自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★拉致問題、先読み‐2

2014年05月31日 | ⇒メディア時評
 拉致被害者家族が高齢化し、「時間との戦い」といわれる。ことし3月、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時13歳=の両親(81歳と78歳)が、北朝鮮に住むめぐみさんの娘とモンゴルのウランバートルで初めて面会したというニュースは記憶に新しい。「もう残された時間は少ない」と考える安倍総理の決断によって、この場がセットされたとも言われた。その後、日本と北朝鮮は調査再開の本格的な交渉に入った。今にして思えば、今回の調査再開の前段の成果だったのだろう。

 話は変わる。能登半島には一連の拉致被害の第1号の現場がある。最近何度か訪れた。警察関係者の間では、「宇出津(うしつ)事件」と称される。1977年9月19日、東京都三鷹市役所の警備員だった久米裕さん(当時52歳)が石川県能登町宇出津の海岸で失踪した。当時事件を取材した元新聞記者から話を聞いた。

 久米裕さんは在日朝鮮人の男(37歳)と、国鉄三鷹駅を出発した。東海道を進み、福井県芦原温泉を経由して翌19日、能登町(当時・能都町)宇出津の旅館「紫雲荘」に到着した。午後9時。2人は黒っぽい服装で宿を出た。旅館から通報を受け、石川県警は能都署員と本部の捜査員を急行させた。旅館から歩いて5分ほどの小さな入り江「舟隠し」で男は石をカチカチとたたいた。数人の工作員が姿を現し、久米さんと闇に消えた。男は外国人登録証の提示を拒否したとして、駆けつけた署員に逮捕された。旅館からはラジオや久米さんの警棒などが見つかった。

 元新聞記者によると、この事件で石川県警察警備部は押収した乱数表から暗号の解読に成功したことが評価され、1979年に警察庁長官賞を受賞している。ただ、この事件は単に朝鮮半島に向けて不法に出国をした日本人がいたという小さな話題としてしか報道されなかった。以降、日本海沿岸部から人が次々と消える。この年の11月15日、横田めぐみさんが同じ日本海に面した新潟市の海岸べりの町から姿を消したのだ。

 警察は、乱数表およびその解読の事実を公開した場合は、工作員による事件関係者の抹殺など、事件解決が困難になるリスクもあると判断し、公開に踏み切れなかったともいわれる。当時、大々的に拉致問題として報道していれば、その後の被害者も最小限だったかもしれない。当時は外交による国交回復が望まれていた。そんな折、あえて事件化できなかったともいわれる。

 宇出津事件の現場を歩くと、不気味な感じがする。入り組んだ典型的なリアス式海岸で、急な坂道を上り下りする。夜は人が歩けるような状態ではない。だから、事件が起きたのだと実感する。あの外交問題の拉致事件の第1号ながら、有名な歴史スポットになってもよさそうだが、看板一つない。地元の人たちにとって、ここが観光地であり、拉致は歴史の汚点と考え、あえて明示したくないのかもしれない。

⇒31日(土)昼・金沢の天気   はれ
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☆拉致問題、先読み‐1

2014年05月30日 | ⇒メディア時評
 少々の出来事では新聞やテレビを凝視しないが、このニュースには目を凝らした。29日、政府と北朝鮮が拉致問題の調査を再会することで合意したことだ。ニュースによると、ストックホルムで行われた日本と北朝鮮の外務省局長級協議で、北朝鮮が日本人拉致被害者の「包括的かつ全面的」な再調査の実施を約束し、調査開始時点で日本が独自に行っている制裁の一部を解除することで合意したと発表した、という。安倍政権が最重要課題と位置づける拉致問題が大きく展開し始めたことになる。

 安倍総理にとって拉致問題の解決は政治家としての「ライフワーク」とも言える。これまでの記憶をたどる。安倍氏は小泉内閣時に官房副長官と官房長官を務めた。2002年3月に官房副長官に就任し「拉致疑惑に関するPT(プロジェクトチーム)」を発足させ、さらにその年の4月には衆参院で「拉致疑惑の早期解決を求める決議」が採択された。その年の9月にあの電撃的な小泉訪朝が実現する。当時の金正日総書記と会談し、拉致を認めさせた。翌10月には蓮池薫さんら拉致被害者5人が帰国した。さらに2004年5月、小泉総理が再訪朝し、拉致被害者の子5人が帰国した。小泉氏が総理として爆発的な人気を得たのは、郵政民営化だけでなく、何と言ってもこの拉致被害者の帰国があったというのも大きい。当時、小泉訪朝を支えた安倍氏は一貫して「日本人拉致疑惑をうやむやにして、国交正常化などすべきではない」が持論だった。影の立役者だった。

 安倍氏が「小泉後継」として2006年に初めて総理になったのも、拉致問題で北朝鮮への毅然とした態度が評価されたのがきっかけだった。中国と韓国がかたくなに外交関係を拒んで改善の糸口が見えない中、安倍氏は自らのライフワ-クともいえる拉致問題で外交的な一つの成果を出したという気持ちがあるのだろう。おそらく、北朝鮮側との首脳会談、すなわち、安倍総理の電撃的な訪朝も想定しているのではないか。

 今回の調査再開合意、日本と北朝鮮の状況は実に当時と似ている。2002年、アメリカはイラン・イラクと共に北朝鮮を「悪の枢軸」と呼んでいた。北朝鮮はアメリカの矛先が自国に向くと思い、アメリカと同盟関係にある日本に関係改善の糸口を見出していたと当時言われた。今回も孤立化する北朝鮮の外交の糸口をこの調査再開で掴みたいのではないだろうか。北朝鮮ニュースが面白くなってきた。

⇒30日(金)夜・金沢の天気  はれ
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★資源戦争

2014年05月11日 | ⇒メディア時評
  ベトナム政府が公開した、南シナ海の西沙諸島の海域での中国艦船によるベトナム艦船への体当たりや放水のビデオ映像が日本のメディアでも報じられた。中国海警局の船がベトナム沿岸警備隊の船を追い回し、側面に衝突してくる様子は、尖閣諸島における、2010年9月の中国漁船による、日本の海上保安庁巡視船への体当たりシーンを思い出す。そうか、あれは漁船を装った中国の警備当局に仕業だったのかと。中国には体当たりのプロがいるのだ。

  北ベトナムとアメリカによる、いわゆるベトナム戦争の真っただ中の1974年、当時の南ベトナムが支配していた西沙諸島を中国人民軍が武力で確保し、「領土」とした。ベトナム戦争が終結した1988年には、さらに南沙諸島にも中国が進出し、統一ベトナムとの間で軍事衝突が起きた。中国は南シナ海のほぼ全域を覆うように「九段線」と呼ぶマーキングエリアを設定し、中国の主権と権益が及ぶと公言している。

  南沙諸島には100もの小島があり、ベトナムや中国、フィリピンがそれぞれ施設を建て、部分的に実効支配している。今回、中国が全域を実効支配している西沙諸島の沖合に中国が海底油田の掘削装置を持ち込んだため、ベトナムが猛反発した。中国の南シナ海への進出は、石油や天然ガスの資源獲得が狙い、つまり、主権と権益をセットで確保することにあるのだろう。

  こうした中国の一方的な動きに世界が批判の目を向けている。アメリカ国務省の報道官は、中国が警備艇など公船をこの海域に送り込んでいることを「挑発的で緊張を高めている」と非難した(7日)。
  
  現在ミャンマーで開催されている、ASEAN(東南アジア諸国連合)の外相会議で、ベトナム沖の南シナ海で中国が石油掘削を始め、ベトナムの船舶と衝突していることについて、「南シナ海で現在進行中の動きは地域の緊張を高めている」として重大な懸念を示す声明を出たのは当然だろう。領有権争いに絡む全当事者に国際法の順守と平和的な解決を求める。
    
  翻って日本と中国。中国が尖閣諸島の領有権を主張したのは1971年と言われる。1968年に尖閣諸島での海底調査で、石油や天然ガスなどの地下資の可能性が確認されて以降のことである。この南シナ海の西沙諸島付近での油田掘削の動きが尖閣諸島付近でも再現される現実味が帯びてきた。西沙諸島付近での中国の動き、これは領土問題ではなく、「資源戦争」なのだと改めて考える。

⇒11日(日)朝・石川県珠洲市の天気     はれ
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☆続々・国と人の尺度

2014年05月05日 | ⇒メディア時評
  外務省海外安全ホームページの中に「安全の手引き」があり、韓国の在釜山日本国総領事館が現地の交通マナーに関して、こう韓国を訪問する邦人に注意を呼びかけている。「交通マナーについても、依然として改善されず、信号無視や横断歩行者の妨害、オートバイの歩道走行などの違法行為や割り込みなどが日常茶飯事であり、いつ何時思わぬ被害に遭遇するか分からない状況にあります」(2013年1月)

  この件の事情を韓国メディアの掲載記事で検索すると、2013年9月23日付の中央日報WEB版(日本語)は嘆いている。経済協力開発機構(OECD)加盟国で交通事故死亡率1位(2010年基準)、人口100万人当たり死亡者は114人。「交通事故死亡者5392人のうち57.4%に当たる3093人が歩道と車道が区分されていない幅9㍍未満の生活道路で犠牲になった。高速道路や広い道路よりも住宅地周辺の狭い道がさらに危険なのが韓国の現実だ」と。ちなみに、同じ統計で日本では100万人当たり死亡者45人なので、韓国の死亡事故は日本の2倍以上となる。ただ、交通死亡事故の定義は日本は24時間以内で死亡した統計であり、各国との比較は微妙だが、それにしても韓国の死亡事故は多い。

  何を言いたいのかというと、安全に対する国と人の尺度に韓国と日本の違いあるのではないかとの推測である。それを交通分野で数値化すると上記の数字となる。上記の韓国紙によると、「高速道路や広い道路よりも住宅地周辺の狭い道がさらに危険なのが韓国の現実」とあり、日常の生活空間での交通事故死が半数以上を占める。とすれば、冒頭の総領事館が注意を呼びかている「信号無視や横断歩行者の妨害、オートバイの歩道走行などの違法行為や割り込み」は現実味を帯びる。

  しかし、振り返ってみると、日本は交通事故死者は4411人(2012年・警察庁統計)だが、1970年に1万6765人(同統計)の死者がいた。つまり、現在の4倍である。当時の人口は1億466万人なので、100万人当たりで計算すると160人となる。つまり韓国以上だった。この1970年をピークに減っていく。なぜか。当時は「交通戦争」と呼ばれるほどに社会問題だった。とくに飲酒運転による死亡事故が多く、2002年6月に改正された改正道路交通法により罰則など強化とともに社会的な交通安全への機運の高まり、2007年9月の飲酒運転のさらなる厳罰化、2009年6月の悪質・危険運転者に対する行政処分の強化など法による取り締まりが徹底された。国民も順守した。

  朴槿恵大統領がセウォル号沈没事故の遺族の前で「すべての悪弊を取り除いて、必ず安全な国をつくる」と述べた(4月29日)。おそらく韓国でも海難事故や交通事故、建築基準法など安全に対するさまざまな法的な取り締まりが今後立法化され、徹底されるだろう。問題はその法を守ろうとする国民の順法の尺度がどうなのか問われることになるだろう。

⇒5日(こともの日)午前・金沢の天気   あめ
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★続・国と人の尺度

2014年05月04日 | ⇒メディア時評
  前回のコラムで書いた「国と人の尺度」で避けたい誤解は、人が行動を起こすのに必要な刺激量の限界値、つまり反応閾値(いきち)がそれぞれ違っており、埼玉県の県立高校で新入生の担任の教師4人が入学式を欠席しわが子の入学式に出席したことを、「まあ、それぞれでよいではないか」と是認しているわけではない。そこには別の社会的な尺度の「職業倫理」というものがある。これは前に述べた個人的な尺度とはまったく別物である。

  もちろん、4人の教師は無断欠席したわけではなく、校長に事前に届けていたので、「倫理」を問うというのはおおげさかもしれない。ただ、新入生の担任が入学式の当日にいないとなると、どうなっているのかと不審に思う保護者(父母など)もいるだろ。一方で、擁護する人は、教師は聖職者ではあるが、人の親でもあり、職業より私生活を優先させるケースがあったとしてもそう目くじらを立てることもない。それは、校長との話し合いでの上の判断なのだから、相当な理由があったはず、と。

  ここで注目すべきは、学校教師への見方が最近変わってきていることである。学習塾など教育産業が独自に発展して、学校の教師に対する親の期待値が相対的に低くなっているのではないか、あるいは教師の存在がが軽視される傾向にあるのではないか、という点である。先日も大きな話題となった、佐賀県武雄市が始める、学習塾「花まる学習会」と組んでの小学校の運営だ。授業に塾の教材やノウハウを取り入れ、研修を受けた学校の教師が教える。さらに、放課後と土曜日の補習には塾講師が招かれ、児童たちを指導する。校名には「武雄花まる学園」と名づけるまるでに入れ込んでいる。これは、同市の総務省出身、45歳市長の敏腕のなせる業(わざ)とはいえ、子を持つ親のニーズをつかんでいる。そして、好意的にNHKの夜7時のニュース番組(4月17日)でも取り上げられた。地域の教育関連ニュースが全国ネットで放送されるのは、ある意味で異例である。

  逆説的なのだが、NHKは視聴者のニーズをつかんで、価値のある全国ニュースと判断したのだろう。既存の学校教育(初等、中等、高等含め)に対し、行き詰まり感、あるいは閉塞感、不信感を持つ親が多いので、そうした現在の学校教育に風穴を開ける話題、あるいは一石を投としての「全国価値」である。

  話は元に戻る。今の社会の風潮は、埼玉県の県立高校で新入生の担任の教師4人が入学式を欠席しわが子の入学式に出席したというニュースが流れても、視聴者は「ああそうですか。お好きに」という風向きかもしれない。教師は「聖職者」ではなく、ごく普通の「公務員」である。しかし、ごく普通の公務員であっても、自らが担当する新入生を受け入れるセレモニーを欠席するだろうか。

  そして、これは大学の入学式の光景なのだが、新入生とその父母同伴の姿で会場で目立つ。しかも平日である。「職業倫理」という言葉はもはや通じなくなってきているのだろうか。

⇒4日(みどりの日)朝・金沢の天気    はれ
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