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アマルフィ

2015年04月06日 | 日記

アマルフィについてちょっと説明。

アマルフィはアマルフィ海岸の中心地であり、中世に海洋都市国家として栄えた都市で、
4大海運共和国(アマルフィ・ヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサ)のうち最古のものである。
10~11世紀に大繁栄したが、ピサの侵略を受け、その後14世紀半ばに
嵐による激しい荒波によって海底の大規模な地滑りが起こり、砂浜やそのまわりの施設等が
すべて水没した。
この大災害で壊滅的ダメージを受け、単なるローカルな小都市になり下がったが、
19世紀ころから温暖な気候と風光明媚な海岸の風景やエキゾチックな建築物が
ヨーロッパの人々の心を魅了した。
1997年にアマルフィ海岸(ソレント半島の南岸のサレルノ湾に面した海岸で、
アマルフィを中心にポジターノに至るまでの一帯で、世界一美しい海岸といわれる)
が世界遺産に登録され、世界中から大勢の観光客が訪れる。

ナポリから出発し、まずはポジターノの見晴台へ。
斜面に張り付くような町の風景と海の素晴らしい眺めでした。 

      

シチリアや南イタリアのすごく大きいレモンです。

       

この地域のブラッドオレンジにレモンをミックスしたジューズは爽やかで美味しかったです。

海岸線の道路は狭いので、ナポリからワンサイズ小さいバスに乗り換えて出かけました。
いよいよトンネルを潜ってアマルフィです。

      

アマルフィの中心はドゥオーモ(アマルフィ大聖堂)とその広場です。

      

10世紀の建築物で、イスラーム様式による美しいファサードは19世紀に
修復するときに部分的に残っていたイスラーム様式の装飾を手掛かりに
再構成されたものという。
また大階段が設けられてのは18世紀とのことである。
ヨーロッパの建物は石造りなので、壊すことは容易ではなく、
いろいろな年代にいろいろな様式で修復や追加が行われ、ごっちゃ混ぜに
なっているのは普通である。
それがまた魅力的だともいえよう。

エキゾチックで迫力のある美しい広場ですね。

広場のパノラマ写真である。

  

大聖堂にはいると天国の回廊といわれるところがある。
13世紀に貴族たちの墓地として建設されたもの。
アラブ様式で作られています。
中庭にはヤシ等が植えられており、不思議な空間を作り出しています。 

       

アーチの向こうには黄色と緑のマヨルカ焼のタイルで飾られた鐘楼が見えます。
アラブ・イスラームの様式の影響をうけたエキゾチックなものです。
別世界に彷徨したような感じになりました。 

      

地下礼拝堂には聖アンドレアの頭と骨が保存されています。バロック式で祭壇は大理石で
造られています。アンドレアの銅像は約2.4メートルもあります。
全体的に豪華でエレガントです。
リーフレットによると「地下礼拝堂はアマルフィの心臓です」とありました。 

      

そのほか見どころがいっぱいです。
ガイドさんの説明が欲しかったです。

この大聖堂を取り囲むように地中海都市特有の坂道と狭い路地が複雑に入り組んで、
まるで迷宮のようであるといわれていますが、そのとおりのようです。

目抜き通りの様子です。

       

狭い石畳の道ですが、自動車と歩行者の共用です。
この写真でもまた前のトンネルの写真でもわかるとおり、道路の上に建物が
作られています。
狭い土地を有効利用しています。

両側はお店です。

       

メインストリートから横を覗くと階段があり、住宅地に繋がっています。
 

       

メインストリートの先には切り立った崖がみえます。


       

フリータイムの昼食は、添乗員さんにくっ付いて行って大聖堂広場から一つ裏にある広場(ドージェ広場)にある

レストランでとりました。日本語の紹介が出ていましたが、ここまでは日本人はこないのかも?
美味しかったですよ。 

          

最後に海から町の方をみたものです。

       

(写真の日付が2014とあるのは2015年の間違い。日付も日本時間になっています。)

アマルフィは要するに「海岸線が世界一美しいところ」との単純な理解でしたが、
充実した大聖堂や出身地でもないにもかかわらずイエスの最初の弟子の一人である
聖アンドレアの遺骨が納められていることやその地下礼拝堂の豪華さを見て、
もっと懐の深い町ではないかと思った。

帰国後「興亡の世界史」シリーズの8巻「イタリアの海洋都市の精神」を購入。
第3章「斜面の迷宮・アマルフィ」をサッート読んだ。
著者の陣内秀信氏は歴史学者ではなく、建築科の教授である。 

背後に険しい崖が迫る狭い土地にいかにして迫力のある高密な立体迷路都市が
造られたのか、どのようになっているのか、そして外からは不便で窮屈に見えるが
内に入るといかに豊かで快適な住環境が確保されているかを多くの実地調査に
基づいて具体的に述べられています。

メインストリートは13世紀後半に谷底に流れていた川を暗渠にしてできたということである。
メインストリートの1階は全部店舗ですが、入り口は直接通り面してある。
上にある住宅の入り口は表通り沿いにはなく、そこから枝分かれする階段状の脇道から
とっているということ。こうして商業空間と住空間を分けている。
特に外来者の多い海洋都市では居住者の生活を守るために、できるだけ住まいへのアプローチ
をわかりにくくすることは重要なのである。
(したがって、1階と上の階とは物理的にもまた所有関係でも全く独立している。)
などなど。

また個人的には、航海に関する先進的な規則を海の法典として細かく定めた「アマルフィ海法」の
存在であり、中世にアマルフィ人によって編集されたものということに驚いた。
船主・船長・出資商人・船員の間の権利・義務、利益の配分・報酬と捕獲や難破の場合の対処法
などを定めたもので、その後の同じような法典はすべてアマルフィ海法の影響を受けているという。

この本の内容はアマルフィだけでなく、南イタリアの住居、住環境等一般に共通するので、
遅すぎるということはないようである。
最近のデジカメは性能が良くなっているので、撮影した画像をいろんな角度から分析できるので
写真さえあればある程度のことは後からでもわかるようである。 

 

 


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