「積ん読山」を読み崩す〜見つけた「弘法も筆の誤り」

 使いもしないのに古いカメラやレンズを、読みもしないのに書籍を、読めもしないのに楽譜を買い込む癖のある郷秋<Gauche>なのであるが、いつか時間ができたら読もうと買い込んで積んでおいた本(「積んでおいた」は慣用句。「岩波講座 転換期における人間」の第10巻「文化とは」 1989年刊)をついに読む、その時が来た。目出度い、実に目出度い。サンデー毎日サマサマである。
 まずは前書きから、と最初の一行に視線を落としてびっくり驚いた。

 「やがて二十一世紀、西暦二〇〇〇年を迎える。」と書かれているではないか。

 この本は20世紀末の1989年刊行であるから「やがて二十一世紀を迎える」は、書かれた世紀末の空気感を巧みに表現してはいるが、21世紀の始まりは西暦2000年なのか? 答えはNo。21世紀の始まりの年は2001年なのである。

 件の前書きは1500字ほどのものだが、その最後に「編集委員」と記されている。その編集員とは宇沢弘文、河合隼雄、藤沢令夫、渡辺慧の4名。20世紀後半の錚々たる碩学たちであるから、正に「弘法も筆の誤り」、である。

 しかしだ、考えてもみればこの全集は岩波書店が企画し、岩波編集部が考えた各巻の内容や著者を先の編集委員に示し、「まっ、いいんじゃないか。」で作業が始まり、前書きも岩波編集部の誰かが書き、「まっ、いいんじゃないな。」で印刷されたのではないのか。いよいよ21世紀が間近となり、新しい世紀の始まりが2000年ではなく2001年だと知った時には、編集者はさぞかし青くなったことだろう。

 新しい世紀の始まりがいつなのか、それは新しい世紀が間近になってきた頃、随分と話題になり混乱もしたものであった。1世紀は100年の括りであり、1から始まった100番目の数字が100であるから次の新しい100年は101から始まる。20世紀は1901年から始まった100年であるから20世紀の最後の年が2000年であり、21世紀の始まりは2001年なのである。

 このblogの読者の中で次の世紀、つまり22世紀が始まる2101年に立ち会える方がどれほどいるか知る由もないが、もし幸運にも立ち会える方がおられるとしたならば、22世紀の始まりは西暦2100年ではなく2101年であることを世に知らしめて欲しいものである。

 果たして人類がその時を無事に迎えることができるのか実に心配な昨今の世界情勢であるから、その時の人類が幸いの内に新しい世紀を祝い迎えることやできることを心から願わずにはいられない郷秋<Gauche>であることを最後に記しておく。

  横浜の住宅地の中に残された小さな里山の四季移ろいを毎週撮影しているblog「恩田の森Now」に、ただいまは10月28日に撮影した写真を6点掲載しております。秋も深まりつつある森の様子をご覧いただけたら嬉しいです。

blog「恩田の森Now」
https://blog.goo.ne.jp/ondanomori/e/3e6c32390a2f5d60918d2b60bf9d864c

To the author of this page: gaucheadgc(at sign)gmail(dot)com
Type "ijnuG ihsoyiK" adversely, and find me on Facebook.

#岩波書店 #岩波講座転換期における人間 #宇沢弘文 #河合隼雄 #藤沢令夫 # 渡辺慧 #21世紀の始まり #22世紀の始まり

コメント ( 0 ) | Trackback (  )
« 冬に向かう秋明菊 姫蔓蕎麦 »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。