唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
続、相模原市が政令指定都市に!
現相模原市長の目論見通り、2010年3月までに相模原市が政令指定都市になるとすると、次の郷秋<Gauche>的興味は、区がいくつできるのか、その名称はどうなるのか、ということだ。
既存の政令指定都市(新潟・浜松両市を含む)の場合、区の数が一番多いのは大阪市の24(東京都区部の23よりも多い!)、次が我が横浜市の18、ついでの名古屋市の16。逆に区の数が少ないのは静岡市の3区、仙台市の5区、千葉市の6区といったところ。
2006年3月20日に隣接する津久井郡内の津久井町、相模湖町を合併し(城山町を挿んで飛び地になっている)、相模原市の面積は244Km2、人口67万人になったが、さらに本年(2007年)3月11日に同郡の城山町、藤野町を合併すると面積329Km2、人口70万人となる(津久井郡は消滅する)。面積、人口が比較的近い千葉市(272Km2、93万人)が6区あることを考えると、3~6程度の区を作るのが良さそうに思えるが、相模原市の問題は人口密度の偏りが著しことである。
合併前の旧相模原市の面積90.39km2、人口63万人に対して、合併された(る)旧津久井郡4町の合計面積238.44km2に対して人口はわずか7万人。つまり合併完了後の市の面積、244Km2のわずか27.5%に当たる旧相模原市域に総人口の90%に当たる63万人が住んでいるということなのである。人口と面積のバランスを考えると、その線引きは実に難しいが、強引に線を引いてしまう郷秋<Gauche>案は次の通りだ。
旧津久井郡を2つに分割する。北部に位置する藤野町・相模湖町地区を「北区」とし、残り2町、城山町・津久井町地域を「津久井区」とする。旧相模原市は小田急線相模大野駅を中心とする南部を「大野区」、JR横浜線の相模原駅を中心とする中央部を「中区」、JR横浜線橋本駅、京王相模原線橋本駅を中心とする北部を「橋本区」とする。5区分割案である。しかし、北区、津久井区の人口はそれぞれ4万人に満たないことになるから、面積的なバランスは悪いが一つの区とし、全4区構成もありえるかな。
最後になりましたが、区の線引き案については、何の根拠もない、郷秋<Gauche>の単なる妄想であることをお断りしておきます。
注:政令指定都市について詳しくお知りになりたい方はこちらをご覧ください。
今日の1枚は、今シーズン3度目の梅(^^;。
既存の政令指定都市(新潟・浜松両市を含む)の場合、区の数が一番多いのは大阪市の24(東京都区部の23よりも多い!)、次が我が横浜市の18、ついでの名古屋市の16。逆に区の数が少ないのは静岡市の3区、仙台市の5区、千葉市の6区といったところ。
2006年3月20日に隣接する津久井郡内の津久井町、相模湖町を合併し(城山町を挿んで飛び地になっている)、相模原市の面積は244Km2、人口67万人になったが、さらに本年(2007年)3月11日に同郡の城山町、藤野町を合併すると面積329Km2、人口70万人となる(津久井郡は消滅する)。面積、人口が比較的近い千葉市(272Km2、93万人)が6区あることを考えると、3~6程度の区を作るのが良さそうに思えるが、相模原市の問題は人口密度の偏りが著しことである。
合併前の旧相模原市の面積90.39km2、人口63万人に対して、合併された(る)旧津久井郡4町の合計面積238.44km2に対して人口はわずか7万人。つまり合併完了後の市の面積、244Km2のわずか27.5%に当たる旧相模原市域に総人口の90%に当たる63万人が住んでいるということなのである。人口と面積のバランスを考えると、その線引きは実に難しいが、強引に線を引いてしまう郷秋<Gauche>案は次の通りだ。
旧津久井郡を2つに分割する。北部に位置する藤野町・相模湖町地区を「北区」とし、残り2町、城山町・津久井町地域を「津久井区」とする。旧相模原市は小田急線相模大野駅を中心とする南部を「大野区」、JR横浜線の相模原駅を中心とする中央部を「中区」、JR横浜線橋本駅、京王相模原線橋本駅を中心とする北部を「橋本区」とする。5区分割案である。しかし、北区、津久井区の人口はそれぞれ4万人に満たないことになるから、面積的なバランスは悪いが一つの区とし、全4区構成もありえるかな。
最後になりましたが、区の線引き案については、何の根拠もない、郷秋<Gauche>の単なる妄想であることをお断りしておきます。
注:政令指定都市について詳しくお知りになりたい方はこちらをご覧ください。
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