自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「まだ降りやまぬ」 落雷で停電、雷サージをどう防ぐ

2023年07月13日 | ⇒ノウハウ検証

   きのうの深夜から未明にかけて、金沢では激しい雷雨となった。気象庁はきょう未明にも「顕著な大雨に関する情報」を発表した。石川県で線状降水帯が発生し、土砂災害や洪水が発生する危険性が急激に高まっているとメディアやネットを通じて注意を喚起した=写真=。

   午前0時過ぎごろに自宅近くで落雷があり、停電となった。電源のブレーカー(電気回路の遮断器)が落ちていた。オンにしたが復旧しない。近所を見渡すと住宅の西側一帯の街灯が消えていた。ということは周囲一帯が停電になったようだ。

   そして懐中電灯を灯して書斎に行く。パソコンは大丈夫かと心配になったからだ。雷が直接落ちなくても、近くで落ちた場合でも「雷サージ」と呼ばれる現象が広範囲に起きる。いわゆる電気の津波だ。この雷サージがパソコンの電源ケーブルから機器内に侵入した場合、部品やデータを破壊することになる。PCをチェックしたが、異常はなくひと安心した。

   何しろ、全国で年間の雷日数がもっとも多いは金沢の45.1日だ(気象庁「雷日数」1991-2020)。このため、金沢では雷害からパソコンを守るためにガードコンセントは不可欠だ。現在使っているガードコンセントは金沢市に本社があるメーカーが製造したもの。北陸で雷害のケースと実情を研究し耐雷対策に取り組んできた企業の製品なので信頼を寄せている。が、それでも気になり、念のためPCをチェックした次第。

   雷がとどろけば、落雷も発生する。1602年(慶長7)に金沢城の天守閣が落雷による火災で焼失している。石川県の消防防災年報によると、県内の落雷による火災発生件数は年4、5件だが、多い年(2002年)で12件も発生している。雷が人々の恐怖心を煽るのはその音だけではなく、落雷はどこに落ちるか予想がつかないからだ。

   金沢地方気象台は、きょう午後からは再び雨が降りだしあす14日昼前にかけて大雨となるところがある見通しで、引き続き土砂災害や低い土地の浸水、河川の増水や氾濫に警戒するようにと呼びかけている。

⇒13日(木)午後・金沢の天気    くもり時々あめ

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★雪国の美徳「雪すかし」とマイクロプラスチック問題

2022年01月13日 | ⇒ノウハウ検証

   きょうも朝から雪が降っている。積雪は自宅周囲で5㌢ほどだが、降雪の合い間にご近所さんが「雪すかし」を始めると、町内の家々からも人が出てきて始まる。「また降りましたね」と。雪すかしは朝のあいさつ代わりでもある。金沢の雪すかし、除雪にはちょっとした暗黙のルールのようなものがある。

   雪をすかす範囲はその家の道路に面した間口部分となる。角の家の場合は横小路があるが、そこは手をつけなくてもよい。家の正面の間口部分の道路を除雪する。しかも、車道の部分はしなくてよい。登校の児童たちが歩く歩道の部分でよい。すかした雪を家の前の側溝に落とし込み、積み上げていく。冬場の側溝は雪捨て場となる=写真・上=。

   雪国の住民の「自助・共助」の美しい街の光景ではある。では、行政は何もしないのかというとそうではない。町会が費用を負担し、事業者に除雪車など機械による市道の除排雪を委託する場合に、30万円を限度としてその費用の3分の2を補助する制度を設けている。ただ、自身は毎年この雪の季節にまったく別の問題を考えてしまう。スコップとマイクロプラスチック問題のことだ。

   かつてスコップは鉄製が多かったが、軽量化とともにアルミ製に変化し、最近ではプラスチックなど樹脂製が主流となっている。除雪する路面はコンクリートやアスファルトなので、そこをスコップですかすとプラスチック樹脂が摩耗する=写真・下=。微細な破片は側溝を通じて川に流れ、海に出て漂うことになる。

   さらに粉々に砕けたマイクロプラスチックが海を漂い、海中の有害物質を濃縮させる。とくに、油に溶けやすいPCB(ポリ塩化ビフェニル)などの有害物質を表面に吸着させる働きを持つとされる。そのマイクロプラスチックを小魚が体内に取り込み、さらに小魚を食べる魚に有害物質が蓄積される。食物連鎖で最後に人が魚を獲って食べる。

   自身はなるべくステンレス製のスコップを用いるようにしている。ただ、ご近所を見渡すとほとんどがプラステチック製だ。雪国から排出されるマイクロプラスチックは想像を絶する量ではないだろうか。この問題を解決する方法はただ一つ。一部には製品化されたものもあるが、スコップのさじ部分の尖端をステンレスなど金属にするしかない。これを法令で措置すべきだ。「2050年のカーボンニュートラル」宣言の次は、「マイクロプラスチック・ゼロ宣言」ではないだろうか。

⇒13日(木)午後・金沢の天気    ゆき

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☆「透かし」と「雪吊り」金沢の庭木アート

2021年09月12日 | ⇒ノウハウ検証

    先日、能登半島・珠洲市で開催されている奥能登国際芸術祭の作品を鑑賞して思ったことは、「場のアート」というコンセプトだ。その場で訴えることがもっとも感性が伝わる。半島の最尖端という地勢で、大陸からの海洋ゴミが大量に流れ着く海岸で、廃線となった駅舎で、それぞれのアーティストたちが創作した作品からそのメッセージがダイレクトに伝わり、心に響く。

   「場のアート」という言葉は、庭師の仕事にも当てはまるのではないかと思っている。先月末に庭木の刈り込み(剪定)を造園業者にお願いした。ベテランや若手の庭師4人が作業をしてくれた。庭木は放っておくと、枝葉が繁り放題になる。庭として形状を保つためには、剪定によって樹木を整える。

   金沢の庭師は剪定のことを「透かし」と言う。透かし剪定は、枝が重なり合っている部分の不要な枝をとことん切り落とす。出来上がりを見ると、樹木全体がすかすかに透けて見えるくらいになる。素人の目線では、そこまで強く刈り込むと、樹木が枯れるのではないかと思うくらいだ。庭師によると、透かしによって、樹木が有する本来の美しさを保つ。その意味は、樹木の日当たりや風通しを良くすることで、葉を食う毛虫類や、幹に穴をあける害虫がつきにくくする効果がある。もう一つの効果は、べったりと重い金沢の積雪から庭木の枝を守るためなのだという。

   確かに、庭木に雪が積もると、「雪圧」「雪倒」「雪折れ」「雪曲」といった、金沢でよく見られる雪害が起きる。そこで、庭師は樹木の姿を見て、「雪吊り」「雪棚」「雪囲い」の雪害対策の判断をする。毎年見慣れている雪吊りの光景だが、縄の結び方などがまったく異なる。雪吊りで有名なのは「りんご吊り」だ。五葉松などの高木に施される=写真=。マツの幹の横にモウソウチクの柱を立てて、柱の先頭から縄を17本たらして枝を吊る。パラソル状になっているところが、アートでもある。

   金沢の庭師は庭木への積雪をイメージ(意識)して、剪定を行う。このために強く刈り込み「透かし」を施す。ゆるく刈り込みをすると、それだけ枝が不必要に成長して、雪害の要因にもなる。庭木の生命や美の形状を保つために、常に雪のことが想定しながら作業をする。透かしと雪吊りの技術、まさに「場のアート」ではないだろうか。

⇒12日(日)夜・金沢の天気     くもり

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★グランド・カバーの攻防 相手の巧みな戦術

2018年07月16日 | ⇒ノウハウ検証

  それにしてもこの雑草は恐ろしいほどに手ごわい。向き合って戦いを挑んでも、必ず復活してくる。しかも、復活するとさらに茎を張りめぐらし、勢力を拡大しているのだ。これまでグランド・カバーの戦い(庭の雑草取り)で、いくつかの雑草と勝負してきたが、レベルが格段に高い相手だ。その雑草の名はチドメグサ。漢字では「血止め草」と書き、学名は「Hydrocotyle sibthorpioides」。

  チドメグサは実に巧妙に戦いを仕掛けてくる。その特徴は「隠れ蓑」戦術だろう。細い茎はよく枝分かれし、節から根を出して地面をはうのだが、芝生の生息地に入り込み、目立たないように勢力を拡大している。先日、「堂々と勝負しろ」と戦いを挑んだ。まず芝刈り機で芝生を刈り込み、隠れていた相手をリングに引きずり出した。

  ところが、葉や茎は取れたが、芝生の根にチドメグサの根が絡まって離れようとしない。一本一本外すとなると膨大な労力と時間がかかる。「オレに勝ちたいのならば、芝生の根を絶やしてみろ」と不敵な笑みを浮かべているのだ。この日の戦いは午後7時を回り、時間切れでドローとなった。悔し涙がポロリと落ちた。

   チドメグサとの戦いの第二幕は、スギゴケの庭での勝負となった。芝生ゾーンとは違って、スギゴケを刈り込むわけにはいかない。それだけに、相手の姿が見えにくい。葉と茎を1本取ったかと思ったら、隠れるように別の葉と茎がある。まるで分身があちこちにあり、根っ子がある本体が見つからない。これは忍法「空蝉(うつせみ)の術」だ。自分の分身を周囲につくり、敵の注意を分身に向けているのだ。根っ子がある本体はどこか。スギゴケをかき分けかき分け、チドメグサの根を探し出し、手繰り寄せるようにして抜く。こちらも誤って、大切にしているスギゴケを抜くこともある。

   実に根気のいる勝負になると予測し、日曜日の午後に試合に挑んだ。ただ、気温がぐんぐんと上がり、水分補給も限界、熱中症が心配になり途中で退場した。すると、相手のせせら笑いが背後から聞こえた。「しょせん人間は弱い、オレたちに勝てるはずがない」と。闘争心がめらめらと燃えてきた。

⇒16日(月・海の日)夜・金沢の天気   はれ

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★金沢の「透かし」剪定

2015年08月08日 | ⇒ノウハウ検証

  先日、夏恒例の庭木の刈り込み(剪定)をいつもの造園業者にお願いした。若手の庭師4人が2日がかりで作業をしてくれた。すると不思議なもので、庭だけでなく、お願いしたこちらも心がすっきりとするのだ。

  庭木は自然に任せると、3、4ヵ月で枝が込み入り、葉が繁り放題になる。庭木として形状を保つためには、刈り込みが欠かせない。剪定によって樹木の内側まで光があたるようになるため、樹木が丈夫に育つともいわれる。また、特定の庭木だけではなく、全体の刈り込みで庭の調和をはかる。2日間はどうしても必要な作業日程なのだ。

  たとえば、生垣。刈り込むことにより芽を詰まらせて、街路からの目隠しとしての役割を果たす。庭木は、形状を整え、樹木が有する本来の美しさを保つ。もう一つの剪定の効果は、刈り込みで病害虫を防ぐことである。日当たりや風通しを良くすることで、害虫をつきにくくするのだ。というのも、庭木への害虫には、葉を食う毛虫類や、幹に穴をあける害虫などがあり、多くは葉の裏に潜んでいたりする。こうした刈り込み作業を毎年夏のお盆前ごころに依頼している。

  ある造園業者の方と話していたら、面白い話を聞いた。「金沢では、庭木をいじめ限界にまで刈り込む昔からの伝統がある」というのだ。そんなに強く刈り込むと、へたをすると枯れるのではないか」と尋ねると、「むしろ、きれいな花を咲かせる」という。それを、金沢では「透かし」と言って、枝が重なり合っている部分の、不要な枝をとことん切り落として透かし、内部まで風が通るようにする。これは、上記の害虫対策だけでなく、べったりと重い金沢の積雪から庭木の枝を守るための知恵なのだという。

  ただ枝葉を剪定するのではなく、庭木への積雪をイメージ(意識)して、剪定を行うということに金沢の庭職人の心得や技というものを感じる。「金沢の強刈り込み」「金沢のいじめ剪定」という言い方をする人もいるが、悪い意味はなく、庭木本来の美しい形状を保つための金沢ならでは剪定技巧なのである。積雪から枝を守る「雪吊り」と合わせて考えるると庭木に対する人の奥深い思い入れを感じる。

⇒8日(土)朝・金沢の天気   はれ
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☆ブログの技術-25-

2006年06月18日 | ⇒ノウハウ検証

  ブログというのはある意味で「個人メディア」でもある。面白いもので、別にお願いをしたわけではないか、それを見て評価してくれ人もいる。そして、ついにテレビに出ることになった。

     番外編:ブログをテーマにテレビ出演

  6月13日、金沢市に本社がある、地元民放テレビ局のMRO北陸放送の取材を受けた。テーマはズバリ、ブログだ。ブログを作成するノウハウや楽しみ方、注意点などについてインタビューがあった。なぜ私にというと、実は私のかつての同業のM氏は現在MROの報道制作担当の現場のトップ。取材の数日前、彼から「宇野さんのブログ(「自在コラム」)をたまに読ませてもらっている。ぜひインタビューさせて」と電話で取材の依頼があった。インタビューというからにはインタビューに耐えるだけのレベルのブロガーであると評価してくれた証左でもあると勝手に解釈し、「OKですよ」とその場で返事をした。

   13日の取材では、アップロードのノウハウや、作成する上での注意、たとえばこの「ブログの技術」のシリーズでも何度か書いた著作権やプライバシーの侵害に対する注意事項などリポーターに説明した。もちろん、説明というのはすなわちインタビューである。また、インタビューのほかに、金沢市のブログ仲間で動画ブログに挑戦しているK氏を紹介した。どうやら、私の後、取材を受けたK氏は取材ディレクターをその場で逆取材して動画ブログのテーマにするらしい。ここが個人メディアの小回りの効くところなのである。

   6月23日(金)午後4時45分からのMROワイド番組「金沢発イブニング5」のコーナー「おさえと考」で紹介される。上の写真はリポートしてくれた小野ちづるアナウンサー。本人の許可を得て、番組のPRのためならという条件で使用の許可をもらっている。念のために。

 ⇒18日(日)午前・金沢の天気   くもり  

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☆ブログの技術-24-

2006年05月28日 | ⇒ノウハウ検証

 ブログを綴るには視点の多様性が必要である。一つの視点で「こだわり」を見せる手法もないわではない。しかし、これだと長続きしない。今回のテーマは身の回りで気がついたことを自分なりに検証する方法の書き方のヒントである。ボーダフォンの新機種を例に実際に手にとった感想を書く。

          テーマ「自ら検証し、実感する」

  「自在コラム」のことし3月19日付では、ソフトバンクが携帯電話3位のボーダフォン日本法人を1.7兆円で買収すると表明したニュースを受けて、ソフトバンクの戦略を自分なりに推測した。それは、「通信のオールインワンサービス化」ではないか。つまり、ADSL事業に加え、日本テレコム買収(2004年)によって入手した光ネットワークインフラ、そして携帯電話事業、これらをひとまとめにして定額でいくら、といったビジネス展開だ。

  そのオールインワンサービス化への大きなステップが5月27日付で新聞各紙に掲載されたボーダフォンのワンセグ放送対応機の全面広告だろう、と私は見る。少々説明が必要だ。この広告はシャープの液晶テレビ技術を取り入れた「アクオスケータイ」をボーダフォンのワンセグ放送対応機の中心に据えると表明したものだ。携帯電話のテレビ化戦略を鮮明にすることで得られるもの、これはすでにヤフーBBなどパソコンで実現している映像コンテンツへの誘導である。「PCからもケータイからもヤフー動画が閲覧できる、定額で月いくら」というのが次なるステップだろう。

  こうしたソフトバンク・ボーダフォンの戦略を一応頭に置いて、新発売されたアクオスケータイの使い勝手はどのようなものか検証するため、金沢市内の家電量販店に出かけた。残念ながらデモ機はまだ届いていない。その代わり、サンプル機があった。私の関心はどのようにしたらこの2.6インチのディスプレイが90度に回転するのかという点だ。

  店員に聞くと、この回転はこれまでにない新しい構造で「サイクロイドスタイル」というそうだ。実際に上の写真のように、ディスプレイの左下を押し上げる感じで回す。回転が実に軽くスムーズである。この回転で自動的にテレビのスイッチが入る。最大で5時間20分の録画が可能という。また、テレビを見ながら電話やメールもできる。サンプル機なので、重さが実感として分からなかった。

  実際に画面を見ることができなかったのだが、画質面では新開発のカラーフィルターを使って屋外でも鮮明な画像が見ることができるというのが売りだ。この店の店頭価格は23940円だった。「機種変更による価格のサービスには対応していない」との注釈も。

  実感とすれば面白い機種との印象だ。これだけでも随分と収穫があった。新聞広告を見ただけでは理解できない。はやり自分の手で使い勝手を感じ取るしかない。そして店員に聞くことだ。オールインワン化の見通しなどについては、5月30日にボーダフォンの決算発表があるので、孫正義社長のコメントをメモ(あるいは切り抜き)しておくものよい。

 ⇒28日(日)夜・金沢の天気   くもり 

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★ブログの技術-23-

2006年05月08日 | ⇒ノウハウ検証

 季節の変化を追いかけよう。季節の変わり目は実は多様な写真が撮れるし、それに伴って文章もかけるものだ。ブロガーにとって一番生き生きとするのがこの季節の変わり目だろう。

    テー「季節の変わり目を撮る」  

 春から初夏への表現は文章で書くより、写真で見せたほうが一番分かりやすい。写真は、私のオフィスである金沢大学創立五十周年記念館「角間の里」の前庭にある菜の花畑と鯉のぼりが泳ぐ風景である。夕方の逆光写真であるものの、日差しが注いで初夏への切り替えが行われる自然の季節移動というものがまさに実感できる瞬間だった。

  少々大仰に表現すれば、鯉のぼりに生命感を、菜の花に季節感を、そして里山の古民家に人間の存在感を感じないだろうか。私はそんなテーマでアングルを構成してみた。実は、上の写真は午前中から狙っていたが、風が少なく鯉のぼりに勢いがなかった。夕方になって山からの海に向かう風が強くなってきたので、ようやく思いのアングルになってくれた。

  ところでカメラだが、私は携帯電話のカメラでも十分という主義だ。ブログの場合は画像を圧縮するので、それだったら最初から1メガピクセルの携帯電話カメラで撮ればよいとも思っている。問題はシャッターチャンスだと思っているので、常に持ち歩いているカメラが便利だ。思いのアングルを決めてチャンスを待つ。どの場所、角度から撮ったらよいかイメージトレーニングをしておくのもよい。

 ⇒8日(月)夜・金沢の天気   はれ

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☆ブログの技術-22-

2006年04月23日 | ⇒ノウハウ検証

 これはよく言われることだが、新聞やテレビなどマスメディアによる情報はそのまま鵜呑みにするのではなく、分析するという読み方が正しい。つまり、マスメディアは現実を伝えているというより、現実の断片を構成しているに過ぎない。だから読み手が情報を読み解く力を持たなければならない。この読み解く力のことをメディアリテラシーと言ったりする。

   テーマ「メディアリテラシー」  

 メディアリテラシーはさまざまな媒体にいえることで、今回は新聞の折込チラシを取り上げてみたい。きょう(06年4月23日付)の新聞に実に地味なチラシが折り込まれていた。B4版サイズの白紙に黒の単色印刷である。「新茶つみたて 本場 静岡より直送!」とのタイトルで、おそらくパソコンを使った自家製のチラシだろう。

  このチラシを丹念に読むと、読者心理を実によく研究していることが分かる。静岡の新茶を直販する内容だ。一番早い4月28日から発送を予定している「新茶手づみ茶早摘」は100㌘1680円、それ以降遅くなり「新茶手づみ茶」(4月30日発送)だと1365円、ハサミで摘み取る「荒茶一号」(5月3日発送)は1050円、そして一番遅く機械で摘み取る「荒茶四号」(5月20日発送)となると525円にまで値段が下がる。摘み取りの時期と方法で6段階に分けた価格設定になっている。

  荒茶というのは「余分な加工をせず、茶葉の持つの本来の柔らかい味」で、本来は茶農家の飲み茶であり、見た目には粗悪かもしれないが本来のお茶、と説明している。そして、価格設定について「私達は価格について何年も議論しました。味や香りだけで価格を決め手よいのだろうか?」と前置きして、最終的に手で摘んで労力をかけたものを高く、機械で摘んだ遅く出荷するもの安くしたと記している。

  このチラシの主は静岡市のある生産農家。単独でまいたチラシである。「家族でがんばる静岡のお茶屋」「本広告は私達親子で印刷した物です」とアピールしている。では、このチラシから何が読み取れるのだろうか。ある意味で生産者の誠実さや信頼性かもしれない。親子の実名を記し、さらにホームページには家族の写真まで掲載していて、「品質は保証します。逃げ隠れしません」と主張しているかのようである。

  私は一歩踏み込んで、この生産者に新聞メディアに対する読み込みの鋭さを感じた。これは想像だが、このチラシをまさか全国3700万の全世帯に配布したということではなかろう。仮に1枚2.5円の折込料でも莫大な金がかかる。むしろ、全国統計で日本茶に対する家計支出額が多い都市や地域に絞ってチラシを折り込んだ。あるいは長年の通販の体験からニーズのありそうな都市を選んでいる可能性がある。つまり、マーケット調査をした上で私が住んでいる金沢市を選んだということだろう。

  さらに新聞の読者層までも選んでいる。このチラシは他紙に入っていない。つまり、「A紙の読者だったらこのチラシがピンくるだろう」と想定しているのかもしれない。そのキーワードが環境問題。「ご家庭用は環境問題も考え包装は簡易包装とさせて頂きます」と言った文面を抜け目なく入れ込んでいる。一枚のチラシでニーズをつかみ取るトレーニングを積んだ人がこの家族の中にいるのではないか。マーケット調査をしながら遠方のエリアに新聞折込のチラシを駆使して販路を開拓していくという手法は、少なくとも普通の家族労働の成せる技ではない。ともあれ面白いチラシを手にした。以上が私なりの分析である。

 ⇒23日(日)午後・金沢の天気  くもり

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★ブログの技術-21-

2006年04月08日 | ⇒ノウハウ検証

 この「ブログの技術」シリーズはどれだけアクセス数を稼ぐかではなく、長くブログを続けるコツのようなものをさまざまな観点から追求している。私自身のブロはその意味で逆説的かもしれないがコラムという形式をとっている。基本的に日記風ではない。これはなぜだろう。コラムって難しく、長続きしないのでは…と誰しも思うだろう。

      テーマ「コラムの視界」

  コラムというのは面白い表現方法で、実は日記と評論を足して2で割ったような表現になる。三省堂の「大辞林」で、コラムをくると、「新聞や雑誌で、短い評論などを載せる欄。また、その記事。罫で囲まれることが多い」と。もともと活字メディアの大所がその豊富な体験や知識を生かして示唆に富んだ文章を展開するといったたぐい文章である。手法は、新聞記事のように客観性を重んじながら、経験や知識といった主観も入れていく。あるいは、少々「ずるい」のだが、先人の名言を引き合いに出して文章を膨らませたり、結論めいた締めくくり方をする。

  目線の高さということで表現すれば、日記風が地に足をつけて見渡す風景に対し、コラムはビルの3階か4階から街を眺めているような景色である。視野が広がって多様な文章が書けるというメリットの反面、日常の細かな動きとなると主観的すぎて表現しづらという点もある。もちろん、文章に手馴れたコラムニストは路傍の石にズームインしたかと思うと、今度は思いっきりズームアウトして話を宇宙にまで持ってゆく。こんな文章を読むと、ジェットコースターに乗ったようなスリス感を味わうことができる。

  コラムの表現はもちろん口語体である。私の場合は常体(だ・である体)を使い、敬体(です・ます体)は使わない。自在コラムでは、当初、敬体を使っていた。ところが、敬体だと表現範囲が随分と限られてくるのに気がついて、常体に戻した。他のブログを読むと、日記風は「しゃべり言葉」になっているものが多い。これだと敬体よりさらに表現する内容が限られてくるのではないかと思う。それこそ「ボキャ貧」(ボキャブラリーの貧困)に陥る。

  友人が「ブログは金がかかる」と嘆いたことがある。日記風で綴っていて、その日の出来事を内容とし、毎日書いている。だから、疲れて家で居眠りをしていてはブログは書けない。おいしいものを食べに行ったり、映画を観たり、美術展に出掛けたりと「ブログのネタ探し」に忙しい。で、「金もかかる」というわけだ。それはそれで本人は充実感を得ているのでいいとしても、私にはそのまねができない。春の休日は縁側で居眠りをしていたい。

 ⇒8日(土)午後・金沢の天気  はれ

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