がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

息子が帰って来る 2

2015年05月01日 00時54分24秒 | 娘と息子

大量の荷物と共に、3か月半ぶりに出稼ぎ息子が千葉県から帰宅。
ウレシイ母。 (#´艸`)

飛行機で行ったから帰って来るのも飛行機と思い込んでた私(笑)

帰宅時には食べたがると思った。しかしゴールデンウィーク中という、時期的にトリ○ン店舗で待ち時間を取られるよりも、持ち帰りで自宅でゆっくり話を聞きたい。

トリ○ンでお寿司を大量購入し、自宅でお土産話に花が咲く。

会計は娘と半分こ。(笑)

握り担当してくれた店長さんから、「今日なにかあるの?」「息子が3か月半ぶりに帰って来るんです」

美味しかったね(#´艸`)  次はお店に食べに行こう。

まずは、お帰りなさい。 


息子、本州へ出稼ぎ出張 1

2015年01月18日 23時06分30秒 | 娘と息子

1月17日(土) 予定ではこの日、女満別空港から羽田空港へ飛び立つ予定だったが、猛吹雪で視界不良という悪天候のためギリギリまで待たされ、結局東京からの飛行機が着陸できず欠航となり。

同級生T君が見送りに行き、実況中継状態で 欠航を知らせてくれる。

直後、フェイスブックにて

息子 「欠航なーうwww」
 
母 「おかえりなさ~い!!」
 
娘 「わろたwww」
 
午後10時半過ぎ、パートを終え自宅へ戻ると、本当ならば本州へ行っているはずの息子がそこにいた。(笑)
 
それはそれで、実は嬉しかった。(*^^*)
 
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明けて、今日 18日。
 
昨日と同時刻、昨日のお迎え先輩さん(Sばさん、S岡さん=同じやな(笑))が迎えに来てくれ、
「昨日は大変だったわ!」と笑うS岡さんに 「どうかよろしくお願い致します!」と頭を下げ、再び見送る。
 
午後1時半過ぎ、息子友人T君からFBメッセージが。
「飛行機に乗り込みました」
 
昨日に続き、今日も見送りに行ってくれていたのだ。 ありがたかった。
 
そして、思いもしなかった離陸の動画。 泣けた。 立ち寄ってたコンビニのトイレで見て、泣いてた。
 
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午後4時半過ぎ、息子から飛び飛びでメッセージが飛んでくる。
 
羽田着 → バス移動 → 渋滞巻き込まれ、どうやら事故の模様 → 渋滞ようやく抜け → まだ着かない → ・・・
 
午後7時半過ぎ、私は北見から帰宅。 ほぼ同時に息子から連絡が入り、こちらから電話を入れる。
 
既に寮の部屋に入ったが、大きな声は出せないようでボソボソと数分の電話。
 
以降は、FBのチャットを利用することにして電話を切る。
 
明日はいきなり午前4時起床の仕事開始らしい。
 
悪天候で欠航にならなければ、日曜日一日、先に送った荷ほどきと近所の散策、身体を休めて仕事に臨む予定だったのだが。
 
まぁこれも一興。 半年近い出張出稼ぎ。
 
きっと毎日のように何かしらメッセージのやり取りがあるだろうと想像する。
 
いなくなってしまった息子に寂しい思いをするかと思ったが、どうやら逆に楽しい日々になりそうな予感。
 
ケガしないで、頑張って!

息子との会話

2010年05月24日 23時55分56秒 | 娘と息子
息子:ちょっと来て。

母 : (立ち上がり、近くへ行き) はい。何?

息子:聞こえてる? 聞いてる? 

母 : 聞いてるよ。

息子 : ほんと?ほんとに聞こえてる?

母 :聞いてるよ、わかるよ

息子:肉があるからさ。

母 :寝ぼけてるよ。

息子:いや起きてるよ。聞いてる?わかってる?

母 :寝ぼけてるって。

息子 :寝ぼけてないよ、起きてるよ、ちゃんと。俺の話聞いてる?

母 :もちろん。で、何の肉?

息子:わかってない。

母 :だから何の肉?

息子:しまっておくから。とにかく寝るわ。

母 :・・・



布団に入って、およそ1時間ほど経った息子と、PC仕事中の母との会話。

翌日、息子に聞いたら 「全然記憶にない」

息子よ、どうした!?

2009年10月11日 18時45分01秒 | 娘と息子
明け方。

ふと目が覚めて、手元の携帯を手に取り時間を見る。

五時か・・・



同じ部屋に寝ている息子がいきなりガバッと起き上がった。



えっ? 何? どうした??


息子よ、いきなり  !!! 何事だ !!!




まだ薄暗がりの部屋で、窓を背にこちらを向いた息子は、








「白菜を入れるポット、あるか?」



「は?」


「白菜入れるんだ。ポット、ある?」


「おい! 寝ぼけてる!」


「白菜・・・」


「起きた? 起きて!」


「・・・ 俺、寝たの4時過ぎなんだよな・・・料理作ってる夢見てた・・」


パタン。












・・・





息子や・・  人生に疲れてる??    ^^;

区切り

2009年09月27日 08時10分20秒 | 娘と息子
午後からお客様の所でビッチリ作業。休憩なし! ^^;

連続する緊張感も、5時間を越えると結構『来ます』。

午後6時近く、「今日はここまで」とようやく開放され、
実家へ寄り、病院へ見舞いに寄り、買い物へ行くも特に買うものもなく
自宅へ戻る。




作業机に、



退職理由には鉛筆書きで『一身上の理由により』と書かれている。お手本だろう。


「上司から電話が来て、その後届けてくれた。」





他に何か仕事があるかもしれないから という上司の言葉も聞こえてきた昨日だが、淡い期待はやはり初めから持つべきではないと思う。



アテにすれば当然裏切られる可能性は大きいし、
やはりここは思い切るべきだろう。




健康保険証や作業着の返還などまだやるべきことは残っているが、
これで『次の仕事を探す』ための気持ちの大きな区切りとなった。


息子は前向きだ。

【健康】そばアレルギー

2009年09月25日 20時26分52秒 | 娘と息子

『そばアレルギー』。

なじみのあるアレルギーの一種である。

息子は小さい頃からこのそばアレルギーで何度か大変な思いをしてきた。


『そばアレルギー』の症状は
咳・涙・大量の汗・吐き気など主に気管支、代謝に関わる部分に症状が顕著に現れる。
アレルゲン(原因である『そば』)に関わると即時に症状が現れ、長時間影響が出、
挙げ句は気道閉塞による窒息で死に至ることも珍しくない。


3~4歳の頃、初めてそれがわかり、
小学生の頃だったか、実家(そば屋)のそば打ち部屋で症状が悪化し、
本人も含めて家族も漠然とではあったが、そばアレルギーと認識をし、
以来、意識的に遠ざけてきた。

保育所で、学校で、出先で。
「アレルギーはありますか?」の質問には必ず「そばアレルギーです」と答えてきた。

当然、家族が食べさせることも、自身で食べることも避けてきた。




娘は『そば』が大好きで、一度、息子はそばのかけら(約5ミリほど)を「試しに食べてみる」と口に入れたところ、具合が悪くなって慌てたことがある。その後も数度、「克服できるのでは・大丈夫では」と挑戦したが、結局諦めたという。








息子の勤務先のレストランで、9月から『そば』をメニューに加えた。

それまでは何でもなく、元気に仕事を続けてきていたが、
メニューに加わった頃から、何度も体に異常を訴えるようになってきた。




そして今日、また作業中に同様の窒息状態に陥ってしまい、
午後2時からの2時間の休憩を、病院へ行くよう上司にきつく言われて帰ってきた。





午後2時、病院へ行きアレルギーの検査をしてくれる内科を受付。

初診問診の後、採血をし、「1時間くらいで結果が出ますから」ということだったので、
同じ病院に入院している知人を見舞い、午後3時半過ぎに再び待合室の人となる。






午後5時前。仕事に戻る時間が近いというのに、なかなか呼ばれない内科受付へ尋ねたところ、しばらくして

「すみません。検査結果は一時間後ではなく一週間後です。」




おい! (-_-;)



そりゃ、「ごめんなさいね~」じゃ済まされませんよ!
時間、返して!!






今回、息子はとても大切な結論を出す必要を迫られていた。

「そばアレルギーなのか違うのか」

つまり

「今後、この仕事が続けられるのか続けられないのか」

正式な『診断書』は後にしても上司へ結論を伝えなければならないのだ。




戻ればまた調理場で、オーダーの入る『そば』を作らなければならない。
実際に『そば』作業に関わらないにしても、『そば』を扱う室内で作業を続ける必要がある。

これまで苦しんだ同様、あるいはそれ以上のアレルギー症状が出るのは解りきっていることなのだ。

本当に『そばアレルギー』ならば
生死に関わる問題だ。






午後6時。

内科で診察を待っていた他の患者さんが全ていなくなった。

二人きりで待つ。

やっと、呼ばれた。




先の問診内容をメモに見ながら、I先生は
「そばアレルギーに間違いないですね。」
と言い切った。












それまでの待ち時間、息子と二人でいろいろと話をしてきた。

結論。




今の仕事はもう続けられない。



先日来から母は、『そばアレルギー』についてインターネットでいろいろと調べてみた。
症状、治療法、外来を受け付けている病院、生活について、仕事について、気をつけること・・・


その中に、「そば屋の2代目、3代目に多く発症する。」と、いくつかのサイトに記載されていた。
皮肉な、意地悪なものだと思った。


待たされている間に、親子でいろいろと話し合った。


息子の思いは
そばアレルギーに間違いはない。 
そして、それを薬で我慢してまで今の仕事を続ける気にはならない。




先生の診断は、

「症状をうかがうと、間違いなくそばアレルギーです」

そして、

「そばアレルギーは治りません。」

「薬で抑える意味がありますか? 他に食べられるもの、代用できるものがあるのなら摂る必要はありません。」

「生死に関わる『一生の仕事』でないのであれば、薬を使ってまで続ける必要はないのでは・・」



そして、先生からの診断をもらった時点で、息子は次の道を歩き出す決心をした。







先生は、事情を聞いて、本来であれば一週間後に発行する診断書を、すぐに書いてくれた。

それを持って、職場へ。

息子にとっては思いがけぬ最後の職場になってしまった。




裏手へ車を止めエンジンを切る。

診断書の入った封筒を手に、決心をして裏口から入っていく息子。

数分後、走り出てきた息子が車のガラス戸をコン!とたたく。

窓を開けると「オーダー入った。ちょっと待ってて!」 





・・・ ホントにコイツは!   (T_T)




仕事が好きで、頑張ってきた今までを思う。

怠けたわけでもなく、迷惑をかけたわけでもないと思うのに、
何故こんなことで好きな、将来を決めた仕事をやめなきゃならない??

やはり親の責任か?




それから20分くらいたったろうか。

携帯でお客さんの携帯サイトを確認していたら車のドアを開け息子が話しかけてきた。

「ちょっと降りてきてくれ」

そばには、話には聞いていたが初めてお会いする上司。
何度か「挨拶を」と言っていたが、息子の照れくささから「いいから」と直接話をしたことはなかった。



「○○の母でございます。これまで大変御世話になりましてありがとうございます。」と頭を下げた。

「いえ、こちらこそ、息子さんにはよく働いてもらって。」





結局、息子と話をしてきた結論と同じで、

秋になって増やした人気メニューを、一人の従業員の都合でやめるわけにはいかない。

そりゃ当然です。そんなことでゴネるつもりもありません。

やめるわけにいかないメニューを作り続ける職場である以上、
その環境で仕事を続けることができない息子は、やはり自ら辞職するしかないという話で落ち着いた。


もちろん、いろいろ助言を頂いた。

上司自身の奥様もアレルギー持ちで、病院を変えてみたらとか、いい薬があるとか
助かるお話をたくさんしてくださった。
働き者の息子をこんなことで失いたくないとも言って下さった。


しかし、息子自身も決心がついていた、

何度も書くが、

「それさえ避けていれば問題なく通常の生活ができるのに、薬で抑えながらまで続けなければいけない仕事なら、したくはない。」

ヤク漬け人間にはなりたくない。


私もそう考える。


一度は「調理師として身を立てる」ことを夢見た。
将来は自分の店を持つ為に修行に出ようとも考えていた。


しかし夢は潰えた。 アレルギーを持っていては人様の食事を作ることは難しい。

上司さんは、

「とりあえず今日は帰って、数日中に必ず電話するから、自宅待機でいてくれ」

と声をかけてくださった。

涙でボロボロの息子は

「はい!」と、きちんと返事をして、もう一度仲間に挨拶をしにいった。












今の生活に安住するつもりなど毛頭ないが、

小さな生活のひとつひとつが、安定したかと思った矢先の出来事で、次の試練がまたやってきた。

しかし、負けるわけにはいかない。




冥、お姉、

頑張ろう!


息子のひとこと

2009年09月22日 18時05分35秒 | 娘と息子
先日、群馬のお客様を迎えるにあたり、娘と私は一晩、家をあけた。

自宅には息子がひとり、自身で食事を作って食べたはずである。

もちろん、町のレストランのチューボー(この場合2ちゃ○ねるの『チューボー』とは違う意味)にいる以上、
「料理できませ~ん♪」は認めてもらえないわな。(笑)



翌日、午後9時過ぎ。

いつものように晩ご飯の仕度に取り掛かっていると、息子帰宅。

第一声は

「帰ってきたときに灯りがついてて、誰かがいて、
 ご飯を作って待っててくれるっていいもんだ。」




息子よ、それじゃ一人暮らしは難しいぞ。(笑)

内容掲示

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