弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

Law&Orderからみるアメリカ、最終回

2012年03月08日 | Law&Order

火曜日で一応最終回となりました。

最終回は、私には少々物足りなかったです。
本場アメリカでは、当時、教育現場でこのような議論があったということですから
関心を持って見られたはずです。

鑑賞の仕方はいろいろでしょうが、私はどちらかといえば法廷ものとして
見ていました。
もともとLaw&Orderは捜査と裁判の両方を一つのドラマで見ることができる
というものでしから、警察ものとしてみる見方もあります。
こちらに関心があった方には最終回は見ごたえがあったと思います。

この後も、今度はゲストスター特集としての放送が続くようですが、
私はとりあえず卒業とするつもりです。

一番勉強になったのは、問題提起の仕方です。
生の事実は同じですが、どこをどのようにきりとるかで、事件は全く別のものに
なります。
それによって、法律的に強くなったり弱くなったりするようです。

もうひとつ、コンピューターからの情報や、監視カメラなどITなしでは
捜査や裁判すらできないのではないかということです。
日本もいずれはこのようになるのでしょうか。

 


Law&Orderからみるアメリカ、検事は社会正義のため

2012年03月05日 | Law&Order

21回目も良かったですね。

検事は犯罪を訴追するのが仕事ですが、でもただ処罰だけを
目的としているわけではない、ということは、日本でも一般論として
教えられています。

21回目のカッターの審問をみていると、どちら側の尋問をしているのか
と思うことがありました。

カッターとしては、いかに同情すべき理由があろうとも人を殺した以上、処罰せざるを得ない、
かといって、弱みに付け込んで、そこまで追い込んでいき、巨額の利益を
得ている者をゆるしておくわけにはいかない、
本当の被害者のためになんとかしたいというわけです。

そこで、取引をするわけですが、今回は、ラボから示談金を出させることで
被告人に有罪を認めさせるという、なかなか難しい役回りです。
(陪審裁判というのは、実際に殺人があっても、陪審員が同情すると無罪にしてしまい
ます。これは法律論を越えていますが、よくも悪くもそれが陪審制です。
カッターもみとめていたように、陪審員でなくとも同情してしまうような事件です。
ですから、全体としての正義を実現しようとすると、取引による解決しかないのです。)
マッコイも出てきて、勝手に採血するのはbatteryに当たる、犯行の場(採血した
介護施設)が自分の管轄だ、つまりいつでも立件できるよと、まー脅しみたいな
ものですね、といって、検事3人が、かわるがわる説得するわけで、1000万ドル
一時金での示談もやむを得ないと観念するしかないですね。
被告人もこれで50年の一族の無念を晴らし、墓をつくり、みんながそれなりの生活
ができるとなれば、取引も悪くはないわけです。

今回は、犯罪の背景、本来ならば弁護側がすべきことかもしれませんが、
検事には真実発見の義務があるわけで、被告人に有利な事情についての
検事の取り調べにかかる部分が丁寧に描かれていたと思います。

なお、警部補のヴェン・ビューレンが自らの癌患者としての気持ちをカッターから
聞かれます。確かにプライバシーにかかることで怒りももっともですが、
彼女のいうように、「勝つためなら」何でもする、と簡単に割り切れないと
思います。
私には、むしろ、カッターも真実も知りたかったのでは思います。
そしてその真実は、どちらかというと、被告人に有利なのではと思うのです。
ヴェン・ビューレンも認めるように癌になれば、要は、治る治療法であれば
何にでも救いを求める、その治療法の背景に何があろうと関係ないというのが
本当の気持ちでしょう。
とすれば、そういう画期的な治療法の発見の貢献者でありながら、何も
知らされずただだた利用されてきただけの被告人・被害者一族は
医学の進歩の被害者です。それが大きくクローズアップされると思うのです。
だとすると、陪審員は被告人により同情的になるのではないでしょうか。

今回は、ラボから巨額の示談金を引き出させ、被告人ら一族の50年にわたる
屈辱を果たすために、逆に被告人の裁判が利用されていたように思います。

だから、見終わって、正義が良い形で果たされたという安ど感が残りました。

事件というのは複雑な背景があります。
それぞれの事件に相応しい弾力的な解決ができるという点で司法取引の
制度も悪くないと思います。
しかし、こういう制度は、検事にはとても負担がかかります。
完全に堕落した日本の検事にはできそうにないですね。

 


Law&Orderからみるアメリカ、検事と家裁の手続き、その他

2012年03月03日 | Law&Order

Law&Orderをみていると、刑事事件に関連して検事が家事事件に
積極的に関与しているのが見られます。

最近では、子供の親権についてと養子縁組の無効でした。
日本でも検事は公共の代理人として民事に関与することができることになって
いますが、実例については、あまり、というか全然知りません。
アメリカは違うのでしょうか。

親権についていえば、孫可愛さに妻の実の親が離婚した夫と結託するという
のは、日本でもあることなのです。
自分の娘をコントロールするのは難しいけれど、どういうわけか娘と離婚した
他人である元義理の息子は協力的ということはあるのです。
祖父母と孫の関係は、せいぜい面接交渉が認められる程度です。
ですから、孫と日常的に接するためには親の親権を利用するしかないのです。
そこでいうことをきかない娘よりは、というわけで、義理の元息子と結託するのです。
私も、ずっと昔に扱ったことがあります。
当時は、納得できないところがありましたが、いろいろと経験を積んだ今では
ストーンと理解できます。
本当に何でもできるんです。こわいですね。

養子縁組については、今回は、いわゆるレスビアンの女性が一緒に生活するために
養子縁組を利用したのですね。
このLaw&Order当時は、まだニューヨークでは同性婚が認められていませんでした。
(なお、今現在は、ニューヨーク州でも合法化されています。つい最近です。)
法律の趣旨に反するので、養子縁組は無効になりましたね。
これは、つい最近のアメリカのお話ですが、
損害賠償請求が起こった場合に備えて財産保全のために、年齢もほとんどかわらない
にもかかわらず、自分の恋人と養子縁組したというニュースを見たことがあります。
超有名人のようでした。
きっと、このケースの場合も、実際に問題が起こった場合には、養子縁組は無効に
なる可能性が大きいですね。

いずれにしてもアメリカでおこっていることは、日本でも起こっているということ
であり、Law&Orderがおもしろいのは、そういうことなんだと思います。

Law&Orderも残りが少なくなりました。
シーズン20で終わることになっています。
20話では、マッコイは若い二人のコンビに満足しているようでした。

私も、大変勉強になっています。
日本の法学教育、法曹教育はもっと変わらなければならないと感じています。

 


Law&Orderからみるアメリカ、マイケル・カッター検事は?

2012年02月28日 | Law&Order

金曜日放送の16回は迫力がありました。

恩師との戦いは鬼気迫るものがありました。
ただ、正義だけのためなのか、恩師を越えたいという思いか、
そして恩師はカッターの検事資格さえ奪う秘密を暴露する、
本当に人間て怖いです。

ですから、月曜日17回では、カッターがみられるのか、気になっていました。
これまでと変わりなかったですね。
安心しましたが、ちょっとキツネに包まれたみたいな気分です。
16回て本当にあったのかしら?

多分、裏の裏まで知り尽くしているマッコイが奇跡を起こしたんですね。
それしかありませんものね。

抽象的で申し訳ないですが、
このところのLaw&Orderを見ていると、法廷の場は真剣勝負だということ
が本当によくわかります。
人間の感情をうまーく利用して、自白させてしまうテクニークは素晴らしいですね。

カッターはマッコイとは違ったタイプの熱血正義派の検事です。

また警察と検察のチークワークも、ときには衝突しながらも、しっかりと信頼関係で
結ばれていてみていて気持ちがいいですね。

最後の場面で、事件現場に呼び出されていくルポー刑事にカッターは
「Ditecitive Be safe 」と声をかけています。
人間的に成長しているようです。
やはり苦労したからでしょうか。

とにかく、今日は、カッターが無事であったこと、事件も被害者4人に対してそれぞれ
有罪を勝ちとり大成功であったこと、カッター流の法廷活動が冴えていたことが
見られてほっとしています。
あっという間の45分でした。


 


Law&Orderからみるアメリカ、判事の質について

2012年02月16日 | Law&Order

15日のLaw&Orderは迫力がありました。
じっくりと後日、検討します。

気になった言葉がありました。
判事の半分はきちんとしているけれど、そうでない判事も半分はいると
いう趣旨の発言をカッターがしていました。
そのうえで、そうでない判事を上手く利用することを考えているわけです。

実は、最近、私もようやく悟りました。
本当に、信じられないような裁判官がいるのです。
というより、きちんとした方が少ないと考えるべきではないかと思うように
なりました。

ですから、裁判というのは、裁判官というのは、そういう人たちが多いという
前提で、訴訟活動をすべきということです。
間違っても、正しい判断を仰ぐなとと考えてはいけないということです。

ただ、問題はアメリカでは、判事はその場で口頭でやり取りし、
その結果もその場で口頭で示します。
ですから、思考過程が手に取るようにわかります。
対応がしやすいです。
日本では、やり取りは書面です。
そして、結果も書面です。この間に、双方の考えを突き合わせる作業がありません。
結果の書面をみて、なんだ、そうな風に考えていたんだ、ということが
わかるわけです。

たしか、裁判員制度による無罪の判決について、最高裁は、生の法廷での
やりとりを重視すべきという判決をつい最近出しました。
これからは、すべての裁判について、そうあるべきと思いますが、
裁判に関わっているひとには、石ころがいっぱいいることを
心しておく必要がありそうです。