HAVE A NICE DAY!

徒然なるままに特に音楽の話を中心にあーだこーだと書き連ねます。

北斗七星☆

2005年10月17日 | インディーズ
この間、夜空がきれいな日に天を仰いで北斗七星を探した。ふと、この前TVでやっていた「白線流し」の最終章の一場面を思い出した。実のところほとんど終わりに近いところで見始めたので、話はまったくわかってなかったけど、見たシーンで印象的だったのが仲間を北斗七星の星にたとえてたところ・・・

そういえば、今度の19日に私の知るインディーズのアーティストさんたちが5組別々のライブハウスでライブをする。あるバンドは東京で、あるバンドは大阪で、そしてあと3組は京都で・・・。すべて行こうと思うなら、忍法分身の術でも使わないといけないよね(笑)

それで、笑うと思うけど、あのドラマみたいに星に名をつけてみた。

ヴェルヴェットメロウ星にフォギーメランコリック星。フランジ星にエアマスター星。ジョニーエース星にヴァニラマン星。そして、茂君星。ほら、ちゃんと北斗七星作れたよ。

皆が音楽界で燦然と輝くように星に願いをかけよう。

ちなみにひしゃくの形をしている北斗七星の柄の部分の3星のカーブをそのまま延長して行くと春の大曲線というのができる。まず延長して最初にあたるのがアークトゥルスというオレンジ色に輝くうしかい座の0等星で、つぎに繋がるのが、そうおとめ座の純白色のきれいな1等星のスピカ・・・

おとめ座って誰だっけ(笑)

とにかく、すてきな事だな~。同じ夜空の下で素敵なメロディを奏でるなんて・・・

それぞれがライブを終わった後にあるいはレコーディング等のお仕事が終わった後に天を見上げて北斗七星を探してほしいな~。この祈りが伝わるように・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ときどき

2005年10月16日 | 音楽・映画・本
変なことに絡むことがある。ゆえに昨夜の荒れは今思うとそれほど傷つくことでもないかと、明るい陽射しの下に立てば思えてしまう。だから、まあ、昨日のはただの酔っぱらいもどきの戯言と受け流してほしい。

言い換えれば、以前は言葉を慎重に選んでいただろう人が、最近は忙しくて疲れてて、ついつい悪気なく思いつくまま書いて、それに私のような別な意味で疲れている人間が弱点の痛いところつかれて、落ち込んでいるだけの話だ。だからその人は悪くはないんだ。

どうでもいいことだよね。人の気持ちなんて移り変わるもの。いちいち対応していると大変なわけだ。だから、放っとけばいいんだ、私みたいなやつは。

ところで、『ヴァン・ヘルシング』という去年流行った吸血鬼の映画を見た。結構おもしろくて、なんか楽しかったな~。吸血鬼ドラキュラ伯爵がなかなか男前だったよ(笑)

そうそう、話はまたまた変わるけど、JET KELLYのメンバーにはスピッツのファンがいたんだね。ゆえにスピッツのファンクラブの会報にJET KELLYのことが載ったとか・・・どんな風に載っていたのかな~。スピッツといえば、かつての彼らのプロデューサーが今スムルースのプロデュースをしているよね。いろいろ繋がっているんだな~。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コヨイ☆アレル

2005年10月16日 | 音楽・映画・本
家でお酒など飲めないし、しかたがないからプリンのやけグイといこうかと思っても、そんなに甘いものもたくさん食べられない。そして、トマトジュースでもグイっといこうかと思えば、冷蔵庫見ると在庫ぎれ。だいたいトマトジュースがいつも家にあるっていうのも一般から見れば、変わっているんだろうな。

いいやん、好きなんやもん(久々の関西弁・笑)

で、やっとひとりっきりになれた。でも、結構心は嵐だ。お酒飲めるならそれこそベロベロになっているだろうさ。

なんでわかんないんだろう?そういうこといわれるともっと傷つくってことを。大人にはいろんな事情っていうもんがあって、でもそれはいえなくて、苦しんで、取り繕って、別の言い訳考えて、相手がなるべく嫌な気持ちにならないように心がけているのに。

そんな言い方ある?

でもまだ私から見れば子どもみたいなもんだ。わからないのも無理ないか。もっと年とってから、あるいはおじいさんになった時にわかるんだろうね。

公の場である掲示板で「ウザイ」という言葉を使うのはよすべきだと思う。どうしたんだろうね。そういう言葉を平気で書く人だったかな?10代の人たちもその言葉にひどくたじろいたし、それ以来名前でなく、あの「ウザイ」って書いてた人っていわれるとこちらまで自分が非難されているようで傷つく。忙しいと人は変わっていくのかな?もちろん、内輪で会話の中で「ウザイ」ということもあるだろうし、パンクな野郎はよく使う。でも、今までそういう言葉をあまり言う感じでなかった人がしかも公の場で使うとかなり驚く。「何かあったの?」と思わざるを得ないのさ。他の言葉の使い方もなんか以前よりきつい。

そう気付いたなら、言ってやれよと誰かはいうかもしれないけど、それこそ公の場ではいえないさ。かといって、他に伝える方法もない。それに嫌われるだろうし・・・ってもう嫌がられているか(笑)

言っておくけど、私は誰も裏切ったことなんてないし、出会った人で心をひとたび通わせたことがある人には誠実な気持ちで接して、いつもその人たちが幸せになることを願ってきたし、これからもそうだ。

でも、たまにまいることがある。なんだよ。そんなもんかよ。って・・・傷つくな~って。

御利用ありがとうございます。またのお越しをお待ちしていますってキャッシュディスペンサーではあるまいし、ものじゃないんだよ。どれほどバカに思ってくれているのかわからないけど、バカでも傷つくんだ。

あ~やけトマトジュース・・・いや無かったから、爽健美茶のやけ飲みさ。

それにしても虚しい夜。有名にこれから先なっても心を落としてきてほしくないな。

そこの君も君も君も。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンテスト

2005年10月15日 | 音楽・映画・本
今の時代いろんなコンテストがいっぱいある。音楽の分野だけでもいろいろあって、明日のビッグなミュージシャンを発掘しようとあまりぱっとしない音楽業界が躍起になっている。でも、案外コンテストは侮れないと思う。メジャーで活躍しているバンドやミュージシャンの多くは結構インディーズ時代に何かのコンテストでグランプリを取っているからだ。星の数ほどいるバンドやアーティストの中でやはり群を抜くにはそういうところで力をつけていかないとだめなんだろうね。

でも、一度だけ参加してだめだったからってあきらめるのはまだ早いと思う。どんどんいろんな企画やらコンテストに意欲的に参加してそこで自分たちが何が欠けているのか、あるいはどこを伸ばせばいいのかを知ることが大事だと素人ながら私は思う。

例を出して申し訳ないけど、今は解散してしまったけど、某インディーズバンドが京都でのあるコンテストに出場した。その時、残念ながら賞を逃してしまった。でも、大きな舞台に立って演奏し、唄う姿は今でも輝いて心に残っている。その時、音楽関係者からの質問コーナーがあって、そこでそこのボーカリストさんは持ち曲の少なさを指摘された。あるいはいろいろなコメントを受けた。結構その時は落ち込んでしまったようだけど、それがおもいっきり強いバネとなって彼に刺激をあたえた。というのもそれからの彼の曲作りの姿勢はすごいものだったから。よい曲がどんどん生まれてきて、しかもワンパターンではなく、いろんな面をもつ色とりどりのそれでいて彼らしい曲が発表された。また、そこのキーボードさんも今までと違った演奏スタイルになって、すごくかっこよくなった。

そのバンドが解散した理由はわからないけど、そのコンテストで2つに分かれたのではないかと私は思う。よりそれを肥やしとしてハングリー精神を高めたメンバーとあまり変われなかったメンバーとの距離。そこからどんどん溝ができ、目に見えない大きな川を間に作ってしまったのではないだろうかと今ふりかえって思うわけだ。

解散後も風のたよりでキーボードさんはまた別にバンドでがんばっているようだし、ボーカルさんは自分のペースでライブ活動を続けて、新曲も作られている。

以前ここでも書いたCMAの音楽アワード8thの上位6組が決まったようだ。選ばれたバンドの曲を試聴したけど、そうインパクトは強くないし、中には絶対に私は聴かないだろうなというのもあった。その中でグランプリが選ばれるのだけど、私がその中で票を入れるとしたら「prof.Moriarty&Smiley-Todd」と長~い名前のバンドかな。出身を見ると私の育った場所の出身ではありませぬか(笑)地元出身ということでその分もより応援したくなったり(笑)

ここに残らなかったバンドでもすごいダイヤモンドの原石みたいなバンドもいたと思うから、次回に悔しさを繋げてほしいな。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SET ME FREE

2005年10月15日 | 音楽・映画・本
タイトル変えました(10/15付)

SHUUBIの曲に「ママ」という曲があります。私の持つミニアルバムに入っているんだけど、ファン投票とかではそうたくさん票を集める曲ではないみたいですね。でも、最近、私の知るインディーズバンドのボーカルさんがソロあるいはユニットでこの曲をカバーされたそうです。

それがとても不思議・・・この曲のどういうところに惹かれたのでしょう?

もちろん、私は好きなんです。この曲・・・これはおそらく、SHUUBIさんとお母さんの関係が色濃くでている曲ですよねってタイトルズバリなわけで(笑)、これは微妙な母と娘の関係を唄っていると思います。

もし、父親が不在なのであれば、きっとお母さんは厳しく子どもを育てるでしょう。それは力強く生きて行く子になるように。子どももそんなお母さんの気持ちやら苦労やらも感じ取るわけで、本当はおもいっきり甘えたくても甘えられない、その寂しさ。一方で母は、本当はもっと抱きしめて甘えさせてあげたいけど、それをしてはいけないと自分の気持ちに蓋をして、厳しく接するわけで、そのせつないすれ違いを歌ったのかな~ってふと思いました。私自身も幼い時、いっとき父の病気のために父不在ですごく寂しい日を過ごしたことがあり、親戚のところに預けられたりもして母とも離されていたことがあります。また、母はこの前も書いたように厳しい人だったので、なんかこの詩が心にこだまするんです。

「嫌いだけど大好き」という複雑な心理・・・それが母と娘の関係なのかな?

もし、あなたが男性なら、そうそう『チャ-リ-とチョコレート工場』でのウイリー・ウオンカ(ジョニー・デップ)と父の関係を思えばいいと思います。もちろん、見てない人はわからないけど、昔の映画なら『エデンの東』とか最近では『ビッグ・フィッシュ』とか・・・そのあたりを想像してそれの母と娘版と思えばいいです。

ちょっと深読みした解釈すれば、幼児虐待のことをテーマにしているのかな~って思ってしまうこともあります。というのはどこかスザンヌ・ベガの曲『ルカ』と重なるところがあるからでしょうか・・・まあ、そこまでは思って書いてないと思うのですが・・・どうでしょう。

話は戻しますが、なぜにそのボーカルさんはこの『ママ』をカバーしたんでしょうね。彼もお母さんに満たされないせつない思いを抱いていたのかな・・・

またこれも深読みですね。ごめんなさい・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カエラとシュウビ

2005年10月14日 | 音楽・映画・本
この二人に共通するものは・・・そうサマーソニック05の大阪1日目に登場した女性アーティストということ。残念ながら、私はいろいろ見るアーティストが多すぎて、海外のバンド優先にしたために二人とも見れなかった。また、チャンスはあるかと・・・(笑)

木村カエラは久々の私の中でのヒットな女性ロックアーティストだ。すごくかわいいのにぶっきらぼうな低めの声で話し、淡々としているそんなところが好きだ。それにほんとにロックが好きなのがわかる。唄い方もギターの弾く雰囲気もいい。さらにすごくフォトジェニック。絵になる人だから、きっとカメラマンなら皆撮りたくなるだろう。服装の感じや仕草がどことなくツイギーっぽいな~って思っていたら、やっぱり彼女はツイギーの大ファンだった。そうそう以前、スカパーかWOWOWで見た『ボーイフレンド』というツイギー主演の映画はすごくスタイリッシュでコケティッシュでかなり私の心にシュートした。ストーリ-は別にどうってことないけど、そのセットやらファッションやらがすべて私の大好きな世界・・・作りものってわかるけどアートなんだよね。最近の映画でいうとユアン・マクレガー主演の映画「恋は邪魔者」のセットみたいな感じかな・・・録画しなかったことをすごく後悔している。だって、まだDVDは出て無いから。

そんなツイギーみたいなスタイルをときどきカエラちゃんはする。

私の好きな女性カメラマンのサラ・ム-ンならきっとカエラちゃんをモデルに撮りたいだろうな。サラの描く絵のような写真の世界にカエラちゃんはほんとぴったりはまると思う。反対に、カエラちゃんがサラを知ったなら、絶対に好きになると思う。

一方、SHUUBIの方はピアノを奏でながら、しっとり唄うアーティスト。彼女はどこか以前ここにも書いたスザンヌ・ベガを彷佛させる。それゆえ私が惹かれるのも無理はない。

木村カエラとSHUUBIはまるで太陽と月のように対照的な気がするのは気のせい?

木村カエラはお父さんがイギリス人みたいだけど、かなりお父さんの影響があるような気がするし、一方でSHUUBIの方はお母さんの影響というか影を感じる。実はこの2人についての詳しいことはあまり知らない。歌から入ったからなんだけど、CDもまだそう持っているわけでもなく、木村カエラはもっぱらスカパーのビデオクリップでよく見て、SHUUBIにおいては去年出たインディーズの5曲入りのミニアルバムだけを持っている。もちろん最初にSHUUBIを知ったのはやはりスカパーの音楽チャンネルでだった。そのSHUUBIのミニアルバムの最後のクレジットの中にいろんな人の名前に混じって、お母さんとおばあちゃんの名だけ書かれていた。それを見て、お父さんは不在なのかな?と思った。もちろん詳しいプロフィールは知らないので、はっきりいえないけど。

偶然にも今年どちらも映画に出演した。木村カエラの方は奥田民生との映画『カスタムメイド』にSHUUBIは『ジーナ・K』という映画に出たわけだ。内容的にも見たわけではないので断定はできないけど、対照的な感じがする。

とりあえず、今私の中での旬な女性アーティストがこの二人だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今を感じる

2005年10月14日 | 音楽・映画・本
今日は会社の帰り、ちょっと四条烏丸あたりに用事があって、バスを途中下車した。その用事が終わってから、ふと歩きたくなった。というのも最近四条そして河原町あたりは目まぐるしく変わってきているから。高級ブランド店ができたり、ナイキやラコステなんかのスポーツ系ブランドのお店もできて、賑わってきている。でも、そのお店ができる前は何があったんだろう?まったく思い出せない。そんなもんだ。消えたものは忘れ去られる。

そうそうJUEGIA四条店も移転した。なんか妙なところに移動したものだ。まだ、オープンはしてないけど、ここまで来たら、タワーレコードに行ってしまいそうだ。そうそう、河原町通りにあったソニープラザもFUJIIDAIMARUに移転するみたいだ。ここの7階まで上がらないといけないと思うと今までみたいにふらっと入ることはなくなるだろうな・・・

丸善書店も閉店し、一体あの後には何ができるのかな?消えるところあれば、新しくできるところあり・・・そうして時は流れていくんだね。

それで、昨日書いた六星占術の本をジュンク堂書店に見に行った。それでやっぱり私は火星人だとわかった。でも、パラパラ見てたら、買う気は失せてきた。というのも、なんかめんどうくさくなってきたから。今月はいい月だからこうしよう。来月はあまりよくないからおとなしくしよう。とかなんかあえて、そう思う必要はあるのかなって・・・そういうことを言われなきゃわからないというのもね。

考えてみて。人は誰でも「今日はついてないな~」とか「なんか最近調子がいいぜ!」とか感じれるはず。その感じたままを受け入れて、「なんかうまくいかないから、ちょっと控えめにしておこう」「今仕事変えるとなんかだめな気がするから、もう少しここでがんばろう」とか自分で上手に調整していない?

自分の今を感じれること・・・これを大切にしていけば、占いなんていらないかもしれないね。感じてどう進むべきかを判断できる能力。感性を研ぎすませばきっと、いろんな困難も乗り越えられるはずだと思うのだけど。もちろん、占いも決して否定はしないし、信じても構わないと思うし、私だって、またいつ買うかもしれない。でも、それは疲れてしまって、感性も澱んでしまった時だろうね。

できれば、いつも凛とした透明さをもって、いろいろ感じる心を保持しつづけたいな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心の基礎工事

2005年10月13日 | 音楽・映画・本
テレビをなんとなく見ていたら、細木数子さんが出ていた。六星占術で有名な方だ。実は自分からこの占いの本を見たことはあまりない。あまり・・・というのは私の母が細木さんの本を昔から好きで読んでいて、ずいぶん昔ではあるけど、読ませられたことがあった。ゆえに何星人か知っていたはずなんだけど、ちょっとうる覚えになってきている。確か火星人だったような・・・水に縁があるという、そして奇人変人な(笑)火星人。たぶんそれだったと思う。ゆえに私がどこかへふらりと行ってしまわないように、いつも母の厳しい監視があった。まともに平凡に生きるように・・・まあ、そのお陰かおもいっきり平凡に生きている。とりあえずは・・・建て前は・・・でも、心の中ではときどきそんな暮しが息苦しく思えることもある。

前にも書いたけど、私はバンドがやりたかった。16歳の時にギターを初めて触って、これだと思った。本当はエレキギターが欲しかったけど、なけなしのおこずかいで買えたのは通販で売ってた安いクラシックギターだった。私の親友の家は京都の下鴨で下宿屋さんをしていて、そこにはいろんな大学の学生が下宿していた。その中に京都大学の学生さんでギターがすごく上手い人がいた。ゆえに遊びに行った時にはそのお兄さんにギターを弾いてもらった。彼の弾くレッド・ツェッペリンの「天国への階段」が大好きだった。自分もこんな風に弾けたら・・・と思ったものだ。

エリック・クラプトンが16歳からギターを始めたというのもいつも頭にあって、私もがんばれると(才能は差し引いて・・・笑)思ったものだ。でも、両親ともロックにはあまりいい顔をしなかった。通学に時間もかかり、勉強量というか宿題や予習を余儀なくさせられる進学校だったため、家でも勉強しなければならず、塾こそ行ってなかったけど、ギターを練習したくてもできなかった。というのもエレキギターのように音量を調整できないので、夜ギターを弾くことはできなかったし、私がギターを弾くのにいい顔はされなかった。一方でピアノは習わさせられていた。クラシックピアノだ。楽譜は読めるようになったけど、なんか退屈だった。それで耳コピーで洋楽のいくつかの曲を弾いてみたりしてた。別にピアノ自体は嫌いではなく、弾くのは好きだった。

でも、親の気まぐれで、家をたてるからと突然高校3年の受験の年に引っ越し、それでピアノのレッスンもなくなった。また余計に通学時間がかかって、まったく余裕がなくなってしまった。そして、大学に無事入ったものの、なぜかなかなかロックをやっている人が見つからない。今みたいにネットも普及してないし、ライブハウスもそんなになかったし、敷き居も高かった。最近、インディーズバンドを見に行っている京都VOXHALLだって、当時はメジャーでTVにバリバリ出ているようなアーティストが出ていたし、大人の世界のイメージだった。ちょっと18歳ぐらいでは入れないような・・・

でも、結局言い訳なんだ。自分がもっと勇気をもってその世界に入ればよかったんだ。それを見事に思いとどまらせた母。今でも言われる「あなたが普通の道を歩むようにどんなにいつも心を配って、はらはらしていたか」

そう、母が望んでいたのは水ものの仕事をしないように、堅い仕事につくようにすること。堅い職業の人と結婚して、平凡な家庭を築くというもの。

果たして、私は母の理想どおりに生きてきているのか?

なんて、細木先生の話を聞いていていろいろ思った。今、水が豊かにある場所の近くに住んでいる。これは幸せなことなんだろうね、きっと。そして、音楽に包まれている生活・・・たとえ自分が弾けなくても・・・これも幸せなんだろう。

今日の細木先生の言葉で印象的だったのが「心の基礎工事」という言葉。
お金はないけど、心だけはいつも磨いていたいな~ってふと思った。

明日本屋さんに行ってみよう(笑)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな日には

2005年10月12日 | 音楽・映画・本
こんな日には君の曲に寄りかかっていたい・・・
社会の理不尽さに心が砕けそうになった時
まっすぐさを歪めないといけない時

こんな日には君の歌に包まれていたい・・・
自分の不甲斐なさに苛立ちを覚える時
笑顔を壊されてしまいそうな時

くいしばって、くいしばって、くいしばって
こぼれ落ちそうな雫を奥にしまわないと
守るべき人たちに悟られてしまわないように

くいしばって、くいしばって、くいしばって
なんとか空を見上げるだけの力をふりしぼって
自分に負けてしまわないように

でも、本当は子どものように
優しくなでてほしいんだ
ばかみたいな大人と思われてもいい
どこにも捨てる場所のないくやしさを
やわらげてくれる気がするから

笑ってしまうよね
こんなことは馬鹿げている
大人なんだから、しっかりしろよと
言われるんだろうな

でも、溢れそうになるんだ
かつて海から命がうまれたんだと
わかる名残りが・・・

目の前の風景が雨降りの時の窓ガラスのように
どんどん水滴でかすんでも
耳はしっかりと君の曲をとらえて
私の心を再生させようとする

こんな日には君の曲にすべてを委ねたい・・・


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジレンマ

2005年10月11日 | 音楽・映画・本
私は音楽と本が好きです。でも、これを両立するのはすごく難しいのです。通勤の電車やバスで毎日どちらにするか悩みます。ただ、結構疲れているので本を読んでいるうちに寝てしまうのでやっぱり音楽を聴く事が多いかな~。

音楽と同様に私はあまりジャンルにこだわらず、本能のままいろんな本を読みます。最近は実はあまり本は読んでいないのですが、今日の会社帰り、ちょっと本屋さんに立ち寄り、いろいろ見ていました。そして今日は日本の歴史関係の本を見ていました。というのも、今あることがすごく気になってしかたがないからです。

そう、小泉さんが民営化しようとしている「郵便」のこと(笑)・・・なあんて、本当は昔、文(ふみ)はどのように人から人へと届けられたか?それがものすご~く知りたくなったんです。もちろん、飛脚や忍者やいろんなその手の人が介在しているんでしょうが、いったい誰がいつそれを初めて実行したのか!それがすごく知りたい!

どなたかご存知の方いませんか?

そしてそれはどんな手紙だったのでしょう。愛の手紙だったらいいな~と思うわけですが、反対に暗殺の指示の手紙だったのかもしれませんね。あなたなら、どちらに賭ける?(笑)

今の時代、メールや電話で済む事が多いから、あまり便せんに書いて送ることは少なくなりましたね。もちろん、メールでも心のこもった言葉で綴られていたら、それはうれしくて、心が温かくなります。でも、実際にその人の字が綴られている手紙はもっと大事に思えます。

私の家にはほんとにばかみたいにいっぱい便せんがあります。物持ちがいいというのか、昔子どもの頃に友達と文通してたので、その時に使った便せんの残り1枚とかも御丁寧に残していたりするんです。たまに書き損じのまま便せんに字が綴られたまま残っていることもあって、こんなこと書いてたんだと笑えることもあります。また、子どもの頃は絵も必ず、挿し絵のように手紙に描いていました。

そんな私なのに、最近では手紙を書こうという余裕がありません。字もなんか乱雑で・・・。よく、ライブ後なんかにアンケート書きますけど、ほんと雑な書き方で恥ずかしいです。なんかあわてふためいた字で・・・

字はやっぱり気持ちを込めて書かないとだめですね。うまいへたより心です。子どもが一生懸命字を書く姿って愛おしくありませんか?もちろん大人だって、そうです。

ちなみに私は筆記用具の中ではやっぱり一番鉛筆が好きです。ぬくもりがあるし、太さや濃淡も自分で変えられるし、そして絵もいろんなタッチで描けるからです。

あ~気が付けば、また話があちこちに飛んでますね。

それで、昔誰が最初に手紙を書いて、それを誰が運んだか?そんな事を書いている本ないでしょうか?

とりあえず、今日の書店では見つけられませんでした。残念・・・



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする