「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」。私でさえ知っている、戦前の国語の教科書巻一の冒頭である。国語の教科書と書いたが正確には「小学国語読本」と云うらしい。余りにも有名なため、明治期から終戦までの長きに亘って使われた教科書だと思い込んでいたが、使われたのは1933年から1940年までに尋常小学校(現在の小学校)に入学した世代、わずか8年間のみとのこと。
2021年現在、ただ「桜」と云えば「染井吉野」(ソメイヨシノ)のことと理解してまず間違いない。ここで私が書くまでもないが、染井吉野は江戸時代末期から明治初期に、染井村(現在の東京都豊島区駒込・巣鴨付近)に住まっていた造園師や植木職人達によって、江戸彼岸(えどひがん)と大島桜(おおしまざくら)の交配によって生まれた栽培品種の桜である。
つまり明治期から存在していた染井吉野ではあるけれど、全国的に植栽され「桜の代表」となったのは比較的最近、戦後の高度成長期であると云われている。つまり染井吉野は、それ以前の桜を代表する品種ではなく、少なくとも「小学国語読本」が編まれた昭和初期を代表する桜の品種ではなかったのではないかと思われる。
それでは昭和初期の桜とは何かと云えば、染井吉野の父母たる江戸彼岸、大島桜あるいは山桜などなのでしょうか。門外漢の私が知る由もなくただ知っている桜の名前をあげてみただけですので悪しからず。
とまれ、桜が現代の日本の春を代表する花であることに異論を唱える方は少ないものと思われますが、それもまた時代の変遷によるものであり、万葉集の時代の春を代表する花が梅であったことを知るにつけ、花と人との関係の面白さ、奥の深さに気付かせてくれる桜の花なのであります。
と云う訳で今日の一枚は、染井吉野より一週間ほど先に開花を迎える枝垂れ桜。
横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季の移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」。ただいまは3月6日に撮影した写真を4点掲載いたしております。春の野の足元で咲く、小さな花たちをご覧頂けたら嬉しいです。
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