がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

なかなか進まぬ

2019年12月15日 06時53分53秒 | 徒然

母が亡くなり、ひと月がまたたく間に過ぎた。

一体何をしていたのだろうと思うほど、コトが進まぬ ”ひと月” 。

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死亡により凍結された口座(少ないがお金は事前に下ろしておいた)を閉じなければならないのだが、すべての銀行で本人の戸籍謄本が必要。

残金わずか数百円のために、半日かけて車を走らせ、発行料750円の戸籍謄本を取得しなければならない。

それも、「結婚してから亡くなるまで」さらに「生まれてから結婚するまで」。

母だけでなく、私自身の両親との関係を明記した謄本、3年前に逝去した父の素性を確認するため父の戸籍謄本、別れた夫(養子縁組の解除含め)の戸籍までさかのぼらなければならぬ顛末。

これらが全て 3か月以内の発行物でなければならないから始末が悪い。

私のほかに ”相続人は誰もいない” ことを確認できなければ たとえ100円残の銀行口座でさえ、本人でない以上 解約はできないのだ。

三つの口座残高あわせて数千円に満たないものに、金額以上の出費と半端ない手間と時間という、なんともあほらしい・・いやいや、ここはきちんと始末をつけなくては。

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初七日から始まる毎週のお参りも、きちんとお坊様を迎え お送りをする。

週に一度とはいえ、 朝9時過ぎには来ていただくために、御霊供膳の用意でご飯を炊くので7時には店へ出向かなければならない。(両親がいなくなって 実家に通い通勤)

そんなこんなで、何かと忙しなく、

夜パートをやめたのだから、その分 時間がたっぷりありそうで 気が付けば やりたいことは何もできずに一日が終わっているという状態。

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母の衣類や部屋のモノたちを片づけたいと思うばかりで、全く手つかず。

急ぐ必要もないと思う一方で、悲しい想い出を早く見えないところへ押しやりたいとも。

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店裏の物置も、同じ理由で放置していたが、

仕入食材の管理に冷凍庫が必要となり、店内には置けず、設置場所となったため、物置をどうしても片づけなくてはならなくなった。

カラオケのお立ち台も、部屋の天井貼りも、壁の棚も、押し入れの改造も、

電動ドリルや電動ノコを使って、全て自分の手で行ってきた母が 何年もかけて集めてきた木材端材。

「いつか必ず使うから」と、物置内であっちへ行ったりこっちへ行ったりしていた。

母が倒れてからも、”施設へ入れず自宅介護で戻ってくるときには、部屋改造に必要になるかも” と捨てられずにいた。

モタモタ、木材端材を捨てに行く前に、冷凍庫が届いてしまった。(;^ω^) 

もう、何があっても「片づけ(捨て)なくては!」と追い込まれ、

店営業を終えてからチマチマと積み込み、産廃処理場へ向かったら、

「木材ゴミは冬期は受け付けません」

お~い! 何とかしてくれ~!! このまま春まで置けってか~!!

結果は、ナントカ「仕方ないですね」と受け入れてもらえ、無事に回収してもらいました。

まだ大きな荷物~頂き物のサイドボード~が場所を取ってて、それも引っ張り出さんとならん。

しばらく忙しさが続く。

話も続く。


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