弁護士太田宏美の公式ブログ

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トルコ土産

2011年10月06日 | トルコ旅行

海外旅行の楽しみの重要なものの一つはショッピングです。
個人旅行であれ、パック旅行であれ同じです。
ただ、パック旅行ではショッピングタイムがスケジュールに
組み込まれています。ときには時間をもて余すこともありますが・・

トルコで買い物をするつもりはありませんでしたが、結構値の張る
いい物があることがわかりました。
云わずとしれたトルコ石、絨毯のほか、タイルなどの陶器、革製品です。

絨毯はやはりシルクが良いと思いましたが、お高いし、やめにしました。

トルコ石は買う予定はありませんでしたが、アンティークトルコ石は
珍しく、シックな感じだったので、ペンダントを買いました。
アンティークといっても、昔のものというのではなく、
混じりものが入っていて、自然がつくるその模様がちょっと変わっている
のです。

実物はもう少し緑がかっていて淡い感じです。
素敵でしょう。こういう混じりもののあるトルコ石のことをアンティーク
というのです。

イズミック焼きのタイルなどの焼き物も素晴らしかったですが、
これはやめにしました。
その代わりにイズミックタイルを張り巡らしたリュステム・パシャ・ジャーミィ
(モスクのこと)内
のいろいろなタイル模様を集めた本を買いました。
色合いといい模様といいすばらしいものです。
本だけで十分楽しめます。
お見せできないのが残念です。

いわゆるお土産の雑貨ですが、どこにいっても目玉のお守りがありました。
ナザールボンジュというのですが「邪悪なものをにらみ返し」て守って
くれるというのです。
私は、それを腕輪にアレンジしたものを選んでみました。

こういうものは旅行中に付けて楽しむものです。
感じがいいでしょう?

なお、お買い物をする場所ですが、
イスタンブールにはエジプトバザールとグランドバザールが
あります。
グランドバザールのメインストリートは、バザールというより
ショッピングアーケードという感じです。
とてもいい雰囲気でした。
ということで、さきほどのナザールボンジュを買ってみたのです。

トルコは買い物も結構楽しめるところです。


トルコ一人旅、1+1旅

2011年10月02日 | トルコ旅行

いつもは一人旅ですが、トルコは1+1の二人旅でした。
もちろんパック旅行ですが・・

緊張感が随分違うということがわかりました。

イスタンブールに近づくにつれ、ユーロ表示が多くなり、
ドルよりもユーロです。
以前に旅行したクロアチアとかバルト三国に似てきました。

今、ユーロの存亡をかけた危機が続いていますが、
やはり、ユーロは存続に向けた努力をするしかないな
と実感しました。

トルコの旅は思っていた以上に良かったですが、
詳しくは帰ってからの報告にします。

ただ言えることは、街ゆく人々は若者が多く、
エネルギーに満ちたこれからの国だということです。
ドイツではトルコ系がその存在感を現していますが、
そういう民族の底力を感じました。

 


カッパドキア、ヒッタイト帝国

2011年10月01日 | トルコ旅行

引き続きトルコ旅行です。
いよいよトルコ旅行のハイライトです。

パムッカレ、カッパドキアは自然のなせる神業です。
パムッカレは石灰のつくる自然です。
段々と連なる石灰棚の屋外温泉は身体の芯から温まります。
底には石灰の泥が溜まっています。
これをお顔に塗れば即席泥パックです。
その傍でベリーダンスを楽しみました。
カッパドキアは溶岩や火山灰が長い年月の間浸食されて
できた奇岩群が素晴らしいです。こういう風景を
みると自然の力に畏敬の念を抱きます。
特に、数十もの気球が奇岩群を背景にゆったりと浮かんでいる
様はこの世のものとは思えない幻想的な感じです。

こういう中での巨大な地下都市カイマクル、これは人間の
作ったものですが、これも現代の豊かな環境に慣れた人間には
信じがたいものです。
8階建の巣窟群です。
15000人が生活出来たと言うほど大規模な巣窟の生活空間
です。
トイレ、台所、居間、寝室、入り組んだ通路などが無数にあります。
こういう真っ暗の空間での生活など想像もつきません。
イスラム教徒の迫害から逃れてキリスト教徒が隠れ住んだというのです。
でも、よく考えれば人類は雨風の自然の脅威から身を守るために
最初に作ったのは洞窟です。
ですから、まずは、小さい洞窟から、地形を利用して、奥へ奥へ
下へ下へと拡張し、ついには、一万人以上の人の居住空間と
なっても不思議ではないのかもしれません。
いかに過酷な条件のもとで生きられるのか、人間の持つ底力、
生命の力の巨大さに立ちすくんでしまいました。
次はヒッタイトです。
紀元前2000年から1200年にかけて生まれた帝国です。
はじめて鉄器を使った民族です。これを兵器として使い、これまた
はじめて戦車を作った民族ですから、戦闘に勝つのは当たり前です。
エジプトとも戦いをしたようです。
あの有名なラムネス2世とは戦いの決着がつかず、これまた初めての
平和条約を締結したということです。
記載した粘土板が残っているのでわかるということです。
今から3000年、4000年も昔のものが残っていることに驚きです。
(ただし現物は博物館です)
神殿の大きな岩の彫られて彫刻群には感動です。
強大な帝国を作ったヒッタイトもその後は消滅したのですが、
当時の壮大な歴史の一こまに思いを致しました。

トルコはアラブの世界から少し外れていますが、
現在のアラブの嵐ははるか紀元の昔から起こっていたことの
流れの中にあるように思います。
こういう長い長い歴史を背負った世界を平和にというのは
なかなか一筋縄では達成できるものでないことを痛感します。


トルコの印象 

2011年09月30日 | トルコ旅行

まだ、旅半ばですが、一番の印象は、清潔、キレイ、
ということです。

たとえば、われわれの使うバス、
トイレ休憩をしていると、洗車をする人がどこからともなく
現れてきます。
長~い柄のついたモップを使って、要領よく、あっという間に
ピカピカに磨き上げます。

また、ホテルのバスマット。
きちんと足跡の折り込み模様がついているので、間違いようが
ありません。

単にものだけではなく、どこに行っても感じることでした。

イスラムの国々では香料などのにおいが強烈ですが、
そういうものもありません。

トルコは、特にアナトリア地方に向かうについて風景はなにもありません。

本当に荒野という感じです。
でも、土埃、砂埃はないのです。
これはコンヤの近くですが、
トルコ民族が初めて作ったセルジューク朝の首都はこういう痩せた
何も作物をつくることができないような土地なのです。

そもそもトルコ人は中央アジアの遊牧民(突厥?)でした。
定住するときに、故郷の中央アジアに似た、この地を選んだと
ガイドさんのお話でした。
きっとそうなのでしょう。

トルコはイスラムの国で、国民の95%がイスラム教徒だと
いうことですが、政教分離のいわゆる世俗国家です。
昔はアラビヤ文字を使っていたようですが、
オスマントルコが崩壊し、共和国になったとき、1922年に
アルファベットを使うことにしたということです。
これらは、初代大統領となったアタチュルクが行った大改革です。
これが、現在のトルコの発展につながっていることは
間違いありません。
トルコは西洋と東洋が交流するところでもあり(これはよく言われます)、
またイスラム教とキリスト教が交流?するところでもあるのでは
と私は感じました。
エフェソスのアルテミス神殿の近くには、聖母マリアが晩年
(42~48年)を過ごした家があります(私たちのコースには
含まれていない)。ローマ法王も訪れたことがあるということで、
キリスト教徒にとっては巡礼の地なのです。
12使徒のひとりヨハネも一緒だったということで、聖ヨハネの教会
もあります。

これはアルテミス神殿の遺跡ですが、遠景にヨハネの教会がみえる
はず?なのです。

このようなトルコの特殊性は国際政治において大きな役割を果たす
可能性があります。
しかし一方で大帝国オスマントルコを築いた国でもあります。
大国主義の血が気にならないでもないです。

こうして、実際にその地を旅すると、本などには書いてない、
自らの感性でその国を知ることができるようです。

トルコは国土は広いので旅は強行軍ですが、
それだけの意義はありそうです。


ダルネルス海峡

2011年09月29日 | トルコ旅行

ダーダネルス海峡といういい方もあるようです。
この海峡の地中海側の入り口がトロイです。

トルコは東洋(アジア)と西洋の文明が入り交じる所です。
また、地中海と黒海に挟まれています。
この地中海と黒海を結ぶ回路がダルネルス海峡とボスポラス海峡
です。
地中海ーダルネルス海峡ーマルマラ海ーボスポラス海峡ー黒海
と繋がるのです。

ダルネルス海峡は軍事的な要衝です。
第一次世界大戦では、この海峡沿いにあるゲリボル半島は英仏連合軍
との激戦が展開されたところです。

今回の旅ではイスタンブールからトロイに行く途中ゲリボルから
ダルネルス海峡をカーフェリーでわたりました。
対岸まで約30分です。
地図をみると、バルカン半島はすぐそこですし、
こういう交通の要路では、戦いが絶えなかったことも肌で感じることが
できました。
また、黒海を挟んでロシアの脅威に常に曝されていたトルコの
地理的状況もわかりました。

これはフェリーからゲリボルの街を見たところです。

今は平穏に見えます。