。「お騒がせしてすいません。(相手に)当たらなければ良かったんですが…」。失格の悪夢を乗り越え、日本の競歩界に初のオリンピックメダルをもたらした喜びはいかほどのものだったか。また、日本陸連のスピーディな対応(抗議と上訴)にも拍手を送りたい。

    この夜、もう一つ注目した動きが同時刻ごろにあった。ジュネーブで開かれていた国連核軍縮作業部会だ。「核兵器の法的禁止を協議する会議を2017年に開くよう国連総会に勧告することに、広範な支持が寄せられた」との報告書が賛成多数で採択された。国連加盟国(193)の半数超に当たる100ヵ国が支持したとされる。今後、国連総会の場で、核兵器禁止条約づくりに向けた議論が本格化することになる。

    核軍縮の問題を国連の多数決で決めるべきではないとし、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の核保有国側は作業部会の参加をボイコットしてきた。気になっていたは日本の立ち位置だ。採択は挙手による意思表明だったが、日本は棄権した。同じくアメリカの「核の傘」にいるNOTO諸国もだ。

    これと連動して、8月15日付のアメリカのワシントン・ポスト紙の記事が波紋を呼んでいる。オバマ大統領が進めているとされる「核兵器の先制不使用政策」を構想していることにし、安倍総理がハリス太平洋軍司令官に「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」と反対の意向を伝えたとスッパ抜いた。同紙を引用して日本の新聞メディア各紙も報じた。

    この記事だけを読めば、ことし5月28日に安倍総理はオバマ大統領といっしょに広島の平和記念公園の原爆死没者慰霊碑を訪れ献花に臨んだのだから、今こそ「核兵器なき世界」に向けて安倍総理はオバマ大統領の先制不使用政策をサポートすべきなのに、なぜに反対なのかと考え込んでしまう。

    確かに、オバマ大統領の核兵器の先制不使用政策や、安倍総理の反対の立場もアメリカの有力メディアの伝えた話であって、本人が公に述べたものではない。空中で話が飛び交っている状態だ。ただ、火の気のないところ煙は立たず、である。今後、10月からニューヨークの国連本部に議論の舞台が移る。その場で、オバマ大統領が何を述べるのか。真夏の夜の出来事にますます睡眠不足に陥った…。

⇒20日(土)正午、金沢の天気   くもり
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★続・グランドカバーの攻防

2016年08月11日 | ⇒トピック往来
   庭にどのような樹木を植え、花を咲かせるか、楽しみの一つでもある。そのポイントは地面にどのような植物を生やすかによってもそのイメージが決まる。芝生であれば洋風ガーデンだが、コケ類だったら和風の庭だ。そのグランドカバープランツ(地べたに生やす植物)が雑草に覆われることがある。その手入れが大変だ。

   我が家の庭にはいろいろは雑草が生える。スギナ、ヤブカラシ、ドクダミ、チドメグサなどは通年で生えてくる。ことしはなぜかチドメグサの勢いが強い。これが我が家の芝生ゾーン、スギゴケ・ゾーンにびっしりと映えている。チドメグサは茎全体が横にはって、節から根を出し、どこまでも広がる。これが芝生ゾ-ン、スギゴケ・ゾーンに侵入し、急速に増殖しているのだ。これまではところどころで見かけたので、さほど気にはしていなかったが、ことしは勢いが随分と違う。専用の除草剤はあるのだが、なるべく使いたくないので手作業の草取りだ。

   手作業は地味だ。芝生ゾーンでは、芝生の根に絡まるようにして生えているので、芝生の根ごと除草することもある。スギゴケの場合、スギゴケをかき分けて、チドメグサの茎を捜し出して抜く。一人ではなかなか作業がはかどらないので、きょうは応援部隊を導入した。掃除代行サービスの「ダスキン」から5人のスタッフを派遣してもらった。ダスキンでは草取りも清掃作業の一つとして位置付けており、オーダーすると部隊を編成して派遣してくれる。10日前に担当者が下見をして、草取りの経験が豊富がスタッフをそろえてくれる。

   午前9時に5人の女性スタッフが帽子、手袋のいでたちでやってきた。気温はすでに30度を超えている。まず、芝生ゾーンの除草から始める。葉っぱを取るのではなく、網状になった茎を根こそぎ取る旨を説明し、作業に入った=写真=。作業スタッフの一人から「芝の根もむしってしまったのですが、よろしいですか」と声が上がった。「全然問題ありません。チドメグサの茎ごと取ってください」と返答。チドメグサとの闘いは本戦に入った。茎を縦横無尽に生やすチドメグサ、取っても取っても、切れた茎が残る。人海戦術による「根絶やし」作戦なのだが、そう単純ではない。

   2時間余りの攻防で、芝生ゾーンはなんとかすっきりした。続いて、スギゴケ・ゾーンに入る。スギゴケをかき分け、一本一本抜いていく。その作業の様子はまるでサルの毛づくろいのようだ。午前中3時間、契約の時間が終わった。作業量は20リットルのポリ袋で9個分の分量になった。

   炎天下の作業を黙々とこなしてくれた作業スタッフの皆さんには頭が下がる思いがした。ひょっとしてこうした地味な草むしりの作業をお願いできるは日本だけではないだろうか。そして、チドメグサを名指しで攻撃対象にする草取り作戦を展開するのは我が家だけか。旧盆前の「山の日」の休日、グランドカバーの攻防はひとまず終わった。しかし、茎は絶えてはいない。逆襲のチャンスをうかがっているだろう。次なる闘いが。

   と、友人にこの話をしたら、「雑草を非道の敵とみなして、闘い気分に浸るなんて、風車を巨人だと思い込んで突撃していくドン・キホーテのようだな」と軽く笑われた。

⇒11日(休)午後・金沢の天気   はれ
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☆天皇のお気持ち

2016年08月09日 | ⇒ニュース走査
「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました」

昨日(8日)テレビで放送された天皇のお言葉(ビデオメッセージ)にじっと聞き入った。なるほど、天皇はこう考えておられたのだ、ということを知った思いがした。とくに、天皇が国民との関係や距離をどう考え、自らの象徴天皇の役割を担ってこられたのか、改めて感じ入った。

  一つだけ、聞き慣れないお言葉があった。「天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き・・・」。「殯(もがり)」とは。調べてみると、人の死後に本格的に埋葬するまで、遺体を棺(ひつぎ)に納めて安置し、近親者が儀礼を尽くして幽魂を慰める習俗のことを指す。その目的は死者のよみがえり、あるいは死者の魂を呼び戻すことにあるという。

  これに似た葬送を実際に聞いた。これまで何度か訪ねたことがある、フィリピンのイフガオでの葬送の方法だ。死者を布でくるんで白骨化するまで自宅に置く。家族は死者を身近に置くことで、亡き人をしのぶ。その後、家族で洗骨の儀式を営み、埋葬する。2000年も前からこの地で田んぼを耕すイフガオ族の伝統的な葬儀だったが、さすがに現代では敬遠され、すぐ埋葬するのだという。

  イフガオでの話を聞いていたので、天皇が述べられた「重い殯」の意味合いを察した。2ヵ月続く皇室の伝統的な葬送「殯」は、心に重いのだろう。メディアでは「生前退位」を天皇が示唆されたと報じているが、あえて「重い殯」とお言葉にすることで、こうした皇室の伝統的な葬送の在り様も含めて見直したい、とのお気持ちを述べられたのではないだろうか。

⇒9日(火)夜・金沢の天気  はれ
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★ヒロシマの祈り、法の形骸化の危惧

2016年08月07日 | ⇒メディア時評
  「6・9」の季節だ。広島に原爆が投下されたのが1945年8月6日、長崎が3日後の9日だった。あれから71年たつ。ことしも広島市の平和記念公園では昨日「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」が営まれた。午前8時からの式典には5万人が参列したという。ことし5月28日、アメリカのオバマ大統領が現職大統領として初めて平和記念公園の原爆死没者慰霊碑を訪れ、献花に臨んだこともあり、被爆者にとっても特別な思いがあったのではないかと察する。

   広島市長が読み上げた平和宣言では、あのオバマ大統領の広島演説の一節が引用されたようだ。「核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」。大統領の一文はこうだった。Among those nations like my own that hold nuclear stockpiles, we must have the courage to escape the logic of fear and pursue a world without them. We may not realize this goal in my lifetime, but persistent effort can roll back the possibility of catastrophe.(わが国のように核を保有する国々は、恐怖の論理から逃れ、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない。私たちが生きている間にこの目標は達成できないかもしれないが、たゆまぬ努力が大惨事の可能性を小さくする。)

   式典には91ヵ国とEUの代表も出席し、核保有国からはアメリカ、イギリス、フランス、ロシアの代表が出席(中国は欠席)し、成り行きを見守ったした。「核兵器なき世界を追求する勇気」は強調されたが、現実はどうなのだろうか。先月7月12日付の新聞各紙によると、ワシントン・ポスト紙の記事を引用し、オバマ大統領が「核先制不使用」の宣言を含めた核軍縮策を検討、さらに大胆な核軍縮・不拡散の方針を打ち出すことを模索しているという。

   このワシントン・ポスト紙の報道に連動して、民主党のサンダース上院議員らが、オバマ大統領あてに核先制不使用のほか、新型巡航ミサイルなどの核兵器近代化計画の見直しなどを求める書簡を送った。その中で「広島と長崎の原子爆弾(投下)の教訓は、核兵器を二度と使用してはならないということだ」と強調し、現政権での核政策の大胆な見直しを迫ったという(7月21日付・朝日新聞)。

   一方で、去年12月に国連総会で採択された、核廃絶への具体的、効果的、法的な手段を討議するための作業部会(ジュネーブ)の動きも注視したい。今年2月に第1回会合があり、5月に第2回会合が開かれた。今月8月下旬にも開催され、9月の国連総会で報告書が提出される。が、核保有国5ヵ国は欠席している。その対立の構図は、条約制定を急ぐメキシコやブラジル、インドネシアなど9ヵ国が核禁止のための法的措置についての交渉を来年2017年開始することを提案しており、核保有国との間の溝が深まっている。

   では、日本はどのような立場かというと、核保有国と非保有国を分断させるような議論の進め方には反対という立場だ。このスタンスは、日本だけでなく、NOTO(北大西洋条約機構)とも共同歩調をとっている。効果的、法的な手段での核廃絶ではなく、安全保障を重視しながら徐々に核兵器を減らすというアプローチを提唱しているのだ。

   この日本とNATOのスタンスは「どうせアメリカの核の傘に入っているからそう言っているのだろうと」と日本の国内メディアの論調でも一蹴されているが、やはり慎重に進めるという立場にならざるを得ないではないかと最近考える。それは、南シナ海の領有権問題をめぐってオランダ・ハーグの仲裁裁判所が先月12日に示した裁定ですら、「紙くず」と無視されているのが現状である。仮に核廃絶の法が非保有国などの賛成多数で成立したとしても同様に一部の核保有国に無視にされる可能性だってある。無理を通せば道理が引っ込むたとえのように、法が形骸化していくことを恐れる。どのようなプロセスで核廃絶に向かって踏めばよいのか。

⇒7日(日)朝・金沢の天気  はれ   
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☆グランドカバーの攻防

2016年08月05日 | ⇒トピック往来
  庭の木もさることながら、地面に彩りを添え、庭全体の雰囲気を引き立たせるのがグランドカバープランツと呼ばれる下草だ。我が家でそれに相当するのがスギゴケと芝生。スギゴケは和風を醸すゾーンで、芝生は日当たりのよい場所ですくすくと育っている。もちろん手入れが必要なのだが。

  スギゴケは葉が直立して細い葉が並んでいる。スギの葉に似ている。日向よりも半日蔭のような場所が適している。群生している場所はまさに「和の空間」で、心が和む。ただ、夏場の日照りが続くと赤茶ける。結構手入れはしているつもりだが、最近、その場に増殖しているのがチドメグサだ。

  チドメグサはなんともおどろおどろしい名前だが、この葉の汁を傷口につけると血が止まることからつけられたようだ。学名は「Hydrocotyle sibthorpioides」。やっかいなのは茎全体が横にはって、節から根を出し、どこまでも広がる。これが芝生ゾ-ン、スギゴケ・ゾーンに侵入し、急速に増殖している。これまではところどころで見かけたので、さほど気にはしていなかったが、ことしは勢いが随分と違う。専用の除草剤はあるのだが、なるべく使いたくないので手作業の草ぬきだ。

  スギゴケ・ゾーンでの繁殖の場合、スギゴケを分けて、チドゲグサの根を探し出し、ネットを手繰り寄せるようにして抜く。ただ、スギゴケも抜けたりして痛み分けにもなるが、労力はそれほどかからない。根気で勝負する。問題は芝生だ。芝生の根が逆に作業をする手を邪魔してチドメグサの根を探し出すのが難しい。そこでチドメグサの葉を取ることになるのだが、根が残る。難物だ。

  きょうも金沢は日中36度の猛暑日、地べたではグランドカバーの熱い攻防が続く。放っておいたら、チドメグサが止まらない、我が家の庭を制する勢いなのだ。

⇒5日(金)午後・金沢の天気   はれ

  
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