自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆いきもの俳句

2012年07月30日 | ⇒トピック往来
 俳句の同好会に入っている。時間が合わず、実際に参加するチャンスも少ないが、投句をしたり、なんとか名前だけは連ねている。私が俳句にするテーマは庭や田んぼの虫や草花、山の木々や鳥たちが多い。生き物たちは季節感を感じさせるので、自分で「いきもの俳句」と呼んでいる。そんな中からいくつかを紹介する。

⇒ 田の五輪 競泳一位は 源五郎 (2012年7月句会)
 ロンドンオリンピックが始まった。実にテレビがにぎやかだ。同じように夏は田んぼもカエルの鳴き声やホタルが舞ってにぎやかだ。田んぼや池の泳ぎの名手といえばゲンゴロウだろう。後脚をうまく動かして、泳ぎがうまく素早い。見ていて飽きない。田んぼのオリンピックでは競泳で金メダルだ。

⇒ 人気なき 児童公園 若葉冷え (2012年5月句会)
 少子化の時代、児童公園にはかつてのように子どもたちのにぎやかな声が響かない。もちろん場所によっては子どもたちが楽しく遊んでいる公園もある。子どもたちの姿が見えない公園は雑草が伸び放題になって、荒れているところが心なしか多いように思う。大人の管理の目が行き届いていないのだ。そんな公園には親は子どもたちも遊ばせないだろう。そんな人気のない公園は、若葉がまぶしい5月になってもどこか「寒く」感じる。

⇒ 蝌蚪(かと)を追う 靴下のオーナー 千枚田 (2012年4月句会)
 棚田のオ-ナー制度で知られる輪島の千枚田。水を張った水田にさっそく都会から来た親子が田んぼに入っていた。よく見ると、一組の母と男の子は初めて田に入ったのか、靴下をはいている。その足元には蝌蚪(かと=おたまじゃくし)がうようよといる。男の子は田んぼを動き回るうちにじゃまになったのか靴下を脱いで、気持ちよさそうに田んぼではしゃいでいた。

⇒ 開花日は 桜一輪 兼六園 (2012年4月句会)
 ことしの春は4月に入っても雪の降る日があり、兼六園の桜(ソメイヨシノ)の蕾(つぼみ)は硬かった。金沢地方気象台が開花宣言したのは4月10日のこと平年より6日、昨年より3日それぞれ遅い開花となった。その日、兼六園を訪ねたが数輪が咲いているだけ。でも、ようやく春の訪れが目に見えてきた。

⇒ 蔵人の 麹揉む手や 庭の梅 (2012年1月句会)
 造り酒屋を訪ねる。ムッとする麹室(こうじむろ)の室温は43度を指していた。酒蔵の職人たち=蔵人(くらんど)が、蒸し米を揉み床でほぐし、種麹が入った缶を持った 手を高く上げて、揉み床に沿って移動しながら缶を振り、麹の胞子(種)をまいていく。さらに蒸し米に胞子が均一に付着するように揉み込む。根気の入る仕事だ。麹室から出て、庭を見ると紅梅が咲き始めていて、麹を揉む蔵人のほてった赤い手と同じ色だと思った。

⇒30日(月)夜・金沢の天気  はれ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★小学生のマスメディア論

2012年07月28日 | ⇒キャンパス見聞
 夏休みの子ども向けの講演を大学で依頼され、「それでは小学生のためのマスメディア論でも話しましょうか」と気軽に引き受けたのが悩みのタネになった。これまで中学3年生の総合学習の時間にはマスメディア論について講義したことが何度かある。今回は対象年齢がさらに下がり小学生高学年(5,6年)なので、11歳から12歳、ということは自分の年と45年以上も年齢差がある。この子たちに、まず言葉が通じるだろうか、スライドの漢字はどこまで読めるだろうか、テレビや新聞のことを話してレスポンス(反応)はあるのだろうか、何をどう話し、話のつかみをどうしようかなどと考えると、眠れない日も。小学生に語ることの難しさをかみしめながらその日を迎えた。きょう28日午後2時、「小学生のためのマスメディア論」を金沢大学サテライト・プラザで。その顛末を記す。

 上記の悩ましさを同僚に話すと、「普通にやればいいのでは」と言われた。でも、その小学生の普通が理解できないから悩むのだ。もともとサービス精神が私にはあるのだろう。大学生の講義でも、もっと分かりやすく、面白い授業になどと考え、時間をかけてスライドをつい凝ったものにしてしまう性分である。普通の授業でもそうだが、「つかみ」が大切である。相手の気持ちを引きつけるための話題こと。このつかみがうまくいくと授業全体がふわっと離陸して、上昇気流に乗ることができる。つかみのキーワードは簡単な話、「けさテレビで○○を見たか」である。つまり、話の鮮度だ。幸い、きょうはロンドンオリンピックの開会式の模様が早朝からテレビで放送していた。これを使わない手はない。「いよいよ始まったね、オリンピック、朝の開会式、テレビでやってたね。テレビ見た人、手を揚げて」から講演を始めた。つかみの話の落ちは、オリンピックをテレビで放送するためにテレビ局はお金(放映権料)を国ごとに払っている、日本人は1人当たり2.9ドル(226円)、「だらか一生懸命に応援しよう」である。前列の男の子の目が輝いたので、こちらも話に弾みがついた。

 マスメディア(Mass Media)とは何か。「ニュースや情報として多くの人に届く電波や印刷物のこと」と言いたいのだが、どう表現すればよいか。テレビとラジオは「電波メディア」、新聞や雑誌は「活字メディア」と言われている。最近ではインターネットもマスメディアの仲間入りをしていて、ツイッターやフェイスブックなどは「ソーシャルメディア」などと呼ばれている。電波メディアの「電波」の意味を小学生は理解し難い。そこで東京スカイツリーの写真をスライドで見せて、「目には見えないけど、ここからテレビの電波が出ている。それを家庭のアンテナで受けてテレビを見ることができる。スカイツリーって、テレビの電波を発射するタワーなんだ」(現在スカイツリーから試験電波、2013年1月本放送)と。では、なぜ東京タワー(333㍍)からスカイツリー(634㍍)なのか。「東京は100㍍以上の高さのビルが500近く建っている。これによって、電波障害が起きやすい。だから、東京タワーより高いタワーからの電波だと家庭に届きやすい」

 「ニュースは知識のワクチン」という言葉がある。悪性のインフルエンザなどが流行する恐れがある場合、予防接種でワクチンを打っておけば、免疫がついて病気にかからない。それと同じように、まちがった情報やうわさにまどわされないために、普段から新聞やテレビのニュースを読んだり見たりすることで、まちがえのない判断ができるようになる。「知識のワクチン」ニュースをつくるために新聞やテレビや記者は事件や事故の現場に行き、状況を確かめる。さらに、目撃者や警察の人から話を聞く。これは正確なニュースを伝えるための基本だ。逆に、記者としてしてはいけないことは、現場に行かずに人のうわさでニュースをつくる、目撃者や警察に確かめずにニュースをつくることだ。マスメディアの業界用語では「裏取りのないニュース」と言う。

 ここで記者はどのようにニュース原稿を書くのか。原稿には「5W1H」の基本がある。when(いつ)、where(どこで)、who(だれが)、what(何を)、which(どれを)、how(どのように)というニュースの基本的な構成、つまり部品を集めることだ。原稿を書くときのコツは、形容詞を使わないこと。普段よく、「高いビル」「美しい花」「長い道」「深い海」などと言ったり書いたりしている。しかし、形容詞は読む人、見る人によって感じ方が異なる。  そのため、記事は多くの人にわかるように、なるべく客観的に数値などをもちいて表現する。たとえば、「7階建て高さ20㍍のビル」や「赤と白の花を咲かせたチューリップ」「300㌔も続く道」「水深100㍍の海」と表現した方が分かりやすい。

 原稿を書くために決まりがある。『記者ハンドブック』(共同通信社)は一般の書店でも売られている。動物、植物、野菜などは新聞やテレビではカタナカ表記だ。でも一部、「松」「竹」「梅」「菜」「芋」「白菜」「大根」は漢字表記でもよい。ニンジンは「人参」の漢字表記を用いない。同じ紙面で、A記者とB記者がそれぞれ「ニンジン」、「人参」と書いたら、読者は「いったいどっちだ」と迷う。だから、表記を統一している。「高嶺の花」とは書かない、新聞では「高根の花」と書くことにしている。

 放送も同じく言葉を統一している。たとえば「きのう、きょう、あす」と表現し、「きのう」を「昨日」と表現しない。小学生だと、女の子は「ちゃん」付け、男の子は「君」付け、中学生だと女子は「さん」付け、男子は変わらず「君」付け。最近、テレビ業界でもアナウンサーの言葉の乱れがよく指摘されていて、たとえば、感動したことを「○○選手の活躍には鳥肌が立ちましたね」などと表現している。本来は「恐い」「寒い」という意味で用いる。また、「なにげに」という言葉を使うアナウンサーがいる。これは若者言葉であって、意味がよく分からない。こういうあいまいな言葉は視聴者を混乱させ、テレビメディアを通じて言葉の乱れを助長することにもなる。

 「世界一有名になった壁新聞」の話。東日本大震災では、地震と津波で停電や家屋が壊れるなど被害が出て、人命も損なわれた。石巻日日(ひび)新聞は印刷機械が傷み、停電と重なって手書きで壁新聞をつくり、避難所に貼った。これは被災者のためにニュースを出し続けるという精神が評価されて、その壁新聞はアメリカ・ワシントンDCにある「ニュースの博物館」に展示されることになった。また、仙台市にある東日本放送は震度6強の揺れにもめげずに72時間も震災関連のニュースを出し続けた。マスメディアはより多くの人に、絶え間なくニュースを送り続けることで信頼を得ている。

 最後に考える話を。ケビン・カーターというカメラマンが、餓死寸前のスーダンの少女に、ハゲワシが襲いかかろうとする写真を撮影した。1993年、NYタイムズに掲載され、ピューリッツァー賞を受賞した。しかし、「写真撮影の前にこの少女を助けるべき」と非難が殺到した。一方でこの写真が撮影できたから、スーダンの飢餓が報じられ、世界から援助の手も差し伸べられるようになった。「ニュース(報道)か人命か」というメディアの姿勢を問う論争は常に起こる。小学生たちはこの「ハゲワシと少女」の写真を見て、どのような感想を抱いたのだろうか。

 「私はにげると思います。理由は撮ったら撮ったで、その子をなぜ助けなかったのかなどと言われて、撮らなかったら、その国の事情がみんなにわかってもらえないから、どちらとも言えないです」(小6・女子)、「カメラマンは写真をとることが仕事だし、じじつを知らせるために少女をたすけなくてもいいと思う」(小4・男子)、「写真を取る前に、その少女をたすけろ!という言葉で、その言葉を言った人は、人の命を大切にする人だと思いました」(小6・女子)、「ぼくはしゃしんをとればいいと思った。わけは、しゃしんをとることによって、ニュースが分かるから、みんなできょう力できるんじゃないかと思ったから」(小2・男子)、「私はカメラマンは写真をとって正しかったと思います。初め、その写真を見た時は少女がかわいどうでこわかったのですが、その写真によりスーダンの食料不足などが少しでもかいぜんされたので良かったと思います」(中2・女子)

⇒28日(土)夜・金沢の天気  はれ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆佐渡ベクトル

2012年07月20日 | ⇒トピック往来

 佐渡の金山跡=写真・上=に入った(16日)。当時の坑道の様子が手に取るように分かる。鉱脈に沿って掘り進んでいくと大量の地下水が噴出したので、掘り進むために水上輪(手動のポンプ)が導入されていた。紀元前3世紀にアルキメデスが考案したアルキメデス・ポンプを応用したもの。長さ9尺(2.7m)、上口径1尺(30.3㎝)、下口径1尺2寸(30.9㎝)位の円錐の木筒で、内部がらせん堅軸が装置されていて、上端についたクランクを回転させると、水が順々に汲み上げられて、上部の口から排出されるようになっていた。

 金山を中心に相川地区などは一大工業地となり、島の農業者は米だけに限らず換金作物や消費財の生産で安定した生活ができた。豊かになった農民は武士のたしなみだった能など習い、芸能が盛んになった。島内の能舞台は33ヵ所で国内の3分の1は佐渡にある計算だ。金山の恩恵を受けたのは人間だけではない。小規模の米作農家も祖先伝来の土地を保有し続け、さらに農地拡大のため山の奥深くに棚田を開発した。人気(ひとけ)の少ない田んぼは生きものが安心して生息するサンクチュアリ(自然保護地域)となった。結果的に、臆病といわれるトキにとって佐渡はすみやすかったに違いない。

 そのトキがいまでは佐渡の人々に農業の展望、知恵と夢を与えている。7月16日から18日の日程で開催された「第2回生物の多様性を育む農業国際会議」(佐渡市など主催)=写真・中=に参加した。同会議の佐渡市での開催は初めてで、期間中、日本、中国、韓国の3ヵ国を中心にトキの専門家や農業者ら400人が参加した。2008年9月のトキ放鳥に伴い、トキとの共生を掲げた地域づくりが住民に浸透し始め、2011年6月に国連食糧農業機関(FAO)の世界農業遺産(GIAHS)に登録されたことで、佐渡の人々の視野が世界に広がった。今回の国際会議はその意気込みを示すものだ。

 もちろん、それまでの地道な取り組みは評価に値する。日本で絶滅したトキという鳥を島全体で野生に返す取り組みを進めていたことが大きな背景となっている。さらに、「朱鷺と暮らす郷認証米」の取り組みで、米という日本人の主食を作る田んぼでの生態系の再生を進め、食と環境のつながり、環境を守る農業の役割をわかりやすく発信してきた。その米の販売が好調で収入を上げる効果となり、今では1200haを超える環境保全型の稲作に取り組む。農業、食、環境をキーワードとし、消費者を巻き込んだグリーンツーリズムも盛んだ。

 この認証米制度では認証要件が重要なポイントと言える。特に、佐渡市の示す「生きものを育む農法(減農薬)」の実施と、「生きもの調査」を義務づけていることだ。この取り組みは、農業の視点だけで見ると、作業やコストの負担が増加させている。しかし。この農業が順調に拡大している。佐渡の全稲作面積の実に2割(1200ha)にも達している。さらに、生きものの豊かさを検証し、トキの生息環境を把握する科学的データの評価手法も導入されている。「トキのGPSデータとモニタリングデータ」は研究機関の行った生物調査や農業者の「生きもの調査」を役立てるため、佐渡市で整備済みの「農地GIS」を改修して、環境省のトキモニタリングデータや新潟大学などで行われている生物種と密度調査を組み込むシステムだ。これにより、生き物を育む農法が、生物へ与える効果やトキが好む餌場の把握が科学的にできる。

 この前向きな取り組みが支援する企業や組織を増やしている。たとえば、組合員数388万人の「コープネット事業連合」が認証米のコンセプトに賛同し、組合員に販売にしている。ちなみに「朱鷺と暮らす郷」は1㌔550円余り=写真・下=。トキの野生復帰活動を契機に始まった生物多様性の保全を重視した独自の農業システムは、日本の新たな農業の姿となり、また、世界の環境再生モデルとなりえる。農業経済を縦軸に、生物多様性の環境を横軸に突き進む佐渡市の試みを、たとえば、右肩上がりの「佐渡べクトル」と呼ぶことにしよう。

 海では、映画「オーシャンズ」に登場したコブダイが大きなコブを見せて、島の北端では日本一のトビシマカンゾウの大群生地が島を飾る。徳川幕府に伐採を禁じられた島には多くの森が残り、杉の巨大林を形成している。トキという鳥の再生を願って昭和30年代からドジョウを田にまき、無農薬の水稲作りをしてきた地道な取り組みが今では世界で有数の環境に配慮した島づくりにつながっている。佐渡べクトルは先鋭である。

⇒20日(金)夜・金沢の天気  あめ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★中谷宇吉郎の言葉

2012年07月16日 | ⇒トピック往来

 人は死すれど、言葉は後世に伝わる。物理学者の寺田寅彦は「天災は忘れたころにやってくる」を遺した。同じく物理学者の中谷宇吉郎も「雪は天から送られた手紙である」と。自らの研究で業績を遺したからこそ価値ある言葉として伝わり、名言として広まる。

 中谷宇吉郎の研究業績と人となりを紹介する「中谷宇吉郎雪の科学館」=写真=を昨日訪ねた。宇吉郎の出身地である加賀市片山津温泉に建物がある。館内を巡ると、北海道大学で世界で初めて人工的に雪の結晶を作り出したこと、雪や氷に関する科学の分野を次々に開拓し、その活躍の場をグリーンランドなど世界各地に広げたことが分かる。館内では、アイスボックスの中でダイヤモンドダストを発生させる実験も行っている。意外だったのは、多彩な趣味だ。絵をよく描き、とくに随筆では日常身辺の話題から科学の解説まで幅広い広い。海外で学術学会があるたびに蓄音機とレコードと踊りの小道具を持参し、パーティ後に日本の踊りを披露していたとのエピソードがあるくらい。陽性な人柄が目に浮かぶ。『霜の花』など科学映画の草分けとしても知られる。

 研究と多趣味、その中から湧き出る泉のように言葉も脳裏をよぎったのだろう。それを書き留めては随筆として残した。科学館では、その中からいくつかを紹介している。転記する。

 「科学の発達は、原子爆弾や水素爆弾を作る。それで何百万人という無辜(むこ)の人間が殺されるようなことがもし将来この地上に起こったと仮定した場合、それは政治の責任で、科学の責任ではないという人もあろう。しかし私は、それは科学の責任だと思う。作らなければ、決して使えないからである」(『日本のこころ』文芸春秋新社・昭和26年)

 「奈良朝から、千年以上も、同じ田に、同じ米をつくって今日までつづいている。千年以上のの連作ということは、世界の農業者の常識を超越したことである」(『民族の自立』新潮社・昭和28年)

 このブログを書いていて思い出した。中谷宇吉郎と言えば、「立春の卵」という随筆で知られる(『中谷宇吉郎随筆集』岩波文庫)。戦後間もない昭和22年、立春に卵が立つという迷信があり、それを新聞社が大々的に取り上げた。そこで、「卵は立春に限らず、いつでも立てることが出来る。新鮮な卵の表面にある3点以上の出っ張りを足として卵を支え、卵の重心をそこに落とすべく、少しだけ根気よく作業すれば、生卵であっても、ゆで卵であっても…」と説いた。そして「人間の盲点があることは誰も知っている。しかし人類にも盲点があることはあまり知らないようである。卵が立たないと思うぐらいの盲点は大したことではない。 しかし、これと同じようなことが、いろんな方面にありそうである。そして人間の歴史が、そういう瑣細な盲点のために著しく左右されるようなこともありそうである」と記した。科学を一般の人々に分りやすく伝える方法として随筆を書いたのだった。

 館内を一巡して、雪の結晶を蒔絵にした輪島塗の文箱=写真=が展示されていた。昭和16年(1941)に学士院賞を受賞した折、親戚が贈ったものと記載されてあった。「中谷ダイヤグラム」と呼ばれるさまざまな雪の結晶はまさに芸術である。それを精緻に表現している作品だと感じた。

16日(祝)朝・金沢の天気  はれ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☆「痛車」と夢二

2012年07月08日 | ⇒トピック往来
 「痛車(いたしゃ)」という言葉をご存知だろうか。車体に漫画やアニメ、ゲームのキャラクターなどのステッカーを貼り付けたり、塗装した乗用車のことだ。あるいはそのような改造を車のことを指すそうだ。「萌車(もえしゃ)」とも呼ばれるようだ(「ウイキペディア」より)。面白いのは、同様の原付やバイクを「痛単車(いたんしゃ)」、自転車の場合は「痛チャリ(いたチャリ)」、アニメの装飾を施したラッピング電車を「痛電車(いたでんしゃ)」とこの世界では呼ぶようだ。。ただ、イタリア車を意味する「イタ車」なら、その意味は分かるが、なぜ「痛車」と呼ぶのか、ネットで調べてもよく分からない。

 きょう(8日)現物を見た。30台は並んでいただろうか。金沢市郊外の湯涌温泉をドライブしたときのことだ。中心街の県道に整然と並んでいた。運転者はどんな人たちかと見渡すと、サングラスをかけた、いかつい感じの兄さんたちかと思いきや、普通の30代くらいの男たちなのである。広場で楽しそうに語り合っている。外見的に目立という人たちではなさそうだ。女性は見当たらなかった。

 車は派出だ。テレビアニメ『侵略!?イカ娘』や、映画『けいおん!(K-ON!)』などボンネットなど車体からはみ出るように存分に描いてある。金沢、石川、富山のナンバーが多い中で、「聖地巡礼」と記された岐阜や姫路もあった。おそらくアニメの舞台となった実在のロケーションを旅する「聖地巡礼ツアー」の車なのだろう。ちなみに、インターネットで「聖地巡礼」を検索すると、「五大聖地」というのがあって、「鷲宮神社、木崎湖、豊郷小学校旧校舎、尾道、城端」がその場所なのだそうだ。

 今度はガラス越に車の中を覗いてみた。散らかし放題の車内と思ったら、大変な予断と偏見だった。全部を点検したわけではないが、どれも整然として、ゴミや空き缶がないのである。フィギュアなどもフロントガラス付近にきちんと並んでいる。

 ところで、この日は特別な日でもないのに、湯涌温泉になぜ痛車が集まっていたのか。2011年4月から9月に放送されたテレビアニメ『花咲くいろは』(全26話)の聖地なのだ。東京育ちの女子高生「松前緒花」が石川県の「湯乃鷺(ゆのさぎ)温泉」の旅館「喜翆荘」を経営する祖母のもとに身を寄せ、旅館の住み込みアルバイトとして働きながら学校に通う。個性的な従業員との確執や、人間模様の中で成長しいく。湯乃鷺温泉の舞台となったのが湯涌温泉だった。菓子屋の店員に尋ねると、毎週末には「なんとなく集まってくる」のだという。

 金沢で長く住んでいると、湯涌温泉でイメージするのは、あの独特の美人画で知られる竹久夢二だ。愛人・彦乃と逗留した温泉場。大正モダン風に描かれる、彦乃のイメージ画=写真・下=が印象に強い。そして、戦後間もなく、湯涌温泉にあった「白雲楼ホテル」(現在撤去)をGHQ(連合軍総司令部)が接収して保養施設にしていた。あのマッカーサーも利用したとされる。さらに、この湯涌温泉には「江戸村」があり、芽葺き農家などの歴史的建造物が移築されている。この湯涌温泉に来るとそうした歴史を感じてきたが、思いもかけず痛車と遭遇して「現代」を感じた。

⇒8日(日)夜・金沢の天気   くもり
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする