# 自助といわれても NO3
氷点下の路上生活者 死と隣り合わせ。
1月25日(月) 9:20 配信
コロナ禍の札幌を歩く。
新型コロナウイルスの感染拡大は、あらゆる人々の営みに大きな影響を及ぼしている。
札幌市の路上生活者も例外ではなく、「3密」回避で休息の場所を奪われた。
路上生活者を支援する同市のボランティア団体「北海道の労働と福祉を考える会」が
1月24日未明に市中心部で実施したホームレスの人数調査に同行した。
厳寒とコロナ禍で静まりかえった街を歩き、過酷な現場を訪ねた。
【毎日新聞・真貝恒平】
◆【炊き出し中止…コロナ、路上生活者を直撃】
1月24日午前1時、札幌市中央区の電光温度計は氷点下8度を表示していた。
市役所地下1階に「北海道の労働と福祉を考える会」(労福会)のメンバー約40人が、
同市から委託を受けた厚生労働省のホームレスの人数調査を行うために集まった。
調査は毎年1月ごろに実する。
集計結果は厚労省が生活困窮者自立支援法などに基づいた施策を策定するための
公式データとして利用される。
同会は毎月第4週以外の土曜日午後7時から約2時間、
JR札幌駅や大通、狸小路周辺で暮らす路上生活者にカイロや菓子パン、
飲み物を渡しながら困り事などを聞く。
現在は新型コロナ感染予防のためマスクも配布する。
健康診断や就労、生活保護相談に同行する「同伴」、
食事や生活必需品を配る「炊き出し」も続ける。
調査は、路上生活者の移動が少ない深夜に実施する。
休息している人もいるため、声を掛けず人数を確認していく。
午前2時、市全域を10地区に分け、
各グループ3~4人で徒歩や車で現地に向かった。
街灯もない狭い路地をくぐり抜け、バスターミナル、コインランドリー、
立体駐車場など経験を頼りに居場所を探した。
30分ほど歩いてメンバーが足を止めた。
地下歩道への階段。暗闇の中、段ボールを敷き、
何枚も重ね着をして壁に寄りかかる男性に出会った。
男性はこちらの様子に気付いた様子もなく、じっと目をつぶっていた。
路上生活者の多くは駅周辺や地下街で過ごすが、
午前0時前後から早朝の同5時ごろまではシャッターが下り、
地下街から閉め出される。
厳寒の中、休息は死と隣り合わせだ。
コロナ禍は路上生活者の日常も変えた。
同会によると、寒さをしのぐため、夜中は歩き続け、
日中は暖かい場所で過ごすことが多いが、
感染防止策のため市中心部のベンチなどが撤去され、
日中の休息する場が少なくなったという。
調査は午前6時に終了した。
厚労省が結果をまとめ、数カ月後に都道府県別などで発表する。
同省によると、
路上生活者はリーマン・ショック時には、同市で109人だったが、
徐々に減り続け、最近5年間では30~40人で推移。
同会が昨夏に実施した独自調査では約40人で、
今回の調査でも変化はうかがえなかった。
終息が見通せない感染拡大は生活を圧迫し、経済を疲弊させている。
市によると、生活保護の申請件数は前年並みで現時点で影響は見られない。
だが、
札幌市ホームレス相談支援センター「ジョイン」のスタッフとして働く
同会副代表の小川遼さん(28)は、
「コロナ禍が長引けば、路上生活者が増える可能性がある」と指摘。
「失業者を中心に貸し付ける国の総合支援資金などで何とか生活している人は多いが、
貸し付けが延長されなければ困窮する人が一気に増える。
路上生活に入る前に生活保護につなげることが必要」と強調する。
調査に参加した大学院生の亀山裕樹さん(23)は
貧困問題をテーマに研究しているという。
「自分が住む街には普段見ることができない光景があることに気付かされた。
多くの人が苦しい思いをしている今だからこそ、
自分に何ができるか考えたい」と話した。
◆ 北海道の労働と福祉を考える会 (労福会)
1990年代後半、北海道大の学生らが、JR札幌駅に近い高架下の
「エルムの里公園」でテント暮らしをしていた路上生活者の支援
をしたのをきっかけに1999年1月に設立。
現在、大学生や社会人など幅広い年代の約40人が所属している。
# 自助といわれても NO2
気づいたら全財産103円。
42歳女性が「見えない貧困」に落ちるまで。
気がつくと、所持金は103円でした。
1月4日(月)の仕事始めに出勤する電車賃もなくなっていました。
短大卒業後、非正規雇用で働いてきた女性(42)は突然、
自分とは関係ないと思っていた「リアルな貧困」に直面した。
給料が安くても仕事を絶やさずにやってきた。
でも40代になるとバイトの面接にすらなかなか呼ばれなくなってしまった。
家賃の引き落とし日が迫るのが怖くて仕方がなくなった。
「真面目に生きていきたいだけです。
どうしてこんなことになったのでしょう」。
女性に声をかけると、こう聞き返してきた。
【毎日新聞・記者:木許はるみ】
夕暮れ時、
人影が少なくなった会場を出ようとした女性が支援スタッフの男性から声をかけられていた。
「野菜もあるよ、あ、ガスが止まってるんだったね」。
女性ははきはきした声でお礼を伝えていた。
記者(木許はるみ)と同世代に見えた。
1月3日、東京都千代田区の聖イグナチオ教会で開催された
「年越し大人食堂」の取材で、女性に声を掛けてみた。
「これ見てください。笑いますよね」。
女性はショルダーバッグから長財布を取り出した。
小銭入れを開けて、100円玉と1円3枚をジャラジャラと揺らして見せた。
小さな水玉のワンピースにズボンで防寒した細い体。
「2週間、カップ麺で食いつないできました。
友達からもらったココナッツサブレももう切れました。
所持金がゼロでも拾い食いでもして、
何とか頑張らないといけないと思っていました」。乾いた声で笑った。
そして、道中に拾ったというドロップあめをカバンから出した。
バイトをキャンセルされて苦境に、
女性は地方の小都市で生まれ育ち、高校卒業後、短大進学のために上京。
卒業後、都内で1人暮らしをしてきた。
新型コロナウイルスの影響で10月に学生寮の清掃の仕事を失った。
失業後は1日3件、求人サイトで清掃や販売、物流など、業種を問わず、
求人情報に応募してきた。
計200件応募したうち、面接にたどりつけたのは20件以下だった。
12月、電子機器を組み立てる軽作業の仕事が見つかり、
20日からシフトに入ることができた。
給料日は1カ月後。貯金は底を突いていたが、
友人から紹介されたライブハウスの仕事を手伝えば、
年末年始を乗り越えられるはずだった。
「やっぱりいいわ、ごめん」。
12月26日に友人からキャンセルのメールが入った。
31日から3日間、日当8000円のはずだった。
あてにしていたバイト代の「損失」。奈落に落ちた気がした。
非正規に応募しても「お祈りメール」、
短大新卒の時は就職氷河期で、正社員にはなれなかった。
就職活動では「結婚したら仕事は辞めるの?」
「内定をあげるからホテルに行こう」と言う面接官や会社の幹部に遭遇した。
「本当にこんなこと言う人がいるんだ」とあきれたが、現実だった。
「真面目に働きたい気持ちがうせていきました」。
登録型派遣の仕事でイベント会場の設営やコールセンター業務などをして、
生計を立ててきた。社員登用の仕事もあったが、
競争率が高く「気付けば、ずっと非正規の仕事を続けていました」。
留学生向けの学生寮の清掃は2019年秋から始めた。
新型コロナの流行以降、入寮者は半減し、
「人数を減らしたいから。ベテラン社員だけで回したい」と社員から告げられた。
非正規の清掃員が真っ先に切られた。
離職票では「自己都合退職」とされていた。
失業手当は、会社都合による退職なら申請から1週間で支給されるが、
自己都合退職では約2カ月後。
すぐに仕事が見つかると思い、申請はせずに求職活動を優先した。
しかし、採用どころか面接にもなかなかたどりつけない。
「コロナの影響でしょうか、応募の段階で、ここまではねられるのは初めてでした」。
女性は東日本大震災の時も、雑貨店の販売員の職を失ったが、
すぐに次の仕事が見つかっていた。
「当時は30代前半でしたから。今はこの年齢で未経験の業種は厳しいんですかね。
『厳正に審査した結果……』ってお祈りメールがたくさん来ました」。
新型コロナによる解雇・雇い止めは8万人を超え、
非正規でも競争は激しくなっている。
新型コロナ前、女性の収入は月収16万円。
日常の生活で困ることはなかったが「非正規なので、もともと余裕がなく」、
貯金は6万円ほどだった。
女性は失業してから前職の給料で暮らしていたが、11月下旬には、
貯金を切り崩さないと生活が成り立たなくなった。
元同僚に教えてもらった新型コロナによる困窮者向けの公的融資
「緊急小口資金」を思い出し、区役所を訪れた。
緊急小口資金とは、新型コロナの影響により、
休業や失業などで収入が減少した世帯を対象に、
20万円を上限に無利子で貸し付ける制度だ。
厚生労働省は従来、融資に所得制限をつけていたが、
コロナ禍に柔軟に対応するため、制度を拡充していた。
厚生労働省は「非正規や個人事業主をはじめ、
生活に困窮した方のセーフティーネットを強化する」と制度を紹介している。
本来、雇用を失ったこの女性の受け皿になるはずだ。
区役所の待合用の椅子はほぼ埋まり、女性は20分待って相談することができた。
しかし、窓口の職員と話したのはわずか5分。
「職場で人員削減があった」と伝えても、
「100%コロナの影響かどうかがわからない」と職員に言われた。
さらに、2週間後にアルバイト代が入ると伝えると、
職員から「もう働いてるんですよね。あと2週間なら何とかしてください」
「もっと大変な人がいます」と突き放されてしまった。
何とか説明しようとしていたら、別の職員が近づき
「まだ何か? 次の人どうぞ」と席を立つよう急かされた。
「私は対象にならないんだ」。
ほかの制度を自力で探す気にもなれなくなっていた。
隣の窓口からは「家を追い出されそう」という男性の声が聞こえてきた。
「私より深刻な人がいる」と自分に言い聞かせて区役所を後にした。
友達、家族に言えない「貧困」
「これが大学生なら『お金がないからおごって』って言えるんでしょうが、
この年で貧乏なんて恥ずかしいです」。
女性は周囲に生活困窮を打ち明けることができなかった。
生活費を節約するため、友人からカフェに誘われても行けなかった。
「お金がない」とは言えず「忙しいから」「作業があるから」と言い訳をした。
「友達だから相談ができないんです。
重たい話をしたら引かれるかもしれないし、
『あいつ、大人食堂に行ったってよ、大丈夫かな』って、
変な形で話が伝わりそうで」友達を失うのが怖かった。
ツイッターやフェイスブックを開けば
「実家暮らしとか、家族のいる友達の投稿が出てきて、
幸せな写真が並んでいました。見るのもダルくなりましたね」。
友人との連絡も控えるようになり、
数少ない会話は応募先の面接官たち。自宅からリモ・・・・・・~
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