唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
親愛なるブリード様
クララ・ブリードは1945年から26年間、サンディエゴ市立図書館の館長を勤めた女性。館長になる前、彼女が35歳の時に真珠湾攻撃(1941年)があった。翌42年にはアメリカ西海岸に住む日系人に対して内陸部に急遽建設された施設に収容する大統領令が発せられ、資産を二束三文で売り払った日系人はアリゾナの砂漠にあるキャンプ(日系人収容所)に送り込まれた。
その時、サンディエゴ市立図書館で児童担当司書であったブリードはサンディエゴ・ユニオン駅で、宛名に自分自身の住所を書き、切手を貼った葉書を収容所に送られる日系の子どもたち一人ひとりに手渡した。「欲しいものがあったら、これに書いて送って」と。
そして彼女は戦争が終わるまでの4年間、本、文房具、キャンディー、衣類などを子どもたちに送り続けた。子どもたちは感謝の気持をこめて、”Dear Miss Breed”で始まる手紙を送った。彼女が受け取った手紙は250通にも達した。
収容所生活から50年を経た1991年、85歳になった彼女を主賓に迎えたパーティーの席上で、当時の子供たちが感謝の気持を込めて茶器を贈った。その時、770人の参加者からスタンディング・オベーションが巻き上がった。反日感情が高まっていた当時のアメリカで、一歩間違えばスパイ活動ともとらねかねない危険をも顧みず、日系の子どもたちを支えるという人道的使命を果たしたブリードは1994年9月4日、88年の豊かな生涯を閉じた。
ジョアンヌ・オッペンハイム著「親愛なるブリード様」は、日系の子どもたちとブリードとの手紙のやり取りを中心に構成されたノンフィクション。残念ながら日本語訳は出版されていないようである。
今日の記事は、2007年2月16日付神奈川新聞の文化面掲載の記事「日系児童と司書の交流 -手紙が支えた友愛-」(小川恵一、元横浜市立大学長、横浜市立中央図書館長)の記事を郷秋<Gauche>が要約したものである。
今日の1枚は、一面に咲きほこる椿。
その時、サンディエゴ市立図書館で児童担当司書であったブリードはサンディエゴ・ユニオン駅で、宛名に自分自身の住所を書き、切手を貼った葉書を収容所に送られる日系の子どもたち一人ひとりに手渡した。「欲しいものがあったら、これに書いて送って」と。
そして彼女は戦争が終わるまでの4年間、本、文房具、キャンディー、衣類などを子どもたちに送り続けた。子どもたちは感謝の気持をこめて、”Dear Miss Breed”で始まる手紙を送った。彼女が受け取った手紙は250通にも達した。
収容所生活から50年を経た1991年、85歳になった彼女を主賓に迎えたパーティーの席上で、当時の子供たちが感謝の気持を込めて茶器を贈った。その時、770人の参加者からスタンディング・オベーションが巻き上がった。反日感情が高まっていた当時のアメリカで、一歩間違えばスパイ活動ともとらねかねない危険をも顧みず、日系の子どもたちを支えるという人道的使命を果たしたブリードは1994年9月4日、88年の豊かな生涯を閉じた。
ジョアンヌ・オッペンハイム著「親愛なるブリード様」は、日系の子どもたちとブリードとの手紙のやり取りを中心に構成されたノンフィクション。残念ながら日本語訳は出版されていないようである。
今日の記事は、2007年2月16日付神奈川新聞の文化面掲載の記事「日系児童と司書の交流 -手紙が支えた友愛-」(小川恵一、元横浜市立大学長、横浜市立中央図書館長)の記事を郷秋<Gauche>が要約したものである。
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