弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

今、カフェです

2010年02月20日 | 日記
待ち合わせの時間まで30分。
近くのカフェに立ち寄り、
久しぶりにブログの更新しようっと。

こういうときはtwitterつぶやくべきかも。
でも、twitter の使い方がわかりません。

今日はいっぱい180円のところですが、
最近コーヒー1杯の値段にずいぶん幅があることがわかりました。
1000円以上のところもあれば
180円もあるわけです。

値段の違いはもちろん味もありますが、
お店の雰囲気のようです。

あっという間にタイムアップです。

ではまた。

嘆きの壁

2010年02月04日 | 日記

嘆きの壁です。
物凄く大きな広場に面しています。

ユダヤ教は男女差別の宗教です。
嘆きの壁でもそうです。
右端の方に仕切りがあるのが見えます。
その右側が女性用です。
男性用の3分の1程度でしょうか。
大変混雑しています。
壁まで到達するのに時間がかかりました。

  

壁のすぐ上をみると岩のドームが見えます。
これはイスラム教の建物です。

  

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、3つの宗教の聖地
なぜ?
わかりたいと思っての旅でしたが
なぜ、などないのかもしれません。

この辺りは肥沃の三日月地帯の一部です。
みんなが集まるから、奪い合いになる、
奪い合いになるからみんなが集まる。

やはり歴史ですね。歴史の重みです。

そこからスタートするしかないのかな、というのが
実感です。


ヨルダン川

2010年02月03日 | 日記

ヨルダン川の洗礼の場所はどうしても見たいところです。
イエスがヨハネから洗礼を受ける場面はいろんな絵で見ていますから、
そういうところにはあこがれます。

ここは洗礼の場所ですが、イエスが実際に洗礼を受けたところはもっと南で
今はヨルダン領とかです。
でも雰囲気はありますね。

  

私も足だけ浸かってみました。
1月ですから水は冷たいです。
後ろにクリスチャンの人たちが見えます。
彼らは実際に全身水につかるのです。
見ていると3回繰り返しているようです。
冷たいので泣き出す人もいるようでした。

  

私たち日本の観光客は真似ごとです。
それでもヨルダン川に浸かったというだけで満足です。
そういえば、死海だってヨルダン川の水ですよね。

なんだか不思議です。


事実と真実

2010年02月02日 | 日記
わかったようでわかりません。
事実と真実、同じような気がします。
でも違うような気もします。

遠藤周作のイエスの生涯を読んでいて、氏は聖書の中で
事実と真実を区別する立場だと繰り返して言っていました。
そうだと思うときもありますが、
留保したい時もあります。
たとえば、イエスのベツレヘム誕生は同氏からみると
事実ではないが、真実である、などです。
長い歴史の間、それを切ないほど必要とした人間が無数に
いた、それらの人たちにとっては魂の真実だったのだ。
人間の魂が欲した真実の世界である以上、
ベツレヘムを真実と認めるのが氏の立場というのです。

宗教の問題であれば、いいかなという気もしますが、
やはり、この例の場合は、
信仰のない私には真実とはいえないような気がします。
でも事実がもっとあいまいなものについては、
真実と認めてもいいのかなというふうに考えます。
(なお、この場合、本当はどこで生まれたかはわからないのですから
それならばベツレヘムでいいかなとは思います。)

今日、2日の日経の「春秋」欄にこのような記事がありました。

イギリスの歴史家E・H・カーンの言ったこととか。
「事実というのは袋のようなもので何かを入れなければ立っていない
袋に何かを詰め込むことによって事実は歴史になる」
「何か」は歴史認識であり、袋詰めするのが歴史家である。
したがって、
「歴史を読む場合、最初の関心は事実ではなく、書いた歴史家に持つべきだ」

私なりに解釈すると、事実をいくら集めても何の意味もない。
それをどういう考え方で書いてあるか、
その書いた人の考え方に注目すべきだということです。
ということは、書き手の数だけ歴史があるということでしょう。

ということは起こったことについて話をするときには、
話し手の数だけのストーリーがあるということです。
中には意図的に嘘をいうこともあるかもしれない、
なかには、記憶ちがいということがあるかもしれない、
一部だけしか知らないからかもしれない、など
理由はいろいろでしょう。

このような中から真実(本当は何が起こったんだろうということですから、
事実ではなく、真実というべきでしょう)を
見抜くというのは本当に難しいことです。
そのうえ、見抜く方にも、バイアスがかかっています。
ますます難しいです。

事実と真実。
私たちはやはり真実が知りたいのだと思う。
そのときに、このカーンの「歴史の読み方」のような
考えを知っておくのは
有益なことと思います。

いつも気になっていたことについて
ちょっとだけ視界が開けたように思います。