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最優先すべきことはなんなのか

2005-05-01 09:10:22 | 株式投資・資産運用
 連日、JR西日本の事故関連の報道が続きます。

 私たちはテレビ、新聞、インターネットなどの情報から判断するしかないわけですが、事故の本質は利益追求を優先する企業としての基本体質にあるように感じられます。

 「会社は、利益追求のための過密ダイヤを守るため、乗務員にプレッシャーをかけ続けてきた。安全のためには乗務員にゆとりを持たせるべきだ。高見運転士も会社の営利主義の犠牲者と思う。会社は信頼を取り戻すためにも、体質から変えなければならない。」
 これは現役の運転士のコメント。

 競争に勝たなければいけない、利益をあげなければいけない。そのことによっておろそかにされてきたことが「安全」であるならば、これはやはり、株があがったとか下がったとかそんなこと以前に、企業は糾弾されてしかるべきでしょう。

 JR西の当初の「置き石」コメント、また、運転手個人に責任を負わせようとするかのようなコメント、これらはいずれも企業としての体質を体現しているものととられてもしょうがありません。

 このことにより、数字に直接は表れない「信用の失墜」ということも含めて、企業にはいったいどれだけの損失が出るのでしょうか。マンションだって当然、全部買い取りでしょうし。

 まあ、こうした問題はJR西に限ったことではなくて、三菱自動車でも、原発事故の関西電力でも、雪印でも、ミドリ十字でも本質は同じでしょう。航空機業界でも同じような問題はないのかどうか?。あるのでしょうね。

 経済的利益の追求と「安全」は二律背反なのか?。そうではない、コストはかかろうと踏み込んではいけない領域はあるはずです。最優先すべきことはなんなのか、やはりあらためて考えなくてはいけないと思います。

 株式投資ということとの関連で言うならば、私自身は電力、鉄道、ガスといった公益性の高い企業への投資はあまり「好き」ではありません。持っているのは地元の京阪電鉄1000株ぐらいです。

 というのは、こうした企業は、経済的合理性のみで考えにくい部分があり、それ故、株価も企業業績をダイレクトに反映したものとなりにくく、経済的な価値の判断が難しいという印象があるからです。それは、つまりは、単に儲けるためというのと違うところに企業の存在価値や意味を見いだしているということにもなります。

 今回の事故はこうした企業としてのありかたの本質をあらためて問い直し、自分自身考えてみる契機となりました。

 私自身、直接の事故の当事者ではないため、こんなことも書いていられるのですが、もし当事者であったら、賠償とかそんなことよりも、企業としての姿勢を生涯を通じて追求し問い続ける行動をするのではないかと思います。

 なくなられた方のご冥福をお祈りいたします。 
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