自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★フラッシュモブ

2011年08月18日 | ⇒トピック往来

 アメリカでは「フラッシュモブ(flash mob)」と呼ぶそうだ。フラシュは瞬間の光、あるいは閃(せん)光、モブは暴徒、あるいはギャングの意味である。数十人から何百人もの集団がパッと押し寄せて、商店での略奪や通行人を襲撃する。新たな犯罪現象である。

 昨日のTBS系のニュース番組で紹介されていた。アメリカ・メリーランド州のコンビニエンスストアの防犯カメラがとらえた映像。店に突然、男女数十が入ってきて、次々に商品をつかむと、そのまま金も払わず店の外へと消えていく。集団が襲ったのは午前2時前、店員は1人で対抗措置を取ることができなかった。治安が悪い地区で起きているわけではない。静かなふつうの都市で起きている犯罪なのだ。

 メリーランド州だけではない。フィラデルフィアでは、この夏に数十人から200人もの集団が商店や道行く人を突然襲う事件が相次ぎ、重傷者も発生。ワシントンでは衣料品店が襲撃され、ラスベガスではコンビニが狙わた、と報じていた。フィラデルフィアでは、このフラッシュモブ犯罪が多発していることから、若者の夜間外出禁止令が発令された、という。

 このアメリカで起きている現象と、前回のブログで書いたイギリスでの「理由なき暴動」と重なる。見ず知らずの若者が集まり、略奪し襲撃するこの犯罪で取りざたされているのが、スマートフォンなど使われるツイッターやフェイスブックの存在だ。何者かが襲撃計画を多数に呼びかけ、犯行が行われた可能性がある。つまり、ソーシャルメディアが犯罪を扇動するツールとして使われている。前回のブログで「ハーメルンの笛吹き男」の寓話を紹介した。ソーシャルメディアが「笛」の役目を担い、「笛吹き男」が街のギャング(暴力的犯罪集団)だとしたら恐ろしい。

 では、このフラッシュモブ、日本での可能性はどうか。今は目立った動きはないが、起こりうる。現に、東日本大震災の発生時、得体の知れない情報にどれだけのチェーンメールが流され、人々が踊らされことだろう。さらに、オレオレ詐欺の集団が言葉巧みに電話で人を操っている。そのような集団がソーシャルメディアを使って、さまざまに仕掛けることは想像に難くない。犯罪に加わる若者もゲーム感覚で「みんなで渡れば怖くない」と。こうした軽い気持ちがフラッシュモブの萌芽になりうる。

⇒18日(木)朝・輪島の天気   あめ

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☆理由なき暴動

2011年08月15日 | ⇒トピック往来
 アカデミー男優賞候補だったジェームズ・ディーンの遺作『理由なき反抗』は、青少年の犯罪心理を追及した映画だった。1955年、アメリカで製作。少年として共鳴でききるところもあり、他人事ではない、自分も思いつめれば、「チキンゲーム」(度胸試し)くらいやるかもしれないと、当時思ったものだ。若気のいたり、無謀、未熟…今にして思えば、まるで青臭い映画だった。でも、こうして脳裏に刻むことができる、魅力ある映画だった。

 若者が暴走するのは世の常だ。ただし、警官による黒人男性射殺に端を発したイギリスの若者の暴動は理解を超えている。報道によれば、暴動に加わった若者の行動パターンは3つに分類されるという。それは「略奪」「放火などの破壊行為」「警察への攻撃」だ。貧民街での暴動で、停職をもたない若者の不満が爆発したのかと短絡的に考えていたがそうではないらいい。逮捕され裁判所に出廷した容疑者は、裕福な女子大生やグラフィックデザイナー、小学校の補助教員、しかも人種も多様なようだ。中には、11歳の少年もいるという。

 これまで暴動といえば、社会の矛盾(貧富の差など)から湧き上がる政治的不満や人種差別などといった義憤が背景にあった。ところが、イギリスでの暴動は、発展途上国型の略奪を意識した暴徒化タイプのようだ。「ツイッター」などのソーシャルメディアの呼びかけで、ワッと集まり、商店を襲い略奪して逃げる、放火する、警官に暴行するという、「理由なき暴動」だ。こんなことにイギリスの社会が混乱し、類似の暴動が各地で頻発している。キャメロン英首相は臨時議会(11日)で、「異なる(背景の)若者らが同じ行動を取るという新たな難題に直面している」と苦りきった表情で説明していたのが印象的だった。

 ただ、この暴動には扇動者の存在がある。8月12日付の朝日新聞アサヒコムで「イギリスの少年ギャングたちの一端を垣間見れる写真12枚」の写真グラフが紹介されている。社会から断絶した若者らが徒党を組んで武装し、ギャング(暴力的犯罪集団)と化しているのだ。ロンドン警視庁の2007年調査で、ロンドン市内で250を超えるギャング組織が確認されているという。今回の暴動もギャング組織が扇動しているのではないかとの見方もある。

 若者を中心としたギャング団の存在。「理由なき暴動」を扇動しているのが、彼らだとしたら、イギリス社会のまさに「闇」の部分だ。「異なる(背景の)若者らが同じ行動を取る」(キャメロン首相)という事態は深刻だ。ヨーロッパには「ハーメルンの笛吹き男」の寓話がある。笛に踊らされた多数の子供たちが姿を消す、グリム童話にある。ギャングが扇動し、躍らされる善良な若者たち。キャメロン首相は、今回の暴動にこのような得体のしれない魔性のイメージを重ねているのかもしれない。

⇒15日(月)午前・金沢の天気   くもり
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★技術と安全思想

2011年08月14日 | ⇒トピック往来

 ある輪島塗の職人から、「技術は教わるものではなく、親方の技を盗み見するものだ」と聞いた。また、輪島塗の蒔(まき)絵師から「盗んだ技術は、また他の人にすぐ盗まれる。自分で体得した技術は盗まれない」とも聞いた。職人の世界では、技を盗む、真似るのは悪いという意味ではなく、職人が一人前になるまでの成長過程で必要なことである。一定のレベルに達したら独自でさらなる技を考案せよ、そうしなければ産地としての全体のレベルは向上しないと、私なりに解釈している。先日、輪島市に出張する機会があって、かつて聞いた輪島塗の職人さんたちの言葉を思い出した。

 先月7月23日、中国・浙江省温州市付近で、高速鉄道「D3115」が脱線事故を起こし、車両4両が高架橋から転落し、多数の死傷者を出した。また、事故後に転落した車両を検証することもなく、地中に埋めるという当局の行為がニュースとして世界を駆け巡った。事故の一連のニュースで感じたことは、日本や諸外国の新幹線を形だけ真似しても、その安全性に対する考え方やスケジュール管理の具体的な方法などを学んでいなかったのはないかということだ。冒頭で述べた、真似ればよいというレベルでとどまっていたとうことになる。

 日本の新幹線の運用は1964年から始まり、大事故を起こさずにこられたのは、小さな事故の経験をノウハウとして積み上げてきたからだといわれている。直近で思い出すのは、今年3月11日の東日本大地震で、新幹線は1台も事故を起こさなかった。当時の新聞報道によると、海岸線にセンサーが取り付けてあり、地震の初期微動で発生するP波をキャッチし、即座に新幹線を停止させるようなシステムを構築していたからだ。つまり、地震の主要動である大きな揺れが到着する前に、新幹線にはブレーキがかかり停止することができたのだ。この技術は、阪神淡路大震災の反省から生まれたという。

 どれだけ注意を払っても事故は起こる。天災、人的ミス、そしてミスは複合すると大事故につながる。ましてや、日本や諸外国の技術を導入して、それを「国産の新幹線だ。国際特許を取る」と豪語しても、今回の事故が起きて、検証もせずに事故車両を埋めるという対策では、高速鉄道の技術開発と、「乗客を目的地に安全に運ぶ」という安全思想がセットになっていないのではないかと疑ってしまう。

 きょう(14日付)の朝日新聞の記事で、中国政府はあす16日から高速鉄道の最高時速をこれまでの350㌔から300㌔に減速するという内容の記事があった。これだと、時速320㌔のドイツICEやフランスTGVより遅くなり、中国は「世界最速」というメンツを捨てることになる。それでも、安全対策に力を入れるというのであれば評価はできる。ただ、安全対策の技術の確立は1年や2年でできるものではない。エンドレスに続くというのが、安全思想というものだろう。この話は、高速鉄道に限らないのはいうまでもない。

⇒14日(日)朝・金沢の天気   はれ

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☆猛暑は読書に限る

2011年08月03日 | ⇒ランダム書評

 連日気温30度を超える。こんな日は、あちこちと動き回るより、じっと読書していた方がしのぎやすい。最近読んだ本の中から、2冊を取り上げる。

【『働かないアリに意義がある』(長谷川英祐著、メディアファクトリー新書)】

 幼いころ読んだイソップ寓話に「アリとキリギリス」がある。夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、キリギリスは歌を歌って遊び、働かない。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとする。しかし、アリたちは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだ」と皮肉を込めて断る下りをいまでも覚えている。ことほどさように、アリは働き者というイメージが世界で共有されている。

 ところが、この本のタイトルにあるように、「働かないアリ」がいる。その実態は、働きアリの7割はボーっとしており、1割は一生働かないというのだ。働き者で知られるアリに共感する我々人間にとって意外だ。しかも、働かないアリがいるからこそ、アリの組織は存続できるという。これも意外だ。以下、著書の中からその理由を引用する。

 昆虫社会には人間社会のように上司というリーダーはいない。その代わり、昆虫に用意されているプログラムが「反応閾値(いきち)」である。昆虫が集団行動を制御する仕組みの一つといわれる。たとえば、ミツバチは口に触れた液体にショ糖が含まれていると舌を伸ばして吸おうとする。しかし、どの程度の濃度の糖が含まれていると反応が始まるかは、個体によって決まっている。この、刺激に対して行動を起こすのに必要な刺激量の限界値が反応閾値である。人間でいえば、「仕事に対する腰の軽さの個体差」である。きれい好きな人は、すぐ片づける。必ずしもそうでない人は散らかりに鈍感だ。働きアリの採餌や子育ても同じで、先に動いたアリが一定の作業量をこなして、動きが鈍くなってくると、今度は「腰の重い」アリたち反応して動き出すことで組織が維持される。人間社会のように、意識的な怠けものがいるわけではない。

 著者の進化生物学者の長谷川氏は北海道大学の准教授で、アリやハチなど社会性昆虫の研究が専門。実験から「働かないアリだけで集団をつくると、やがて働くものが現れる」などの研究成果を導き出している。

【『縛られた巨人 南方熊楠の生涯』(神坂次郎著、新潮文庫)】

 異常な記憶力、超人的な行動力で知られる、博物学者であり、生物学者(特に菌類学)であり、民俗学者の南方熊楠。明治19年(1886)にアメリカに渡り、粘菌類の採取研究を進める。さらにロンドンの大英博物館に勤務し、中国の革命家、孫文らと親交を結ぶ。著者は、論文や随筆、書簡や日記などたどり、波乱の生涯を浮かびあがらせている。

 面白いのは熊楠の悲憤慷慨(こうがい)ぶりである。頭に血が上ると、止まらない。和歌山県田辺の隣人の材木成金が傍若無人の態度を取るので、鉄砲を持った仲間を呼び寄せ「戦闘態勢」に入った。警察官も入る騒動となり、2年間も隣人争いを続ける。この成金が破産して戦(いくさ)は幕を閉じる。著書を読む限り、熊楠の悲憤慷慨は常勝である。

 その熊楠がクジラの塩干しを炭火であぶって、よく酒を飲んだと著書にあり、この塩干しが食べたくなった。和歌山県太地町から「鯨塩干」を取り寄せた。黒くてフワフワ感がある。これをオーブンで5分間焼く=写真=。「これが熊楠の好物だったクジラの塩干しか」とわくわくしながら口にした。どこか覚えのある味だった。スルメイカの一夜干しのあぶったものと歯触りや味がそっくりなのだ。

⇒3日(水)朝・金沢の天気  はれ

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