絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

篠笛の世界

2006年02月13日 12時43分15秒 | 一絃琴
「民の謡」という篠笛の会があります(HPもあります)
このHPを知り、いずれ一絃琴と篠笛を合わせるときに
やはり、出来た方がいいと思い、少しだけ練習したことがありました。
(譜面つきのCDや篠笛本体も販売してます)

篠笛にも、何本調子とかいって様々な種類があり、
一本で祭囃子から現代曲まで全部吹ける訳ではない
ということがわかりました。
(ほんと、和ものってどこまでも奥が深いですね)

で、結局どうしたのかといえば、挫折いたしました
笛も、一絃琴の先生ができるので、教えてもらっていましたが
オクターブ上の音(かんの音?)が全然出せず、そのままになってしまった。
(これは喉の開け閉めで高低を調節するらしい)

岸和田までこの「民の謡」の演奏を聴きに行ったことがあります。
HP上でも聴けると思います。(師匠の名前は、森田さんです)
当時はお弟子さんだった「坂口さん」が今は指導をなさっています。
とても若い方ですが、練習に励むのを「精進する」と
言っておられたのが印象的でした。


え~~、「あんたがたどこさ」とか「かごめかごめ」くらいは
だれでもすぐ吹けるようになります。
つまり、「かんの音(1オクターブ高い音)?」の吹き分けがないから・・・
「祖谷の粉ひき唄」「京鹿子娘道成寺」などが吹けたらいいなと
思います。

他の楽器とのセッション

2006年02月13日 12時07分32秒 | 一絃琴
一絃琴の場合、なかなか合わせることが難しいと思います。
この楽器自体が非常に音が小さくて、何かといっしょにやると
全くのまれてしまってお話にならないのですね。

ですから、もし、いっしょに演奏するとなると
少しかぶる程度にして「合奏」は避けるか、
あるいは一絃琴を何人かの数で音を強化するか、です。

今まで、篳篥とやったのや、篠笛(横笛)とやったりしたのを
聞きましたが、どちらも凄い音量なので、
遠いところで吹かないと、全く音が聞こえなくなります。
(筝と合わせたのも聞いたことありますが)

高知の方のHPで披露されていた一絃琴の音ですが
実際のはどんなのでしょうか。
今、主たる演奏地域は、東京、京都、神戸、高知
くらいだと思いますが、それぞれついた先生によって
演奏方法や歌の風情も違うようです。

どうも字の大きさが・・・

2006年02月13日 11時44分59秒 | Weblog
テンプレートもいろいろあって、選べるのは良いのですが
背景と字の大きさがマッチしないとか
字が大きすぎたり、見えづらかったり(単なる老眼!?)
なかなか、これだったらね、みたいになりません。
HP作っている人とかは、すごいですね!
今は、型みたいのがあって、やりやすくはなってきたのかな?
(よくわかりません)

今日は、全国的に暖かいらしい・・・
昨日より5度も気温が高いとか予報で言っていたとおり
まさに「光の春」がきたようですね

気分転換

2006年02月12日 23時53分03秒 | Weblog
テンプレート変えてみましたわ。
ほんとは、自分で撮った画像の背景にしたいのですが
どうやればいいのかな?(いまだ解明せず)


まあ、そのうちボツボツとやっていきます…
(デジカメのタイマーだって、まだ変えてないぞ

人間、精神が停滞してくるとどうなるかといいますと
「謙遜」が「卑下」に変わってきますね。
<あたしってだめね>みたく…
明らかに、後退してくるからわかります。
だれでも、人と入れ替われない今を生きているわけですから
「卑下」という逃避行動は、やはり慎まねば…

そういうときはね、どうするかといいますと
目線を変えるんですよ。『変化』ですね。
どんな小さなことでもかまわないから
なにかしら、新しくするわけです。
別に、高価なものを買ったりする必要はないんです。
メンタル面にある種新しい息吹をさっと吹き込めばいいんです。
要は、違うことに目をむけ、違うことも考える、ということかな。
それで、また、しばらく持ちますね。
(鬱々としてる方はお試しになってみて下さい。)

ごくごく最近になって、人の健康というのが
非常に精神面に左右されるということを
強く感じるようになりました。
もし自分の精神状態を、自由にコントロールできたならば
どんなに良いでしょう。
「病は気から」というけど、ほんと人間て『気』に支配されていると
最近富みに思うようになってきました。


万博の最後を飾ったのは

2006年02月11日 22時30分04秒 | Weblog
唐突ですが、愛地中博の最後を飾ったのは
「ユーミン」だと思ってました?違いますよね?
万博の最後を飾ったのは、「リポー」さんですよね。
(モンゴルの馬頭琴奏者で日本在住10年←愛知県ですよ)

このリポーさんという馬頭琴(モンゴルの民族楽器)奏者の方が
実家の近くの会館で演奏会をしたことがありました。
2年位前だったかなあ。
そのとき、他に二胡の奏者の人やモンゴルの歌の人や舞踊の人など
いっしょで、最後に、あの有名な絵本「スーホの白い馬」を
朗読と演奏、そしてこの芸術家たちを支援?している関係者と
子どもたちの歌で締めくくっていました。
その支援者や馬頭琴を習っている人たちは
みな、モンゴルの民俗衣装を身に纏っていました。

馬頭琴って見たことありますか?
モンゴルの楽器なのですが、別名「草原のチェロ」っていうんですよ。
あたたかないい音色なんです。(リポーさんだからかもしれませんが)
すごくピアノと合います。
聴けば、あなたもモンゴルの風が吹いてきたように感じるでしょう…

このコンサートの最中、遠い国からやってきた食えない芸術家たちを
こんなふうに支援する日本人て、なんてあったかい人種なんだろう!って
強く思うと同時に、
「でも、なんで、モンゴルの民族衣装なの?」と
すごく違和感がありました。


あれからちょっとしか月日は経ってないけど
リポーさんはすっかりビッグになり、一緒に演奏してた二胡のかたも
○○文化センターかなんかで教室も開かれ
きっと「食べられる」ようになられたことでしょう。

そのとき歌っていた「スーホの白い馬」の歌は
すごくいい歌です。歌っていると泣けてきます。
この絵本は、モンゴルに伝わる馬と少年の悲しいお話ですが
生きとし生けるもの達の愛と別れを描いているようにも取れます。
そのコンサートのすぐ後に、3ヶ国語で歌と演奏のCDつき絵本が
世界へ向けて出版されたと聞いています。
(リポーさん、これからもがんばってね。
馬頭琴は習わないけど、陰ながら応援しています。)

スカイダイビング

2006年02月11日 11時21分30秒 | Weblog
「400人がスカイダイビング!」というのを
テレビでやっていた。すごいなー!

船に引っ張られて人間凧みたいなのになるのは
下の子が幼稚園のとき、いっしょにやったことがあるが
スカイダイビングは、血管が持つのか!?という感じだ。
(そのとき、おろおろしていたのは夫と長男)

是非やってみたいのは、
ロープのない「スカイセーリング」
丘の上から風に乗って飛んでいくやつ。
気持ちいいんだろうなあ…

高山とかでもやってるようだ。
(うちの近所でも飛んでるのを見たことあるけど、景色が…)

やっぱり着てきて欲しいなあ

2006年02月10日 23時37分47秒 | きもの
しつこく「お茶サークル」のこと書くんですが…
前にも書いたのですがね、
お茶の先生がね、この公民館の稽古のとき
洋服でいらっしゃいます。
着物着てこられるのは、発表会と初釜のときだけ。

わたしの悪い癖で、何かを知ろうとするとき
必ずさきに「本」よんじゃうんですね。
で、お茶の稽古より先にわたしは「茶席のきもの入門」を
読んでしまったわけです。
この本は、表千家の「速水祐永」という方が書かれたもので
茶趣あるきものとは…ということですが
なにより、お茶に向かう精神みたいなのが
文面からあふれ出るような、いい本なんですよ。

で、わたしも、お茶を習うんなら、
濡らしてもいいような着物でいいから
公民館に着ていこうと思ったわけです。
それで、着物での立ち居振る舞いとか
そういうのもできるようになるかなあと…夢見たのですね。

しかし、実際は、肝心の先生が洋服なんですね。
正直、最初、どの方が先生かわかりませんでした。
すごくショックでした。
生徒が洋服ってのは、全く普通の風景でしょうが
先生も洋服…

その方は、ちゃんと名前もおもちの方です。
でも、公民館サークルの経験長い人にお聞きすると
他の先生も、着ては来ないそうなのです。
(子どもの体験学習などのときは着てるかも)

結局、先生方は何を考えているのかって
何も考えてないのですね、たぶん。。。
(青い目の人だって、着物着てお茶するのに…)
夢は儚く消えて、何しにわたしはそこへ行くのか?と。
かといって、誰一人着物着てこないお茶に、
先生すら着てこないところに、自分ひとり着ていけるのか?とも。

わたしの偏狭な頭では(とくにお手前)洋服での所作の習いなぞ
陳腐以外の何ものでもないぞ、などと
何もわからんくせに、思ってしまうのでありまして。

例によって非常に長くなってしまいましたが
来年度も行くとしたら「根性を出して」「白い目で見られようと」
着物きていくしかないぞ、と思っています。
なんか、書いていて、いま、すごくブル~~~~~になってきた

冬なのに・・・

2006年02月10日 22時31分11秒 | 子ども
4,5日前から、子どもの口角の横っちょに
小さい赤いできもの?が出来ていた。
あまり気にしてなかったが、オロナインくらいは付けといた。

昨日の夜、あまりこの小さなおできが治っていかないので
よ~くよ~~く、見た。さらに、見た。
そして、発見した!
鼻の穴の周りも赤いのを!!!

こ、こ、これって、とびひ~~~~~~

すっかり忘れていたけど、
まぎれもなく、鼻の穴の周囲が赤くなってるのは
とびひの特徴だよーーーーーサイアク

夏場に流行るけど、冬もあるんです。
原因は、スイミングかなあ。
よくよくシャワー浴びてこないからか?
それとも、やはり、きちんと「手洗い」しないからか?

うちは、外から帰ったら、必ず「うがい」「手洗い」は
することになってるのだが(本人は励行しているつもり)
この間、手洗いしてるのをちらっとみたら、
「手を濡らして」いるだけだった
どおりで、冬なのに「とびひ菌」もらってくるはずだ


夕刊

2006年02月10日 08時34分22秒 | Weblog
今日もいい天気です

ワンも(犬)長距離散歩期待しております。

ですので、あまりこれやっていてはいけないのです。

ところで皆さんは夕刊とってますか?
うちは勿論とってますが、とってない人も多いみたいですね。
つまり、夜遅くまで家には帰ってこないので
翌朝までに夕刊読む暇がないということなんでしょうかね。

ある中学教師のお宅が、夕刊とってなかったので
私はヒジョーにびっくりしたことがあります。
ええ~~~~!そんなのあり
ま、それ以上のコメントは言わずもがなで・・・

うちの場合、職業柄日経新聞も日夕とっております。(経済的負担
で、その日本経済新聞の夕刊なのですが
この家庭欄というか文化面というか
すごく面白い!
ほかですでに取り上げられているものもありますが
結構新ネタありですよ。
また、日経の日曜版も面白いです。
(別に、日経のマワシモノではありません、念のため)

昨日の夕刊では
「中高年が和太鼓にはまる」記事が出ていました。
これから、団塊の世代がわんさと巷にあふれてくるでしょうから
商売の方は、その路線で何が受け入れられるか考えてあたれば
桁違いのものになるでしょうね。
(うちには無縁のことですが)



一絃琴の新しい情報

2006年02月09日 15時06分46秒 | 一絃琴
ときどき、新しい一絃琴の情報がないか、
いろいろなところで検索しているが、高知のひとで
HPにいっぱい写真を乗せている方がいた。
2005、2006と2回演奏会の模様を
音源と共にアップしている。
(音は、PCによっては制御されているかもしれません)

2005「龍馬の生まれたまち記念館」での演奏
(珍しく男性の姿も!さすが土佐の高知!)

http://katuo.obi.ne.jp/hot_3/itigenkin05/itigenkin05-01.html

音はやっぱり、ぼわ~~~ん、という感じですね。
生音、聞いてみたいです。

読者が作品をつくる

2006年02月09日 11時09分37秒 | Weblog
「お二階が みしみしいうて 寒椿」 (京都在住の方の句)
    ↑の、だったかな?

これは、NHKの俳句の番組でとりあげられていた作品です。
入選され、京都のどこかの会場で、選者の先生の評価を
聞く番組でした。
この俳句、どこかで見たなあとぼんやり考えていました。
地元新聞の文化欄だったかもしれません。
(本歌取りなのか?…冗談です)
このままではないけど、二階がみしみし言う、というのが
印象的なのです。ひょっとしたら、短歌だったのかもしれません。
(どなたか、覚えていらっしゃいませんか)

選者の先生が、この「2階がミシミシいう」というところに
やはり目をつけておられました、「いろいろなことを空想される」と。
はっきり言われなかったが、つまり暗に男女のことをさしておられた。
(本歌?の方ではそういう意味)

そして、会場にその作者の方がおられて
インタビューとなった。(せんでもいいのに)
「どういうお気持ちで、この句は作られましたか?」とか何とか…

その答え
「はあ、それは『河合寛次郎記念館』に行ったとき出来ました。
古い建物なので、2階を見学している人がいて床がミシミシいい、
自分は1階にいて目の前には椿が生けられている、そのままを
句にしました。」

…なんか興ざめの雰囲気…

選者の先生
「ああ、そうですか…寛次郎記念館は古いですからねえ~
京都ならではの、『みしみしいうて』というところがいいですね」

作品ができた状況や、作者の意図って
別に聞かなくてもいい、
「いわずもがな」っちゅうこともあるようで。
選者の深読みというか、作品のひとり歩きというか…

お茶サークル

2006年02月08日 21時52分03秒 | Weblog
2月に入って、そろそろ来年度のことを予定する時期になってきた。
わたしがいまもっとも悩んでいるのは「お茶サークル」を続けるかどうかである。

「全くどうでもよいことばかり、よくそんなに次から次へと思い浮かぶね!」
といつも夫に毒づかれている(怒れてくる

ほんとは、もっと真剣にやってみたい。
しかしちゃんとやろうとすると、今みたいな気楽な
値段ではすまないだろう。それは家計が許さない、なにせ
一銭も(一円も)稼いでいないのである。

茶道には「和もの」のありとあらゆるものが含まれているような気がする。
嵌まったらきっと、すごいことになっていくだろう…。
お茶、花、書、お香、歌、陶芸、茶懐石(料理)、建築、正統派の着物etc…

かといって今のに行っていても
新しい発見とか何もないし。
先生すら、お稽古に着物着てこないのだもの。
それってありか!と思ったら、どこの公民館も先生は洋服!

つまりね、そんなスズメの涙みたいな謝礼のお茶に
高い着物着てこられないってことなのね。

どうしようかなあ…

着物用コート

2006年02月08日 15時11分18秒 | きもの
友人のHPで、着物用のコートが出来上がって画像がアップされていた。
とってもあったかそうで、グーだった。

自分も着物用のものがいろいろ作れればと思うが
基本もわからないので、いまいち踏み込めない。。。

ミシンも、下のこが赤ちゃん時代は、
フリースでちゃんちゃんことか作っていたが
もう、いまは最低限のことしか(袋とか)やらなくなった・・・

その洋裁だって、どこかに習いに行ったわけではなく
本のみでパジャマくらいまでなら作れるようになったが
基本がわかってないので、基礎からきちんと習った人は
もっときれいに仕上げられるだろう。

私が夏のホームドレスとか作ったといったら
年長の友人から、「ほんま人間、死ぬまでわからんもんやね!」と
褒めてるんだか、けなしてるんだか
分からないコメントを頂いたものだ。

素人音楽考

2006年02月07日 17時24分42秒 | 一絃琴
今日は10時から一絃琴の稽古の日だった。
11時過ぎに、稽古自体は終わったが、
この前の能楽堂の演奏会に行った話で長引き、
帰宅したら12時だった。


(以下、わたくしのごく個人的妄想です)
いろいろ考えたが、「伝承」とは名ばかりの今の一絃琴の実態である。
「伝承」とは何か?現在、古典芸能で伝承や伝統といわれているものの
大半は「血脈」つまり、血の伝統、幼い時より師匠(親または親族)から
『膨大な時間』を共にして、芸能とともに人間性も学ぶのである。
この『膨大な時間』というのをなくして、
軽軽と「伝承」「伝統」とは言わないのである。
理屈はいらない、果てしない繰り返しの中で、
おのずとエッセンスのようなものが、時の洗礼に耐えて
伝え引き継がれていくのである。

明治後半から、終戦後「文化財の指定」制度ができて
一絃琴奏者を文部省が発掘するまでの間に
隆盛を極めた時代のエッセンスがどこかに
置き忘れられたに違いない。
形にとらわれ、弦楽器の持つ特性も追求せず
なにか「高尚なもの」という大いなる勘違いのもとに
平成も18年の年月が過ぎたのである。

全く、勝手な感想を書いているが、
どこかに、人知れず、この琴の本来の姿を実現するような
そんな奏者がいてくれたら!
そんなことを空想する。

ちなみに、うちの先生のお琴は、
すぐそばで聞いていると、鳥肌が立つような、そんな音だ。
(調子の良いときは、ね)
演奏会では、よく、涙する人を見かける。
(先生はそんなつもりで弾いているわけではないようですが)
お琴がまるで「泣いている」ように感じるときがある。
他の奏者の方のもお聞きしますが、
うちの先生がバツグンにうまいようだ。
また、曲に対する理解も、他の人と比べものにならないくらい
深い。(他の人がひどすぎるとも言える)

でも……先生は、歌はあまり重視されていない。
だから、わたしは、だんだん難しくなってきて
歌も、非常に美しい旋律のものが多くなってきたのに
本当のところが、わからないのである……


受験

2006年02月07日 08時23分55秒 | 子ども
大学入試にしろ、高校入試にしろ
今の時期、受験生をかかえた家は
神経ピリピリでしょうね。(中学入試はもう終わっている?)
もし、「なるようにしかならない」と言える親御さんがいたら
その方は、きっと釈迦の生まれ変わりかなんかでしょう(失礼)

自分があれこれできるわけではないけど
それゆえに、よけいハラハラどきどきしてしまう…
それが、ほんとのところでしょう。

大学入試はとくにお金がかかりますから
自然、家庭の経済状況に縛られた選択になっていかざるを得ないですが…

友人にも、いま受験真っ只中の人がいます。
4月以降、開放?されるのを夢見て
毎日子どもさんのお世話をしてるそうですよ。
受験生の親は、みな同じ思いでしょうね。
泣いても笑ってもあと少し、
「辛抱する木に花が咲く」ってね。
幸運を祈ります。