日本におけるテレビメディアの存在は世論形成に大きな影響を及ぼしています。
基本的には、フジ、日テレ、TBS、朝日に第3勢力の東京テレビの五社でしょう!
この内体制派と言えるフジに続く日テレ。革新に近いTBS、改革派と言える朝日と異端な東京テレビ。数年前までは、この図式でした。
ところが、団塊の世代の退場から、朝日は完全に変質しました。 何故なら、団塊の世代の多くに、かつての古い時代の学生運動派が存在し、強大な力を誇示していたのです。
ところが、彼らの退場により、朝日は方向を転換したのです。
特に昨年から、その傾向を強めました。 そして今では朝日も在り来たりな民放に成り下がりました。
番組の内容だけに限らず、過去の大戦や歴史問題でも、大幅に修正を始めたのです。 極端に言えば、一般の営利を追求する民間企業への変貌です。
報道という社会的な責任に対しての責任の放棄です。 本来、報道という職種には、社会的な大きな責任があり、公平で客観的な判断を必要とする仕事で、営利の追求に執着するのは好ましく無かったはずです。
資本主義とは言うものの何から何まで民間で営利を追求する機関ばかりでは、社会の規律が乱れます。
教育や医療と言った職業や報道の社会的責任は大きいのです。
確かにNHKという官営のテレビ局があるから、それで良いと考えも出来ますが、メディアの影響力を考えると、民間がメディアを使って、世論誘導や操作を企むことも可能ですから、自由を無限に拡大させるのは危険です。
ところが、現在では政府や内閣までメディアを利用して世論操作を図っています。
社会の安定の為には必要な部分も否定はしませんが、私利私欲や保身の為に悪用している現状です。
この状態が人間全体を堕落させるという認識が薄いようですが、極めて危険内閣方向に向かうのです。 現在の日本のマスメディアは正に、この方向に入ったのです。
明らかに国を、間違った方向に誘導して行きます。 このままでは、メディア界が社会正義を失い兼ねません。
民間企業と言えども社会性を否定は出来ないし、失っては危険です。
社会には、一律に民間企業では括れない職業があると自覚すべてです。
基本的には、フジ、日テレ、TBS、朝日に第3勢力の東京テレビの五社でしょう!
この内体制派と言えるフジに続く日テレ。革新に近いTBS、改革派と言える朝日と異端な東京テレビ。数年前までは、この図式でした。
ところが、団塊の世代の退場から、朝日は完全に変質しました。 何故なら、団塊の世代の多くに、かつての古い時代の学生運動派が存在し、強大な力を誇示していたのです。
ところが、彼らの退場により、朝日は方向を転換したのです。
特に昨年から、その傾向を強めました。 そして今では朝日も在り来たりな民放に成り下がりました。
番組の内容だけに限らず、過去の大戦や歴史問題でも、大幅に修正を始めたのです。 極端に言えば、一般の営利を追求する民間企業への変貌です。
報道という社会的な責任に対しての責任の放棄です。 本来、報道という職種には、社会的な大きな責任があり、公平で客観的な判断を必要とする仕事で、営利の追求に執着するのは好ましく無かったはずです。
資本主義とは言うものの何から何まで民間で営利を追求する機関ばかりでは、社会の規律が乱れます。
教育や医療と言った職業や報道の社会的責任は大きいのです。
確かにNHKという官営のテレビ局があるから、それで良いと考えも出来ますが、メディアの影響力を考えると、民間がメディアを使って、世論誘導や操作を企むことも可能ですから、自由を無限に拡大させるのは危険です。
ところが、現在では政府や内閣までメディアを利用して世論操作を図っています。
社会の安定の為には必要な部分も否定はしませんが、私利私欲や保身の為に悪用している現状です。
この状態が人間全体を堕落させるという認識が薄いようですが、極めて危険内閣方向に向かうのです。 現在の日本のマスメディアは正に、この方向に入ったのです。
明らかに国を、間違った方向に誘導して行きます。 このままでは、メディア界が社会正義を失い兼ねません。
民間企業と言えども社会性を否定は出来ないし、失っては危険です。
社会には、一律に民間企業では括れない職業があると自覚すべてです。