HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

ミュージシャンにとって

2005年12月13日 | 音楽・映画・本
ファンという存在はとても大きい。だから、ライブがあるたびに遠くから飛行機や新幹線や夜行バスに乗って見に来てくれるファンはとても大切な人たちだろう。実際に、あるメジャーバンドの方は「ほんとにありがたいことです。」とおっしゃっていた。

メジャーに比べて、インディーズバンドは活動範囲が小さい分、飛行機なんかに乗らずとも関西でいうなら、JRや阪急電車や阪神電車に乗れば行けちゃうわけだ。たまに自転車なんかでも行けちゃう場所もある。ゆえに、お気に入りのバンドがいる人の中にはライブがあるたびにほとんど行く人もいる。もし、私がそのバンドの人なら、そういうファンはありがたい存在だろう。

私にも好きなバンドはいっぱいあるけど、そういうふうにたくさんライブには行けない。むしろ、めったに行けない方だろう。よく考えてみれば、今の私の状況がというより、10代の頃からずっとそうだった気がする。大学生になろうが、大阪本町あたりの企業のOLになろうが、やっぱり、めったに行けなかった。まあ、当時は洋楽ばかり聴いていたので、その好きなバンドが来日をなかなかしないというのと、チケットをとるのがすごく大変だったというのもその一因なんだけど。あの頃に日本のインディーズバンドのライブなんかを見に行っていたら、どんな感じだったんだろう?

つい5年ほど前まで、1バンドの1つのツアー中に何会場も回るという発想がなかった。1つ見れたら、それでとっても幸せな人だった。ゆえに、何会場も回る人たちにすごく驚いた。まず、驚いたのがその出費。チケット代はもちろん、交通費や宿泊費や食費やグッズ代など・・・一体いくら使っているのだろう?アルバイト代やお給料のほとんどはそれに消えるんだろうね。でも、何かに燃えたいという感情はなんとなくわかる気もする。

しか~し、そんなにたくさんライブにいったら、どれが最高のライブだったとか、あるいはどこでやったライブとか忘れてしまうこともあるのではないのかな~って思う。

たとえば、高級なお肉のステーキを毎日食べていくと、そのおいしさやありがたさが薄まるように1つのライブへの思いが分散すると思うのだけど。どうなんだろう?だから、そういう頻繁にライブに行く人に聴きたいな~。このツアー中でどこのライブハウスのどの曲のどの瞬間が最高だったか・・・って。どれも最高なんていったら、その人は単にアイドルみたいにミュージシャンを見にいっているだけだと思うだろう。そう、単にその人に会いにいくことがメインなんだ。音楽はその次だ。セットリストが違うとかどうとか言う人もいるし、毎回曲の雰囲気も違うという人もいる。もちろん、ファンならその違いを知りたいだろう。でも、そればかり考えているとやっぱりどの時が最高だったかわからなくなるのでは?欲をいえばきりがなくて、知らないゆえに小さなことで幸せを感じられる人がいるのに、知りすぎて満足がなかなか得られなくなることもあるのではないのかな?


私はツアーについて回ったことなんてないし、1つのツアーで2回すら見に行ったことがない。だからこそ、いっぱい見て、しかも心底音楽が好きな人がいたなら、どこのどの瞬間が最高だったかを是非とも聴いてみたい。そして、その瞬間に嫉妬する(笑)。でも、自分は一度しか行かなくても、そこでその「最高の瞬間」を感じたいと願う。

それにしても、インディーズのライブがたとえ、メジャーバンドより料金が安いからといっても、頻繁にいくとなるとかなりの出費だ。やっぱりそういうふうにライブハウスに通える人は選ばれた人たちなのかな~。見たかんじ、絶対にハングリーじゃないものねぇ。

ちょっとうらやましかった話を・・・

昨日はエアマスターのツアーのファイナルだった。行きたかったけど、やっぱり無理だった。彼らのHPなんかを見ると「ファイナルだけに最高」って感じでファンとミュージシャンの間でまさに愛ある盛上がり方をしていて、うらやましい限りだ。

でも、たとえ、これから先何年も行けなくても、エアマスターのライブに限らず、今まで行ったすべてのライブは私にとって最高のものなんだ。いつだってライブに行く時は「ファイナル」の気持ちで全身全霊でライブに集中している。そして、毎回最高の瞬間を、ここに(そう胸の奥に)大切に閉まって、何年経とうが、なんども取り出してはそのライブを思い返すわけ。

「また」なんて言葉は私には無い。「今」しか無い。だから、行けたなら、その時を何倍にもして持ち帰る。

ここまで書いて思った。そう、これは単なるマネー及び時間貧乏人のぼやきに他ならないよね(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

耐震強度偽装マンションとちょい悪おやじ

2005年12月13日 | スポーツ/芸術/コラム
最近、いろんな番組で取り上げられる「ちょい悪おやじ」とやら・・・前にもちょっと触れたことがあるけど、私はこの手の雑誌を愛読しているような男性は苦手だ。会社にもいたりするんだよね。もちろん、雑誌の中には読みごたえのあるものもあるだろう。でも、スタイル重視で形から入っていく人にはクエスチョンマークがつく。

まず、中身を磨けよ!と。

今10代、20代の若者に告ぐ。君たちがもし、素敵な40代や50代を迎えたければ、今から自分の内面を磨いていこう。もちろんそれは一日や1ヶ月そこらで磨けるもんではない。お金をかけるものでもない。自分が資本だ。何年もかけて丹念に磨くことでそれが自然と身について、40代や50代になって、あせって「ちょい悪おやじ」なんかにならなくても、君もジョ-・ストラマ-みたいになれるんだ。あるいはボノだったり、スティングだったり、ジョン・ボンジョビだったり・・・

どんなにブランドで着飾って、かっこつけようが、1時間話せば、そのスカスカの中身が見えてしまう。ちょっとつつけば、すぐに崩れる・・・そうまるで耐震強度偽造建造物と同じなんだ。

インスタントに作り上げる「かっこよさ」そんなもの2、3年で終わってしまう。あっという間に粉々さ。もちろん、中にはそれから一生懸命勉強する人もいるだろう。でも、年月のブランクは案外深い。希望がないわけではなくて、「ちょい悪おやじ」スタイルをきっかけとして、自分が打ち込める何かを見つけた人は本物の耐震強度のしっかりした人になっていけるだろう。でも、単にうわべだけ、取り繕っている人はポシャるのも早い。

何ごとにおいても「これが好き」というものをしっかり持っている人は強いし、内面からそれがあふれて魅力的な人となる。年配のアーティストが素敵に見えるのはそういうことだと私は思う。

加えて、20代でも話し方で「この人は素敵な30代、40代になるだろう」と感じる人はいる。言葉使いやきちっとした礼儀作法を自然と身につけ、それでいてスタイルも素敵な人。反対にあきれる人もいるけどね(笑)そういう人は未来につまんないおやじの道が用意されているんだろうな。

とにかく、年令に関係なく、これだという一生大好きなものを見つけよう。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする