弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

つれづれ 纏まりのない日

2011年11月14日 | トルコ旅行

この日曜日は一歩も家を出ることなく、まとまりのない一日
でした。
こういう日は、頭の中も纏まりがなく、ブログに書くことも思いも
浮かびません。
最低の時間です。

このところ、トルコのニュースが世界を騒がせているようです。

マルマラ海のイスタンブールに近いところ、イズミット付近で
11日フェーリーがハイジャックされ、乗客乗員24名が人質
となっていましたが、12日、トルコ当局の治安部隊によって
無事救助されてということでした。
犯人は一人で、人質は全員無事解放されたということで、
他人事ながらほっとしています。
犯人はクルド労働者党に所属していたということですが、
食べ物を要求したというだけで、爆発物もどうやらいい加減だったようで、
良くわからない事件でしたが、犯人はテレビに映りたいと言っていた
というので、目立ちたかっただけ?かもしれません。

マルマラ海は、先日のトルコ旅行でフェーリーで渡ったところでした。
事件の起こったところは、右端のイズミット湾で、
私が通ったところは左下の方のチャネッカレ付近でしたが、
それでも同じマルマラ海です。
プリンセス島にはクルド労働者党(非合法組織)のリーダーが収容されている
というので、あるいはその釈放要求か?との声もあったようです。
マルマラ諸島は大理石の産地ということで(マルマラはギリシャ語の大理石
から)、この海の名前もそこから来ているということです。
旅行中には大理石の話は聞きましたが、政治犯を収容する刑務所のことは
聞きませんでした。

この写真が、私がフェーリーで渡ったマルマラ海の風景です。
正確にはダルネルス海峡です。
こんな穏やかな海でハイジャックが起こるのなど想像もできませんね。

 

いろいろな所を旅すると、世界のニュースも身近に感じます。


トルコの思い出

2011年11月11日 | トルコ旅行

トルコは地震国です。

10月23日の死者約600人のM7.2の地震に続き、
また9日東部のワン近郊で地震が発生しました。
Mは5.6ですが、ホテルが倒壊がするなど大きな被害が
出ています。

旅行から帰ってまだ1か月強ですので、とても悲しいです。
他人事とは思えません。

トルコはイスラム圏ですが、ちょっと違っています。
イスタンブールのように西洋とイスラムがミックスしている感じです。

これはイスタンブールのショッピング通り、日本でいえば銀座通りの
ようなところです。
タクシム広場を起点とする長い長い通りです。
ブランドショップが軒並み並んでいます。
路面電車は走っていますが、歩行者天国です。

 

本当はもっと人が多いのですが、
ちょっと不思議なのは、ウインドーショッピングをすることなく
ただスタスタと歩いているように見えることです。
だらだら、ゆっくりではなく、サッサという感じで人の流れが
途切れることなく続いているのです。

この日は土曜日でしたが、いつもこういう感じということです。

何かこう空気を楽しんでいるというか
この場所にいることを楽しんでいるというのか、
ちょっと不思議な感じでした。

若い人ばかりで、あまりイスラムぽくもありません。

トルコを象徴するような風景でしょうか??
まだ旅の余韻が残っています。

それだけに地震のニュースには心痛めています。


タオルアニマル

2011年10月13日 | トルコ旅行

ホテルのお部屋に入ってサプライズがあるのは嬉しいです。

イスタンブールのホテルは広々としてとても気持ちが
良かったです。
私は閉所恐怖症とまではいきませんが、狭い所に閉じ込められた
感じでは息苦しくなってしまいます。
それだけに角部屋の両面の窓が大きく開き、明るい部屋は、有難いです。

そこにこんなお迎えです。

バスタオルで作った鶴がカードを持ってベッドで待っています。

ちょっとした心遣いですが、心が和みます。

今回調べてわかったのですが、こういうのをタオルアニマルというのですね。

前にも一度だけタオルアニマルのお迎えを受けたことがありました。
ナイアガラの滝が真ん前にみえるホテル(カナダ側)でした。
このホテルのお部屋も本当に広々としていました。
そのときは大きなバスタブに羽を広げたクジャクがおいてありました。
初めてなので感動しました。
バスタブを船に見立て、クジャクは船首飾りのようでした。
そのときは感動のあまり、写真を撮り忘れましたので、
今度はバッチリと撮影しました。

イスタンブールはシェラトンでしたが、ナイアガラもひょっとしてシェラトン
だっかかもしれません(はっきり記憶なし)。

ホンのひと手間かもしれませんが、こういうのって嬉しいですね。


トルコ雑感① 実際的・現実的民族

2011年10月12日 | トルコ旅行

私は、おせっかいおばさんです。
何か困ったことが起こっている場合には、勝手に解決役を
引き受けてしまいます。
子供がいたずらしたり、悪いことをしていると注意をしてしまいます。
これは仕事も同じで、ついつい余計な事をしてしてしまいます。
ですから、他の弁護士なら到底できないような良い結果を引き出す
ことができたりします。

いずれにしても、お節介というのは本人にとってもいい結果を
もたらします(でも時には、悪意のある人からはとんでもない
言いがかりを受けたりする危険もありますが)。

さて、今度の旅の現地ガイドさん、日本語も流暢で、美人でした。
みんな満足でした。
彼女が、秋の多忙なときには、1か月に5つも6つもツアーを頼まれるの
などと聞いて、休む暇がありませんね、などと雑談しました。
(これは個人的な会話です)
最後の日は、空港での手続き等に長時間をつかいますが、
ピンチヒッターでした。
ほとんど理解できない日本語しか話せないガイドでした。

外国で品物を買った場合の免税手続きについては、
購入時に税を控除する国、後でリファンドするなどいろいろです。
トルコは、購入時に控除してくれますが、出国のときに
書類と品物を示して手続きする仕組みです。
そしてツアーに組み込まれたお店で買ったものについては
お店の人が空港に来て手続きを手伝ってくれるということでした。
ところが、現地ガイドさんの日本語を聞いてもさっぱりわかりません。
お店の人は英語を話しません。
添乗員さんは航空会社のカウンターで搭乗手続きに忙しくしています。

そこでやむなく私の出番です。
該当者を集め、旅券を集め、検査場所に誘導しました。
(私も当事者ですから、ついでということもあります)
品物を持って部屋に入りました。部屋の入れるということ自体、あまりないことです。
その後は、横でチャックをするだけにしましたが・・・
見ていると、税関の係員は一人しかおらず、忙しくしています。
(個人的に買い物した人については、もう少し厳格な検査のようです)
お店の人は当然のように、係員の了解を得ずに備え付けのスタンプを使って、
書類にどしどしスタンプを押していきます。
品物のチェックなど一切なしです。
あっという間に終了です。

つまり、お店の人にすべてを任しているというわけです。
お店の店員は税関職員の補助者であり、補助者にすべてをまかせて
いるというわけです。
ですからめくら判ではないわけです。
何か問題があれば、すべてお店の責任というわけです。
確かに、こういうやり方の場合は、そうなります。

ここまで、まかせっきりにするなど、日本人には想像もつきませんが、
国にとっては、税金について不正がなければいいわけですし、、
お店にとってはできるだけ多くかってもらえばいいわけですから
顧客の時間を節約する(買い物増につながる)
こういうやり方は極めて効率的というわけです。

私の限られた海外旅行の買い物経験ですが、こういうのは初めてでした。

そもそもトルコはアジアとヨーロッパに跨る国です。
イスラムの国(95%がイスラム教徒)でありながら、世俗主義を採用し、
国の基本的なところはヨーロッパ式です。
これはトルコが共和国になったときの初代大統領のアタテュルク氏の近代化政策
(ラテンアルファベットの採用、太陽暦の採用、一夫一妻制、日曜日の休日
指定、婦人参政権、姓の取得、政教分離としてトルコ帽の禁止)の実行
によるものですが、
これがうまくいっているということ自体、トルコ民族にそれを受け入れる
土壌があったということにほかなりません。
今、トルコはEU加盟を表明していますが、中近東の中で、複雑な
成り立ちの国でありながら、西欧式民主主義が定着しているのも、
トルコ民族の実際的・現実的な物の考え方にあるのかもしれません。

トルコが魅力的なのも頷けます。


トルコの清潔と民族のDNA

2011年10月09日 | トルコ旅行

トルコの街が清潔だったことは、ご報告ずみです。

秋の連休の初日、秋晴れとまではいえないが、暑くもなく
寒くもなく、心地よい。
旅行でリフレッシュできたのかも知れない。
久しぶりに外回りの掃除。窓の拭き掃除やバルコニーの
掃き掃除などは、余計なエネルギーを必要とする作業ですが、
気にならない。
ということで、掃除に精を出す。

ところで、不思議なもので、身体を動かすと、どうやら頭の方も
動き出すらしい。
そういえば、なくなったアップルのジョブズ氏も新製品のプレゼンテーション
のときは、ステージを動き回っていたようだ。

トルコの街は清潔だった。
トルコの移民はドイツで大問題を起こすほど、多いという。
そういえば、現地ガイドさん、ドイツからの移民が国会議員になった
と誇らしげに教えてくれた。
また、カッパドキア付近で、こぎれいな一戸建ての建物を示しながら
あれはドイツに移民している人の別荘だと紹介してくれた。
あちこちにたくさんある。
子供の教育等のためにはドイツにとどまる必要がある、
でも故郷のトルコは忘れられない、というわけで夏休みを利用して
別荘に帰ってくるというわけである。

さて、ドイツといえば、清潔なことで知られている。
キッチンなどは使っていないのではないかと思われるほど
ピカピカとか、聞いたことがある。

トルコ人の移民先はドイツが一番多いというが、
トルコ人の清潔好きがドイツの国民性とあっていたからかもしれない、
あるいは多くのトルコ人がドイツに移民したから、
ドイツ人の清潔好きを学んだのだろうか、
窓ふきをしていると、ふと、こんな疑問が浮かんできた。
後者であったとしても、トルコ人にはもともと清潔性のDNAがあったに
ちがいない。
民族のDNAなんてそう簡単には変わるものではないからだ。

そういえばアフガン戦争、10年になるという。
しかし、アフガン戦争の目標達成したというには程遠いという。
アフガン人、アメリカ人双方に多くの犠牲が出ているにも関わらずである。

要は、民族のDNAはそんなに簡単には変わらないということだ、
当事者自身の変えようとの意欲がなければである。

世界中を旅して、思うことである。

そしてそれは個人についても言える。
本人が変わろうとしなければ、外からは変えることができない。

掃除をしながらそんなことを考えた。
個人のDNA、民族のDNA、簡単にはかわらない、
でも変えなければならないことが多い、
どうするか、各人に気付かせるように、創造力を発揮するか、
あるいは気長にやるしかない・・・