富田元治のブログ

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沈黙 -サイレンスー №2

2017年01月26日 | 感動した映画

沈黙-サイレンス-、を観てきました。

原作に忠実に撮(つく)られています。

原作を超える映画だと思いました。

沈黙-サイレンス-。スクリーンで観る映画ですね。

一生、記憶に残る映画だと思います。

 

画像:サイトから無断借用。

 

無神論者の私にも、何かしら心に響くものがありました。

記憶に残る映画です。

 

あなたはなぜ黙っているのです。

この時でさえ、黙っているのですか?

 

「踏むがいい。お前の足の痛さをこの私が一番よく知っている。

踏むがいい。私はお前たちに踏まれるため、この世に生まれ、

お前たちの痛さを分かつため十字架を背負ったのだ。」

 

原作を読んだときは、祭司 ロドリゴの心の叫びと思いましたが、

映画の中では、デウスの声と捉えることもできる演出でした。

 

岡田三右衛門 (司祭=牧師 ロドリゴの日本名)

延宝9年(1682年) 7月25日 病死 享年64歳

戒名 入専浄真信士 (南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏)

 

「沈黙」の舞台となった長崎に、沈黙の碑があるそうです。

遠藤周作氏の文学碑です。

この文学碑が建てられたとき、ペンキがかけられたそうです。

棄教、背教は許せない行為なんでしょうね。

 

画像:サイトから無断借用 沈黙の碑・遠藤周作 文学碑。

 

遠藤周作文学碑:サイトから無断借用。

人間がこんなに哀しいのに 主よ 海があまりに碧いのです。

(遠藤周作)

 

殉教すれば、パライソ(天国)へ行ける。

パライソ=パラダイス(天国)。

貧しいキリスト教徒たちが、棄教せず、殉教したのは、

殉教すればパライソに行ける と思っていたんですね。

 

隠れキリシタンの人々は、

亡くなればパライソに行けると信じていた日本の貧しい人々だった?

 

※ 映画の最後の最後に、原作に無いシーンがありました。

この最後のシーンで、キリスト教徒の人々は救われるんでしょうね!

 

※ 原作に無い最後のシーンとは、

棺おけのロドリゴ(日本名・岡田三右衛門)に、

日本人妻が、日本の風習である「守り刀」を納めます。

その「守り刀」と同時に「十字架」を棺おけに納めるのです。

この「十字架」のシーンは原作にありませんでした。

 

永遠に記憶に残る映画です。

是非、スクリーンで!! 日置さん。

 

 

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