自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★能登再生「待ったなし」

2008年10月23日 | ⇒キャンパス見聞

 きょう(10月23日)、共通教育「公共政策入門Ⅱ」の授業で講義を依頼され、「大学と地域連携」をテーマに話した=写真=。学生は100人ほど。講義場所を古民家の創立五十周年記念館「角間の里」にした。ほとんどの学生はここを訪れたことがなく、「昔にタイムスリップしたみたい」「田舎のおじいちゃんの家(ち)みたい」「木のにおいがする」と天井を見上げたり、柱を触ったり。授業はこんな雰囲気で始まった。

  以下、講義の概要。大学の地域連携とは何か。国立大学の担当セクションを見渡してみると取り組み方法はインドア型とアウトドア型の2つのタイプに分類できそうだ。インドア型は、窓口を開いておいて来客があれば対応するというもの。持ち込まれた課題に関して、その課題の解決に役立ちそうな教授陣(教授や准教授)を紹介する。この方法は多くの大学で実施されていて、金沢大学でもさまざまな案件が持ち込まれる。多種多様な相談事が持ち込まれるものの、すべての案件に十分対応できるわけではない。さらに、仮に相談には乗ることができても、時間を割いて現場に足を運んでくれる熱意のある人材となるとそう多くはなく、もどかしさを感じることもままある。これは何も金沢大学に限った話ではない。

  だからといって、「大学の殻に閉じこもって、学生だけを相手にしている教授陣に地域連携なんてやれっこない」などと思わないでほしい。果敢に地域課題に取り組むアウトドア型もある。地域に拠点を設け、そこに人材を配置して課題に真っ向から取り組むタイプである。これから紹介するアウトドア型の取り組みは稀なケースといえるかもしれない。ひと言で表現すれば「大学らしからぬこと」でもある。そして、キーワードを先に明かせば、「連携効率」と「連携達成度」、そして「ビジョン」と「仕掛け」の4つである。

  能登半島の先端にある石川県珠洲市三崎町。廃校となった小学校を再活用した「能登学舎」で07年10月6日、社会人を対象にした人材養成プログラムの開講式が執り行われた。開講式では、受講生も自己紹介しながら、「奥能登には歴史に培われた生活や生きる糧を見出すノウハウがさまざまにある。それを発掘したい」「能登の資源である自然と里山に農林水産業のビジネスの可能性を見出したい」などと抱負を述べた。志(こころざし)を持って集まった若者たちの言葉は生き生きとしていた。あいさつと看板の除幕という簡素な開講式だったが、かつて小学校で使われていた紅白の幕を学舎の玄関に張り、地元の人たちも見守ってくれた。5年間に及ぶ金沢大学の「能登里山マイスター」養成プログラムはこうして船出した。では、このプログラムは地域連携を通じて何を目指して、どのようなビジョンを描いているのか述べてみたい。

  まず、能登の現状についていくつか事例を示す。能登半島の過疎化は全国平均より速いテンポで進んでいる。とくに奥能登の4市町(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)の人口は現在8万1千人だが、7年後の2015年には20%減の6万5千人、65歳以上の割合が44%を占めると予想される(石川県推計)。この過疎化はさまざまな現象となって表出している。能登半島では夏から秋にかけて祭礼のシーズンとなる。伝統的な奉灯祭はキリコを担ぎ出す。キリコは本来担ぐものだが、キリコに車輪をつけて若い衆が押している。かつて集落に若者が大勢いた時代はキリコを担ぎ上げたが、いまは人数が足りずそのパワーはない。車輪を付けてでもキリコを出せる集落はまだいい。そのキリコすら出せなくなっている集落が多くあり、社の倉庫に能登の伝統的な祭り文化が眠ったままになっている。

  さらに、07年3月25日の能登半島地震。マグニチュード6.9、震度6強。この震災で1人が死亡、280人が重軽傷を負い、370棟が全半壊、2000人余りが避難所生活を余儀なくされた。自宅の再建を断念し、慣れ親しんだ土地を離れ、子や孫が住む都会に移住するお年寄りも目立つ。能登の過疎化に拍車がかかっている。能登の地域再生は「待ったなし」の状態となった。(次回に続く)

 ⇒23日(木)夜・金沢の天気   あめ

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☆屋下に屋を架す

2008年10月19日 | ⇒キャンパス見聞

 金沢大学では地域連携推進センターのコーディネーターという仕事を頂いている。この仕事の前例やマニュアルはないので、すべて手探り、自らイマジネーションを膨らませて行動に移している。では地域連携とは何かを考えてみる。

   2004年の国立大学法人化をきっかけに、大学の役割はこれまでの教育と研究に社会貢献が加わった。大学によっては、「地域連携」と称したりもする。金沢大学もその担当セクションの名称を地域貢献推進室(02-04年度)、社会貢献室(05-07年度)、地域連携推進センター(08年度~)と組織再編に伴い変えてきた。民間企業だと、さしあたりCSR推進部といったセクション名になるだろう。CSRは企業の社会的責任(Corporate Social Responsibility)をいい、企業が利益を追求するのみならず、社会へ与える影響に責任を持ち、社会活動にも参加するという意味合い。しかし、よく考えてみれば、大学はもともと利益を追求しておらず、本来の使命は教育と研究であり、そのものが社会貢献である。金沢大学でも社会貢献セクションの設立に際して、「大学の使命そのものが社会貢献であり、さらに社会貢献を掲げ一体何をするのか」といった意見もあったようだ。

  同じことを旧知の新聞記者からも聞いた。「新聞社にはCSRや社会貢献という発想は希薄だと思う。もともと社会の木鐸(ぼくたく)であれ、というのが新聞の使命なので、仕事をきっちりやることがすなわち社会貢献」と。この意味で大学が社会貢献を標榜することは「屋下に屋を架す」の例えのようにも聞こえ、それより何より個人的には気恥ずかしさを感じる。むしろ、地域連携とうたった方がシンプルで分りやすいと思っている。

  他の国立大学を見渡すと、社会貢献あるいは地域連携にはまなざまなカタチがある。大別して2パターン。多くの場合は、地域から大学に持ち込まれた課題を専門の研究者に橋渡しすること。たとえば、金沢大学でも「砂浜が細った。よい手立ては」「特産の野菜は昔から糖尿病によいといわれてきたが、医学的な見地から分析してください」「過疎高齢化の地域の交通問題を解決したい。大学の教授に諮問委員になってもらいたい」などいろいろな課題が地域のNPOや自治体から持ち込まれる。橋渡し、あるいはマッチングで解決できない大きな問題もある。それは地域再生だ。地域全体を浮揚させる策である。もう一つのパターンはこれにがっぷり四つになって取り組むことだ。

  事例を紹介しよう。北海道のある工業大学は、国の公共事業が先細りになって土木建設業者が喘いでいるのを何とかしようと、ある提案を地域に投げた。土木機械の優れた操作技術を持った人材を農業人材に振り向けようという提案だ。現場監督クラスに農業の基本を教え、その機械と操作技術を農業に生かす試みである。試行錯誤を繰り返しながらこのプログラムは成功している。土木にはないと悲観していた若手が飛びついた。農業という新しい分野に進出できるチャンスがめぐってきたからだ。

  2パターンのうち前者をインドア型とすれば、後者は積極的に地域に打って出るアウトドア型である。では、金沢大学は何をしているのか。それは次回述べる。

 ⇒19日(日)午前・金沢の天気   はれ

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★おいしい話

2008年10月18日 | ⇒キャンパス見聞

 「地域のニーズ(要望)を研究のシーズ(種)に変える」。大学で社会貢献を担当する者にとってこんなにおいしい話はない。地域の課題解決そのものが大学の研究となって実を結ぶのだから一挙両得とも言える。

  先日、石川県から「ヘルスツーリズム」の研究委託を受けた准教授(栄養学)から相談があった。「能登の料理を研究してみたいのですが・・・」と。委託したのは県企画振興部で、健康にプラスになるツアーを科学的に裏付けし、新たな観光資源に育てるという狙いが行政側にある。キノコや魚介類など山海の食材に恵まれた能登は食材の宝庫だ。准教授の目の付けどころは、その中から機能性に富んだ食材を発掘し、抗酸化作用や血圧低下作用などの機能性評価を行った上で 四季ごとにメニュー化する。能登の郷土料理でよく使われる食材の一つであるズイキの場合、高い抗酸化作用や視覚改善作用が期待されるという。

  以前、能登半島にある珠洲市から食育事業に大学の知恵を貸してほしいとの依頼があり、郷土料理のレシピ集の作成をお手伝いした。金沢大学が設立した「能登半島 里山里海自然学校」の地域研究の一つとして、地元の女性スタッフが100種類の郷土料理を選び、それぞれレシピを作成するという作業を始めた。その手順は①普段食べている古くから伝わる家庭料理を実際に作り写真を撮る②食材や料理にまつわるエピソードや作り方の手順をテキスト化し、写真と文をホームページに入力する③第三者にチェックしてもらい公開する‐という作業を重ねた。普段食べているものを文章化するというのは、相当高いモチベーションがなければ続かない。スタッフは「将来、子供たちの食育の役に立てば」とレシピづくりに励んだ。それが1年半ほどで当初目標とした100種類を達成。それなりのデータベースとなり、同市の学校給食や、PTAによる食育イベントに生かされるようになった。

  准教授はこのレシピづくりの経緯を知って、県から依頼されたヘルスツーリズムの研究に生かしたいと協力を申し入れてきたのだ。こうして地域の食育事業の支援、郷土料理のレシピづくり、そしてヘルスツーリズムの研究へと一連の流れが出来上がった。こんな「おいしい話」ばかりだとよいのだが…。

 ⇒18日(土)午後・金沢の天気   はれ

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☆「パラダイス鎖国」

2008年10月12日 | ⇒トピック往来

 「パラダイス鎖国」という言葉を初めて聞いた。10月10日夜、能登空港4F講義室で開かれた金沢大学「地域づくり支援講座」で、ゲストスピーカーの金子洋三氏(元JICA青年海外協力隊事務局長、社団法人「青年海外協力協会」会長)が使った言葉だ。「青年海外協力隊のボランティアに応募する若者が減っている。パラダイス鎖国という言葉がありますが、日本に安住して、外に向かって何か挑戦しようという意識が薄れているのかもしれない」と述べた。

  もともとは、ことし3月に出版された「パラダイス鎖国  忘れられた大国・日本」 (海部美知、アスキー新書)のタイトルから引用された言葉だ。ことし1月のダボス会議で、「Japan: A Forgotten Power?(日本は忘れられた大国なのか)」というセッションが開かれ、国際的に日本の内向き志向が論議になったという。高度経済成長から貿易摩擦の時代を経て、日本はいつの間にか、世界から見て存在感のない国になってしまっている。その背景には、安全や便利さ、そしてモノの豊かさ日本は欧米以上になり、外国へのあこがれも昔ほど持たなくなったことがある。明治以来の欧米に追いつけ追い越せのコンプレックスは抜け切ったともいえる。ハングリー精神とかチャレンジ精神という言葉は死語になりつつあり、リスクを取らないことが美徳であるかのような社会の風潮だ。これでは人は育たず、社会も会社も停滞する。

  古代ローマ帝国が滅亡もしたのもこうした社会の活気が減退したのが原因といわれていいる。ローマ市民や、ローマに奉仕した属州民の特権であったローマ市民権を属州のすべての人々に無条件に与えたことで、ローマ市民権の価値が下落して、地中海最強とうたわれたローマの重装歩兵のアイデンティティ(自負心に根ざしたローマ防衛の意志)も拡散してしまった。また、ローマ市民としての歴史性と自尊心を持つ兵士の数が減少したことにより、ローマ軍の質的な低下を招いた。さらに、ローマ市民内部に固定的な経済階層が生まれたことで、経済の活力や市民の上昇志向は衰退したといわれる。

  パラダイス鎖国が産業面で蔓延したらどうなるのか。ブロードバンドのインフラで世界に先行しているにもかかわらず、ITの新興勢力となる企業はどこにいるのか見えない。高品質、高性能、先進的というジャパン・ブランドは確かに健在であるものの、売れているのは日本だけで、海外では押されているのではないか。ソーラー発電のパネルなどかついてはお家芸といわわれた分野がいまではワン・オブ・ゼムではないのか。このままでは日本はいずれパラダイスですらなくなる。※写真は古代ローマ帝国のコロセウム

 ⇒12日(日)夜・金沢の天気    くもり

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