気分はガルパン、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

アヒルさんチーム 八九式中戦車甲型 作ります !!  その5

2014年05月16日 | ガルパン模型制作記

 ステップ18から21までの工程では、砲塔の機銃架、車体の足回り部分を組み立てます。


 ステップ18にて機銃架を組み立てました。実際の車輌では据え付け式の7.7ミリ機銃がついていましたが、ガルパン車輌ではついていませんので、E23の機銃部分をカットし、支持脚E24も折りたたんだ状態に作りました。


 砲塔の右側面に取り付けました。その左にある窓E9は、対黒森峰戦の際のマウスとの戦いで、アヒルさんチームの二人が「中戦車だしー」と言い放っていたシーンで登場しています。


 砲塔を車体に仮組みしてみました。これも最初はキツキツで廻らなかったので、車体上面の穴の内側を少しヤスって調整しました。


 なかなか良い感じです。追加工作した主砲防楯の形状にも違和感はなく、甲型のディテールが明快に表れてきました。甲型用の主砲防楯のパーツが最初から入っていれば、このキットはもっと気楽に作れるなあ、と思いました。


 ステップ20から、転輪など足回りのパーツの組み立てに取りかかりました。小さなパーツでも合いが良いので、スラスラと作業が進みました。国産メーカー品はこうでなくてはいけません。


 ステップ21では、車体足回りの懸架パーツなどを組み立ててゆきました。ダボ穴などが分かりやすく示されているので、組み立てガイドに従っていれば間違うことはありませんでした。このあたりはタミヤと同じ配慮が感じられて、国産メーカー品の有難味が改めて感じられます。


 ステップ21の組み立てが完了しました。ステップ18からここまで30分もかかっていませんので、今回のキットは短期間で仕上がるぞ、と確信しました。ガルパン仕様への追加工作や改造が小規模なものにとどまっているのも大きいです。


 ステップ22、23では転輪を組み立ててゆきました。日本の初期の戦車は転輪が小さいですが、八九式中戦車はその典型的な例と言えましょう。以前に組み立てたアリクイさんチームの三式中戦車チヌの転輪は大きいですが、それでもドイツやソ連の戦車に比べたら小さいものです。


 転輪アームのH1およびH4は接着しませんので、アームは可動することになりますが、パーツH2との隙間が無いので、可動といってもほとんど固定に近いものでした。パーツ自体が大きめになっているのでしょうか。


 転輪を全て接着しました。転輪のパーツはH16とG5とがありますが、いずれも同じパーツでした。


 ステップ23にて、転輪を車体に取り付けました。小さな転輪がずらりと並ぶところに、日本戦車らしさを感じました。


 ステップ23の工程が完了しました。今回はガルパン仕様への追加工作や改造が全くありませんでしたので、作業も一気にはかどって40分ぐらいで終了しました。ここまで来ると、残る追加工作の作業は簡単なものが二つだけになります。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その18 「大洗の魚市場です!!」

2014年05月15日 | 大洗巡礼記

 境内駐車場より幣門前広場に戻りました。朝のうちは参拝客も少ないためか、静かな雰囲気に包まれていました。


 鳥居付近より、鹿島灘を見ました。いつ見ても飽きない景色の一つで、私なりの「大洗十景」の一つに数えています。


 石段を下りて二の鳥居を出て、海岸に移動して神磯の鳥居を拝みました。


 神磯の岩は、海岸の岩場から繋がっているように見えますが、実際には切れていて独立した岩です。そのほぼ中央に鳥居が建てられています。


 二の鳥居へと通じる路地道を引き返しました。


 二の鳥居です。東向きに建っていますので、綺麗な写真を撮ろうと思ったら午前中の早い時間帯がベストです。


 料理旅館「いそや」のガルパンミュージアムに立ち寄りました。相変わらず、ウサギさんチーム一色ですね・・・。私の作ったM3中戦車リーを置いてみたいような雰囲気です。


 四方の壁は展示物で完全に埋まっているので、一番くじのA賞のフラッグは天井に貼られてありました。


 展示イラストは澤梓と丸山紗希でした。澤梓は当然ここのコーナーの主人公なので、無くてはならないイラストです。丸山紗希がここにあるということは、本来あるべき「大勘荘」には置いていないということですか・・・。


 「シーサイドホテル」の西住みほです。大きな風船状のハート形を抱えていますが、これは何を意味するのでしょうか。


 「シーサイドホテル」は去年の段階ではガルパンブームに距離を置いていたようなところが感じられましたが、今年に入ってから「冬の進軍ボコ作戦」の受付を務めたり、声優さんたちの色紙などを展示したり、ガルパン応援宿泊プランをスタートさせるなど、次第にガルパンへの肩入れが顕著になってきています。とくにガルパン応援宿泊プランの開始は嬉しいニュースであり、私も機会があれば泊まってみたいと思います。


 「新屋酒店」に立ち寄って茨城サイダーを買いました。お店の方が「もうすぐガルパンの新製品を出すから、是非買って下さいね」と言っておられましたが、その新製品というのが「山郷のしずく」なる酒であると、後日に知りました。


 「丸五水産」の向かいのお店の円窓に飾られているボコ熊のぬいぐるみです。3月まで実施していた「冬の進軍ボコ作戦」の解答の一つとして設置されていたのですが、私は違う場所を解答して見事に間違いました。


 「丸五水産」の店先では、ガルパン巡礼常連とみられる二人の方が店主さんと色々楽しそうに話していました。


 大洗港の魚市場にある「海・山直売センターいきいき」に行きました。「飯岡屋水産」の直営店で、こちらでは水揚げしたばかりの新鮮な魚介類を扱っています。こういう魚市場を見るのが好きなのですが、大洗漁港の魚市場を見学したのは今回が初めてでした。


 店先には、二枚に裁かれた沢山の魚が干してありました。何の魚か分かりませんでしたが、干物になればみんな美味しいはずです。


 店内の商品を見て回り、干物セットを二つ購入して、以前に戦車キットを贈っていただいた模型サークルの知人二人にそれぞれ宅配便で発送しました。私自身の分も買おうかと迷ったのですが、そのまま出て次の場所へ向かいました。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その17 「彫り物と磐座と錨です!!」

2014年05月14日 | 大洗巡礼記

 大洗磯前神社の建築は、細部に江戸期らしい意匠が施されて見ごたえがあります。多くの参拝客はもとより、ガルパン巡礼の方々もそれらの意匠の面白さには気付かぬまま、境内を回ってゆきます。


 例えば、木鼻に彫り物を表した、いわゆる木鼻彫刻が、徳川氏関連社寺建築の特徴的な意匠の一つです。特に水戸藩は儒教的思想をベースにして有職故実を重んじた気風を作り上げていましたので、社寺建築に神道や仏教のいろいろなモチーフを散りばめることによって古代以来の日本の精神世界を表現してこれを尊ぶ傾向があったとされています。
 なので、拝殿や幣門の木鼻彫刻は、大変に見事な作域に達しており、日光東照宮の彩色彫刻群に決してひけをとらないものです。上画像は波濤と海岸の松を彫り表したものですが、意外なほどに精緻で巧妙です。


 幣門の木鼻彫刻の一つです。大きくうねる波の間に躍動する、魚の動きの一瞬が、狙い定めたように捉えられた彫り物です。尾鰭を曲げて今まさに跳ね上がらんとする瞬間が分かりやすく表現されています。


 同じ幣門の別の木鼻彫刻においては、魚が大きく伸びて水流のなかを駈けてゆく姿が生き生きと捉えられています。


 こちらは幣門の蛙股部分ですが、建築構造材としての姿は完全に装飾化された状態に転じており、松の木の下にたたずむ兎の親子が彫り表されています。親兎に正面を向かせ、子兎に横を向かせることで、兎の姿を二つの角度から分かりやすく示すという「遊び心」さえ織り込まれています。こういう彫り物を作るあたりに、作者の並々ならぬ技量と余裕がうかがえます。


 これも幣門の木鼻彫刻の一つです。木鼻彫刻は多くが動物系ですが、植物形も幾つかあります。上画像は竹を表現しており、幹の節も明快に彫り表されています。植物形の木鼻彫刻は花や松を表すものが多いので、竹というのは珍しいかもしれません。


 幣門前の広場では、禰宜さんたちが朝の清掃のお勤めに励んでおられました。


 境内一帯は松林に囲まれています。沿岸地域では防風林もしくは防波林としての役目も果たした松ですので、その松に囲まれた大洗磯前神社が海神としてのルーツを留めつつも、地域の守り神になったのは当然の成り行きだったでしょう。


 境内からは、鹿島灘の輝く海原が望まれました。私は海の無い奈良県に長く住んでいましたので、神社から海が見えるという状態がたまらなく新鮮で素晴らしいものに思えて仕方がありません。だから、ずっと眺めていても飽きませんでした。西日本では、神社から海が見えると言うケースは、大三島の大山祇神社、宮島の厳島神社、丹後の宇良神社、出雲の日御碕神社、美保関の美保神社、加太の淡嶋神社などが印象に残っています。


 境内の東側には桃の木が並んでいました。赤い、桜に似た花が満開の時を見せて鮮やかな彩りを放っていました。


 桃の花は、青空によく似合うので、桜よりも桃の方を好んで花景色を撮影される方も少なくないそうです。三人ほどの写真趣味の方らしき方が三脚を構えてカメラを操っているのを見かけました。


 で、私も一枚撮りました。奈良大和路の季節の花を、25年以上にわたって撮影していたのですが、花をうまく写すのは本当に難しくてなかなか上手に出来ません。自然を心から愛でる気持ちが無いと、花が美しい素顔をなかなか見せてくれないのです。


 神社駐車場の中央に島のように残された神域に行きました。神社の案内図では「烏帽子岩」とある場所です。


 これが「烏帽子岩」と呼ばれる岩です。自然崇拝の名残りを伝える磐座(いわくら)の一種ですが、一夜のうちに海岸から移動してここに落ち着いたという伝承があります。海の磐座をここに勧請したものかもしれません。


 「烏帽子岩」の近くの覆屋の中には、神社に奉納された沢山の錨が並べられていました。海上安全の神様でもある大洗磯前神社なので、地元の漁師たちの信仰もあつく、御用を終えた船の錨が沢山奉納されてきたのでしょう。


 珍しかったのは上画像の捕鯨銃でした。日本の捕鯨が盛んだった時代に、捕鯨船の舳先に据えられた捕鯨用の銛発射器の一種です。今では捕鯨も禁止同然になってしまいましたが、私が子供の頃は、鯨の肉はごく普通に食卓に出ていましたね・・・。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その16 「大洗明神の絵馬です!!」

2014年05月13日 | 大洗巡礼記

 大洗磯前神社の幣門前に着きました。今日も快晴、間違いなく大洗明神の御加護であると確信し、感謝の礼拝を捧げるべく門に近づきました。


 広場の横には枝垂桜が満開の姿を見せていました。潮風にも花びらが散らず、開花してから日も浅いようです。


 桜を見ていると、どうしても奈良の桜のことを思い出します。いにしえの、奈良の都の八重桜、今日九重に匂いぬるかな・・・です。この歌は伊勢大輔の作だということになっていますが、紫式部が後輩の伊勢大輔のために作ってあげたという説もあります。藤原時代の歴史って、けっこう謎に満ちてて面白いのですよ・・・。


 幣門をくぐろうとして、視界にガルパン大絵馬が入ってきたので立ち止まりましたが、角度的に前回とは違う位置にあることに気付きました。


 拝殿前に進んで見ると、神前の絵馬は向って右側、干支の午のそれのみに戻っていました。ガルパン大絵馬を神前左前に置くこと自体には色々と批判もあったようですし、神社の方でも全面的に賛成ではなかったらしいと聞きました。結果として、拝殿前から遠ざけられたわけですから、やはり違和感が拭えなかったようですね・・・。


 ガルパン大絵馬は、拝殿前から横の小侍屋の前に移されていました。最初からこういう感じに置けば良かったんじゃないですかね・・・。


 威風堂々たる午の大絵馬の脇には奉納の神酒が並んで彩りを添えていました。これぞ神前の景色ですね。


 拝殿廻縁の脇より本殿の方を見ました。藁葺き屋根の建物が少しだけ見えました。


 拝殿向拝の左側の木鼻は、獅子の形に象られて神域を守る役目も果たしています。江戸期の神社建築は、細部の彫刻部分が優れている遺構がけっこう多いので、飾りの少ない古代や中世の神社のそれに比べれば、見どころが豊富です。


 現在の大洗磯前神社の建物は、大部分が水戸藩による修造であるので、徳川氏の霊廟もしくは神社建築の絢爛たる装飾意匠の系譜のうちには確実に含まれます。日光東照宮の豪華さばかりが話題になりますが、将軍家よりも御三家、尾張、紀州、水戸の各藩の方がむしろ神社建築を多く修築しているので、遺構の上では大洗磯前神社のようなタイプの建築のほうが、文化財的な価値は大きいとする見方もあります。
 上画像は向拝中央の欄間ですが、右下の木の下に猿をうまく彫り表している所がいいですね。


 さて、ガルパン大絵馬です。水戸藩28万4千石の儒教的精神文化の流れは、果たしてこの大絵馬を是とするや如何に?


 今回も絵馬奉納台に近寄って、絵馬の数々を見物しました。すぐに目についたのが、才谷屋龍一さんの絵馬でした。明朗快活な独特の画風はすぐに見分けがつきます。


 こちらは、ガルパンアニメのキャラクターデザインおよび総作画監督を務めた杉本功さんの絵馬です。今回初めて見つけましたが、絵馬そのものはずっと以前から掛けられていたようです。


 ご存知バリボーマンの作者の新しい絵馬です。「たえよ西住流」?「たたえよ西住流」ではないのですかね・・・。


 秋山優花里の声を演じた中上育実さんの絵馬です。イラストは秋山優花里をあらわしているのでしょうが、それよりも中上さん御本人に似ているような気がします。


 二基の絵馬奉納台と、ガルパン大絵馬とを一枚の写真におさめてみました。


 撮影していて気付いたのですが、ガルパン大絵馬は、こちらの絵馬奉納台の近くに設置した方が良かったのかもしれませんね。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペシャル海鮮丼

2014年05月12日 | ガールズ&パンツァー

 今日の昼食は、上画像のスペシャルな海鮮丼でした。自宅から車で15分ぐらいの所にある、大洗に良く似た風情のある港町の食事処でいただきました。日替わりメニューなので、行くたびに海鮮丼の中身が違うということですが、今日はスペシャルだということでした。これは食べずにはいられませんでした。


 接写してみました。全部で10品が入っているのですが、下に隠れて見えないものもあります。10品とは、マグロ、トリ貝、黒鯛、ツブ貝、タコ、イカ刺し、ママカリ漬け、サワラ刺身、サワラタタキ、ボイル海老、です。特に岡山県から取寄せている特産のママカリとサワラの味がまた絶妙でした。大洗ではまずお目にかかれない品揃えでしょうね。
 この日、同じ店内で同じ海鮮丼を食べていた方が、なんとガルパンキャップを被っていました。声をかけてみようかなと思いましたが、やめておきました。私もガルパンキャップを被っていけば良かったな、と少し後悔しました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その15 「大洗明神へ参ります!!」

2014年05月11日 | 大洗巡礼記

 「飯岡屋水産」の前を通りました。このお店の珍味をおやつに買ったことがありますが、干物の方もいずれは土産に買ってみたいものです。


 店先のケイのパネルの付近にはガルパングッズやイラストが並べられていますが、今回は左側に紙製とみられるM4シャーマンの大きな模型が置いてありました。手作りの品のようでした。


 「吉田屋」の梅カフェです。朝なのでまだ空いていましたが、土曜日なのでもう予約で一杯だろうと思いました。昨日の突風で破損した看板は、小さなボードにタヤマのカレンダーを付けたものに作り変えられてありました。


 どんどん進んで「丸五水産」の前を通りました。お馴染みの「丸五式軽鮮車」がスタンバイしていました。朝の仕入れ業務や配達などで走り回るのでしょうか。


 「ウスヤ」の前を通りました。店内には数人のガルパン巡礼者らしき人影がみえました。朝から入り浸って御主人夫婦と会話を楽しんでいるという雰囲気でした。


 「サトウ釣具店」の前を通りました。東町商店街には二軒の釣具店があり、もう一軒の「金丸釣具店」は入ったことがありますが、こちらのお店は入ったことがありません。でも武部沙織のポスターがかけてあるので、お店の方もガルバンを楽しんでおられるのかもしれません。


 大洗磯前神社の一の鳥居が見えてきました。神社の正面は東ですが、一の鳥居は南つまり東町地区の方を向いています。この点からも、東町商店街の原形が参詣道の宿場町であっただろうと推定されます。


 劇中にも登場したおなじみの坂道の、横に広がる松林の景観は、いつ見てもなかなかの風格があります。


 二の鳥居をくぐる前に、脇の料理旅館「いそや」の玄関先の澤梓に会ってまいりました。M3中戦車リーの車長ですから、M3中戦車リーのキットをインテリアまで作ってウサギさんチームの働きを身近に感じた身としては、挨拶をせずにはいられませんでした。


 「いそや」が運営するガルパン仕様のレンタサイクルです。澤梓とウサギさんマークはお約束ですね。左後方に見えるのは、私が乗ってきたエノキザワのレンタサイクルです。


 大洗磯前神社の二の鳥居です。この鳥居の位置が神社の正面になります。


 脇の清良神社と、方形池の鳥居にまずお詣りして礼拝しました。かつてはこの位置に八幡宮が鎮座していたとされ、その石段と灯籠基台の一部が残存しているということですが、どれがそうなのかは分かりませんでした。


 階段の上にも桜が咲いていて、潮風に時折花びらが舞っていました。


 桜の他にもこんな綺麗な花が咲いていました。えーと、確か「乙女椿」だったかな。奈良県では文殊院や長谷寺や室生寺の境内などでよく見かけた花です。でも個人的に椿といえば、白毫寺の「散り椿」が好きでしたね・・・。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その14 「曲がり松の朝です!!」

2014年05月10日 | 大洗巡礼記

 翌4月12日の朝も快晴でした。目覚めたのは6時過ぎでしたが、すぐにカーテンを開けると陽はすでに高く上がりつつありました。


 上画像でも車の往来は無いように見えますが、実際には通勤らしき車が何台も眼下の道を通り過ぎていきました。


 向かいの駐車場のパネル群を見ていて、その下にガルパン仕様のレンタサイクルらしき自転車が3台ほど停めてあるのに初めて気がつきました。あれが「肴屋本店」で運営しているというレンタサイクルですか・・・。


 「江口又進堂」も「黒沢米穀店」も「スルガヤ薬局」もまだ閉まっていますが、「坂本文具店」の店先に停めてあったワゴン車が道に出て向こうの坂道へ消えてゆきました。


 ガルパン自販機の脇の空き缶ゴミ箱の前には、前日には無かったゴミ袋が一つ置かれてありました。ゴミの収集指定場所ではないので、不法投棄っぽいですね・・・。


 7時から部屋にて朝食をいただきました。この宿の朝食はメニューが豊富ですが、量は多すぎず少なすぎず、私には充分な量でした。大好きなアジの干物がついていたのが良かったです。納豆、ちりめん大根おろし、しじみ汁となども美味しくいただきました。


 朝食後に支払いをすませ、8時前に出立しました。ダージリンや西絹代のパネルは、すでに玄関横にセットされてありました。


 記念に一枚撮影しました。この宿に泊まる事が出来て良かったので、数度の大洗行きのなかでも重要な思い出になりそうです。


 向かいの駐車場にあるガルパン仕様のレンタサイクルを見に行きました。3台のうちの1台は聖グロリアーナ女学院チームのダージリンでした。


 2台目の赤っぽい自転車はプラウダ高校チームのカチューシャとノンナでした。要するに大洗女子学園の対戦チームの隊長たちを配してあるわけですね。


 そして3台目はサンダース大付属校チームのケイでした。レンタサイクルは全部で5台あると聞きましたが、あとの2台は見当たりませんでした。その2台に、アンツィオ校チームのアンチョビや黒森峰女学園チームの西住まほがラッピングされているのでしょうか・・・。


 あんこうちーむの五人と誰かさんのパネルです。誰かさんのパネルは、近いうちに御本人の写真画像に差し替えられるという噂があるそうですが、本当でしょうか・・・。


 「肴屋本店」の外観です。玄関先に見える自転車は、今回利用したエノキザワのレンタサイクルです。日をまたいで借りられるので、本当に便利です。


 「江口又進堂」のシャッターが上げられて中で開店準備が進められていましたが、今回は入る用事も無かったので、左衛門佐のパネルだけを撮影しました。これも本来のパネルの状態に戻っていました。


 「年宝菓子店」は既に開いていました。店先に立つ秋山優花里のパネルには、「山戸呉服店」で販売されていたガルパン特製Tシャツが着せてありました。このシャツは今では売り切れて無くなっているそうです。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

38 (t) 戦車G型のキットを貰いました

2014年05月09日 | ガルパン模型制作記
 去る4月19日まで計17回にわたってレポートした、ウサギさんチームM3中戦車リーの制作記事が、模型サークルの仲間に好評であったらしく、複数の方から「インテリア付きの戦車キット記事は楽しんで読めるから、またやってみたらどうか」と勧められました。私自身も、インテリアまで作るのは大変でしたがとても楽しかったので、機会があれば、別のインテリア付きの戦車キットを作ってみようかな、と思いました。


 いつもお世話になっているA氏からは、「38(t)戦車は、インテリア付きのキットが幾つか出てるよ、これでチャレンジしてみたらどうやね」とのメールを頂きました。そういえば、プラッツから出ているガルパン公式キットの38(t)戦車のパーツにも、インテリア部分の一部が含まれており、元のドラゴンのキットがインテリア付きであったことを伺わせます。以前の記事で述べたように、元のキットはE/F型であるようで、そのインテリアパーツの一部を省いたものが、プラッツから出ているガルパン公式キットです。

 つまり、プラッツのガルパン公式キットをそのまま組んだだけでは、インテリアの完全な再現は不可能であるわけです。そこでA氏が言うには、ドラゴンの元のインテリアキットを購入して、それでガルパンのカメさんチーム搭乗車を作ったらどうか、ということです。なるほど、そういう手もあるか、と思いまして、この形で取り組んでみる気になりました。
 この案を読者のN氏にも伝えたところ、ネット上でダウンロード出来るという、ドラゴンの38(t)戦車キットの組み立て説明書をメールにてわざわざ送って下さいました。細かく見て行くと、E/F型のキットのそれのようでした。


 ところが、カメさんチームの38(t)戦車の公式キットは、外見上はE/F型であるものの、上掲の劇中シーンにみられる内部のディテールはE/F型とは異なります。模型サークルの知人の一人で茨木市在住のI氏がドイツ戦車に大変詳しい方なので、メールにて画像を送っておいて電話にて判断を仰いだところ、「G型以降のタイプだよ。君が送信してくれたアニメの画(上画像)で、片眼鏡の子(河嶋桃)が肘をかけてる箱状のものは無線機なんだが、E/F型ならば右壁面に縦にセットされてるんだ。中央に横に並べてるのはG型以降からなんだ」と教えていただきました。

「E/F型とG型は、外見上も違うのですか?」
「細かい所では違うけど、全体的にはほぼ一緒のはずだよ。むしろガルパン戦車の仕様に作る方が色々と相違点が出てくるんじゃなかったか」
「そのようです。外見がほぼ同じで、内部がG型以降ということであれば、ドラゴンの、G型以降のキットを入手すればいいわけですね?」
「うん、ドラゴンのキットではG型の他にS型も出てるはずだ。S型は内装はG型そのままだから、キットの中身も同じじゃないかな。どっちも数は少ないから、買うんなら早めに確保しておくほうがいいな」
「E/F型のキットとは、やっぱりパーツが違うのですか?」
「そのはずだ。俺も記憶があやふやになってるから断言しかねるけどな、B型とかE/F型のはパーツがプラ材だけだったと思う。G型とかS型の方はパーツにエッチングが加わってたと思う」
「すると・・・、河嶋桃が肘を掛けてる箱、無線機でしたか、それがエッチングパーツなんですか?」
「そのはずだよ」
 調べてみたところ、I氏の仰られる通りでした。さすがにボービントンやムンスター、クビンカなどの戦車博物館へも行って実車を見学し研究されている方だけのことはあります。ところが、キットの方は残念ながらG型もS型も品切れ状態で、店頭にも通販サイトにも無いという有様でした。


 そのことを模型仲間にメールで連絡して実質上は泣き付いたところ、箕面市在住のS氏が「ウチにS型のやつがある。ずっと積んでるだけなんで、譲るよ」と応じて下さいました。
 つまり、上画像のキットです。燃料タンク車を牽引しているタイプですが、戦車本体の外見とインテリアはG型と同じだそうなので、私も有難く頂戴することにしました。S氏は大の日本酒好きであるので、大洗の酒を御礼に贈ることに決め、4月中旬の訪洗にて大久保酒店の「桂利奈」を購入して発送しました。


 ところが、昨日宅急便にて届いた品は、S型ではなくてG型のキットでした。不思議に思ってS氏に問い合わせたところ、「いやー、探したらG型のやつもあったんで、そっちに替えて送ったけど、あかんかったかな?」と苦笑していました。
「いえ、とんでもありません、G型で結構です。有難うございます」と返すと、「贈ってくれた「桂利奈」は良かったで。茨城県には行ったことは無いが「月の井」の名は聞いたことがある。名門の老舗だと聞いたが、ガルパンのキャラクターにちなんだ名前で酒を売るなんて洒落てるねえ」と笑っていました。

「これでM3リーに続くインテリアキットの製作を楽しめるわけやな。ま、頑張ってや」
「はい、頑張ります。いつから作りはじめるかはまだ決めてないんで、気長に待って下さい」
「気長にか、ははは。AさんやIさんはけっこう楽しみにしてるらしいんで、なるべくなら早よう作ったってくれや」
「前向きに検討させていただきます」

 実は前向きどころか、キットを目の前にして、作りたい気持ちが湧き上がってきている。ガルパンの生徒会三役の気分になって劇中シーンの数々をリアルに追体験出来るはずなので、とても楽しみになってきています。いつ作ろうかな・・・・。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アヒルさんチーム 八九式中戦車甲型 作ります !!  その4

2014年05月08日 | ガルパン模型制作記

 ステップ11から14までの工程です。マフラー、装備品、主砲砲身の順に作ってゆきました。


 ステップ11ではマフラーを組み立てました。


 組み立てガイドの指示では、マフラーを接着したのちにマフラーカバーを取り付けますが、それだとマフラーの塗装が出来なくなるので、マフラーカバーはマフラーを塗装してから接着することにしました。同じ理由で、D22およびD23のパーツも接着しないでおきました。この時点でD22の上面に細かい穴のモールドがあるのをバテで埋めて消しておきました。これもガルパン仕様への追加工作の一つでした。


 D22への追加工作は、上掲の劇中シーンの黄色円内に示した部分の形状に合わせたものです。パーツにある細かい穴のモールドが、劇中では見られないからです。


 ステップ12および13では、ジャッキ、ツルハシ、スコップ、パールなどの車外装備品を取り付けますが、私の制作においては塗装してから車体に接着することにしました。それで、塗装までランナーにつけたままで保管しました。


 ステップ14では、57ミリ主砲の砲身と基部を組み立てました。ですが、このままだと劇中と異なります。


 続いてステップ15から17までの工程に進みました。砲塔の組み立てですが、ガルパン仕様への追加工作が二ヶ所ありました。


 ステップ15は組み立てガイドの指示通りに進め、57ミリ主砲の砲塔内部分を組み立てました。細かい部品が多い箇所でした。砲塔キューポラのハッチを開閉出来るように仕上げるため、ハッチを開ければ主砲の尾部などが見えることになります。


 ステップ15が完了した状態です。この小さな部分だけで8個のパーツを組み合わせました。制作ガイドの図ではE7への接着位置が分かりづらいので、仮組みして位置を確認してから接着しました。


 次のステップ16にて、ガルパン仕様への追加工作が必要になります。劇中のワンシーンで見ると、57ミリ主砲の防楯部分の形状がキットのパーツと異なるうえ、砲身基部に穿たれた照準穴の位置がずれています。それで、黄色円内のように防楯部分の形状を作り直すこと、赤色円内のように照準穴の位置を修正すること、の二点が追加工作となります。


 主砲防楯部分は、キットの指示ではパーツ33を使用しますが、これは陸上自衛隊土浦駐屯地内武器学校に保存される実車、つまり乙型の形状をそのまま反映しています。劇中の形状は、甲型後期型のそれになっており、戦時中の実車の写真や映像資料などでも確認出来ます。それで、劇中の状態に作り変えるには、パーツ34の方を使用することになります。


 防楯形状の作り替えに先立ち、主砲基部の照準穴の位置を修正しました。まずラインチゼルで劇中の位置に横にスリットを彫り込みました。


 続いてパーツにモールドされていた元のスリットをパテで埋めました。これで追加工作の一つ目をクリアしました。


 それからパーツ34を切り出して、これを防楯形状作り替えのベースとしました。


 まず、内側の方形モールド上に並ぶリベットを、すべて削り取りました。劇中の防楯の形をプラ板で組み上げて作るので、リベットがあるとプラ板の接着の邪魔になるからです。


 内側の方形モールドの寸法に合わせて0.5ミリプラ板をカットし、劇中の形状に合わせて調整しながら組み立てました。内側に流し込み接着剤をつけて補強し、さらにパテを薄く塗っておきました。この追加工作は20分ほどで完了しました。こういうプラ板の組み合わせ作業は、軍艦艦艇のキットではしょっちゅうやっていて、対空機銃の増強ブルワークやスポンソンなどの複雑な形をよく作っていましたので、今回の工作は比較的簡単でした。


 主砲基部と尾部のパーツを組み合わせて接着しました。思ったよりもストレートに組み上がりました。


 主砲自体は、キットの指示では上下に可動することになっていますが、パーツE21の合わせが不完全になって砲身が外れる可能性があるため、接着して固定することにしました。それで、水平よりもやや仰角を加えた状態で57ミリ主砲をセットしました。


 ステップ17では、砲塔を組み立てました。追加工作は二ヶ所とも終えましたので、ここは組み立てガイドの指示通りにくっつけてゆきました。


 ステップ17の工程が完了しました。キューポラのハッチE13およびE14は、前回のM3中戦車リーと同じようにピットマルチによる開閉自在の状態とする予定なので、接着はせずにマスキングテープで仮留めしておきました。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その13 「曲がり松の夜です!!」

2014年05月07日 | 大洗巡礼記

 「肴屋本店」は、周知のように曲がり松商店街のほぼ中心に位置しています。その前を通るカーブの連続は、近世以来の街道をそのまま踏襲し、江戸期の街路によく見られるクランク状の道となっています。この道をまっすぐ行って那珂川の渡しに向かうのが街道の本ルートであり、右に曲がれば大洗磯前神社への参詣道となります。この両方のルートへの分岐点に「肴屋本店」がありますので、宿場町の要のような位置を占めていたであろうことが容易に察せられます。

 上画像では、人や車の通行が絶えているように見えますが、実際には夜も車の往来はけっこうありました。バイパスが海岸線沿いに通されたというものの、旧街道ルートの方が距離的には半分ぐらいで済みますので、利用する方が少なくないのでしょう。


 午後8時を回ると、車の往来も少なくなって、静かな雰囲気が戻ってきました。


 向かいの駐車場にあるパネル群を望遠モードで撮影しました。街灯の下に設けてあるために、夜中でもよく見えます。


 曲がり松商店街では、夜まで営業しているお店があまりありませんので、夜は街区の大部分が闇の下に静まり返ります。


 一階のロビーに降りて、ガルパンコーナーを眺めていると、階段の下壁にもポスターらしきものが貼ってあるのに気付きました。よく見ると網戸のようでした。その聖グロリアーナ女学院ノーブルシスターズのデザインも出たのですね・・・。


 お店のネームプレートも、しっかり歩兵戦車チャーチルのデザインになっていました。誰がこういうものを作るんでしょうね・・・。


 ティーガーⅠ型のラジコンです。大小合わせて二台が置いてありましたので、御主人の趣味なのかもしれません。


 この旅館の看板娘、ダージリンのフィギュアです。ボークスのキャラグミンシリーズの一品で、組み立てやすいとの評判をよく聞きます。


 ご存知のボコ熊のぬいぐるみです。なんでそんなに怪我して繃帯だらけの姿になっているのかよく分かりませんが、キャラクター設定に何らかの裏ストーリーがあるんでしようか・・・。


 この日、ガルパン巡礼の宿泊客は私だけだったようです。他の宿泊客は四組で、そのうちの二組とロビーで顔を合わせましたが、いずれもガルパンコーナーの展示品の数々に奇異のまなざしを向けていました。ガルパンとは無縁なままに、普通に大洗に来られている観光客も少なくないということを改めて感じました。


 一組の老夫婦は、私の実家がある岐阜県からの観光客でしたので、少し会話をして過ごしました。大垣市在住の方で、この日は水戸市を観光してこちらに泊まり、明日は笠間の方へ行くのだと教えて下さいました。ガルパンに関しては、今日大洗に来て街中のパネルを見てびっくりした、と語っておられました。なので、私も自分がガルパンファンであることは伏せておきました。


 その後、館内を元気に駆けまわっている子供たちを見ました。たぶん御主人の大里明さんのお子さんたちなのでしょうが、そのうちの一番年長の男の子が、一冊の寄せ書きノートを持ってきて、「これに何か書いてよ」と言ってきました。
 そこで、私なりに漠然と考えているガルパン二次創作の基本イメージを、キャラクターとフレーズとで簡潔に書いておきました。


 二階の部屋に引き揚げる途中、階段横のエントランスにてダージリンと西絹代のパネルを見ました。こちらでも夜間はパネルを館内に収容しているのですね。


 部屋にて荷物を整理し、「イラストラリー」の用紙と景品缶バッジを眺めました。翌日も同行者の方と楽しむことになるかもしれないので、予行演習としてやってみたわけですが、スタンプが五ヵ所しかないわりには移動距離がとても長かったです。同行者の方は子連れで来られる予定で、お子さんがスタンプ集めに熱中するだろう、ということを聞いていたので、明日も「イラストラリー」をやるだろうな、と感じました。


 続いて、ザックのあちこちにしまっていた缶バッジを集めて、机の上に並べてみました。いつの間にか、全部で21個になっていました。同じデザインのものも幾つかあり、この調子だと翌日には30個を超えるだろうな、と思いました。 (続く)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その12 「常陸牛の石焼きです!!」

2014年05月06日 | 大洗巡礼記

 「ゆっくら健康館」から宿に引き返しました。途中の街並みは昭和の風情をよくとどめています。


 交差点がやや喰い違いになって折れているうえに、角に建つ民家が古い建物なので、大洗の街中でも古い方に属する街区だろうと思われます。由緒ある「肴屋本店」の付近ですので、江戸期からの街道筋に接して大洗明神への参詣道に連絡した宿場町の名残りをとどめているものと思われます。


 宿に帰りつきました。二階に掛けられた看板の明かりが既にともされていました。


 ロビーのコーナーを再び見物しました。奥の隅壁には、ガルパンの監督や声優さんたちの来店記念写真が並べてありました。


 2012年10月に初めての放送が決まった頃の宣伝ポスターも、今では大変貴重なものになっています。街中に貼られている同じポスターの多くは退色したり劣化したりしてはがされていますので、比較的原状をとどめているポスターが珍しくなってきています。


 展示品のなかでは、扇子が良い雰囲気を出していました。販売品であったなら、間違いなく購入しているはずです。


 19時30分から夕食をいただきました。大洗の多くの宿泊施設では、食堂でいただく形が一般的ですが、こちらは部屋食でした。1月に「小林楼」に泊まった時も夕食が部屋食でしたが、朝食も部屋でいただけるのは「肴屋本店」が初めてでした。


 白魚です。大洗のイメージキャラクター「アライッペ」を連想させますが、「アライッペ」はシラスの方です。シラスと白魚はよく似ていますが全然別の魚です。


 お造りです。大洗の宿の基本メニューですね。ウニが添えられているのが珍しいです。


 この宿では、夕食のメニューを「常陸牛の石焼」、「あわび踊り焼き」、「ほっき貝しゃぶしゃぶ」のいずれかから選べます。今回の宿泊では「常陸牛の石焼」を申込みましたので、メインは焼き肉となりました。


 常陸牛のお肉は見るからに美味しそうでした。女中さんに「まず石板を火で熱しますんで、最初にキノコを載せて焼け具合を見てからお肉をどうぞ」と教えていただき、その通りにしました。


 こちらはシラスの釜飯でした。これも火を入れて数分待ってから食べるということで、その間に他の料理をゆっくり味わいました。


 こちらは確か「アンコウの干物」だったかな・・・。初めて食べましたが、これが干物か、と思うほどに独特のまったりした味でした。


 出ましたね。大アサリのお吸い物です。丸山紗希の「大勘荘」で味わって以来の感動でした。


 色々食べているうちに、石板の上のお肉も程よく焼けてまいりました。ひとつつまんで噛んでみると、肉汁がフワッと口に広がって柔らかな身がコロッと舌に乗っかりました。飛騨牛とも但馬牛とも異なる、案外にあっさりとした味でした。常陸蕎麦もあっさり味なので、常陸の産物は素朴な味わいが特徴なのでしょうか。


 かくして「肴屋本店」での夜のひとときを、楽しく食べて過ごしました。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その11 「ゆっくら健康館です!!」

2014年05月05日 | 大洗巡礼記

 宿の「肴屋本店」で小休憩の後、再び街中へ繰り出しました。「森屋菓子店」の辺りまで行きました。


 ウインドーに貼ってある広告や写真などを見ていたら、お店のおばあさんが「どうぞ中で休んでってください」と戸を開けて下さいました。


 ひとつ「シベリア」を食べようか、と決めて、プリンと一緒に購入しました。御主人も出て来られて、なぜか昭和30年代に電車が走っていた頃の大洗の話で盛り上がりました。電車が那珂湊まで開通しとったら、あっさりと廃止みたいな流れにはならなかっただろう、と話しておられました。


 店内には幾つかのイラストが飾られてありました。ももがーは「ウスヤ」さんに置いた方がしっくりくるんじゃないかな、と思いました。


 看板娘の河西忍はちゃんとありました。このキャラクターは東京五輪全日本チームのコーチ兼キャプテンだった河西昌枝さんが元ネタですが、河西忍のキリッとした雰囲気も、河西昌枝さんの若い頃のそれによく似ています。一種のオマージュなんでしょうね。


 道を引き返して、以前に泊まったことのある民宿「あんばいや」の横を通りました。翌日は、同じガルパンファンの同行者の方と共にこの民宿に泊まる予定なので、楽しみでした。


 喫茶店「ブロンズ」の前を通りました。寄ろうかなと思ったのですが、客が沢山入っているようだし、翌日にも立ち寄る予定があったのでそのまま通り過ぎました。


 パスタが好物の私としては、新メニューの「アンチョビセット」なるパスタメニューが気になってしょうがなかったんですけどね・・・。


 再び「カジマ」に立ち寄りました。なんてったってホシノが居ますからねー。でも翌日の4月12日が臨時休業、ってどういうことですか・・・。土曜日なのに・・・。


 「ほたての履帯揚げ」は午前中に買っていただきました。ですが「ミリメシ」は今回も買うか迷いました。海軍系カレーだったら間違いなく買うんですが、「ミリメシ」となると陸軍野戦キャンプの簡易食を連想してしまいますので・・・。
 ホシノは「大洗一速い女」ということですが、ポルシェティーガーの操縦手であったならば、ツチヤよりも早く走れるということでしょうね。スピードにものを言わせて黒森峰チームを誘導しかき回して混乱させる、という戦術も可能だったかもしれませんね。


 続いて「ゆっくら健康館」に行きました。夕方までにここの温泉に入ろう、というのが今回の計画の一つでした。


 施設の横に立てられた大きなウォーキングプラン案内板です。右側のBコースは祝町地区へ向かう街中散策ルートのようです。行ったことのないコースなので、次の訪洗時にチャレンジしてみるのも良いですね。


 温泉浴場は施設の二階にありますが、行ってみて入口付近にあんこうチームの五人のパネルが並んでいるのに驚かされました。五人のセットは商工会館とマリンタワーの2セットだけかと思っていたら、まだあったんですね。


 パネルの横には施設内の食事処「ゆっくら亭」があります。宿泊を素泊まりにして、入浴と夕食をこちらで楽しむのも、大洗の旅の選択肢として良いですね。


 「ゆっくら亭」のメニューは豊富です。広々とした座敷スタイルの施設なので、横になってゴロゴロするのもOKだそうです。温泉施設の食事処によくある形式ですので、湯上り後にここでゆっくり食べて休憩するのもアリだな、と思いました。
 奈良の温泉施設もみんな似たような形式なので、半日で温泉に行って食事を食べてゆっくり休むというパターンをよく楽しんでおりました。


 メニューには日替わりの特選品も幾つかあるようです。右端には「大洗定食」なんてのもあります。これまで大洗の色々な食事処に入りましたが、「大洗定食」の名前は初めて見ましたよ・・・。ありそうで無かったネーミングですね。


 温泉に入りました。劇中の大洗女子学園チームの入浴シーンに登場したのと同じ浴槽配置でしたが、スケールが違いました。劇中の浴場は実際の施設の倍ぐらいにスケールアップされているのです。また劇中では、あんこうの形をした湧水口が出てきますが、実際には見当たりませんでした。
 湯上り後に休憩ルームから外を見ました。二階にあるので港方面の眺めが良く、マリンタワーも見えました。


 商船三井の「さんふらわあ」も見えました。夕方便の13000トン型と深夜便の11400トン型の二種類の船が合計四隻運行しているそうですが、夕方に大洗港に入っているのは13000トン型のようでした。運行スケジュール表で確認すると「さっぽろ」号でした。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アヒルさんチーム 八九式中戦車甲型 作ります !!  その3

2014年05月04日 | ガルパン模型制作記

 ステップ8から10までの工程では、車体の後尾についているソリとマフラーカバーを作りました。このうちステップ10のマフラーカバーが劇中と異なるので、ガルパン仕様への改造に取り組みました。


 ステップ8が完了した状態です。今回のキットは、陸上自衛隊土浦駐屯地内武器学校に保存される実車への取材をふまえているそうですが、ガルパン劇中車輌の再現にあたっても同様の取材がなされているため、キットがほぼガルパン仕様に近いのもうなずけます。大体の工程は指示通りに進めていけるので、気軽に組み立てられます。


 ステップ9に移り、日本陸軍においては「尾体」と呼ばれたソリ部分を順に組み立ててゆきます。細かいパーツの合いもピッタリで、国産メーカー品の有り難さが改めて感じられました。


 どんどん組み立ててゆきました。サクサクと進んでゆくのは実に気持ちが良いものです。


 ステップ9が完了した状態です。キットの指示通りに組み立てられるのは、ここまででした。


 ステップ10で作るマフラーカバーは、エッチングパーツとなっていますが、網目状になっている点が劇中と異なります。劇中のマフラーカバーは、中国戦線に派遣された実車の写真にみられるような、丸い穴を等間隔にあけて並べた形になっています。ガルパン仕様では、現存する実車にはない部分が幾つかあり、目立つ部分の一つがマフラーカバーです。


 劇中のワンシーンで見てみましょう。黄色の枠内に示したように、マフラーカバーには丸い穴が等間隔にあけて並べられています。キットのエッチングパーツの形状とは全く異なりますので、改造が必要になります。


 エッチングパーツのPE2を切り出し、枠を残して網部分を切り取りました。金属部品とはいえ、薄くて華奢なので、指で軽く押しただけでも曲がってしまいます。ナイフで切るにあたっても、力を入れずに刃を少し当ててなぞる感じで切れば充分でした。


 網部分を切り取った後に、プラペーパーを貼り付けました。


 プラペーパーに丸穴をあける大体の位置を、鉛筆で書き入れました。縦と横の線が交差する所で穴を空けることにしました。


 一ミリのピンバイスで穴をあけてゆきました。きっちりと等間隔に並べるのが難しく、雑な仕上がりになってしまいました。


 治具のJ2にあてて曲げてマフラーカバーの形にしました。穴はもう一度爪楊枝で浚っておきましたが、穴の並びが不揃いなので、もう一度同じ方法で作り直しました。しかし、出来具合は大して変わらなかったので、ほどほどにしておこうと決めて、上画像のような状態にとどめておくことにしました。 (続く)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その10 「ダージリンの宿です!!」

2014年05月03日 | 大洗巡礼記

 永町商店街を北へ歩き、左手にオレンジペコの居る「ヴィンテージクラブむらい」を見ました。


 みつだんごの「たかはし」の付近から、蕎麦屋「大進」の方向を見ました。まだ風が強く吹いていましたが、園みどり子のパネルは据え付けがしっかりしているのか、微動だにしませんでした。


 付近の駐車場に停めてあった牛乳店の社用車には、ガルパンあんこうチームの五人をかたどったラッピングが貼られてありました。この程度のラッピングは町中至るところで見かけます。商店街の方々だけでなく、付近の住民の方々にもガルパンを楽しんでおられる方が少なくないようです。


 精肉店「鳥孝」の店先では、磯部典子が赤いエプロン姿で頑張っていました。よく見ると、エプロンにはアヒルさんマークもプリントされているので、おそらくはファンの方からの寄贈品でしょう。


 劇中ではおなじみのカーブ地点に着きました。正面にはガルパン聖地の中の聖地とされる割烹旅館「肴屋本店」の大きな建物が横たわっていました。この旅館が、この日の宿泊先でした。


 いつか泊まろうと思っていた、ダー様ことダージリンの宿です。これまでの四度の大洗訪問にて色んな宿に泊まってきましたが、ここ「肴屋本店」は予約が取りにくいと聞いていたのでずっと遠慮していたのでした。でも、海楽フェスタの終わった後の閑散期ならば、空いているかもしれないと考えて予約を試みたところ、あっさりと取れました。


 案内された部屋は、二階にありました。階段はさらに上へと続いていたので、三階部分があるのだと初めて知りました。


 さらに有難いことに、部屋からはおなじみのカーブが見下ろせるのでした。


 窓からは、このように向かいの駐車場が見えます。トタン板越しに覗き見しているあんこうチームの五人と誰かさんのパネルも良く見えました。


 左側に目を転じれば、あの「魔のS字カーブ」も見渡せます。この地点を聖グロリアーナ女学園チームのマチルダがうまく走れずにそれて「肴屋本店」に突っ込んだわけですね。Ⅳ号戦車を難なく操った冷泉麻子のドライビングテクニックの良さが改めて分かります。


 向かいにあるガルパン自販機です。アヒルさんチームと八九式中戦車甲型のデザインですね。これを見ながら、次のガルパン戦車キット制作は八九式中戦車甲型にしようかなあ、と漠然と考えたのですが、この時点では本当にそうなるとは思いませんでした。


 右手には、お馴染みの「江口又進堂」と「黒沢米穀店」の並びが見えました。何人かのガルパン巡礼者が自転車で通り過ぎてゆきましたが、全ての自転車が大洗駅のレンタサイクルでした。日帰りで駅を発着点として街中を回っている方が多いのでしょう。


 夕方まで時間があったので、一度散歩に出ることに決め、その前に一階のロビーで小休憩を取りました。館内は閑散としていて、宿泊客もあまり入っていないように感じられました。でも夜から数組が来店されるように聞いていたので、夜から賑やかになるのだろうと予想しました。
 ロビーはほとんどガルパンコーナーと化していて、色々なグッズやパネルなどが展示されていました。


 なかには私も行った「吉田屋」梅カフェの記念限定品の武部沙織プレートもありました。ここの御主人が戦車ケーキを予約して食べに行くとも思えませんでしたので、商店街の付き合いで特別に贈られたものか、またはファンの方からの寄贈品ではないかと推定されます。
 しかし、このスペースには、ガルパン以前には何が置かれてあったんでしょうかね・・・。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く5 その9 「海鮮丼と戦車キットです!!」

2014年05月02日 | 大洗巡礼記

 「イラストラリー」を完了したので、あとは自由時間になりました。「まいわい市場に」再び入って土産物などを見ているうちに、冷蔵コーナー内に陳列されている海鮮丼が目に留まりました。ラベルや付属の缶バッジから「栗崎屋」の商品であると分かり、いっぺんに興味をそそられました。
 実は、私は海鮮丼が大好物です。模型サークルでも「星野の三大好物は、蕎麦と海鮮丼とパスタだ」と覚えられているほどで、拙ブログでも時々昼御飯の海鮮丼の写真を載せているぐらい、よく食べに行きます。ところが、大洗ではこれまで海鮮丼をいただいたことが無かったので、よし「栗崎屋」に行って海鮮丼を食べよう、という気になりました。すぐに自転車に飛び乗って、再び大貫地区へ舞い戻り、「栗崎屋」に行きました。


 このお店ではガルパンファン向けの特別メニューとして海鮮丼を提供しているようです。Ⅳ号戦車をかたどった寿司が人気を呼んでいましたが、それには目もくれずに、ひたすら海鮮丼の見本写真を食い入るように見つめる私でありました。


 店内に進んで座敷席に案内され、粋なお兄さんに「おすすめは何ですか」と尋ねると、「きょうは日替わりの方でサービスしてますんで」とメニューの一番上の「ランチ 海鮮丼」を指して「これがすぐに出来ますので」と答えてきました。「ではそれを」と注文すると、1分もたたないうちにサッと運ばれてきました。これでもう、このお店が気に入ってしまいました。


 これが栗崎屋の基幹メニューの中軸をなす「海鮮丼」です。いいぞ、いいぞ、美味しそうだ、と一気にテンションが上がりまして、すぐに箸をつけようとしたのですが、写真を撮っておかねば、と危うく気付きました。お兄さんに許可をもらって撮影させていただきました。


 新鮮なネタにあっさりめのまろやかなタレ、これが大洗の海鮮丼か、と感動しつつ食べました。どんな味かは表現し難いので、気になった皆さんはぜひ訪れて食べてみて下さい、としか言いようがありません。

 食後にお兄さんといろいろ雑談を楽しみ、海鮮丼が大好きだと言うと、「それなら水戸市にうちの支店が二つありますんで、そちらでもどうぞ」と言われました。水戸市に友人がおり、彼が貴店の支店を知っているので三日後に彼とそこへ行く予定なのだが、そこでも海鮮丼がありますか、と話すと「もちろんございます。うちの支店はこの二ヶ所なんですが(と言いつつ支店の名刺二枚をくれました)、両方ともそれぞれに海鮮丼をお出ししております」と笑顔で応えてくれました。
 実は両方とも行く予定です、と言うと、驚いた表情になり、「ちょっと待って下さいよ」と言って奥へ引っ込み、まもなく一個の缶バッジを持ってきて下さいました。支店のひとつ「すし一番」のオリジナル缶バッジでした。記念に、ということで下さいました。思いがけないサプライズでした。これでますますこのお店が気に入ってしまいました。
 よし、絶対に「栗崎屋」の支店二ヶ所の海鮮丼を食べてやるぞ、水戸藩28万4千石の保証つきだ、と固く決心しました。


 海鮮丼を美味しくいただいた満足感と充実感で良い気分になり、商店街を走り過ぎるのも勿体無い気がしてきたので、自転車を押してゆっくり歩きながら色んなお店の店先を見てゆくことにしました。洋品店の「ヨシモト」には稲富ひびきが居ました。


 パン屋の「ブリアン」にはナカジマの姿が見えました。このキャラクターはレーサーの中嶋悟氏が元ネタなのですが、私自身はナカジマと聞くと中島知久平の名前を連想してしまいます。旧日本軍の軍用機がけっこう好きなので、中島飛行機(現富士重工)の創設者である中島知久平の名前は、基本知識の一つです。


 「魚忠」の店先には近藤妙子が居ますが、いつも水しぶきがかかってパネルの状態が劣化しているため、足が消えかかっています。設置場所を移動した方が良いのではないでしょうか。


 蕎麦屋の「常陸屋」です。この日は休業日のようでしたが、新三郎のパネルは店先に設置してありました。


 旅館の「福本楼」です。五十鈴百合のパネルを置いているにもかかわらず、ガルパン応援宿泊プランの実施はなされていないようです。最近、宮下の「シーサイドホテル」や曲がり松の「さかなや隠居」がようやくガルパン応援宿泊プランの実施に踏み切ったようですので、その流れでこちらのお店でも取り入れてくれるといいですね。


 玩具店の「タグチ」です。私は必ずこのお店のショーウインドーを見ることにしています。見ないと、なんだか落ち着かないのです。


 おお、ここにもM3中戦車リーが展示してあるではないですか。しかも全国大会仕様・・・・と思ったのですが、良く見たら大洗校章もウサギさんマークもありませんでした。タミヤのキットを素組みして指定の色を塗装して仕上げたもののようです。改めて見ると、えらく印象が違うなあ、と思いましたが、それだけガルパン仕様への制作というものが、キット本来の指定や手順や完成形とは全く別のところへ向かっていくのだな、と改めて気付きました。


 こちらはⅣ号戦車D型ですが、実際のドイツ軍の姿に仕上げられています。そういえば、最近にネツトの動画サイトで「ホワイトタイガー ナチス極秘戦車 宿命の砲火」という最近のロシア映画を観たのですが、破壊されたⅣ号戦車が幾つも登場していて、動き回っている沢山のT34と共に臨場感を盛り上げていました。ポルシェティーガーもどきのドイツ戦車の不気味な活躍も印象に残りましたが、実際にロシアには可動状態のT34が幾つもあるらしいですね。ソ連戦車部隊の突撃シーンなどは迫力があって見応えがありました。


 こちらはアヒルさんチームの佐々木あけびの1/35スケールフィギュアです。劇中ではそれほど存在感も大きくなかったキャラクターが、なんで早々とフィギュア化されるのか、どうもよく分かりません。むしろ、キャプテン磯辺典子の方を立体化するのが先なんじゃないか、とさえ思ってしまいます。


 「タグチ」の向かいには、永町商店街の駐車場があります。去年の12月にはここで五十鈴華誕生日記念イベントがありました。あれからもう四ヶ月が過ぎていますが、ついこの間の出来事のように思い出してしまいます。 (続く)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする