ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

旅立ち・・!? (3日加筆)

2020年09月02日 | 日記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、電線で”寛ぐ”燕の一家?である。
 幼き子供たちも成鳥し、南に移動するのだろうか・・・?
 幼稚園に入園するまでの幼年期、私・ふくちゃんは「自転車競技(競輪)」に、参加していた。
 走路は学校の運動場であった。
 そう!”バンク”など無い、平坦な走路であった。
 曲がり切れなくて、走路を外れる事など当たり前であった。
 兄は、スピードと回転走路の関係で大きく反れて、作業用に置いてあった「トロッコ」に飛び込む事故を起こした事があった。
 その「トロッコ」の中で、女児が二人”お飯事”をしていた。
 幸いにも異変に気付き、女児・二人は退避した。
 兄も・女児も無傷で、事なきを得た。
 平面走路の危険を教えられる事故であった。
 70年ほど前、父を先導者として、私達・兄弟と仲間たちは遠征した。
 宿泊所で朝を迎え、自転車を組立て競技の準備を整えていた。
 見上げた電線に、多数の”燕”がいた。
 余りにも多い燕に疑問を抱いていると「南に行くんだろう!」と、父の教えであった。
 子育てが終わり、永い道のり(海上)を乗り越え、南に移動する。
 そして、困難を乗り越え、来年・子育ての為に、再び・日本にやって来る。
 ”渡り鳥”の習性を教えられた。
 そう!今日の”燕”を見て、70年程にもなる昔の、とある朝を思い出した。
 その父も、居なくなって久しい。

 蛇足:当時の競輪は、成人・少年・幼年のクラス別があった。
 その日の私は、対戦者が居なかった様で、兄の少年クラスに参戦したが、周回遅れで到着する成績であったと、記憶している。
 優勝の証を持った兄と私が、写真に収まっている。
 此処でも疑問が生じる。
 写真が現存する事である。
 カメラなど無かった時代である。
 地元の新聞記者から、記念に贈呈された!と、教えられ記憶している。
 因みに、娯楽のなかった戦後の時代に、娯楽として”自転車競技(競輪)”は各地で開催されていた。
 その娯楽も”賭け事(賭博)”の対象で有った様だ!(違法行為)
 そして「自転車競技法」が施行され”競輪場”が設置(各県1ヶ所)された。
 娯楽としての”自転車競技”は無くなった。
 ”競輪場”が出來た事によって「警察官・護衛の中で”博打”出来る」とは、幼き頃に聞いた言葉が今も思い出される。
 この法律によって、プロとアマチュア競技が区分された。
 私の出番も無くなった。 良かった・・!
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