今日はドールではないパルムです。
バニラアイスをチョコでコーティング。この種のアイスの中では甘さひかえめ。コクがありながらも後味さっぱりです。
なんですって?また思い出話をしてほしいって?仕方ないわね。
僕が幼かったころの、印象に残ってる話をいたしましょう。ひとつは、保育園の話。
たぶん5歳ぐらいのとき。保育園の外遊びの時間のことです。
乳児以外の園児が全員園庭に出て遊んでいました。園庭の中央には、小さなトラックがありました。運動会のときなどに、かけっこをするためのトラックです。
そのとき、2人の園児がトラックを走っていました。ひとりは僕と同い年の男の子。もうひとりは、ひとつ年下の女の子でした。
2人は、逆向きに走っていました。そして、お互い前をよく見ていなかったようで、正面衝突してしまいました。
ぶつかったのはちょうど僕の目の前で、2人は尻もちをつきました。男の子のほうは、さほど痛みもなかったようで、すぐに立ち上がり、また走り出しました。しかし女の子のほうは、そのまま泣き出してしまいました。
近くにいた新人の保育士さん(当時はまだ保母さんと呼ばれてました)が泣き声に気づいてやってきました。そして女の子を助け起こすと、僕に向かって「ちゃんとあやまろうね」と言い残し、連れ去っていきました。
僕は幼心に「バカじゃなかろうか」と思いました。確認もしないで僕が泣かせたと決めつけたのです。
もうひとつは、8歳ごろの話。町内会の寄り合いが開かれたときのことです。夜に近所の同級生の家で行われて、僕は母に連れていかれました。
母は僕を連れ出す際、「北斗の拳があるよ」と言いました。当時テレビアニメが放送されていて、僕は大好きだったのです。寄り合い先の家で『北斗の拳』のアニメが観れる、という誘い文句でした。
僕はそれを楽しみに、母について行きました。ですがその家では真面目な話し合いがあるばかり。テレビは点いてすらいません。僕はひたすら退屈しながら、アニメの始まりを待ち続けていました。
なのに寄り合いはそのまま終了し、僕は母に手を引かれて帰途につきました。夜道を歩きながら「北斗の拳は?」と訊くと、母は「もう終わっとったとよ」と答えました。
まあよーするに、子供にとっては退屈な寄り合いに連れていくために、アニメが観れるという、文字通り子供だましのウソをつかれたのですね。
しかし、と僕は思います。自分で言うのもなんですが、僕はそんなに聞き分けの悪い子供ではありませんでした。「退屈するかもしれないけど、どうしても行かなくちゃいけないから一緒にきてちょうだい」と正直に頼めば、おとなしくついてきたはずです。ちゃんとガマンができる子供でした(だからこそ寄り合いの最中に騒ぎ出すことなく、北斗の拳の放送をじっと待っていたのです)。
それなのに母は、僕をちゃんと説得しようとしなかった。適当なウソでだまして連れ出したのです。
たしかに、「その場限りの都合」を考えた場合は、そうしたほうがいいのでしょう。しかし長い目で見るとどうなのか。
子供というのは単純だから、どんなことでもすぐに忘れると思われているかもしれません。ですが僕は、この出来事をしっかり覚えています。
そして、当時はわからなかったけど、何年かしてから母がウソをついていたのだと気づきました。それは当然、母に対する不信感につながりました。
相手が子供だからといって、適当なウソをついてだまし続けていると、それらが積もり積もって、子供から嫌われる原因となってしまうのです。大人はけっこう子供を軽く見ていますが、それは間違いです。子供をバカにしてはいけません。
「しょせん子供だ」といい加減な態度を取り続けていれば、徐々に嫌われていくし、不信感も募る。些細な関わり方の積み重ねが、大きな結果をもたらすのです。
そんなわけで、子供がいない僕が、自分の立場を棚に上げて結論を言わせてもらうと、「子供をバカにしてはいけない」「子供だましはしっぺ返しを食らう」。
皆さん、子供と接するときにはこの教訓を忘れずに。
バニラアイスをチョコでコーティング。この種のアイスの中では甘さひかえめ。コクがありながらも後味さっぱりです。
なんですって?また思い出話をしてほしいって?仕方ないわね。
僕が幼かったころの、印象に残ってる話をいたしましょう。ひとつは、保育園の話。
たぶん5歳ぐらいのとき。保育園の外遊びの時間のことです。
乳児以外の園児が全員園庭に出て遊んでいました。園庭の中央には、小さなトラックがありました。運動会のときなどに、かけっこをするためのトラックです。
そのとき、2人の園児がトラックを走っていました。ひとりは僕と同い年の男の子。もうひとりは、ひとつ年下の女の子でした。
2人は、逆向きに走っていました。そして、お互い前をよく見ていなかったようで、正面衝突してしまいました。
ぶつかったのはちょうど僕の目の前で、2人は尻もちをつきました。男の子のほうは、さほど痛みもなかったようで、すぐに立ち上がり、また走り出しました。しかし女の子のほうは、そのまま泣き出してしまいました。
近くにいた新人の保育士さん(当時はまだ保母さんと呼ばれてました)が泣き声に気づいてやってきました。そして女の子を助け起こすと、僕に向かって「ちゃんとあやまろうね」と言い残し、連れ去っていきました。
僕は幼心に「バカじゃなかろうか」と思いました。確認もしないで僕が泣かせたと決めつけたのです。
もうひとつは、8歳ごろの話。町内会の寄り合いが開かれたときのことです。夜に近所の同級生の家で行われて、僕は母に連れていかれました。
母は僕を連れ出す際、「北斗の拳があるよ」と言いました。当時テレビアニメが放送されていて、僕は大好きだったのです。寄り合い先の家で『北斗の拳』のアニメが観れる、という誘い文句でした。
僕はそれを楽しみに、母について行きました。ですがその家では真面目な話し合いがあるばかり。テレビは点いてすらいません。僕はひたすら退屈しながら、アニメの始まりを待ち続けていました。
なのに寄り合いはそのまま終了し、僕は母に手を引かれて帰途につきました。夜道を歩きながら「北斗の拳は?」と訊くと、母は「もう終わっとったとよ」と答えました。
まあよーするに、子供にとっては退屈な寄り合いに連れていくために、アニメが観れるという、文字通り子供だましのウソをつかれたのですね。
しかし、と僕は思います。自分で言うのもなんですが、僕はそんなに聞き分けの悪い子供ではありませんでした。「退屈するかもしれないけど、どうしても行かなくちゃいけないから一緒にきてちょうだい」と正直に頼めば、おとなしくついてきたはずです。ちゃんとガマンができる子供でした(だからこそ寄り合いの最中に騒ぎ出すことなく、北斗の拳の放送をじっと待っていたのです)。
それなのに母は、僕をちゃんと説得しようとしなかった。適当なウソでだまして連れ出したのです。
たしかに、「その場限りの都合」を考えた場合は、そうしたほうがいいのでしょう。しかし長い目で見るとどうなのか。
子供というのは単純だから、どんなことでもすぐに忘れると思われているかもしれません。ですが僕は、この出来事をしっかり覚えています。
そして、当時はわからなかったけど、何年かしてから母がウソをついていたのだと気づきました。それは当然、母に対する不信感につながりました。
相手が子供だからといって、適当なウソをついてだまし続けていると、それらが積もり積もって、子供から嫌われる原因となってしまうのです。大人はけっこう子供を軽く見ていますが、それは間違いです。子供をバカにしてはいけません。
「しょせん子供だ」といい加減な態度を取り続けていれば、徐々に嫌われていくし、不信感も募る。些細な関わり方の積み重ねが、大きな結果をもたらすのです。
そんなわけで、子供がいない僕が、自分の立場を棚に上げて結論を言わせてもらうと、「子供をバカにしてはいけない」「子供だましはしっぺ返しを食らう」。
皆さん、子供と接するときにはこの教訓を忘れずに。
イヤな話だと思いますけど。