寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

記憶に残っている映画(17)「ベルリン物語」

2016年03月10日 09時54分31秒 | 寓居人の思い出話

 1945年の敗戦当時から、何故か分からないが我が家に

紫色の大きなドイツの紙幣があった。そこには100,000

マルクと印刷されていた。マルクがどの程度の価値があ

るか不明ですが、大切に保管してありました。

 私が高等学校へ入学して1,2年生でドイツ語を勉強し

だしたときにそのことを思い出して探したのですが発見

できませんでした。そんなある日ドイツ語の時間にドイ

ツ語の先生が、いま市内の映画館で「ベルリン物語」と

いう映画が上映されているので興味のあるものは見ると

よいと紹介してくれました。

 私は土曜日の放課後に友人と二人でその映画を見にい

きました。初めの部分についてはあまり良く覚えていな

いのですが、2048年という設定になっていましたね。

 テレビのアナウンサーという人が、100年前に自分が住

んでいたベルリンの様子を紹介していくという内容でした。

 アナウンサー氏の現実と過去の思い出が交錯して幻想の

ような雰囲気を醸し出す作品になっていました。私たちが

授業で習っていたドイツ語の発音は、迫力ある音声でした

が、映画の中で、戦争で廃墟になったベルリンを歩きなが

ら語られるドイツ語は、物静かで心に何かを訴える気がし

ました。まあこれは演出かもしれませんが、ドイツ語の発

音を好ましく思うようになったのは事実でした。

 ドイツにおける戦争の爪痕は、がれきの山が延々と続い

ていて、私の知っている東京や仙台の何も残っていない焼

野原とは全く異なっているのも印象深かったですね。私は

この映画を見て忘れかけていた戦争の無意味さや残酷さを

同時に思い出してしまいました。

たね。

 

 

 

 


寺田正男高校へ(子供の戦後社会体験記)10.

2016年03月09日 14時16分44秒 | 日記・エッセイ・コラム


 2.県立大川高等学校入学(4)
 3月の終わりに母さんが家へ帰ってきた。父さんと

上の兄さんは東京に残って仕事を続けていた。母さん

は僕の通学が順調にいくまで諏訪村にいてくれると言

うことだった。久しぶりに母さんの作ってくれた食事

を食べてこんなに美味しかったのかと驚いてしまった。

父さんの仕事は従兄弟の脇田大介さんの注文がたくさ

んあって忙しいそうだ。

 大川高等学校の入学式は4月6日だった。その前に高

校生活の指導や教科書の販売などが前々日の4月4日と

5日に行われるので大川高校へ行くことになっていた。

 4月4日午前7時に僕は初めて自転車に乗って大川高

等学校に向かって出発した。英一君と敏夫君が南村から

自転車で行く三人組になった。相川君と鈴木君は大川市

の親戚の家に下宿をすると言っていたのでもう大川市へ

行ってしまった。僕たちは諏訪村の役場のある中心部の

少し外れにある進君の家の前で強君と進君たちと落ち合

った。全員が集まったので出発した。入学試験の時は列

車で行ったのでそんなに遠いとは思わなかったけれど18

kmというのはどのくらいの距離なのかまだ実感が無かっ

た。小野田川の橋も少し急な坂道になっていた。橋を渡

り突き当たりを右の道へ方に折れる。すると軽便鉄道の

駅がありそれを過ぎると東西に延びる少し大きな道に出

る。それを大川市までまっすぐに東に向かう。

 途中、ちょっとした川を過ぎると西大川駅への分岐道

がある。それを過ぎてさらに東に進むと信田小学校があ

りそれを過ぎると陸羽東線の線路を渡る。ここはもう大

川市になる。線路を過ぎるとやがて塚目小学校があった。

そしてまもなく大川市の市街地に入る。市街地に入ると

三日町のT字路に突き当たる英一君たちは工業高等学校へ

行くので三日町T字路を左折して行く。僕と敏夫君は右折

して少し行ってから左折すると大川高等学校だ。自転車

置き場に自転車を置き場において鍵をかける。そして指

定された教室へ行くのだが、その前に連絡掲示板を見に

行った。僕は2組だったが、敏夫君は4組だった。相川君

は5組、鈴木君は3組だった。諏訪村から通学する生徒

は全員別のクラスになっていた。 掲示板には今日と明

日の予定が書いてあった。それを確認した敏夫君と帰り

の約束をして教室へ行った。教室にはもうほとんどの生

徒が集まっていた。黒板に座席表が書いてあったのでそ

の位置に座った。周りは当然ながら見知らぬ顔ばかりだ

った。

 やがてベルが鳴り、少しして先生が入ってきた。先生

は細面で眼も細く、いかにも数学の教員だという様子だ

った。姓名は鈴木博というと自己紹介した。そして出席

簿を取り出して生徒の姓名を呼びながら出欠を取り出し

た。高校では姓名の50音順に呼ばれた。僕は寺田だか

らクラス60名の中ほどから少し後に呼ばれた。これは

嬉しかった。諏訪小学校と中学校ではいつも生年月日順

だったので1番目か2番目に呼ばれていた。

 クラス全員が出席していた。先生は次に一人30秒間

で自己紹介をするようにと指示した。出身地とか家の仕

事とかを話す生徒が多かった。一人ずつ出身地を書いて

いくと、大川市内の生徒が一番多く半分くらいいた。後

は西の温泉地からくるものや北野町からくるものなどが

いた。そのほとんどの生徒は列車通学できる生徒は列車

で通学するという。市内からくる生徒は徒歩で通学し、

残りは自転車通学だった。自己紹介は立ってしたのでそ

の生徒の体格がほぼ掴めた。大きな生徒は普通の大人の

ような体格の生徒がいたし、中には僕より小柄な生徒も

いた。面白かったのは、市内から通学くする生徒の半数

くらいは眼鏡をかけていたことだった。

 自己紹介が終わると、先生はガリ版印刷された冊子を

配った。その中には、大川高校生徒としての心構えみた

いなものが書かれていた。先生はそれを読みながら一つ

ずつ説明してくれた。

 その中に未成年者だから酒を飲んではいけないとかタ

バコを吸ってはいけないとかいうのに混ざってパチンコ

屋など大人の遊戯施設に入ってはいけないというのもあ

った。

 健康に留意し、身体を鍛え、勉学に励むことという項

目もあった。次に時間割表が書いてあった。時間割を見

ると月曜日から金曜日までは毎日50分授業が5回、土

曜日は午前中の3回になっていた。毎週33回の授業があ

る。

そしてその下に教科一覧と担当者氏名が書いてあった。

1年生と2年生は国語(現代文、古語)、数学(解析I)、

英語(リーダー、英文法)、生物、一般社会の他に漢文、

ドイツ語、音楽、美術があった。

 


記憶に残っている映画(16)「タイムマシン80万年後の世界へ」

2016年03月08日 23時08分19秒 | 寓居人の思い出話

 現代SF小説の生みの親ともいわれるH.G.ウェルズ

が1895年に発表したた小説「タイムマシン」を原作

として作られたこの映画名は、2002年にリメイクさ

れています。私は初作の方が好きですね。初作では

ユートピアの情景が美しく描かれるとともに、他人

のことにはまったく無関心な人々が描かれています。

不思議なのはどことも知れない場所に着いた時間旅

行者と現地人の女性(エロイのヴィーナ)がいとも

簡単に意思疎通ができることです。しかしこれは置

いときましょう。どんな映画でも全く異なる文化を

持つ世界へやってきてもすぐに話が通じないと筋道

が進みませんからね。

 エロイを食肉とするモーロックは昼間は地下で生

活し夜になると地上へ現れてエロイをあさる獰猛な

種族である程度の知識を持っているようです。

 旅行者は川に落ちたヴィーナをだれも助けないの

で自分が助け、それからヴィーナと旅行者との間に

恋が芽生える。ヴィーナがモーロックにつかまると

それを助けに地下世界へ行くが.....

 最後の場面は荒涼とした地球の最後の様子が映し

出される。そこは太陽が終焉に近く赤色にとなり熱

も光もあまり地球には届かない世界になっていたの

です。

 時間旅行(タイムマシン)の概念は、「時の探検

家たち」(未発表)の物語ですでに構想ができてい

たようです。ウェルズはそのほかに多くのカテゴリ

ーに分類されるSF小説を発表しています。それはお

そらく、ウェルズがこんなことができたらいいなと

かこんな世界へ行ってみたいとか考えたことを小説

という手段で表現したのでしょうね。いつか近いう

ちにSF小説についても書いてみたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


記憶に残っている映画(15)「A.I.」

2016年03月07日 15時42分08秒 | 寓居人の思い出話

 この映画のイントロで、わが子を失って悲歎にくれる

妻への贈り物として夫がわが子そっくりに作った人工頭

脳を搭載したロボットを製造した。このロボットは子供

の名前と同じデイビッドと命名した。

 ある日プールへ行ったとき友達が溺れているのを助け

ようと飛び込んで友達を抱き上げたがデイビッドはロボ

ットであることを忘れていた。その重量のために友達を

抱いたまま水の中に沈んでしまった。そして死なせてし

まった。そのために親が責められて悩んだ挙句亡くなっ

てしまった。デイビッドはそこに住み続けることができ

ず。母を訪ねて放浪の旅に出る。

 その頃、人間に代わって仕事をするロボットが大量に

生産され使用済みのものはショーで破壊されていった。

デイビッドはその会場で捕まってしまい破壊されそうに

なるがある男に助けられた。そして優しかった母を訪ね

る旅は続けられた。そしてはるかな未来の世界で、進化

した人間の末裔によって.....

 という映画です。現代社会で「A.I.」の研究が行われ

ており、一部は各種家電を始めいろいろな機械装置に既

に使用されています。S社で作られた人型ロボットは2

足歩行ができかなり進化したものになってきましたね。

 自動運転システムを搭載した乗用車が製造されるよう

になってきました。A.I. ロボットが人間の生活を全面的

に支える日がやってくるのもそんなに遠い未来ではない

かもしれませんね。そんな日のために人は精神的にもっ

ともっと進化しなければなりませんね。

 

 


記憶に残っている映画(14)「ソイレント グリーン」

2016年03月03日 21時41分37秒 | 寓居人の思い出話

 「ソイレントグリーン」という映画は、ハリイ・

ハリスンという人の小説「人間がいっぱい」をもと

に1973年に製作されたものです。

 この映画は当時から見れば近未来の世界を描いた

小説をもとに製作されましたが、映画が製作された

1973年から見れば2022年というのはいろんなこと

が起こりうる世界だったのですね。その年が後6年

でやってきます。映画の中での世界は人口増加に歯

止めがかからず、農地は荒廃し海洋も汚染されて食

物になるものを生産できなくなっていた。そんな中

で独占的に食料はを工場生産するソイレント社は、

日常的にはプランクトンから生産した褐色のビスケ

ット様のものを販売し人々はそれを食べて命をつな

いでいた。それには人が生命を維持していくために

絶対必要な物質が入っていないので、ソイレント社

は毎週特定の日に緑色のソイレントグリーンを販売

し始めた。そんな中である日ソイレント社の重役が

殺害された。その捜査を始めた刑事(チャールトン・

ヘストン)は殺し屋の存在に気づき尾行を開始する

うちに高級コールガール(ファニチュアー:住居付

きの女性)がいることを知った。捜査を進めると次

々に疑問が発生してきた。ソイレント社が経営する

安楽死ホームを探れと同居人の学者がホームへ入っ

ていった。安楽死させた姿態の後を追跡すると、ソ

イレント社の工場へ運搬トラックが入っていった。

そこで衝撃的な場面に遭遇するが、殺し屋に狙われ

負傷してしまう。

 救急車で運ばれながら。ソイレント社のソイレン

トグリーンの原料はホームが供給していると叫びな

がら映画が終了する。

 この種の小説はほかにもいろいろあり、第3次世

界戦争が勃発し核物質が大量に使われる。そのエネ

ルギーにによって時間移動した未来世界では、食料

として人間を飼育する設定が出てくる。私は全くの

冗談として、地球上の有機物のほとんどが人間が占

める世界にならないように環境問題を考えよう、と

学生に言ったことがある。

 いま世界は力の世界に移行しようとしているよう

な気がしますね。そんな世界にしてはいけません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


記憶に残っている映画(13)「花岡青洲の妻」

2016年03月02日 14時04分24秒 | 寓居人の思い出話

 「花岡青洲の妻」という映画は花岡青洲を中心にそ

の妻加恵、青洲の母そして兄弟姉妹の協力によって世

界で初めて麻酔剤を使用して乳がんの手術をした人物

として描かれた、有吉佐和子の小説を1966年に映画

化した作品です。

 スタッフ 監督(増村保造)、脚本(新藤兼人)

 キャスト 花岡青洲(市川雷蔵)、妻加恵(若尾文

子)、青洲の父親(伊藤雄之助)、その妻於継(高峰

秀子)、加恵の乳母(浪花千恵子)、語り手(杉村春

子)、他です。

 話は、加恵が乳母にせがんで見に来た於継の美しさ

に憬れるところから始まります。そのころ青洲は京で

本堂の勉強をしていました。その学費を稼ぐために、

姉妹達が食べるものも惜しんで機織りに精を出してい

ました。青洲の母親於継は、妹尾家へ青洲の嫁に加恵

をぜひにもいただきたいと談判に行きます。妹尾家の

当主は、突然の申し出に大いに戸惑いますが、乳母の

口添えで加恵の意思を聞いたうえで返事をすることに

しました。加恵はもともとあの美しい人の家に嫁入り

することを夢見ていたので、両親の心配を振り切って

花岡家に嫁ぐことにしました。

 結婚式には婿がいないばかりか、飲んだくれた父親

の自慢話を聞かされて心細い気持ちになっていました。

花岡家では相変わらず青洲の学費稼ぎのために総動員

の態勢で機織りが続けられています。加恵もまだ見ぬ

夫のために機織りをするようになり、おんぼ日傘で育

った身にはつるしい日々が続きます。そしてひどい雨

の日に青洲が都から帰ってきましたが、加恵を除いた

家族が青洲の話に喜んでいた。

 青洲は外科を中心に治療を始めますが、生身を切る

手術を改良するために、マンダラゲ(毒草)の煮出し

汁をネコに飲ませて効き目を調べていました。月日が

経ってネコの実験が成功したが、人間に対しての効き

目が現れる量が全く不明だった。結局妻の加恵が数回

の人体実験を引き受けて麻酔剤の効果と使用量が明ら

かになり、折よく乳がん患者が来たので試すことがで

き成功した。こうして施療所(病院)は繁盛していき

ました。そのころには、加恵の体は麻酔剤の副作用で

目が見えなくなっていました。

 青洲は施療所の区画を整理し下水道も作って近代的

な病院づくりに貢献したのです。

 この映画は、私のゼミの合宿で学生たちに見せると

モノクロ映画ということもあり、初めはあまり興味を

見せませんでした。しかし話が嫁姑の争いが激しくな

ると真剣に見るよ映画が終了することには目に涙を浮

かべるものも出てきました。

 映画の中ではとにかくよく雨が降っている場面が印

象的でしたね。原作の小説はは多くの場合映画よりも

面白いことが多いようですが、この映画はモノクロと

いう表現でネコを実験に使う場面は迫力も感じられま

した。

 加恵の実家は、紀州藩主が参勤交代で江戸へ向かう

折に第1番目に泊まる本陣であったということです。

そのような家柄の娘を嫁にほしいという青洲の母親は

どんな評判だったのでしょうかねえ。