自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆能登地震から半年の風景~①  全半壊の公費解体まだ4%

2024年06月30日 | ⇒ドキュメント回廊

  あす7月1日で能登半島地震から6ヵ月になる。被災地をめぐると、発災当時のそのまま状態、そして、復興に動き出した光景が交互に目に入ってくることがある。そのことを知人たちと話すと、「たかが半年」「されど半年」などと、復旧・復興の時間の問題で論議がわくことがある。そこで、「能登地震から半年の風景」と題して、いまの被災地の風景を見てみたい。

  被災地をめぐりまず感じるのは倒壊した家屋などがそのままになっているところが多いことだ。石川県全体で住家の全半壊が2万4799棟(6月27日時点)あり、政府が能登半島地震を特定非常災害に指定したことから、自治体が費用を負担する公費解体が可能となった。公費解体は所有者の申請、あるいは同意に基づいて行われる。県では公費解体の作業を来年度末までに終える計画だ。

  その作業日程は可能なのか。地元メディア各社の報道によると、今月6月27日の馳知事の記者会見で公費解体について説明し、2万865棟について申請があり2601棟で着手、これまで申請の4%にあたる911棟(自費、緊急解体を含む)で完了した、と述べた。公費解体は各自治体で4月から始まっている。ペースが遅いのではないかと記者から問われ、馳知事は「地理的条件など様々な要件が重なっている。全くそれを否定するつもりはない」「来年度末の完了をめざす考えは変わらない」などと答えている。はたして知事の言葉通りに作業が進むのか。

  また会見では、仮設住宅は6810戸の需要に対し、6642戸を着工し、今月末には当初目標の5000戸の完成を達成できるとした。ただ、仮設住宅を造ればそれでよいのだろうか。入居した人たちの中には、知り合いがいないために孤独を感じるといった人も多いのではないか。ゴミ出しや駐車場の使い方など生活に関するルールがないことに対する不安の声などもあがっているだろう。

  県は仮設住宅を管理する市と町に対して、仮設住宅の住民に自治組織の設立を促すよう求める通知を出した。現在までに自治組織ができたのは71の仮設住宅の団地のうち16のみだ(6月30日付・NHKニュースWeb版)。

  そもそも仮設住宅での暮らしは、日常ではない非日常での生活だ。団結する家族もあれば、逆に夫婦喧嘩や親子喧嘩、DVなどが顕在化することもあるだろう。限られた空間で長い時間を共に過ごすことで、予想もしなかった人間の関係性が露呈する。

(※写真・上は輪島市町野町の倒壊家屋。写真・下は同じく町野町の仮設住宅=6月17日撮影)

⇒30日(日)夜・金沢の天気    あめ時々くもり

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★「ニューヨーク」の復旧が未来志向の能登復興につながるか

2024年06月29日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島の尖端をめぐる国道は「249号」、地元では数字をもじって「ニューヨーク」と呼ぶ人もいる。それほど地域に密着し、生活に欠かせない道路なのだ。そして観光ルートでもある。輪島市の白米千枚田を縦貫し、名所の窓岩がある曽々木海岸を通り、珠洲市の揚げ浜式塩田へとつながる。それが、元日の地震でニューヨークがズタズタになった。千枚田などがある北部海岸は「外浦」と称され、リアス式海岸で海と山々を通る249号は奥能登の大動脈でもあるが、土砂崩れなどで5ヵ所が寸断となった。

  そのうちの1ヵ所は千枚田の近くあった。山が崩れ、海岸にまで土砂が落ちた。国土交通省が陣頭指揮を執って、地震で隆起した海岸沿いに迂回路(幅5㍍の1車線、長さ430㍍)を新設し、先月5月2日に通行が可能になった。もう1ヵ所、珠洲市街と外浦を結ぶ249号の大谷トンネルが崩れたため、県道などを迂回路として確保した。

  249号の寸断箇所は残り3ヵ所。そのうちの一つ、勇壮な太鼓で知られる御陣乗太鼓の発祥の地の輪島市名舟町から曽々木海岸に行く途中の道の崩壊がすさまじい。ネット上で掲載されている国交省の「能登半島地震 国道249号 道路啓開5工区の状況」によると、道路そのものが大規模に崩落している=写真=。地元メディア各社の報道によると、国交省はこの現場で年内に1車線を確保するとしている。

  ほかの2ヵ所について、輪島市中心部から同市門前町をつなぐ中屋トンネルの崩落では、ことし9月末までに1車線を、年内に2車線を確保する。また、珠洲市の逢坂トンネル付近の土砂崩れについては年内に1車線を確保する。 

  報道によると、政府は28日、能登半島地震の復旧・復興に向け、2024年度予算の予備費から1396億円を支出することを閣議決定した。道路などのインフラ復旧に充てる。予備費からの支出は5回目で総額で5500億円に上る。また、来月7月1日には各省庁による「能登創造的復興タスクフォース」が発足する。150人規模のスタッフが省庁横断で能登復興に取り組む。未来志向のさまざまなアイデアの実現に期待したい。

⇒29日(土)夜・金沢の天気    くもり  

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☆再生可能エネルギー「風力」が自然災害と向き合うとき

2024年06月27日 | ⇒ドキュメント回廊

  きょうのブログの入力画面に、「ブログ開設から7000日」と表記されている。このブログのスタートは2005年4月28日なので、もう19年と2ヵ月だ。ただ、掲載回数を「カテゴリー」欄のものをすべて足すと3021回。ということは掲載は2.3日に1回の割合だ。50歳でブログを始めた当初は割とこまめにアップしていたが、途中から中だるみで月に数回という時期も続いた。還暦の60代に入ってからは「備忘録」という意味を込めてブログと向き合い再びこまめに掲載している。さて、いつまで続けることができるか。

  元日の震災で能登の風力発電の多くが停止していることをブログ(3月12日付)で取り上げた。あれから3ヵ月余り経ったが現状は変わっていないようだ。能登には長さ30㍍クラスのブレイド(羽根)の風力発電が73基もある。立地する場所は珠洲市が30基、輪島市が11基、志賀町が22基、七尾市が10基で、いずれも震度6弱以上の揺れがあった地域だ。そのうち再稼働したのは、志賀町にある日本海発電(本社・富山市)の9基のみ。

  先日(今月24日)珠洲市を訪れた際、山を見上げるとやはり風車はストップしていた=写真・上=。同市にある30基の風力発電を管轄している「日本風力開発」(東京)の公式サイトによると、発電所や変電所の敷地内外を徒歩によるアクセスやドローンおよび航空写真で確認した。その結果、1基についてはブレイド1枚の損傷を確認した、としている。「6月10日現在の状況」として、ブレイドの損傷原因を現在も引き続き追究中で、それ以外の風車およびほかの設備についても周辺安全に影響する損壊がないことを確認しながら、具体的な復旧方法や工程を関係機関とともに策定中、とある。しかし、再稼働の日程については公式サイトで記載はなかった。

  風力発電が立地している山の近くで山崩れが起きていることが目視で確認できる。以下は憶測だが、それぞれの風車までのアクセス(山道)が相当に崩れているのだろう。そのため、風力発電とつなぐ回線なども切れて電気が共有できなくなっているのではないだろうか。市内を車で走行していても、あちこちでがけ崩れなどを目にする=写真・下=。

  能登半島の沿岸部、特に北側と西側は年間の平均風速が6㍍/秒を超え、一部には平均8㍍/秒の強風が吹く場所もあり、風力発電には最適の立地条件と評価されている。風力発電の増設も計画されていて、13事業・181基について環境アセスメントの手続きが進んでいる。しかし、今回の地震での復旧のプロセス、たとえば行政などとの連携による山道の修復作業などの具体案などが示されなければ、今後の増設計画も難しくなるに違いない。

  風力発電は再生可能エネルギーのシンボルとされる。それが、自然災害にどう向き合うのか試されているのではないだろうか。

⇒27日(木)夜・金沢の天気     くもり 

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★早朝の日本海に弾道ミサイル 能登地震の犠牲者300人に 来月17日から対面通行

2024年06月26日 | ⇒ドキュメント回廊

       北朝鮮がまた日本海に向けて弾道ミサイルを発射した。防衛庁公式サイトによると、北朝鮮はきょう午前5時28分ごろ、少なくとも1発の弾道ミサイルを東方向に向けて発射した。EEZ(日本の排他的経済水域)の外側に落下したと推定される。最高高度は100㌔、飛距離は200㌔以上だった。北朝鮮による弾道ミサイル発射は5月30日以来で、その技術を用いた「人工衛星」の発射も含めてことしに入って7回目となる。(※イメージ図は、防衛省公式サイト「北朝鮮のミサイル等関連情報」より)

  日本海はスルメイカの漁場で、能登半島の小木漁港から出港した中型イカ釣り漁船などが今月から操業している。弾道ミサイル発射の情報に船主や乗組員の家族、漁業関係者はピリピリしたことだろう。

  今回の弾道ミサイルの落下はEEZ外と推定されているが、2017年3月6日に北朝鮮は中距離弾道ミサイル弾道を能登半島の輪島市から北200㌔のEEZ内に落下させている。EEZは国連海洋法条約で定められているが、北朝鮮は条約に加盟していない。また、日本と漁業協定も結んでいないことを盾に日本海は自国の領海であると以前から主張している。

  話は変わる。能登半島地震で金沢と奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」は輪島方面のみの一方通行が続いているが、来月7月17日から対面通行が可能になる。国土交通省がきのう発表した。ただ、穴水町の能登大橋付近では路面が一部崩落しており、9月末まで工事用信号で行き交う片側交互通行となる。(※写真は、国交省公式サイト「報道・広報」資料より)

        地震による「災害関連死」がさらに18人増え70人となった。地元メディア各社によると、石川県はきのう(25日)、能登の3市町に対し遺族から認定申請があった23人について合同審査(委員は医師、弁護士)を実施し、うち18人を関連死と認定した。元日の地震による犠牲者は、家屋の下敷きになるなどの直接死が230人なので、今回の追認で関連死は70人となり、震災による犠牲者は300人に上る。関連死に認定された人の遺族には、災害弔慰金支給法に基づき、最大で500万円が遺族に支給される。 

  あさから弾道ミサイルのニュースが飛び込んできて、能登半島地震の関連情報でまとめる予定だったブログの文脈がごちゃごちゃになった。

⇒26日(水)午前・金沢の天気      くもり

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☆能登半島の尖端で 自衛隊の「入浴支援」いまも続く

2024年06月25日 | ⇒ドキュメント回廊

  元日の能登半島地震からきょうで177日目。この日の重なりは自衛隊の災害派遣の日の重なりでもある。これまで不明者の捜索や物資搬送、給水支援などに当たってきた。2日目からは物資輸送の自衛隊のヘリコプターが航空自衛隊小松基地を飛び立ち金沢の上空を経由して能登へ飛んでいた。同日には救難物資を積んだ海上自衛隊の艦艇「せんだい」と「はやぶさ」が輪島港と珠洲市の飯田港に到着した。そして、道路が寸断し孤立した集落への物資輸送を担ったのは陸上自衛隊だった。その機敏な対応に驚きと同時に安心感を得たのを覚えている。その自衛隊の支援活動は今も続いている。

  きのう(24日)半島の尖端、珠洲市の被災地をめぐった。同市では3ヵ所で陸上自衛隊が入浴支援を続けている。その一つが市立宝立小中学校に設置されている仮設風呂。校舎の裏手に「男湯」テントと「女湯」テントがある=写真=。通りかかった中年男性に尋ねると、午後3時から入浴の受付が始まるとのこと。近くの仮設住宅に住んでいるという男性は「無料でとても助かっている」と話した。仮設住宅にも小さな浴槽はあるものの、足の膝を痛めていて足を伸ばすことができないので、ここを利用しているとのことだった。

  同市では現在、民営の入浴施設が2ヵ所あるが、施設の一部が破損しているためにてフル稼働していない。一方で入浴のニーズは高い。同市では学校の体育館や集会所に身を寄せている避難者が372人いる。また、半壊や一部損壊した住宅が4800戸余りあり、そこで暮らす人も多い。ただ、給水は可能になったが、ガス供給がストップして給湯器が使えなかったり、下水管が復旧していないために風呂の湯が流せないというケースもあるようだ。

  現在、陸上自衛隊はおよそ100人の隊員を投入して同市での入浴支援を続けている。防衛省は地元の要望に基づき、今後も支援を続ける方針という。宝立小中学校の裏に自衛隊の給水車が停まっていた。「第10師団災害派遣部隊 愛知県春日井市 春日井駐屯地」の幕がフロント部分に貼ってある。同じ石川県民としてこれまで177日の支援に感謝の気持ちと同時に、この「戦時体制」のような光景はいつまで続くのかとも思った。

⇒25日(火)午前・金沢の天気   くもり時々はれ

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★警報級の大雨は去れど 震災で「渡れぬ橋」の話

2024年06月24日 | ⇒ドキュメント回廊

  梅雨入りした石川県内ではきのう(23日)洪水警報や大雨警報が出されるなど大雨に見舞われた。金沢地方気象台によると、能登の一部では午後に1時間に49㍉の激しい雨が降り、6月の観測史上最大を記録。この大雨の影響でJR七尾線は特急、普通列車の上下線あわせて28本で終日運転を取り止めた。夕方、金沢の中心部を流れる犀川が気になって河川の様子を見に行った。金沢出身の詩人で小説家の室生犀星が「美しき川は流れたり」と讃えた犀川だが、けっこう暴れる川でもある。いつも通る橋から見ると、川かさはかなりだったが、なんとか治まりそうだったので安心した=写真・上=。

  川と言えば橋。能登半島地震で通れなくなっている橋がいくつかある。その一つが金沢市と隣接する内灘町、津幡町を結ぶ「才田大橋」(365㍍)。橋梁の取り付け部分が液状化により1.5㍍ほど地盤が沈下した=写真・中=。この周辺は河北潟干拓地で、大小あわせて9本の橋梁があり、その中でも一番長い橋だ。

  干拓地では麦や大豆などの穀物やスイカ、レンコンなどの野菜、ナシやブドウといった果樹が栽培され、酪農も行われている。農繁期で忙しいこの時期に運搬などのインフラとして橋が使えないというのは農業者にとっては遠回りを強いられ痛手ではないだろうか。大橋の周辺では路面の沈下で大きな水たまりもできていた。

  海を渡る橋もストップしている。能登半島の中ほどに位置する七尾市の能登島と陸地側をつなぐ橋梁「ツインブリッジのと」(中能登農道橋、620㍍)。地震で橋桁が損傷し、さらに道路との間に40㌢ほどの段差ができ、通行できなくなっている=写真・下=。能登島との往来は南側にもう一本、能登島大橋(1050㍍)があるものの、一部の住民にとっては遠回りを強いられている。能登島には「のとじま水族館」があり、アクセスの上からもツインブリッジの復旧が待たれる。

⇒24日(月)夜・金沢の天気     くもり

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☆震災から半年ぶり「21美」が全面再開 度肝を抜くフォルム

2024年06月23日 | ⇒ドキュメント回廊

  元日の能登半島地震で展示室のガラス天井が落下するなどの被害があった金沢21世紀美術館がきのう(22日)半年ぶりに全館で営業を再開した。たまたま21美の前を車で通ると、兼六園側の入り口に巨大なフォルムの作品が展示されていた=写真・上=。まるで恐竜か怪物か何かような度肝を抜くような作品で、全館での営業を再開を祝っているのかと想像を膨らませながら素通りした。

  その作品が気になり、きょう午前中に21美を訪れた。美術館のメインエントランスに鎮座するこの作品は『死の海』。説明書きによると、ブラジルの作家、エンリケ・オリヴィエラの作品(2024)。生命体のように曲がりくねるフォルムはオリヴィエラが20年来続けているシリーズの一つで、入り口という空間を支配する生き物のようにも感じる。

  さらに面白いのは、作品の素材だ。オリヴィエラは廃棄された家具や建設現場など捨てられた木材を集めて作品材料としている。人は広大な森林から自然の樹木を伐採し加工して、家具や建物といった消費財にしている。こうした工程から出た木材をあえて作品として展示することで、人間と環境問題を考察してもらいたいとの意味を持たせている。今回の作品も、ブラジルで拾った膨大な合板の廃材に芸術作品という新たな生命に吹き込んだものだ=写真・下=。

  『死の海』という作品名の勝手解釈を以下。本来ならば樹木が育つ森林こそが生命の海でもある。それが伐採され、廃棄された樹木が無残に捨てられた投棄現場は死の海、この意味を考えてほしいというのがオリヴィエラの訴えなのだろうか。

  21美の今年のテーマは「アートとエコロジー」。政治や社会・自然環境が大きく変動する時代にあって、美術館として何ができ、どう未来に進んでいくのか探究していくというテーマなのだろう。その意味で、作品『死の海』が美術館のメインエントランスで展示された意味は大きいのかもしれない。

  地震によって半年ぶりに開幕となった展覧会名は「Lines(ラインズ)─意識を流れに合わせる」。日本、ベトナム、オーストラリア、ガーナ、フランス、オランダ、デンマーク、チェコ共和国、アメリカ、ブラジルの10ヵ国から多種多様な文化的背景を持つ16作家(グループを含む)の35作品が並ぶ。会期は10月14日まで。再度ゆっくり鑑賞したい。

⇒23日(日)午後・金沢の天気    あめ

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★梅雨入り警報級の大雨か 山崩れ、土砂ダムなど警戒

2024年06月22日 | ⇒ドキュメント回廊

  きょう北陸は梅雨入り、あすは警報級の大雨だ。金沢地方気象台によると、日本海を北上する梅雨前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込み、前線の活動が活発になるため、石川県内は今夜から雨が降り出し、あす23日には加賀地方・能登地方ともに1時間に30㍉の警報級の激しい雨となる。同日夕方までの24時間に降る雨の量はいずれも多いところで加賀・能登ともに150㍉と予想している。そして、能登半島地震の影響により地盤の緩んでいるところがあり、土砂災害の危険度が高まるおそれがあると注意を呼びかけている。

  梅雨の大雨で、案じるのは能登の被災地だ。震源近くの珠洲市や輪島市の中山間地をめぐると、山のがけ崩れ現場があちらこちらにあり、落ちてきた巨大な岩石が民家に迫っているところもある。あす予想される大雨でさらに土砂崩れによる二次災害が起きるのはないかと、被災地の人たちは懸念していることだろう。(※写真・上は、元日の地震で民家の裏山が崩れた輪島市内の中山間地)

  また、川べりの民家の場合、下流で山の土砂崩れが起きた場合は「土砂ダム」が出来て住宅が水没することにもなる。山のふもとにある集落では、このようなリスクを背負った状態がところどころにある。(※写真・下は、土砂ダムで孤立した輪島市内の民家=1月4日、国土交通省TEC-FORCE緊急災害対策派遣隊がドローンで撮影)

  そしてもう一つ、大雨で危惧されるのがため池の決壊だ。能登半島は中山間地での水田が多く、その上方にため池が造成されている。半島全体で2000ものため池があると言われている。地震でため池の土手に亀裂などが入っていると、急に雨量が増すことでため池が決壊する可能性がある。こうなると、下流にある集落に水害が起きる。

  ため池の管理でよく指摘されるのが、所有者そものが分からないという問題だ。延長された用水から田んぼに水を引くがケースが多くなっていて、ため池が使われなくなっている。個人所有の場合だと、世代替わりでため池の存在すら忘れ去られていることが多い。こうしたため池のリスクについて、総務省は21日、決壊などにより人的被害をおよぼす恐れがあるため池の防災対策が不十分だとして農水省に対応を要請した(21日付・日経新聞)。ため池を放置すれば土砂崩れや水害のリスク、「ため池ハザード」が広がる。これは能登だけの問題ではなく、総務省の要請で国内の問題として位置づけされたと言えるだろう。

⇒22日(土)午後・金沢の天気   くもり

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☆仮設住宅に木のぬくもり 建築家・坂茂氏のこだわり

2024年06月21日 | ⇒ドキュメント回廊

  前回に続いて仮設住宅の話。世界的な建築家で知られる坂茂(ばん・しげる)氏が建築設計を手掛けていた能登半島の尖端、珠洲市での木造2階建ての仮設住宅が完成した=写真・上=。着工したのは3月初旬で、これまで何度か現場を訪れたことがある。画像は、坂茂建築設計(東京)の公式サイトで掲載されている6月14日に撮影されたものを拝借している。

  仮設住宅が造られているのは観光名所である見附島を望む同市宝立町の市有地で、坂氏が手掛けるのは6棟90戸。きょう入居が始まるのは、そのうち最初に完成した30戸分となる。仮設住宅には坂氏のこだわりがある。木の板に棒状の木材を差し込んでつなげる「DLT材」を使用している。DLT材を積み上げ、箱形のユニットを形成する。石川県産のスギを使い、木のぬくもりが活かされた内装となっている。間取りは、6、9、12坪の3タイプがある。

  仮設住宅と言えば平屋のイメージだが、坂氏が考案した2階建ての仮設住宅は、少ない敷地を有効に利用すること、そして、いかにも仮設住宅というイメージを払拭することにあるようだ。確かに、平屋より階建ての方が建築物らしく見える。

  自身が坂氏のこだわりを初めて目にしたの去年6月のことだった。坂氏は1995年の阪神大震災を契機に世界各地で被災地の支援活動に取り組んでいて、去年5月5日に珠洲市で起きた震度6強の地震の際は、避難所となっていた公民館に間仕切りスペースを造って市に寄贈した。間仕切りはプラスティックなどではなく、ダンボール製の簡単な仕組み。個室にはカーテン布が張られているが、プライバシー確保のために透けないのだ。この透けないカーテーン間仕切りは、今回の震災でも珠洲市や輪島市などの避難所で活用されている。

  もう一ヵ所、坂氏のこだわりの仕事が見えるところがある。去年秋に珠洲市で開催された「奥能登国際芸術祭2023」(9月23日-11月12日)では、ヒノキの木を圧縮して強度を上げ、鉄筋並みの耐震性と木目を活かした「潮騒レストラン」が造られ、建物自体が芸術作品として話題を集めた=写真・下、去年9月26日撮影=。元日の地震では、レストラン内部での食器類の破損や、調理器具の転倒などはあったものの、建物自体は無事だった。

  震災を前提に向き合って来た坂氏の建築物の数々。新たな工法で造られた木造の仮設住宅、そして潮騒レストランは震災復興のシンボルになるかもしれない。

⇒21日(金)午後・金沢の天気   くもり時々はれ

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★ついでに過疎から脱却 仮設住宅のコンパクトタウン化を

2024年06月20日 | ⇒ドキュメント回廊

  まるで「コンパクトタウン」のようなイメージだ。能登半島の輪島市中心部から20㌔ほど離れた同市町野町。8世紀に万葉の歌人として知られる大伴家持が訪れ、また、平家の落人の子孫が暮らす、国の重要文化財「時国家」住宅もある、まさに歴史のある街。それが、元日の能登半島地震で多くの住宅が全半壊した。その町野町にある野球場とグラウンドゴルフ場の周辺には270戸の仮設住宅が整備されていて、これまで避難生活を続けていた人たちが入居を始めている=写真=。

  隣接するスポーツ施設の屋上から眺めると、向こうには山並みが見え、近くには川が流れている。整備されているのは平屋建て木造長屋タイプの仮設住宅。周囲の風景とマッチしている。近くの市街地にはスーパーマーケットやガソリンスタンドなどもある。仮設住宅の町中を歩くと、子どもたちが遊んでいたり、ご近所さんたちが路上で会話する光景が見られた。また、掲示板には、週一の「日曜カフェ」のオープンや虫歯予防の「口腔ケア」、炊き出しなどのお知らせチラシが貼ってあった。駐車場も90台分が確保されている。冒頭で述べたように、ちょっとしたコンパクトタウンをイメージする風景なのだ。今月中にさらに70戸が完成する予定という。

  この風景を見てふと思った。人口減少や高齢化、そして街の中心街のドーナツ化現象(空洞化)などの社会問題が顕在化して、「コンパクトシティ」や「アーバンビレッジ」などの呼び方で、生活に必要なすべての機能がコンパクトにまとまった街づくりの再編を試みている地域が全国各地ある。この町野の仮設住宅を活用して、そのまま本格的なコンパクトタウンへと再構築してはどうだろうか。生活利便性を向上させるだけでなく、自然環境や防災、福祉、教育の面を充実させることで持続可能な街づくりを試みてはどうだろうか。

   輪島市などの奥能登は過疎・高齢化で「ぽつんと一軒家」のような集落が点在する地域が多い。そうした一軒家の人たちも今回の震災で避難所や仮設住宅での暮らしを続けていることだろう。この際、震災復興のプロジェクトの一環として、行政が主導して本格的なコンパクトタウンを提案することで、過疎からの脱却を試みてはどうだろうか。

⇒20日(木)夜・金沢の天気   はれ

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