寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

サクラが咲きました(20160320)

2016年03月20日 18時11分18秒 | 日記・エッセイ・コラム

 このところ薄寒い日が続いていましたが昨日から

暖かくなりましたね。本日今年初めて桜が咲いてい

るのを見つけました。わが町に菜の花で有名な低い

山があります。山頂にはちょっとした公園があり、

四季折々にいろいろな花が咲き天気の良い日には富

士山がくっきりと見え、相模湾が一望できます。

 左手には三浦半島とその先に房総半島、右手には

伊豆半島の端まで見えます。中央には大島をはじめ

年増など伊豆諸島のいくつかの島々が見渡せます。

     

 この山のふもとに役場があります。役場の前に5

年ほど前に植えた若桜の木に今年は初めて花が咲き

ました。老木の方はまだ少し必須を要するようです

が、つぼみはかなり大きくなってきました。もうす

ぐいたるところの桜が咲き始める時期になりました。

 たのしみですね。


記憶に残っている映画(19)「誰のために鐘は鳴る」

2016年03月18日 10時37分00秒 | 寓居人の思い

 アーネスト・ヘミングウェイの小説はたくさん映画

になりましたね。

”For Whom the Bell Tolls"(表題の作品;1940)、

”The Sun Also Rises"(陽はまた昇る;1957,1984)

”A Farewell to Arms"(武器よさらば;1957)

”The Old Man and the Sea"(老人と海;1952)

”The Snows of Killmannjaro"(キリマンジャロの雪;1952)

これらの作品については後程感想を書く機会を作りま

す。表題作はゲイリー・クーパーが出ているので初め

西部劇かと思っていましたがスペインが舞台でした。

 現在各地で起きているテロ事件は、この映画で見る

ような崇高な目的を持ったものとは異なるように思い

ます。ヘミングウェイの小説でも、人の生命の大切さ

そして恋人を助けるために自己犠牲の精神を貫くとい

うところがこの映画の評判を高めたのかもしれません。

この作品は私が誕生した翌年にスペインで起きた内乱

をテーマにしています。スペインではかっていろいろ

な民族が自分たちの地位確立のために立ち上がり内乱

状態になりましたが現在は落ち着いた感じになってい

ると思います。

 スペインへ行った時の思い出があります。マドリッ

ドの大学へ見学に行っていろいろ話し込んで帰りの時

刻が遅くなってしまい、夕食をテベレる店がなくなっ

てしまいました。ホテルへの道で一軒の飲み屋風のオ

ープンな店を見つけて、何か食事ができないかと頼ん

だところ、ここは飲み屋なので大したものはできない

がそれでもよいかというのでそれで結構といって夕食

を作ってもらったことがあります。店の壁には足1本

分のハムが何本もぶら下がっており美味しそうだなあ

と見ていると削りかけのがあるから食べてみるかいと

いうのでお願いした。ワインと一緒に出てきたものは、

削りたてのハムと少し辛口のワインだった。空腹だっ

たのでどちらも美味しく満足した。作ってくれた夕食

は一見家庭料理風のものだった。名前を聞いたけれど

も今は忘れてしまった。味はスパイスが効いていて野

菜もたくさん入っており、申し分なかった。

 店主にお礼を言って代金を聞くと1000円相当だっ

た。ホテルへの道を聞くと安全な道を教えてくれた。

 当時マドリッドは何かの選挙をやっていて”VOTE”

と書いた写真付きのポスターがたくさん貼ってあっ

た。闘牛は好きになれなかったが食べものはどれも

おいしかった。それからサングリアも気に入った。

マラガ、グラナダ、ハエン経由のバス旅でマドリッド

へ戻りそして寝台車でパリへ向かった。

映画の印象とは別にスペインはまた行きたい国の一

つだ。 


ご都合主義

2016年03月18日 09時40分20秒 | 日記・エッセイ・コラム

 3年連続で企業の賃上げが実施されると報道されて

いますね。しかし報道されるのは大企業の話で、中小

企業はどうなのでしょうか。

 そしてこの賃上げで一般家庭の消費は伸びているの

でしょうか。消費税が8%に上がってから消費は急激

に減速したということですから、家計が苦しくなった

と同時に国の財政ももう限界にきているような気がし

ます。最近の物価の上昇はかなり激しいと感じていま

す。物品ごとの単価は変わらないものでも、内容量は

計測したわけではありませんが、20%ほどは少なく

なっていると感じます。最近の野菜の高騰はその例に

なりますね。卑近な例を示しますと、野菜は時期によ

っても価格は変動しますが直径6㎝程のトマトが1個

150円前後しています。白菜は四分の一カットのも

のが180円、トマトと同じ大きさのジャガイモは1個

60~70円、牛乳も約10%の値上げになりました。これ

らの価格に8%の消費税が加算されます。我々庶民の感

覚では消費税5%の時の2倍ほどにもなったように感じ

てしまいます。2017年4月からさらに消費税を10%に

すると政府は絶対多数の衆議院で決めました。その影響

が経済減速という形で出現してきました。

 阿部内閣は今年の参議院選挙の際に衆議院も同時に選

挙すると発言しています。その一方で明らかに選挙対策

と思われる消費税10%に増税する時期を1,2年先に延

ばすことを検討始めたと発表しました。国民の生活状態

を考えないで政策を決めていく、そして芳しくない方向

に経済が進むと慌てて目先の小さな修正で人心を引き留

めようとする。国民はそんなに何回も何回も騙されるこ

とはないですよ。

 今の日本人の何となく将来への希望を諦めたような傾

向を改善しなければこの国はやがて倒産することになる

でしょう。政府には国民に贅沢でなくてもよいですから

安定した生活を保障する義務があります。選挙でしか自

分の意見を表現できない我々の限界を超えないでほしい。

別の方法を考えさせないでほしいと思います。

 


記憶に残っている映画(18)「生きる」

2016年03月17日 09時29分50秒 | 寓居人の思い出話

 私がこの映画を見たのは、映画が公開されてから数

年が過ぎたある日、いわゆる3番館で上映されていた時

でした。はじめこの映画の主題は何なのか全く見当もつ

かない状態でした。それで同じ映画館で2回目を見て初

めてこういうことなのかもしれないと思いました。

 役所でマンネリ化した仕事をし、住民からの要望を責

任を取ることを避けてたらいまわしにするている。そん

な中で一人の課長が体調を崩し、医師の診察を受けまし

た。診断は胃潰瘍でしたが、課長はガンであると確信し

絶望から荒れた生活に走る。そのとき玩具工場の従業員

に、あなたも何か作ったらどうですかと言われた。

 課長は住民から強い要望のあった児童公園を作る決心

をした。様々な妨害を乗り越えて公演は完成した。課長

は雪の降る中その公園のブランコに乗って死んでいた。

役所は課長が死んでから元に戻ってしまい例のようにた

らい回しと無気力な仕事ぶりに戻ってしまった。

 しかし、住民の喜びは一入で、子供たちは楽しそうに

遊んでいる。

 この映画はいくつもの賞を獲得しています。昭和27年

「キネマ旬報」ベスト・テン第1位。昭和27年度芸術

祭賞受賞。

しかし、内容があまりにも日常的過ぎたということもあ

りましょうが、役所の仕事ぶりを批判した点は評価され

ました。

私はこの映画で、人間の絶望とそこから這い上がるきっ

かけはほんの小さな一言で足りるということを知りまし

た。私もインフルエンザをこじらせて大学で1年遅れる

ことになってしまったのを悩んでいた時、ある教授に、

長い人生を生きていくうちには、1年くらいつまずいても

それは誤差のうちだよ。その経験を今後に生かしなさいと

言われた。その一言で私は吹っ切れたことがありました。

監督:黒沢明

主演:志村喬

1952年10月封切。

 

 

 


新品種ミカン『春峰』

2016年03月15日 16時52分08秒 | 寓居人の思い出話

 我が家ではもう大分前から愛媛県のミカン農家

くらもとファームから各種の柑橘類をネットで購

入してきました。ちょうど温州ミカンの収穫販売

が終了するころから出荷が始まる種類でミカン好

きの我が家の家族はこの時期を待ち焦がれている。

   今の時期は新品種の「春峰」が美味しい。このミ

カンを今年初めて購入したがなんとも上品な甘みと

食後の爽やかさが何ともいえません。大きさはグレ

ープフルーツと同じくらいです。皮は簡単に剥ける

のが助かりますね。今年はこの品種は完売だそうで

すが、土佐文旦が食べごろになります。文旦は宮崎

県で見たのは直径25~30ほどもあり、食べるの

に少し躊躇するのですが、土佐文旦の系統のものは

直径15㎝程で手ごろなサイズです。文旦は種子が

多いのは少し閉口しますが、すっきりした味は絶品

ともいえるでしょう。皮が厚いので細切りにして

ママレードを作るとおいしいです。

 そして4月に入ると晩柑です。これを初めて食べ

た印象は爽やかな味のグレープフルーツだと思いま

した。しかし味は爽やかな今風の甘さでおいしいと

思いました。種子はなく、これもママレードを作る

とおいしいです。

 私は果実は何でも好きですが、特に柑橘類には目

がありません。くらもとファームを知ることでおい

しい柑橘類を食べることができるようになってよか

ったです。

 

 


近くのスーパーに行ってきました

2016年03月13日 22時29分47秒 | 日記・エッセイ・コラム

 近くのスーパーへいってきました。魚屋の店頭に

懐かしい魚が出ていました。体長方向に黄色い線が

入りなんともいえないほどの様子の良い魚は私の方

を見ていました。体長は口先から尾ひれの先までで

約70㎝程です。鮎で言えば若鮎といったところで

しょうか。この魚はぶりの若者です。そうイナダで

す。私は早速半身を600円で買いましたそれでも

3人で食べるには大きいので腹身を刺身にしました。

背中側は明日単に焼くかバター焼きにするかして食

べる予定です。これからイナダの季節になります。

とにかくおいしい魚です。楽しみです。

 


木々のこっずえの隙間が狭くなってきました

2016年03月13日 22時07分18秒 | 日記・エッセイ・コラム

   

 春とはいえ寒い日が続いていますね。でも明日か

明後日頃から暖かくなると天気予報で言っています。

 左から1枚目の写真はいつもの場所から移した林

を写したものです。梢の條々の隙間がずいぶん狭く

なってきましたね。背景が見えなくなるのも間もな

くでしょう。

 2枚目は花芽と小さな葉が出てきたハンノキです。

この辺では一番早く葉が出てきます。

 3枚目は桜の木です。花芽がだいぶん膨らんでき

ましたもうすぐ花が咲くでしょう。ここの公園には

数十本の桜の木があります。満開時にはトンネルが

できるほど枝がしだれてきます。

 人は寒いの熱いのと言っていますが、自然は小さ

な日照時間や気温の変化を敏感に感じ取って成長し

ていくようです。

 

 

 

 

 

 

 


近頃嬉しいこと

2016年03月12日 07時06分01秒 | 日記・エッセイ・コラム

 仕事をやめてから若い方に会う機会が少なくなっ

てきました。それでも毎年卒業生が集まる会に招待

されて出かけることがありました。しかし退職後5

年以上も経過しますとその誘いも少なくなり心の中

にぽっかりと穴が開いたような感じになるのは仕方

ないことですね。しかし毎年あってお話をしたいと

言ってくれる人もいます。

 しかし卒業して5年、10年と時間が経過すれば、

それなりに忙しい立場になりなかなか時間をとるこ

とができなくなりますね。

 私の方は年齢を重ねて外出することが困難になっ

てくるわけですからますます会う機会が少なくなっ

てきました。そんな中で大変うれしい話がもたらさ

れました。私の年齢を考えて、私の住居の近くまで

出かけていくのでぜひお会いしたいという申し出で

す。私が遠出するのが億劫になっているのを察して

のお話でしょうが、こんなに気を使ってくださる方

がいるなんてなんとも嬉しいことです。お子さんの

写真を持っていくのでぜひ見てほしいとも言ってく

ださいます。

 近頃こんなうれしいことはございません。傘寿に

もなると家から出る機会も少なくなっていましたが

今からいそいそとしています。

 

 


自然災害と人による災害

2016年03月11日 12時08分22秒 | 日記・エッセイ・コラム

 3月11日14時46分三陸沖でマグニチュード9.0

の地震が発生しました。そして30メートルに達する

ような津波が太平洋沿岸地帯に押し寄せた。当時は

その映像を2004年12月に発生したスマトラ島西方

沖で発生した地震とそれに伴う津波の映像に重ねて

見ていた。

 津波映像の凄まじさはどちらも身のすくむ思いで

した。どちらも甚大な被害が発生しましたが、日本

の場合には福島県で原子力発電所の事故が発生し、

地震・津波被害に輪をかけたような甚大な被害にな

ってしまいました。

 原子力発電所の被害は自然災害に伴うということ

になっていますが、発電所の管理面や地震発生時の

素早い対応がマニュアル通りにいかなかったという

酷な言い方ではありますが人災といっても過言では

ないように思います。

 そのためにたくさんの人々が将来を失い、苦難の

道を強いられることになったのですね。私は昭和20

年3月10日、アメリカ軍による東京大空襲で罹災し

ました。もう70年以上も前のことです。今でも3月

10日にはその日のことを思い出します。そしてお握

りと鮭の缶詰で食事をします。これはあの時の悲惨

な状況を決して忘れることがないようにとの思いか

らです。

 人的災害と自然災害は紙1枚の差かもしれませんが、

どちらにしても被害が少なくなるように迅速で適切な

対応が求められるのは同じですね。人間は過去のこと

を検証して現在あるいは将来に役に立てることを学ん

でいますが、なかなか実行に移せないようです。もっ

ともっと精神的に成長する必要があるようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


寺田正男高校へ(子供の戦後社会体験記)11.

2016年03月10日 22時25分49秒 | こんな出来事がありましたよ

 2.県立大川高等学校入学(5)
  初めて教室に入って周りを眺めることができるよう

になるといろんな人がいるのを発見した。頭の良さそ

うな顔をしている人がいた。眼鏡をかけている人が15

人くらいいた。髪の毛を伸ばしている人もいた。その

人たちは、入学式までには坊主頭にしてこなければい

けないそうだ。友達になれそうな人を探してみると、

あまりいなかった。僕にとっては中学の友達例えば英一

君のような人と会えるかどうかの問題だった。でもこ

れは時間がたてば解決するだろうし、僕は授業のある

間だけの付き合いになることはわかっているので、あ

まり気な懸けないことにした。

 それにしても18kmという距離は初めての成果遠かっ

た気がした。道は覚えるまでもなく大新田町へ行って、

直交する道を東に向かえばいいだけだからもう覚えてし

まった。雨の日はどうするんだろうとか、雪が積もった

らどうするのだろうかなどと今から考えてもどうしよう

もないことだった。しかしこの地方は春と秋には猛烈に

強い西風が吹くことが分かっていたので、その風を避け

て通学できる道を探さなければならないぞと先輩の人が

教えてくれた。こんなことはその時になったら考えるこ

とにしよう。

 今日は校舎内のいろいろな場所を先輩が一緒に回って

くれたので迷子にならないで済むかもしれない。僕たち

1年生の教室は北校舎の1回だった。後者の北側にテニス

コートがたくさん並んでいた。体育館は校舎の北西部に

あった。正面玄関は南側にあったので通常はそこから校

舎に入ることはないだろうと思った。後者への出入り口

は南東部にある昇降口が使えるとの話だったけれども、

自転車置き場は体育館の北側と正門の東、図書館の裏手

を使うようにと指示された。

 ところで同じクラスの人の話では、学年のクラス分け

は成績順になっているということだけどどうだろうか。

僕は2組だから成績はそんなに悪くなかったことになる

のかなあ。噂話には耳を貸さないほうが良いと母さんが

言っていたので無視することにした。

 今日は教科書を買って家に帰ることにした。敏夫君の

ところへ行ってみたけど敏夫君のクラスの人はもう帰っ

てしまってだれもいなかった。僕は自転車置き場に急い

でいったけれど敏夫君の自転車はなくなっていたので、

先に帰ったことを知った。仕方がないので僕は一人で朝

来た道を自転車に乗って走り出した。3日町のすぐ西の

ところで思いがけずに雅子さんに会った。本当に驚いて

しまった。こんな偶然があるんだと思った。しかし、今

日は声をかけずに知らないふりをして通り過ぎた。少し

行ったところで僕はこのまま帰ってしまってよかったの

だろうかと迷ってしまった。こういうのを罪悪感という

のだろうか。でも仕方なかった。何しろ家まではずいぶ

ん遠いのだから急いで帰らなければいけないのだからと

変な理屈をつけていた。

 4月4日。今日は高校へ着くと、いろんなクラブ活動

の人たちがたくさん待ち受けていて、自分の入っている

クラブはこんなにいいところだと言って新入生を勧誘し

ていた。僕は運動系のクラブの前は素早く通り過ぎて学

習系のクラブに入ろうと決めていたし、将来のことを考

えて生物クラブに入ることに決めていた。それで生物ク

ラブの人に捉まってしまい説明を聞く羽目になった。す

ぐに名簿に氏名を書くように言われたけれども、その場

で事由がなくなるような気がしたので他のところも少し

興味があるのでとか何とか言って通り過ぎた。そこで相

川君に会った。相川君は野球部に入るものだとばかり思

っていたけれどもどこにも入らないことにしているとい

うことだった。というのは中学の大会でコテンパンに打

たれた相手の人たちがたくさん野球部に入っていたから

だそうだ。僕は、だから逆に野球部に入って今度はやり

返すぐらいの根性がないのだろうか、と思ってしまった。

そうこうしていたら、鈴木君と敏夫君がやってきた。2

人には久しぶりに会ったような気がした。特に鈴木君に

は中学校を卒業してから初めてかもしれなかった。相川

君もそうだった。2人とも大川市内に住むようになった

ので会うことがなかったのだ。

 懐かしい同期生に会って、少しセンチになっていた僕

は、元気を取り戻した。そして明日はいよいよ入学式だ。

明日から本当の大川高等学校の生徒になるのだ。僕はいつ

の間にかそういう自覚が出てきたようだ。今日は敏夫君と

2人で帰ることになった。

 結局僕は、生物クラブに入ることに決めた。ただし、

いつでも参加できないという条件を許してもらってだ。