「株屋ってのは何となく信用されていない。株をやっていると言ったら、田舎じゃ何となく怪しげよ」と首相が発言したとか。
うーん、この人、首相の器なのかどうかはまあおいとくとして、思ったことをかなりそのまま素直に言っていまうんですな。
まあ、こういう面は確かにあるんでね、いまだに。
以前だったら、総会屋とのつながりとか、あるいは損失補填云々とか。
私は経験はないけど、はめこみ営業だとか投信の回転売買だとかね。こういう、なんか「ずるこい」面というのは挙げればいくらでも出てくるわけでして。で、こういうのは一部の特殊な事例とは言いかねるところがあるんではないか。
例えば、かつてのEB債というようなのはあまり見ないですが、未だにオプションの売りを原資とした仕組み債なんか売ってるでしょう。利益は限定され損失は相当に拡大する可能性がある商品。こういうものの詳しい仕組みなり、これを売ることによる証券会社の利益というようなことは、ウェブサイトでの簡単な商品説明の中には出てきませんわ。目論見書みたいなのには書いてあるのかなぁ?。
当然、違法ではないんだろうけど、どうもなんか「ずるこい」感じがしますね、こういう商品は。
「株をやっていると言ったら、田舎じゃ何となく怪しげよ」っというところも未だにこれはあります。私が住んでいるのはそんなに田舎ではないけど、株式投資をしていると言うと「大損するで」「大丈夫か」というような反応が未だにありますから。年金だった生保だった銀行だった株式を投資目的で保有しているわけでね、株式投資そのものが「怪しげ」なわけはないんですよ。そりゃ、仕手株だ、信用の2階建てだとか、「バクチ」的な勝負もしようと思えばできますけど。
自分自身の場合で言えば、全体としては確定した利益の範囲内でしか株式に再投資していないわけで、レバレッジを効かせた運用もしていませんから、これは、なにがどうなろうと、まあ全体としては「大損する」可能性は極めて低くなっています。時価評価だと去年は年間で1000万以上ぶっとんでますけど。
株式投資が「何となく怪しげよ」と思われるには原因があるわけです。そこを考えないと。
だから、民主の鳩山君のコメント「投資家や証券会社は資本主義になくてはならない存在。『株屋』とさげすむ発想は断じて許されない」は、とりあえず批判しとかないという感じでピントがずれているように感じます。
うーん、この人、首相の器なのかどうかはまあおいとくとして、思ったことをかなりそのまま素直に言っていまうんですな。
まあ、こういう面は確かにあるんでね、いまだに。
以前だったら、総会屋とのつながりとか、あるいは損失補填云々とか。
私は経験はないけど、はめこみ営業だとか投信の回転売買だとかね。こういう、なんか「ずるこい」面というのは挙げればいくらでも出てくるわけでして。で、こういうのは一部の特殊な事例とは言いかねるところがあるんではないか。
例えば、かつてのEB債というようなのはあまり見ないですが、未だにオプションの売りを原資とした仕組み債なんか売ってるでしょう。利益は限定され損失は相当に拡大する可能性がある商品。こういうものの詳しい仕組みなり、これを売ることによる証券会社の利益というようなことは、ウェブサイトでの簡単な商品説明の中には出てきませんわ。目論見書みたいなのには書いてあるのかなぁ?。
当然、違法ではないんだろうけど、どうもなんか「ずるこい」感じがしますね、こういう商品は。
「株をやっていると言ったら、田舎じゃ何となく怪しげよ」っというところも未だにこれはあります。私が住んでいるのはそんなに田舎ではないけど、株式投資をしていると言うと「大損するで」「大丈夫か」というような反応が未だにありますから。年金だった生保だった銀行だった株式を投資目的で保有しているわけでね、株式投資そのものが「怪しげ」なわけはないんですよ。そりゃ、仕手株だ、信用の2階建てだとか、「バクチ」的な勝負もしようと思えばできますけど。
自分自身の場合で言えば、全体としては確定した利益の範囲内でしか株式に再投資していないわけで、レバレッジを効かせた運用もしていませんから、これは、なにがどうなろうと、まあ全体としては「大損する」可能性は極めて低くなっています。時価評価だと去年は年間で1000万以上ぶっとんでますけど。
株式投資が「何となく怪しげよ」と思われるには原因があるわけです。そこを考えないと。
だから、民主の鳩山君のコメント「投資家や証券会社は資本主義になくてはならない存在。『株屋』とさげすむ発想は断じて許されない」は、とりあえず批判しとかないという感じでピントがずれているように感じます。