![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/27/395c8e9e66fd528ac9c094a8d1f9aa4f.jpg)
「福本楼」を出発して最初に向かったのは大洗町役場でした。外装のリニューアル工事も終えて遠目には真新しくも見える建物の、正面玄関の脇に自転車を停めました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/da/0748e114a5a6c5b652fa69cc2bba271c.jpg)
敷地内にある町内案内地図です。右側には観光スポットの紹介があります。劇場版予告編のワンシーンはこの案内板の横からのアングルになることが、後で分かりました。役場の向かいにある消防署の建物が、上写真でも見えていますが、その位置がかつての水浜電車の曲松停車場の跡です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/88/32c634734ce7193ecb7c23587486f6c5.jpg)
役場の正面玄関の脇の掲示板には、「友好都市物産館」オープンを知らせる案内ポスターがありました。思った通り、こちらがメインでガルパンギャラリーはその付属コーナー、という扱いでした。下にも「ガルパンギャラリーを併設・・」とあります。
それよりも、これが緊急雇用創出事業を活用した事例であることが重要です。ガルパンブームにあやかってではなくて、例の震災で少なからぬ打撃を受けた大洗町の経済復興への一試金石として、新たな雇用の受け皿となる市場を「友好都市物産館」の形で実現させ、姉妹都市との産業交流という方式で活性化させようという試みであるわけです。ガルパンギャラリーはそのオマケに過ぎない、というのが地元の行政サイドの基本スタンスであることがうかがえます。
ですが、大半のガルパンファンは、ガルパンギャラリーの方がメインだ、と思っているようですね・・・。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/6f/c809982f6fb716c97855ef2180ee4a71.jpg)
今回は、こちらのガルパン課にて、「ガールズ&パンツァー」あんこうチームの特別住民票の発行をしていただきました。平成25年度に発行した特別住民票のリバイバル企画として、同じ五種類を今夏7月31日まで発行するということでしたので、この機会に入手しました。
アニメキャラクターの住民票を実際の役場の住民課で発行するというノリが凄いですが、それよりも感動したのは、武部沙織の父親が武部磯三、五十鈴華の父親が五十鈴陸、というように公式設定や劇中にも出て来ない人物の名前が明記されていることでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/62/9194fc73d969bc5d168b3555e0eff7e7.jpg)
ですが、この日の主目標はガルパン特別住民票ではなく、登城遺跡の現状把握でありました。いつものように大貫台地への道を登り、浅間神社の杜に一礼して自転車のスピードを上げました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/cc/cc8026ce73a05c501d518d3f6542456e.jpg)
現地には、見慣れた景色がそのまま横たわっていました。予想した通り、新道はまだ舗装どころか下工事すら完成していませんでした。冬に現地で聞いたのとは違って、完成はまだまだ先のことになるようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/13/6de4f04b3b7be8a9e671b108969ee909.jpg)
いつもの空堀跡も、そのままの姿で春の若葉に覆われつつありました。初めて訪れた日から、早くも半年が経とうとしていますが、遺跡の景観というものはちょっとやそっとでは変わらないものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/92/655b45e59a13a6f755432fcfde322b91.jpg)
登城遺跡の城郭遺構の約三分の一を破壊してつけられた新道の基礎工事は、とりあえずの完成として工期も一段落しているようです。重機も建材も全く見当たりませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/7c/3c262f0205fff458863f8f15ab92b840.jpg)
先の空堀跡のある区画のみが、まだ削られずに残されていました。発掘調査のトレンチは、大部分が埋没していて、早くも自然に還りつつあります。この区画の工事をまだやっていないわけですから、新道の建設工事自体はまだ幾つかの段階を残しているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/b6/dbd966296a19f4f2486ad291ef429089.jpg)
道路のへりから谷間を見ました。半分ほどが埋め立てられて道路になったため、谷間の一部はほとんど道路敷きの下になっていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/ef/52d2af2a3166c24e3280fc6dd58e404a.jpg)
城郭遺構の最高所にあたる郭の地表面との差が二メートルにも及ぶところがあるので、それだけ削られてしまったことが分かります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/42/302135dfd4a60af92d68dcaa085659a9.jpg)
進んでいくうちに、今度は新道の地表面よりも低い位置に城郭遺構が広がる場所があり、上図のように道路のへりから約二メートルほど下に郭面があるという状態でした。城館の郭は防御のために意図的に高さを変えてゆきますが、道路は均一の高さで造成されていきましたから、破壊された断面を見ることで城跡の郭群の連なりがかえってよく理解出来ました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/15/301aeaf782e5840a1cfa23434d42ac33.jpg)
新道の基礎工事は、途中までで終わっていました。その南への工事は未着手なので、元の丘陵や谷間の地形がまだそのまま残されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/ed/e792a16f4ae52c0c04745d45e3e7f6cd.jpg)
したがって、ここから南側では、登城遺跡の城郭の東側切岸面がまだ見られました。戦国期以来の状態を完全にとどめているとは言い難いでしょうが、人為的に削られて急傾斜面に整えられた状況は、いまでもよく分かりました。
その麓に沿って向こうへ伸びている、かつての旧道も見えました。その旧道を進めば、以前に訪ねた龍貝館跡への道に連絡することが地図では分かりますが、あちらがひどい草薮になっていることを知っていますので、旧道探査の方は止めておきました。 (続く)