唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
遅読
「速読」と云う言葉がある。「速読法」と云う言葉もあり、有料でその方法を教えると云う案内を新聞などで目にすることもある。ならばその反対語として「遅読」と云う言葉があるかと云えば、多分、無いと思う。少なくとも郷秋<Gauche>のPCの辞書にはないのだが、ネットで検索すると出てくる。「時間をかけてじっくり読むこと」なのだそうだ。
ここで問題となるのは「じっくり」である。腰を据えて念入りにすると云うような意味だろうが、これを読書の場合に当てはめれば、そこに書かれたことの意味を十分に理解ながら、あるいは書かれていることが正しいのかどうかを考えながら、あるいは記憶しながら時間をかけて読む、と云う事になるだろうか。
いや、「遅読」とはそういう事だけを云うのではないと郷秋<Gauche>は思う。何故なら郷秋<Gauche>は極めて遅読であるが、自分が思うに、まったく「じっくり」読んでいない。単に読むのが遅いのである。遅いだけではなく、そこに書かれている内容を理解してあるいは記憶しているかどうかも甚だ怪しい。
昨日、ようやく「キャパの十字架」(沢木耕太郎著/文芸春秋社刊)読み終えた。今夜から読み始めると書いたのは2月21日であるから、ひと月半かかったことになる。四六判336頁だから短い本ではないけれど、さりとて内容が特に難しい訳ではない。なのに、読み終えるのにひと月半かかったのは、遅読の他に、もう一つ理由がある。「キャパの十字架」と同時に「弦楽器のしくみとメンテナンス」(佐々木朗著/音楽之友社刊。もう10年以上前に買ったまま積んであった)を読んでいたのだ。
若頃にはもう少し読むのが速ければ、もっとたくさんの本を読むことが出来るのにと思ったこともあるが、ある時これで良いと思うに至った。たくさんの本を読む必要はない。自分が読みたい本、気に入った本だけをゆっくりと、読むことそのものを楽しみながら読めばそれで良いではないかと。
「キャパの十字架」について書こうと思っていたのに、話はあらぬ方に飛んでしまいました。さてその「キャパの十字架」ですが、ロバート・キャパの代表作のみならず、古今の戦争写真の傑作のひとつとも云われる「崩れ落ちる兵士」が、実はキャパが撮ったのではないのではないか、実は銃弾に倒れたその瞬間ではないのではないかと云う著者の仮説を自ら検証する内容です。
郷秋<Gauche>は、「安全への逃避」でピューリッツアー賞を受賞した沢田教一に心酔した時期がありました。当然その頃に「崩れ落ちる兵士」も目にしているのですが、それは沢田の写真の数々のように郷秋<Gauche>の心を打つことはありませんでした。それが何故なのか、40年の時を経て読んだ「キャパの十字架」によって、ようやく納得することが出来た郷秋<Gauche>でありました。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、豌豆(エンドウ)の花。野菜の花はどれも美しいが、中でもこの豌豆の花が最も美しいと郷秋<Gauche>は思っているのだが、どうだろうか。
blog:恩田の森Now(本日撮影終了。明日公開予定)
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