唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
末は博士か大臣か
今日の神奈川新聞の照明灯(朝日新聞の天声人語のようなもの)に「東ロボくん」(とうろぼくん。東大に入れるくらいの知識を身に付けた知識型人工知能を搭載したロボット)の事が書かれていた。その中で「彼の夢は博士か大臣か?」と書かれていたが、「彼の夢は博士か大臣か?」の意味を理解できる方はどれくらいおられるだろうか。
「彼の夢は博士か大臣か?」は、勿論のこと「末は博士か大臣か」が下敷きになっている訳だが、この言葉をご存じなのはかなりのご年配の方だけだろうと推測する。新聞購読者の平均年齢が上昇していると聞くが、そのような読者には理解できても、今の大学生世代以下でこの言葉を知っている人は少ないのではないだろうか。
私自身も、父から「昔(戦前)は大学に行く人がいると『末は博士か大臣か』と云ったものだ」と聞かされ辛うじて知っている程度である。明治時代に云われた言葉のようで、大学を出て立身出世することを云った象徴的な言葉なのである。昭和10年代でさえ旧制中学・女学校への進学率は10%程度であったから、大学に行くのはごく一握りのエリートであり、末は学者になるか大臣になるかと、大学進学時点で既に立身出世が約束された人たちであったのだな。
大臣と聞くと、最近では軽率が発言で更迭される、何とか法違反で捜査されるなど、常識や配慮に欠ける人、実は裏で悪い事をしている人、悪い事をしながらその責任を誰かに押し付ける人と云うマイナスイメージの方が大きいのではないかとさえ感じる今日なのだが、大臣になることが出来るのは一握りの人である事実は変っていない。
それに対し「博士」はどうかと云うと、博士の地位も戦前と比べると大幅に低下している。低下と云って悪ければ、博士が大量生産されるが故に、博士号を取ったからといって立身出世したことにはなっていないのである。博士号を取っても、時に30代後半まで不安定な任期付の研究職のポジションであるポスドク(Postdoctoral research. 博士研究員)で過ごさなければならない方も少なくない現状は、「末は博士か大臣か」と云われた時代と大きく変化している。
博士号を取得するためには大学卒業後最低でも5年間を要することになるが、その後すぐにパーマネントの職を得るのが難しい現状を考えると、果たして博士号を取るために投資した資金を回収できるのだろうかと、他人事ながら心配にもなる。もっとも、好きなことを仕事にし、好きな仕事に没頭出来るのならばそれはそれで本望と云えるのかも知れないが、「末は博士か大臣か」と云われた明治時代と比べると、余り良い職業とであるとは云えないような気もする今どきの「博士」であるなぁ。
注:「博士」はあくまでも「資格」であり、正確な意味での職業ではない。