今月、というか、今年始まって先ず一番の注目のアルバムだな。
JUDAS PRIESTの『INVINCIBLE SHIELD』。
前回上げたSTRIKERも6年振りだったが、こちらも6年振りのアルバムである。
こっちは覚えているよ。
前作の『FIREPOWER』は、2018年のメタルシーンの最注目アルバムと見なされ、その年はある意味PRIESTの年と言っても良かったほど、バンドの活動は活性化していた。
同時に、グレン・ティプトンがパーキンソン病である事を告白した事により、ツアー/ライヴでは一部の曲でしか演奏しないという状態には、ちょっとした影を落とす事にもなっていた。
現在も闘病中の身であるが、作曲・レコーディングという環境に於いては今でも関与している。
まァ前作からこれだけ時間がかかったのも、例に漏れずウンコロの影響であろう。
ヴェテラン勢に関して言えば、この状況は寧ろ曲作りに対して良い作用を齎したと考えれる。
その間に一抹の希望を抱いたのは、2022年の「ロックの殿堂」記念式典でのライヴだった。
あの時、K.K.ダウニングとレス・ビンクスを加えた当時のラインアップを祝うパフォーマンスが興じられ、特にK.K.がPRIESTのメンバーと並んでいるという光景を見た際に、誰もが「これはもしかして、復帰への兆しでは?」と思ったに違いないし、オレもそう思った。
実際は、かなり冷ややかな扱いであったとK.K.自身が語っており、あの状況を取り持ってくれていたのは、リッチー・フォークナーであったというのだから、この拗らせ方はどうにもならんのか・・・と、彼らの今の関係に失望の念を抱かざるを得なくなったね。
だからこそ、K.K.は見切りをつけたという意思表示として、早々にKK’S PRIESTで『SINNER RIDES AGAIN』をリリースしたと見て取れた。
PRIESTも、去年から少しずつ曲をMV公開し始めていたが、やはりアルバム一曲目にあたる「PANIC ATTACK」は鮮烈だった。
聴いた感触としては、サウンドプロダクションとしては『FIREPOWER』と同質のため、一瞬延長線上にあるスピーディーな曲に思えるのだが、それでも明らかにあのアルバムに入るには違うと思えるものが潜んでいる。
PRIESTは、アルバムに於ける色というものが曲に付着している。
なので、「この曲って、あのアルバムに入っていてもおかしくないよね」と思わせるものが、アルバム収録曲の中にほぼほぼ存在しない。
以降で公開された曲も、『INVINCIBLE SHIELD』というアルバムのカラーの下であるからこその魅力となる曲だと言えた。
今回、ボーナストラックを含めたら前作と同じ14曲が収録されている事になるが、本編は11曲で、一曲の尺は正直そこまで長いと感じるものではなく、最長のタイトル曲でも6分半程度。
だが、曲に渦巻くエナジーというのが妙に濃いと、前作と比べると感じるんだよね。
ライナーノートで伊藤氏が述べていた箇所で、「敢えて類似するとなれば、『SCREAMING FOR VENGEANCE』と『DEFENDERS OF THE FAITH』の流れを想起させる」というのが、妙に腑に落ちた。
JUDAS PRIESTというバンドの存在証明を再掲示すべく再構築させたのが『SCREAMING FOR VENGEANCE』『FIREPOWER』であり、それに手応えを感じつつも深化を露出させるべく研鑽したのが『DEFENDERS OF THE FAITH』『INVINCIBLE SHIELD』。
こんな関係性を確かに感じた。
ぶっちゃけ、個人的に言えば即効性のある印象はそう強いとは言えないが、何度も聴いてみようと思わせる求心力が、アルバムには存在している。
やっぱりPRIESTにしかできないんだよね、この雰囲気。
K.K.は以前、ロブ・ハルフォードが復帰してきた事に対して、「彼はJUDAS PRIESTをHALFORDにしたがっている」と、K.K.自身が居なくなり、グレンの容体が容体である事を利用し、自分(ロブ)が絶対のバンドであるという乗っ取りを考えているという発言をしていた。
でもソレは違うんだよなァ。
グレン、ロブはバンド本位で考え、その中で中立的立場をとろうと考えているのは解るし、そこにリッチーが加わってソングライティングチームを確固としているからこそ、JUDAS PRIESTであるワケでね。
勿論、そこにK.K.が居る事が望ましいだろう。
が、意地悪な言い方をすれば、リッチーが加入してきたからこそ、PRIESTはロブ復帰後、間違いなく息を吹き返したとオレは思うんだよね。
そーいった意味に於いても、今のPRIESTは❝らしさ❞を保ちながら、未だに創作的歩みを止めていない。
これも意地悪な言い方だが、現状でPRIESTに対して革新的なものを提示してほしいなどと思っているファンは居ないと思う。
過去の偉大なる革新的功績によって創り上げられたJUDAS PRISETというものを続けてくれればそれで良いと思っている筈。
デビューから50年。
HR/HMというシーンに於ける革命的スタイルってのは、演奏技術という点で見れば、もう飽和状態。
なら大事なのは、バンドという個の集合による一つの生命体自体の存在。
そこがバンドの醍醐味の原点だろう。
メタルであろうとなかろうと、放たれる魅力がそのバンドから放出していれば、それだけで成立する。
自分達が演奏していて気分が良くなれば、正直ジャンルは大した意味を成さない。
そうであったとしても、この御大はそれだけを良しとしない姿勢を見せているワケである。
畏敬の念を抱くよ。
当人達よりも若い年代がお手上げ状態になっていてもおかしくない中でよくぞ、と思うよ。
このバンドはまだあと一太刀以上、振るえそうだな。