がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

母の事

2019年09月30日 20時16分22秒 | 徒然

1月中旬に倒れてからもう9カ月。

母は、食べられない、喋れない、自分では首も動かせない 寝たきりとなりました。

6月末までお世話になった日赤から、リハビリ専門の病院へ移りましたが、障害が重すぎてリハビリも思うようにできず。

食事をできぬため鼻腔経管にて栄養補給をしていましたが、現状では次の引受先(病院・特養も断られます)も全くないという主治医の提案を受け、

生きることも死ぬことも任されてしまった、一人娘の私の苦渋の判断で 7月下旬、別の病院へ転院のうえ、胃ろうの手術を受けました。

一か月後、容態が落ち着き、鼻腔経管のチューブも、利き手のミトンも取れたので 再びリハビリ病院へ戻りましたが、

上体を起こすと血圧が上がり命の危険があるということで やはりリハビリを進めることはできず。

9月末、リハビリ専門病院側としては、「もうできることは何もありません」という判断。

胃ろう術を受け、ミトンがないことから、引受先の枠は広がったものの、遠軽も北見も受け入れてくれる枠は相変わらずありません。

転院先が見つかるまで 現状のままリハビリ病院での入院が続きます。

母は、命の危険はなくなったものの、動くのは右手のみ。字を書くことも、声を出すことも、首を動かすこともできません。

右脳は完全に委縮してしまいましたが、左脳はしっかりしており、意識もあります。

家族からの話しかけにもちゃんと反応。だからこそ、本人の気持ちを思うと切ないばかりです。

少しずつでいい、長くかかってもいい、動く右手でペンを持つことができたら。わずかずつでもいい、起き上がることができるようになったら。

どんな姿になっても、「生きていて欲しい」という家族の想いとは裏腹に、母 本人の想いは 娘の私には痛いほどわかります。

でもね母さん、私には あなたを殺すことはできません。


内容掲示

内容掲示