弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

君が代起立命令は合憲 最高裁判断

2011年05月31日 | ひろみ塾・法律編

卒業式での国歌斉唱時の起立を命じた高校校長の職務命令について、
最高裁は30日、合憲と判断しました。

私にいわせると当然のことです。

なお、
「他国の国旗、国歌に対して敬意をもって接するという国際常識を身に付けるためにも、
まず自分の国の国旗、国歌に対する敬意が必要」とする
補足意見があったということですが、
私には本末転倒のように思います。

国旗や国歌は国を象徴するものです。
それに敬意を払うというのは、自分たちの国に誇りをもつということです。
国や国民に誇りを持っているからこそ、その象徴である国旗、国歌にも
おのずから敬意を持つのです。
自分自身がそういう気持ちだからこそ、外国や外国の人たちも自分や
自分たちの国に誇りを持っていることに共感できる尊重できるわけです。
そしてそういう気持ちを他国の国旗や国歌に対する敬意という形で
表すのです。

ただ、この補足意見の言わんとすることもわかります。
他の国の人たちは自分の国に誇りを持っているのです。
ところが日本人は、そういうものを持っていない、つまり国際常識に
外れていると認めているのです。

こういうことが起こったのは戦後の日教組教育によるものです。
今の民主党の左よりの人は、そういう人が多いのです。

当たり前のことが当たり前と認められて兎に角、一安心です。

だた、本当のことをいえば、当たり前のことが最高裁まで争われる
というような無駄なエネルギーを使わなくてもいい社会であるべきだと
考えます。

 


判事ディード 法の聖域 第11話 陰謀

2011年05月30日 | 判事ディード 法の聖域

判事ディード 法の聖域のご紹介ができておりませんが、
ドラマは毎週見ております。
ただ、バルト三国旅行中は、録画取りに失敗し、見逃しております。
こういう機械ものには弱いのです。

さて、第11話まできました。
ディードに対する嫌がらせはますますひどくなっております。
しかしハイコートジャッジをやめさせることはできないので(100年以上前に1回だけあった
ということですが、それ以上にハイコートジャジをやめさせるということは
自分たちの名誉にも関わるので、誰もしたくはないということです)
ディードの弱点である恋人のジョーが狙われています。
これまでの回で、資格をはく奪しようとする企みがあったり
(これはディードの機転で危機を脱しました)、
その後は、検察側の代理人としての仕事を減らしたり、
前回はその名簿リストから外そうとするなど、
陰湿な嫌がらせが続いています。
そしてディード対策としては、つまらない事件だけを配点する、重要な
事件からは外すことにしたのです。

11話では、徐々にジョーにも仕事が回ってくるようになり、
現職国会議員の殺人未遂事件の仕事の依頼がありました。
被告人の弁護士はあのやり手のカウントウエル(第6話政略への反抗)です。
相手に不足はありません。ジョーはやる気満々というところです。
この事件、本来はモンティ・エヴァラードといってディードより上席の裁判官の担当予定でした。

モンティは俗っぽい判事で、官舎の一番いい部屋を自分を差し置いてディードが使っているのが
気に入らないと言って帰ってしまうとか、
EUの人権研修セミナーで自分が目に付けた女性判事をディードが取ったというので
ディードを嫌っているのです。

さて、国会議員の殺人未遂事件は、このようにディードではなくモンティが担当することに
なっていたのです。
ですが、モンティの奥さんは強姦とか殺人とかジューシーな事件がお気に入りなんです。
ということで、ディード担当のそういう事件とMPの殺人未遂事件を交換することにしたのです。
モンティの奥さんの好みはほかの裁判官や弁護士たちの知るところです。
(ドラマだけの世界なのか現実の世界もそうなのかわかりませんが、ありそうにも思います。)

ということで、またまたディードとジョーは法廷で顔を合わせることになりました。
しかし、この殺人未遂事件は被告人が現職の国会議員ですから政治的なものであり、
例のイアンはカンカンです。モンティに取り戻すように指示するのですが、
奥さんが頑として言うことをきかず、ハイコートのジャッジたるもの政治的圧力に屈しては
駄目よなどと、取り合ってくれません。

さて、この事件ですが、本当によくわかりません。
最初は、証拠十分、有罪確実のようにみえるのですが、
ディードの親友のロウも、証拠が怪しいよなどと警察官らしからぬことを囁きます。
知らないソリシターからMPのコートに血はついていなかった、目撃したなどという
無罪を疑わせる情報の提供がジョーに寄せられたりで、
ジョーも自信がなくなります。
誰かがMPの無罪を望んでいるのか、あるいはそもそも殺人未遂事件が陰謀なのかです。

被害者はMPと性的関係があった男です(つまり同性愛ですね)。
お金を渡したりする仲だったようです。
不都合な手紙を取り戻したいMPと金がほしい被害者の男。
動機はあるのです。
もちろん、MPは否認です。

MPは犯行現場から車で逃走する途中で逮捕されたということですが、
緊急手配の指示が出てから逮捕するまで11分ですが、この間に13キロ走っているのです。
ということは、時速70キロで走行したことになるわけで、
一般道路をそのような高速で走ることができたかが大きな疑問点でした。

また、その手配テープですが、その録音開始時間には、まだ犯行前であり、
犯行前に逮捕の指示命令が出ていたというのもおかしいのです。
また、テープが数種類あって、どれがオリジナルかわからいなど、
疑問だらけです。

このMPさん、兵器産業にかかわる若い科学者たちの不審死について調査をしていたようなのです。
そして、ロウも退職が近づき、どうやら兵器産業界に第二の人生を託そうとしていたようで、
陰謀にかかわる動機はあったのです。
ロウの不審な動きにディードは裏切られたと激しく罵ります。
(何かわけがあるような気がしますが、この回ではわかりません)

ということで、ディードはこれ以上裁判を継続することは危険だということで、裁判を
中止します。陪審員に無罪の説示をするのは適当ではないということで、ディード限りの
判断で停止することになったのです。
11話も見てきますと、ディードのこの判断もすっきりと理解できるようになりました。

そういうことで、裁判の方はあまり面白かったというわけではなかったのですが、
ディードの私生活面でおもしろい発見がありました。
ディードの女性関係は、手当たりしだいという感じです。
ですが、ジョーが自分のために嫌がらせを受けていることや、やはり本当は彼女を愛しているの
だと思いますが、
一人の女性(ジョーのこと)との関係を継続させられるようにしたいと、
カウンセリングーを受けることにしたのです。
悪いことに相手は女性でした。

ディードが養子だったことは既に述べました。
その養母は実はディードが10歳のときに鬱が原因で自殺したのです。
カウンセラーがこの辺りのことをしつこく聞きます。
母親が死亡してから、父親はディードと姉と距離を置き、心を閉ざしたようだとか、
何か自分を責めていたようだといい、母親のことには触れたがりません。
ようやく、母親が死亡してから階段の下の物置に閉じこもるようになったこと、
母親のにおいバニラ(パン屋さんですから)が懐かしく、
いまでもそのいい匂いがするというのです。
物置から出てきたくない、ずっと閉じこもったままでいたいと思ったと、
涙を流しながら思いだします。

おそらく、これがディードの女性問題の根本的な原因ではないかと思います。
ディードにとっては、女性との関係は全く物理的なものであり、
朝夕にシャワーを浴びるようなものだ、
だから気持ちは後に残らないというのです。

そして、とうとうカウンセラーとも一線を越えてしまいました。

ジョーにも告白しました。

ということで、ディードの女性問題については今後もいろいろ期待?できそうです。

さて、冒頭で元妻のジョージが代理人を務める民事事件がありました。
新進気鋭の下着デザイナーのデザインを盗用したという損害賠償請求事件です。
前にも述べましたが、イギリスの裁判官はいろんな事件を扱うのです。
全くの盗用だということで、ジョージの方を敗訴させます。
ディードはいつも、ジョージには厳しいようです。
その損害賠償ですが、普通のいわゆる損害のほか、加重損害というものを認めていました。
aggravated damages というのですが、アメリカでいう懲罰的な損害というのではなく、
そこまではいかないが非難すべき行為だと認められたときに命じられるようです。
英法律用語辞典で調べてみると、精神的、あるいは名誉に対する損害のようです。
この加重損害の方が3倍も多かったということは、大きな意味があります。

イギリスの法律事情に詳しくなりつつあります。
楽しみながら勉強できるのが嬉しいですね。
 


サルトル的発想

2011年05月29日 | 生き方・人生

28日の日経夕刊の「海老坂武さんに聞く サルトル的発想」に同感する
ところがありました。

「生きる意味は自分でつくらないといけない」
そういうことだと理解はできますが、実際はなかなか難しい。
「人間とは希望である」というのもわかるが、実際は何を希望するのか
何に希望を持つのか、具体的には難しい。

ただ、とにかく、前向きにという姿勢だけはどうにかなりそうです。

「アロン(立場を明らかにせず、物事を観察してその内容だけを示す。
だから間違わない)とともに誤らないことを選ぶのではなく、
サルトルとともに誤ることを選ぶ」
私はこういう生き方が好きです。
そして、誤りを恐れず選択をし続けていくことが進歩、前進、発展で
あると信じています。
ですが、現実にはアロンタイプが多いようです。

「別に自分は賛成投票をしたわけではないのに、どんどん既成事実が
つくられた」
今の日本の状況や菅首相などがそうです。
私たちには、菅氏を総理に選ぶかどうかの選択肢を与えられたことはありません。
なのに総理になり、勝手なことを、思いつきで発表しています。
外国の首脳会談の席でも平気で思いつき、言いたい放題です。

こういう状態をつくったのは、ほかでもない、ものをいわない国民性です。

個人的なことから国民性についてまで、考えさせられました。

ものをいうこと、選択すること(お上任せにしないこと)が、これほど
求められている時代はないと思います。


オバマの中東演説、イスラエルの領土問題に関するアプローチ

2011年05月28日 | オバマ大統領について

オバマ大統領が、先日ヒラリークリントン率いる国務総省において
中東と北アフリカについての演説をしました。
エジプト訪問での演説以来1年弱ですが、
当時は予想できないほど民主化に向けての大きな波が押し寄せました。
ただ、政権打倒に成功したエジプトやチュニジアですら、
新しい秩序作りには四苦八苦しており、まだまだ予断を許しません。

アラブ問題といえば、イスラエルが常に争点です。

オバマ大統領は、イスラエルとパレスチナの領土問題の解決について
まずは1967年合意の線に基づくべきとの具体的な提案をしました。
イスラエルにとっては、到底納得できるものではないことは分かったうえでの
提案でしょう。

この問題を解決すべきとの認識は、関係者、当事者、いずれも争いは
ないはずです。
ただ、どこに線を引くかは、難しいでしょう。
ですが、解決をするためのスタートとして一度決めた線を提案したことは
私はとても現実的と考えます。
実際、それ以外にないと思います。

要は、解決するという意欲の問題です。
現実にパレスチナの多くの人が住んでいる以上、どこかを彼らの土地と
認めるしかありません。
2,3日前にイスラエルの人たちの世論調査の結果が発表されていましたが、
6割がオバマの提案に賛成とのことでした。

ゲイツ国防長官は、オバマ大統領は意思決定するまでに、
いろいろと意見を聞き時間をかけるが、
きちんと判断すると称賛していましたが、
オサマ・ビン・ラディンのこともそうです。

まず決断すると決めることです。
そうすれば、かならず決まるものです。

日本の政治家は、菅総理を筆頭に決断の仕方を外国に倣って
ケーススタディすべきと思います。

何もできない日本、と軽蔑されています。
現実の世界では絶対的な正解などないのです。
間違っていたら修正すればいいだけです。
そのためにも、決定の経過をきちんと認識しておくことです。
そうすれば修正もできます。
国民も納得します。


「辞めるのやめた」ら永年表彰、鳩山元首相に政治不信

2011年05月27日 | 政治、経済、社会問題

鳩山元首相がいったん政界を引退することを表明しながら、
簡単に撤回したことについて、
政治家の頭の中は、一般庶民とは全く違っているらしいとわかりましたが、
なんとなんと、その結果永年表彰まで受けることになるというのでは、
もう言う言葉もありません。

そもそも鳩山元首相が首相としてしたことは、日本の国、国民に大きな
損害をもたらしました。
また、沖縄の問題について、何もわからなかったなど
政治家の資格はないはずですが、ご本人はそのことを恥じているようでもありません。

菅総理は、首相になれば思いつきで好きなことができると考えているようです。
でも、国民は白紙委任をしたことなどありません。
この人も政治家の資格なしです。

さて、東京電力が福島第一原発の報告書を発表しましたが、
これまでの説明とあまりにも違っています。
もちろんこれまでの説明が虚偽だったことはわかりますが、
隠ぺい体質のある会社の発表などどこまで信じていいのかわかりません。
この報告書が正しい信じるわけにはいきません。
それほどナイーブではありません。

そしてまた枝野氏は東電は正直に報告をなどと言っていますが、
東電に口出ししていたことを忘れたのでしょうか。同じ穴の狢です。
結局、会社と政治家が責任のなすりつけ合いをしているだけです。
そのうえ、専門家といわれる学者先生もどこまで信じていいのかわかりません。

まさしく、政治不信です。国民にとってこれほど不幸なことはありません。

政治家や御用学者先生が、責任を意識していないらしいことが、一番怖いです。

日本ではそれらしくなればなるほど、おかしくなる国のようです。
だからこそ、怖いのです。

ひとりひとりが不信を声を出すこと、それが大きな声、改革につながる大きなエネルギーに
なると信じて、こうして毎日ブログを書いています。

ですが、ときどき、というかほとんど毎日のように無力を感じています。

最近は、絶望に近いです。

みなさん、おかしいと思うはずです。
どういう形でもいいですから、声を挙げてください。
この国のために、若い人たちには幸せになってほしいです。
希望を持ってほしいです。
そういう日本にできるように、一緒に声をあげましょう!!