弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

2011年を回顧して、12月のまとめ

2011年12月31日 | 生き方・人生

この一年を回顧するにつき、12月のブログを纏めてみました。

纏めをしたり、回顧するためには、普段からの準備が大事だとわかりました。
今年は、日常の些細なことがきちんとできるようにを目標にして生活しました。
たとえば、家の中をいつも整理整頓できた状態にするためには、毎日、ちょこちょこと
掃除をし、整理整頓することでした。
今、はやりの「断捨離」ということでしょうが、私の場合は、私の発案でした。
ということで、毎月の纏めをしてはと気付いたのが12月初めでした。
年末のブログでは纏めをする目標で、毎日準備をしてきました。
今回は1か月分ですが、これで準備の仕方がわかりました。
一気に纏めてやろうとすると大仕事になりますが、毎日、ひと手間でいいということが
わかりました。
そのためには、目標が必要ということも・・・・

さて、12月のブログはつぎのとおりです。
改めて眺めるとそれなりのことがわかります。(下に続きます)

「疲れた」と思いながら「やるしかない」と気力を振り絞り「終わりよければ
すべてよし」と、なんとか納得、慰める、日々悩み、迷いつつ、頑張っている
私が見えてくるようです。ご苦労さんです・・

社会や政治に対しては、政治家の無能や無責任さにいらいらしているようです。
そういう私のいらだちは、「事故調査委員会の報告」や「八ッ場ダムの唐突なる再開、
政策変更」からも根拠のあるものだとわかります。
そして、そういう無責任が「粉ミルクからのセシウム」により現実に国民に対する
大きな被害をもたらしています。
しかし、国民は憤ることなく、それは「国民性」のようです。 
無責任は政治の世界だけではなく、日本を代表する「オリンパス」についても
いえます。これを社会に知らせたのは外国人である「ウッドフォード氏」です。
世界では「ネットと政治」のようにインターネットが政治を変えていますが、
日本では大きな波にはなっていません。
日本人には自浄意欲がないのでしょうか?
「ネットと政治」については、地球規模では「アー・サン・スー・チーとクリントンとの
会談」にあるように民主化の波が押し寄せています。
「米軍のイラク撤退」や「北朝鮮の金日正の死亡」には世界が大きく変動している
ことがみえてきます。
そして、それには「ノーベル平和賞3人の女性に」与えたように女性の果たす役割が
重要になっています。
透明性や情報の一般公開こそが、民主化のメルクマールですが、イギリスでは
「法廷からツィート」が認められ、さすが権利章典の国だと思わせられます。

こういう変動の時代だからこそ、家族や社会などの相互の「絆」が大事なので、それは
日本でもイギリスでも同じです(今年の漢字、クイーンのスピーチ)。

私はいえば、L&Oを通してアメリカを見ながら、何年か先の日本を想像しつつ、
高齢社会の進む中で、「三浦氏」や「トライアスロンの選手」に刺激されながら
90歳まで熱中できる自分相応しいものを探して、毎日ブログを
書き続けているというわけです。

来年こそは・・・・・と思いつつ・・・・

ブログは私の一部分しか書いていません。
弁護士の仕事のことは、具体的には何も書くわけにはいきません。
また、本当にプライベートなことは書きたくありません。
ですから、肝心なところは、ブログには出ていません。
それでも、こうして一覧してみると、ぼんやりと見えてきます。
良い悪いは別にして、今の私がここにはあります。

そういう私目線で  見た世界です。


90歳のトライアスロン選手

2011年12月30日 | いきいき人生

高齢社会での生き方について、最近、ヒントとなるニュースが
いくつかありました。

また、一つ見つけました。

イギリスでのお話です。90歳にして現役のトライアスロン選手です。
しかも素晴らしいのは真剣に始めたのは68歳からというのです。
普通なら、引退する年齢から始めたというのです。ここをどうぞ。

そういえば、エリザベス女王の夫君フィリップ殿下は90歳で、
このクリスマスには心臓の痛みで入院しましたが4日で退院し
お元気な様子でした。

個人的にもつい最近90歳の女性にお目にかかる機会がありましたが、
本当にはつらつとしていました。

高齢対策というと、介護施設や介護対策だけのようなイメージですが、
私はもっと自立対策に目を向けてほしいと考えています。

高齢者というのは何かに集中し、極めるのに向いているのではと考えます。
若い時は、子育てや仕事など、やるべきことがたくさんあります。
何かに熱中するのは難しいことです。
しかし、高齢になると、子育ても終わり、生活のための仕事も終わりになります。
ですから、一つのことに集中できる環境にあります。
体育系の人はこの90歳のアスリートや冒険家の三浦さんのようにスポーツに
集中すればいいと思います。
文学系の人は、なかなか良い例がないのですが、北斎のように(なお、北斎は
90歳で死亡ですが)好きな絵などに集中したらいいと思います。

最近はコンビニが高齢者向けのサービスを拡充しつつあります。
また、宅配や通信販売などのサービスも充実しつつあります。
家事サービスもあります。
こういう在宅サービスを充実してもらって、家庭にいて好きなことができればいいと
思います。
このアスリートのようにチャリティのための基金集めを目標にするのも
モチベーションを継続するのに有効だと思います。

折角、長生きするのであれば、自分のため、人のために、ささやかでも、
役に立てる方法が見つかれば、これ以上素晴らしいことはないと思います。

生きている限り燃焼し続けることができるのが理想の生き方でしょうか?

誰もができることではないのかもしれません。
熱中し、集中するのを見つけることも難しいです。
嫌だなとおもうときでも、規律をもってやり続けるということが一番難しい
ことです。
私などはついつい自分を甘やかしてしまいます。
言うは易し、行うは難しです。

最後に成功の秘訣についてのアスリートの言葉を引用しておきます。

I have to work really hard at keeping fit.
Being disciplined and going out and doing it
even when you don’t feel it
is the key to success.

 


日本人の国民性について

2011年12月29日 | 政治、経済、社会問題

日本人の国民性について、昨日述べた原発事故の検証委員会の
委員長は記者会見でつぎのようにいったという。

"People have a tendency not to see what they don't want to see,
not to hear what they don't want to hear,
not to think about things they don't want to think about,"

そういう国民性が大災害に対する準備や対応に失敗したというのです。

むしろ本当の国民性は次の通りではないかと思うのです。

"People have a tendency not to see what they want to see,
not to hear what they want to hear,
not to think about things they want to think about,"

つまり、(見たいと思っても無駄なので)みたいと思うことを見ない(ようにしている)、
(本当は聞きたいと思っても無駄なので)聞きたいと思うことを聞かない(ようにしている)、
(本当は考えたいと思っても無駄なので)考えたいと思うことを考えない(ようにしている)

ということではないかと思うのです。
日本は建前すなわちお上の社会です。しかし、人々は建前では生きてはいけません。
生きているのに必要な(建前でない)本当のことを知りたいのは生存本能
によるもので当然です。
しかし、建前のお上に逆らうことはできません。
そこで、選んだ生き方が、見てみないふりなのです。見ていないのではないです。
きちんと見ているのです。

だからこそ、(下々の)日本人は世界中から称賛されるところがあるのです。

見たくないものはみないというのは、いわゆるお上の日本人なのです。
お上というのは、本来責任を負っている者のことです。

事故検証委員長のいう日本人の国民性というのは、いわゆるエリートの
国民性のことです。
ただ問題は、そういうエリートの国民性?を赦す国民性にあるのではということです。

国民の忍耐強さ、それが一部のわがままを赦す、基本的には北朝鮮と
変わりがないのではなどと考えました。

つまらないことを考えました。

しかし、これこそが問題だと、私は信じています。

そういう中で大阪の橋下市長はよくやっています。
しかし実現までの予定をみましたが、もっとスピードアップすべきと
考えます。
そうでなければ、抵抗勢力が息を吹き返してくる時間を与えてしまいます。
あるいは、これをきっかけに、エリートの無責任を赦す国民性が変わると
いいのですが・・・・

 


政府の原発事故調査・検証委員会の中間報告について

2011年12月28日 | 生き方・人生

事故後9か月以上も経って、出された中間報告は、
500人近くの関係者のヒアリングをしたうえで出されたものですが、
目新しいものは何もないようです。

これまでに漏れてきた情報に基づいて、常識を持った人間なら
合理的に推測されるところと同じ結論です。

東京電力の関係者が全く専門的な知識がなかったことだとか、
保安院の指導というのは「情報を早く上げるように」と督促するだけだったとか、
枝野長官の発言がいかにいい加減だったか、
菅首相がいかに「イラカン」であったかなど
特に報告されるまでもなくわかることばかりでした。

この報告は政府のお偉方の事情聴取はしていないということですが、
本当は、こういう人たちの無責任で事故による被害が拡大したことを
本来なら明らかにすべきです。

枝野氏については、トルコ・日本経済フォーラムで基調講演のあいさつを聞きましたが、
例によって中身のない、抽象的なことだけでした。
このフォーラムで、短い時間ではあっても、中身のある、本当に知りたい情報が
あったのは、お役人でした。
自らの経験に基づいているだけに濃厚な内容でした。
今回は役人(保安院)が役立たずであったようで、本当に残念です。

また、想定外についてですが、ライブドアの堀江氏がマスコミの寵児で
あったころに流行ったように思います。
それ以降、何でも「想定外」といえば免責される雰囲気ができ、
みんなが無責任になったと思いました。
そういう流れの中で民主党は大きくなっていったのです。

最終報告は来年の夏になるのでしょうか。
もっと踏み込んだ報告がほしいものです。

と同時に、今後同じようなことが起こらないためには、
というのは原発事故だけをいっているわけではありません、
本来責任を負うべき者にその責任を果たさせるためには、
何をいかになすべきかという視点で、解明し、
最終責任の取り方についての提言、将来に向けての提案
をしてほしいです。


今年の漢字とエリザベス女王のクリスマスメッセージ

2011年12月27日 | 生き方・人生

今年の漢字は「絆」でした。

エリザベス女王の恒例のクリスマスメッセージも今年は逆境下での
勇気と絆の大切さを伝えるものでした。

今年は日本の東日本大震災・福島第二原発事故だけでなく、
世界中で地震や台風、洪水などの自然災害が多かった年でした。

家族の絆に始まり、地域の絆、組織のとしての絆、大きくは国家としての絆と
という具合に、人々が共通の信念、共通の価値観、共通の目標を持ち、
互いに敬意と思いやりがあれば、
困難を乗り越えられるのだと思います。
と同時に、絆がなければ、困難を乗り越えることは難しいということでも
あります。

個人的には、最近しばしば、家族に絆について、考えさせられています。
一番大事なのは価値観や目標を共通にする、あるいは共感できるということだと
思います。
そのためには努力が必要です。
思いやりや敬意があれば、違いを乗り越えることができるはずです。

背中合わせのイギリスと日本で同じ「絆」が今年のキーワードというのは
不思議な気がします。


人間の心について考えるとき、キリストのことが思い浮かびます。
去年のお正月はイスラエルにいました。
教会のあちこちで見かけられたものの一つです。
(なお、私はキリスト教とは何の関係もありません)

そして、今日、人間として心温まる触れ合いが、平凡で、
ちいさいものですが、ありました。

感謝です。