子猫が亡くなる

 今日の神奈川新聞の投書爛、「私の作品」に掲載された子猫の写真に「まだ、目も開いていない、へその緒つきの子猫を3匹保護。残念ながら2匹は亡くなりましたが(後略)」と云うキャプション。「猫が亡くなる」とは違和感満載であるなぁ。

 「亡くなる」について調べてみると、人が死ぬこと、「死ぬ」の尊敬語、「死ぬ」の婉曲的な云い方、などの説明が出てくる。子供のいない夫婦が「遺産は愛犬に相続させたい」と云うのを聴いたことがある。愛犬・愛猫が家族同然どころか家族そのものと感じている方も多い昨今だが、人間以外に尊敬語としての「亡くなる」を使うのはどうだろうか。親の死を伝える時でさえ「亡くなった」は使わないとする説明は多い。

 亡くなるが「人が死ぬこと」だとすると、子猫が亡くなると云う云い方は成立しないことになる。「死ぬ」の婉曲的な云い方であるとすると、「父が亡くなった」は成立する。「子猫が死んだ」では、いかにも突き放した冷たい云い方だと感じるのならば「死んでしまった」としてはどうか。少しは柔らかい感じになるだろうか。「父が他界した」と云い替えれば、身内に敬語を使うのは変だとする指摘を回避することが出来るだろうか。いやはや、言葉はホントに難しいものである。

 「恩田の森Now」 http://blog.goo.ne.jp/ondanomori 

 16日に撮影した写真を4点掲載いたしております。晩秋の穏やかな森の様子をどうぞご覧ください。なお、先週末は事情で撮影ができませんでした。次にご覧いただくのは初冬の森の様子となるでしょうか。

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