弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

マスク着用緩和どうする?

2022年05月23日 | 高齢者日記

少し前から、ウオーキングをしていると、マスクを取りたくなることがある。
マスクをとると、生き返ったように感じる。
生の空気の美味しさは格別だ。
勿体ない。
回りに人がいないときは、ちょこちょことマスクを外すことにした。

政府の見解、大賛成である。

よく考えれば、マスク着用が癖になっていただけである。
そもそも、マスク着用には理由があった。
自分を守るために、他人をまもるために。
そして、だらしなさを隠すため(化粧なしの顔を隠す)?
必要が少なくなれば、はずしてもいいはず。
勿論、マスクを離したく人は、それでOK、いうまでもない。

注意深く観察していると、マスクなしの通行人が散見されるようになった。

街にエネルギーが戻ってくる。
想像するだけでワクワクする。

 


車内の楽しみ・赤ちゃんとの交流

2022年05月22日 | 高齢者日記

混んだ地下鉄車内でも楽しみがある。
ときどき、赤ちゃんを抱っこしたお母さんと隣り合わせになることがある。
赤ちゃんは好奇心旺盛で、あちこちを観察している。
そういう赤ちゃんを見るのは楽しい。

その赤ちゃんの注意を惹く対象になることがある。
気配を感じると、こちらも様子を見ることになる。
話しかけたり、笑顔をかわしたりなどなどをする。

昨日は、いつもと少し違っていた。
抱っこひもからは顔とふくらはぎの下あたりの足がみえるだけ。
素足の足先が動いて、身体に触れたのを感じた。
おそるおそる触れて挨拶した。
赤ん坊の素肌の素晴らしいこと、滑らかで、柔らかくて、それでいて引き締まっていて、
しっとりとしていて、それでいて爽やかで、清らかで、表現のしようもない。
おかあさんも同意してくれた。
私の方を見るのだが、見ているのかどうかわからない。
でも関心を持っているのはわかる。
抱っこひもから、突然、手が出てきた。
手の動きで、何か探しているらしいことを感じた。
人差し指でそっと触ってみた。
触れた瞬間に引き寄せられ握られた。
力強い握りだった。
一瞬だった。
表情を見たが変わらなかった。
そして、あちらを観察したり、こちらを見たりと前と同じ、何もなかったかのようだった。

ポーカーフェイスの赤ちゃんだった。
一歳になったばかりで、歩きはじめ、言葉(お母さんによると、何でもワンワン)を話し始めたということだった。

いつも、可愛い、お利口さんとかしかるべき感想とお礼をいって、赤ちゃん(お母さん)とお別れする。
この日は、いい言葉が浮かばなかった。
「おりこうさん。ありがとう」と月並みなさよならの挨拶をした。
力強い握りの意味は今も謎に包まれたままである。


方向音痴、さてどうする?

2022年05月15日 | 高齢者日記

いつのころからか方向音痴に気付いた。
行は良い。
行ければ帰りもいいはず。
ところが、そうではない。
初めてのところは、準備をするから問題なく行けるらしいと悟った。
なぜ、帰りは駄目か。
右左をしっかりと記憶しいるのもかかわらずである。
ふと、気づいた。行で右なら、帰りは左になるはず。迷うのは当然である。
ただ、幸いなことに、通りすがりの人に道を尋ねることには抵抗感がなかったので
何とかなった。

私にとっては、前(上)、下(後ろ)、右、左が基準だった。
まずいとわかった。

とうやら東西南北が基準らしい。
自分自身が磁石になったと考えればいい。

それ以来、方向音痴を克服しつつある。

ということで、逆方向で初めて住宅地の中を歩くことにした。
緩やかなカーブの真っすぐな道との認識だった。
お屋敷まちのはずなのに・・
右側の長い無骨なコンクリート壁が続いている。おかしい。

迷ったことに気付いた。

家に帰ってパソコンで地図を調べた。
最初のT字路で左に曲がったらしい。真っ直ぐ道なのにどうしたのだろうか?
何となく、四ツ辻のいくつかある道と認識していた。
だからT字路で、真っすぐ、すなわち、真ん中を選択したらしい。
道路幅が同じなので、間違ったのであろうと思う。

理由が分かった。
近いうちに挑戦する。
今度は絶対間違わない(自信がある)。

こんな風に、つまらない?ことに挑戦できるのも、時間にゆとりがあるからだ。
高齢者の特権である。

方向音痴、気にしない。
地図をしっかりと頭に入れ、東西南北の方向感覚を研ぎ澄ますことだ。
方法もわかっている。
頭の体操のいい機会である。

常に前向きに、それさえ忘れなければ、気にすることは何もない。
強がり?
それもいい。


今の私と昔の私

2022年05月14日 | 高齢者日記

いつ頃から始まったのか?
多分78歳になったころかなと思う。

何かの機会に私って頑固者だったんだとふと悟った。
勿論、そう思ったときにの私は頑固だったのだ。
そういえば、昔からそうだったと、つまりそれは私の一部だったと、そのとき初めて認識したということだ。

それ以来、今の私と昔の私を峻別してみる自分自身に気付いた。

私にとっては、流行の最先端は銀座だった。銀座四丁目だった。
もっと具体的にいえば三越銀座店だった。
松屋、松坂屋、三越と銀座通りを銀ブラすることだった。
銀座松坂屋が閉店し、デパートよりもパソコンや家電、デジタル製品などの販売店がより身近な存在になった。
そごうが閉店し、ビッグカメラになった。
それに伴い、銀ブラは、ビックカメラ有楽町店から銀座三越までをぶらりとすることに変わった。
本屋もある、アップルショップもある、最近ではユニクロもある。

意識したわけではないが、銀ブラルートになっていた。

コロナ禍が始まり、海外旅行もできなくなった。
そして、立派な高齢者になった。

銀座に出ると、若い人達しか見えない。疎外感を感じるようになった。

かれこれ1年になるかもしれないが、それ以来、1、2週間に1回は銀ブラをすることにした。

いつのころからか、銀座四丁目の角のあるカフェに立ち寄ることにした。
四丁目交差点が見えるところに席をとる。
若い人が行きかう様子を見ることに慣れた。
カフェ内も若い人たちが多い。
今は、銀座に溶け込んでいる自分を感じる。

・・・・・

高齢者の生き方に決まったものはない。

一人一人が、自分らしい生き方をすることしかない。
行きかう人々から、元気な街から、エネルギーをもらった。
生きるとは工夫をすることだ。
また、来週。