なんとなく写真を先に出してみました。意味はありません。今日の見学会のお宅です。
今日は日曜日。住宅屋は目いっぱい働く日です。ということで、今朝は岐阜市内で地鎮祭を行わせていただきました。
私のわがままで朝8時からとなり、お客様には迷惑をおかけしました。
ご夫婦とご両親、そしておばあさまとご家族全員にご参加いただき、よい地鎮祭となりました。
写真は飾りつけの様子です。
私が飾り付けを手伝っていたところ、神主さんに、「鯛の向き、逆!」と注意を受けた瞬間を撮ってみました。
さて、その後は市之倉にて見学会を行いました。遠い場所ですので、見学においでになる方は少ないかと思いきや、9組のお客様においでいただきました。そして、お客様のお友達はその3倍ほどおいでいただき、一日中にぎやかにすごせました。ありがとうございます。
また、お客様より陶芸作家さんをご紹介いただき、ウェアハウスに展示するお約束もさせていただきました。
今日の見所でもある、広い濡れ縁。
この空間は無駄だと思いますか?
私の答えは、無駄であって無駄でないです。
辞書によると無駄には2つ意味があって、ひとつは「役に立たないこと。」もうひとつは、「それをしたかいがないこと。」
前者には、なんとなくそうかなと思うこともあるのですが、後者の「それをした、かいがないこと」ではないと思います。
この空間は通常すごすところではありません。ですから無駄です。
けど、あると生活に刺激を与えると思います。
たまに外に出てみる、小雨の日にボ~っとしながらたたずんでみる、夜にブラインドをあけて広さを感じる、外から眺めて奥行きを感じてみる。
こんな刺激をたまに与えてくれます。
そんなタマのことに、大金を使うなんて馬鹿らしい。。
確かに、 けど、人は日常も同じようなことをやっているのですね。
たとえば、ケーキを食べる。 生きるための食事と考えるとまったくの無駄、それどころかお財布を痩せさせ自分を太らせるという最悪の品物。
たとえば、お酒。 酒なんて飲まなくても生きていけます。酔っ払うとその時間が空白になり非効率でまったくの無駄。
けど、たまにほしくなる。
たまにしか使わない空間。費用対効果からいったら最悪。
けど、それを造ることが、かいがないこと では決してないと思うのです。
あなたも家を造る時、ちょっとした無駄、作ってみませんか?