弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

何おこるかわからない ハリケーン・サンディ

2012年10月29日 | 海外事情

アメリカの東海岸、人口密集地域、ニューヨーク、ワシントン、
フィラデルフィアなどを襲う、ハリケーン・サンディ
大統領選挙にも大きな影響を与えています。

オバマ大統領は選挙活動を中止して、
ワシントンで陣頭指揮です。
リーダーシップが即、問われてるような感じです。

   

   
 いつも混雑しているグランド・セントラル駅がかっらぽです。


災害、事件にあふれた世界

2012年10月28日 | 日記

ハワイで津波57センチ カナダ沖M7.7の地震(朝日新聞) - goo ニュース

幸い大きな被害はないようです。
ハワイの津波警報も解除されました。

世界のニュースをみていると、一日として平穏な日はないように
見えます。
地震、台風などの自然災害で多くの人が死亡、
民族間の紛争による殺し合い、
今では、またかという感じです。

今日は、お休みにしたい気分です。


第三極の大連合

2012年10月27日 | 政治、経済、社会問題

自民・石破氏「順序が逆」、石原氏の「大連合」を批判(朝日新聞) - goo ニュース

ちっとも順序が逆とは思わないです。
そもそも何もかもが一致するなどあり得ないことです。
基本的な考え方、政策が一致していればいいのだと思います。

ただ問題は「それぞれ個性があって、この人たちがみんな
第三極としてまとまるかは非常に疑問だ」と言う可能性はあります。
みんな一匹狼的なところがある人たちです。

しかし、それぞれ信念があってのこと、日本を変える、それは今しかない
という点で一致できれば、纏まれる、纏まるしかないと考えます。

あとは、纏めることができるリーダーがいるかどうかです。
可能性としてはあるのではないでしょうか。

そして、もうひとつ問題はといよりは本当の勝負は第三極として纏まった後です。
アラブの春でもそうですが、新しい体制を作ることは本当に困難です。
そこで纏まれるか、それが大問題です。

なお、官僚批判については、若干疑問です。
国家としての継続性はどうするかです。
政治に影響されない組織の存在は必要と思います。
政治家はそれをリードしたり、方向性を決めることだと思います。
今、日本でそれができていないのは、そもそも政治家の質が
低いからと思います。
まずは政治家が変わらなければいけません。


アメリカと日本の違い

2012年10月26日 | 日記

グーグルで最も活躍する日本人の軌跡 飛び込んだから実感できた個性を生かす米国と日本の違い 高校から多様性を尊重し日替わりヒーローを生む挑戦風土(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

少々話がそれるかもしれませんが、
日本は後からルールが決まる国であり、
アメリカは最初にルールを作る国ではないかと思うのです。

例にとると、日本は投網で一遍に魚をとる、当然、大きいの小さいの
あるいは石ころなど全く関係ないものもある。
とった後、これは違う、これはAだ、これはBだと決めるわけです。
今度はちがうところで投網をすると当然魚だってちがうと思うのですが、
投網というのは同じなので、取れたものの違いをどう判断するか
基準が明確ではないのです。

ところがアメリカは、一本ずりのようなものです。
一つ一つの事実を前提にルールを決めるのです。
Aの魚の場合は、Bの場合は、さらに、雨の場合は、沖合から~キロ以内の
場合はという風に事細かにまずルールが決まり、
嵐の場合がなかったとすると、まずそれに似通ったルールを元に
どこが同じでどこが違うので、こういう風にしよう、そして新しいルールができるのです。
だからアメリカの場合は事細かにルールを覚える必要がある、
でもそういうルールのまだないところでは、今あるルールを考えながら、異なった事実のもとで
どうすべきか自分で判断できるのです。

青色ダイオードの中村修二氏が日本は「本に書いてあることを教える」
アメリカは「本にもなっていない生きた知識をを教える」という言い方(25日日経新聞
辛言直言)をしているのも同じことではないかと思います。

したがって、1票の価値の平等というルールがしっかりとしていれば、
当然1票=1倍だとなります。
1.1倍とか1.2倍と言うことはあり得ても
5倍などということはあり得ないのです。

多様性というのは基準の明確ないろんなルールがあるということだと思います。
1倍と5倍が同じというのは1から5まで要は一つということですが、
アメリカ風では最低限1,2,3,4,5の5通りの多様性がある、
あるいは、1、1.1、1,2,1,3、2以上というような多様性になるのかもしれませんが
いずれにしても一通りではないはずです。
そして1というのはせいぜい1.3くらいまでというのは四捨五入すれば1ですから
誰にも理解できますが、
1というのは5まで含むんだとなると1と2,1と3、1と4、1と5は絶対に違うわけですから
それが同じというのでは、誰にもわからないと思うのです。
同じなら2,3,4,5も不要なはずです。
少なくとも外国人にはわからないと思います。

抽象的な話になってしまいましたが、こういう分かりにくさがアメリカには
ないということなのだと思います。
わけのわからないことを気にしなくてもいいというのが個性を生かす
という感じになるのではと思うのです。

世界標準の考え方、ルールが当然な社会にしなければならないと思います。