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記者も被災した。津波に飲み込まれながら、浮流物につかまり一晩漂流した後にヘリコプターで救出された33歳の記者、津波に後ろから追われながら山の上に逃げて生き延びた記者もいた。生死と向き合う壮絶な経験をしたからこそ、被災者はどのような情報を必要としているのか的確に把握できたのだろう。伝える使命感が手書きの壁新聞へと記者たちを走らせる。ただ、記者にたちとって忸怩(じくじ)たる思いがなかったわけではない。壁新聞は量産できないので、貼り出した場所(避難所など)でしか読まれない。手書きの壁新聞では字数が限られ、取材した情報のほとんどは掲載されない。さらに、電気も輪転機も無事な大手紙が避難所に無料で新聞を配れば、「石巻日日新聞離れ」が生じるのではないか、そのような思いが交錯した。若い記者たちの歯がゆい思いは別として、水に浸からなかった新聞用ロール紙、そしてフェルトペン、そして紙を切るカッターナイフしかなかった。
電気が来て、パソコン入力でA4版のコピー新聞ができたのは17日の夜だった。そのコピー新聞を手にした記者デスクは「サイズは小さくとも、活字で情報を伝えられることに喜びがあふれた。早くいつもの新聞を作りたい」と記している。
被災直後、多くの人は携帯電話のワンセグ放送やメールで情報を得た。しかし、充電できずバッテリ-切れとなって初めて、情報から隔絶された孤独感に追い込まれた。そんな状況の中で、壁新聞は「情報のともしび」だったに違いない。3月20日付から水没を逃れた古い輪転機を使い1枚(2頁)刷りの紙面での発行が再開された。ただ現実として、「家がなくなったから新聞を止めてほしい」「日日新聞を楽しみにしていた肉親が亡くなったので」との理由から新聞離れは始まっている。次に来る経営という問題に…。
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