ふかよんライフスタイルファンド日記Ⅱ

生活・仕事・遊びのポートフォリオを重視し、ライフスタイルの「運用」を考えていきます。

東京の夜は明るすぎた

2011-04-19 05:11:06 | Weblog
東日本大震災の影響で、首都圏を中心に繁華街のネオンが消え、経済活動が沈滞ムードに包まれる。一方で、節電が暗さに対する日本人の意識に変化をもたらしている。「陰影」という日本建築の概念に光が当てられ、夜の暗さを再評価する機運が出てきた。「東京の夜はこれまで明るすぎた」-。そんな自戒の念が聞こえてくる。(日出間和貴)

東日本大震災から1カ月近くが過ぎた4月上旬、東京都内の駅構内で「地下鉄の暗さ」について、2人の中年男性が気になる会話をしていた。

「震災以降、東京の地下鉄はまるでロンドンのように暗くなった」

「ヨーロッパを旅すれば分かるけど、駅の構内はこんなもの。この暗さにもだんだん慣れてきた」

企業や家庭で進められる節電の励行。夏場に向けた電力抑制を控え、まちの暗さを受容する感性はさらに歓迎されていいはずだ。

昼から夜へ、明るさの谷間に当たる「たそがれ時」に対する意識は、国民性や気候風土が反映される。日本の夜の明るさや派手なライトアップに長年、疑問を投げかけてきた東京工大の乾正雄名誉教授(建築工学)によると、日本では日没の1時間前に照明をつけるが、ヨーロッパではほぼ日没の頃。明るさの余韻を惜しむかのように照明をなかなかつけないという。

乾名誉教授は、過度に明るい夜間の環境が「人に常に動き回ることばかりを強いて、じっと考える能力を喪失させたことはうたがいようがない」と、『夜は暗くてはいけないか』(朝日新聞社、1365円)で指摘する。確かに、こうこうと輝く蛍光灯のもとでは哲学することは向かない。

昭和8年、作家の谷崎潤一郎(1886~1965年)は47歳のときに日本家屋が織りなす薄暗さの美について論じた『陰翳(いんえい)礼讃』を刊行した。この一冊は、海外の建築家の間でも建築思想の「手本」として読み継がれてきた。

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震災後、最も暗いと感じるのが、朝、都庁前駅での飯田橋方面と六本木方面の乗り換えの時。

体感なので本当は違うのかもしれませんが、改札口のフロアの方がプラットフォームよりも暗く感じます。

震災以降、朝、娘を保育園に送っていくとき、地下鉄を利用せず、一駅分歩いているので、明るい光に慣れた後の大江戸線の地下鉄は、暗く感じるようになりました。

夜の地下鉄の暗さは、外も暗くなっているので、あまり気になりません。

地下鉄では、今よりも、朝少し明るくし、夜はもう少し暗くしてもいいかもしれないとも思います。

一日のトータルで電力抑制ができればよく、朝昼晩、常に同じ明るさである必要はないのではないかと感じます。
コメント
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