立春は2月4日頃でしょうか?
その日までしばらく時間はありますが、非常に待ち遠しく思っています。
単に立春を迎えられることの喜び以上に、私のお気に入りである紀貫之の立春の歌のまさにその日を迎えられることが喜ばしく、待ち遠しいのです。
「袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」
(紀貫之:古今和歌集巻第一 春歌上)
(今は遠い夏の間は袖をぬらしながらすくった水は、冬の訪れですっかり凍ってしまっているけれど、今日はもう立春、その氷を(春の)東風がいずれ解かしてくれることであろう。)
夏・冬・春の季節の移り変わりを「水」の凝固・融解を通じて秀逸に表現されているわけですが、紀貫之のイマジネーションではなく、きっと自然観察によるものだと私は推測します。
私は鳥取の田舎育ちなので、冬に田や池の水が凍ってしまう様子や、春の訪れで氷が解けていく様子などを見てきましたので、紀貫之の歌の内容は身近なものなのですが、その身近な「水」を通じて立春を歌ったところが、この歌の素晴らしいところだと思うのです。
その日までしばらく時間はありますが、非常に待ち遠しく思っています。
単に立春を迎えられることの喜び以上に、私のお気に入りである紀貫之の立春の歌のまさにその日を迎えられることが喜ばしく、待ち遠しいのです。
「袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ」
(紀貫之:古今和歌集巻第一 春歌上)
(今は遠い夏の間は袖をぬらしながらすくった水は、冬の訪れですっかり凍ってしまっているけれど、今日はもう立春、その氷を(春の)東風がいずれ解かしてくれることであろう。)
夏・冬・春の季節の移り変わりを「水」の凝固・融解を通じて秀逸に表現されているわけですが、紀貫之のイマジネーションではなく、きっと自然観察によるものだと私は推測します。
私は鳥取の田舎育ちなので、冬に田や池の水が凍ってしまう様子や、春の訪れで氷が解けていく様子などを見てきましたので、紀貫之の歌の内容は身近なものなのですが、その身近な「水」を通じて立春を歌ったところが、この歌の素晴らしいところだと思うのです。