徳丸無明のブログ

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高齢ドライバーの免許返納、それを阻む壁について

2024-06-25 23:23:57 | 時事
高齢ドライバーの免許返納が社会問題のひとつになっている。ブレーキとアクセルの踏み間違いや車道の逆走など、認知機能の低下によって引き起こされる運転ミスが、連日のように事故を発生させているのだ。運悪くその場に居合わせた幼児や若者が命を失う事例も多々あり、この問題解消はもはや急務と言える。
75歳以上であれば、免許更新時に認知機能検査の受検が義務付けられているが、更新の間の期間に認知機能が衰えるのが普通で、それは3年に一度(72歳以上は、ブルー免許もゴールド免許も有効期間は3年)の検査では捕捉することができない。また、75歳以上のドライバーが、認知機能の低下によって生じやすい違反行為を犯した場合、臨時の認知機能検査を受検させられるのだが、軽微な事故の前に死傷者を出す事故を起こしてしまう事例も多い。
そのため、運転能力の衰えた高齢ドライバーには、速やかに運転免許を自主返納してもらわねばならないのだが、それを強固に拒む人は少なくない。何故速やかな自主返納はなかなか行われないのか。それを阻むものはなんなのか。
多くの人は、それを移動手段の問題と捉えている。高齢ドライバーにとって、自動車が唯一の移動手段で、居住地域にはそれに代わる交通の足がない。もしくは、電車やバスがあるにはあるのだが、駅が遠かったり、便数が少なかったり、路線が行きたい方向に走ってなかったりなど、何かと不便な点が多く、利用しづらい。そして、タクシーを利用できるほど金銭に余裕がない。そのような事情があるため、車を手放すに手放せない高齢者が多いのだ、と。
だから、問題をそのように捉えている人々は、代替の移動手段を用意しようとする。通常より安い運賃で電車に乗車できるパスやタクシーチケットの配布、コミュニティバスの開通など。それらの代替手段によって交通・移動の不便さを解消しようという狙いだ。
確かに、そのような取り組みも必要不可欠ではある。自動車が普及して以降、モータリゼーションに基づいて国土を設計してきた現代日本では、自動車か、それに類する移動手段がないと、生活が立ちゆかないからだ。自動車以外の移動手段があれば、喜んで免許を返納するという高齢者も大勢いるだろう。
だが、僕はそれだけで充分だとは思わない。「移動手段の確保」という観点だけでは、運転免許の自主返納を推進させることはできないと思う。もっと他に、視野に入れるべき事柄があると思うのだ。
高齢ドライバーの中には、代わりの移動手段を提示されたとしても、頑なに免許返納を拒む人がいる。移動手段に困らないのに、である。何故だろうか。そこの所こそが、高齢ドライバーの自主返納がスムーズに行われていない要因のひとつであり、多くの人が見落としている、「自主返納を阻む壁」なのだ。では、その壁とは何か。

僕は、それは「男のプライド」なのだと思う。これを聞いて、疑問に思われる方もいるだろう。高齢ドライバーには、当然ながら女性もいる。なのに何故、「男のプライド」なのかと。
それは、この問題の対象となるのは、高齢女性よりも高齢男性のほうが断然多いから、だ。運転免許の自主返納を強固に拒みがちなのは、もっぱら高齢男性である。高齢女性であっても、「車がないと困る」という人もいる。だが、代わりの移動手段の有無に関わらず、頑固と言えるほどに免許を返納しようとしないのは、圧倒的に高齢男性のほうなのである。その理由はなんだろうか。
今の高齢者、75歳であれば1949年生まれ。90を超えて運転する人はほぼいないだろうから、高齢ドライバーを75~85歳ぐらいだとすると、1939~49年生まれの人達ということになる。その時代、日本はまだまだ男尊女卑の考えが根強くあり、男は女に威張り散らしていた。ただし、男が偉いとされる社会は、必ずしも男にとって天国とは限らない。そのような社会では、男は強さを求められる。厳しい生き方を良しとされ、甘えることは許されない。強さを求められる男は、早く立派な男になりたいと、日々奮闘する。「男はかくあるべし」「一人前の男はこうでなくてはならない」といった画一的な共通の理想像があり、そこに向けて切磋琢磨しなければならなかったのだ。
「一人前の男」の条件の中には、「正社員になる」や「結婚する」や「家を建てる」などがあっただろうが、恐らくは、「免許を取る」のもそのうちのひとつだったはずである。自家用車を持ち、乗り回す。それもまた、男が一人前であることの条件であったに違いない。
なら、その免許の返納は、何を意味することになるだろうか。それは必然的に、「一人前の男ではなくなる」ということになる。自分のことは全部自分ででき、家族も養ってきた。自分は一人前の男だと、誇りを持っていた。なのに、その一人前の証である運転免許を返すべきだと言われた。そんなのは、未熟な未成年者に後戻りするようなものではないか。大人から半人前扱いされ、悔しい思いをしてきたあの頃に、また戻らなければならないのか。そのように考えてしまうのだろう。だから一部の高齢男性は自主返納を頑なに拒むのである。「男のプライド」とは、そういうことだ。「移動手段をどう確保するか」という視点だけでなく、「男のプライドをどうケアするか」という視点も持たねばならなかったのだ。(ついでに言うと、今後世代交代が進み、男女平等の考えが当たり前の世代が高齢者になれば、男のプライドをケアする必要性は低下し、免許の自主返納はずっとスムーズに行われるようになるはずである)
今、高齢ドライバーの免許返納を議論している人達は、「代替の移動手段をどう確保するか」という点しか見ていない。「男のプライド」という、もうひとつの問題点が見えていないのだ。高齢ドライバーの免許返納を阻む壁。それは、「移動手段」と「男のプライド」のふたつが合わさって出来ている。多くの人は、「移動手段」という、壁の半面しか見ていない。「男のプライド」という、もう半面が視野に入っていないのだ。「移動手段をどう確保するか」という視点だけで免許返納を勧めようとするからスムーズにいかないのである。もうひとつの、「男のプライドをどうケアするか」という視点も織り込み、そのふたつを合一した視野によって問題に取り組まねばならないのである。

高齢男性に対して、その家族が免許の返納を提言する場面を想像してみよう。妻でも子供でもいいが、家族であれば、遠慮のない直截的な言い方になりがちだろう。「父さんももう年なんだし、事故を起こさないうちに返納すべきじゃない」などと言うのではないか。傍から聞いていればもっともな言い分であり、家族として思いやりを持って進言しているのだということがわかる。だが、言われた本人にしてみたらどうだろう。それは、「あなたはもう一人前の男ではない」「半人前として家族の世話になるべきだ」などと言われているのと同然なのではないか。だから自主返納を拒むのだ。運転する資格ではなく、己のプライドを守ろうとして。
自主返納を提言する人達は、「高齢ドライバーが事故を起こさないこと」を気にかけるばかりで、「プライドを損なわないこと」をいっさい考慮してこなかった。だから「事故を起こす前に返納しましょう」と、単刀直入に申し出てきた。だが、「あなたはもう年だから、事故を起こす確率が高い」という申し出は、「あなたはもう衰えた」「車の運転もまともにできないくらい耄碌している」と言っているに等しい。少し大袈裟に受け止めれば、「あなたはもうすぐ死ぬ」とも聞こえる。そんな言われ方をして、素直に返納に応じようという気になれるだろうか。
それゆえ自主返納を拒むのは、プライドを守ろうとしているのみならず、老いを受け入れたくないという側面もあるのだろう。老いに抵抗を感じるのは女性も同じだろうが、「強さ」を求められる男性のほうが、より抵抗感が強いはずである。今の日本では、若さを過度に賛美し、老いを否定的に語る風潮が目立つが、若さも老いも等価なものとして肯定する思想が必要なのではないか。あるいは、衰えの苦痛を緩和する思想が。そのような思想もまた、免許のスムーズな自主返納に資するはずである。
高齢男性に免許の返納を提言するには、「いかに男のプライドを傷つけないか」という心掛けが必要だ。あるいは、自主返納が否応なしにプライドを損なってしまうというのであれば、「傷ついてしまったプライドをどうケアするか」という心掛けが。「いかに男のプライドを傷つけないか」という心掛けも、「傷ついてしまったプライドをどうケアするか」という心掛けも、今の日本社会には欠落している。そこに気づかないことには、いつまでたっても高齢ドライバーの免許返納はスムーズに進まず、悲惨な事故は頻発し続けるだろう。
では、「男のプライドとは、どうやってケアすればいいのか」と思われるだろう。申し訳ないが、僕にはその具体的な案まではないのだ。でも多分、たったひとつの「これ」というやり方はないのだろうと思う。ひとくちに高齢男性と言っても性格はまちまちで、だからひとりひとりに応じた、個別的なケアの仕方が求められるのではないかと思う。家族や友人であれば、その辺のツボというか、うまい接し方を熟知しているはずだ。だから、その人をよく知っている人が、その人となりに応じたケアをする。それが最良なのではないかと思う。具体的な案がないというのは、本当に返す返すも申し訳ないのだが、それでも、「プライドのケアも必要」という意識を持っているだけでも、高齢男性に免許を返納させる成功率が格段に上がるであろうことは間違いない。今までは、あまりに無配慮過ぎたのだ。
たとえ自主返納をさせることができたとしても、プライドのケアをいっさい行わなかったら、その高齢男性を深く傷つけてしまいかねない。そうなれば、精彩を欠いた、弱々しい老後を送ることになるかもしれない。交通事故のリスクから逃れられたのだとしても、それはそれで不幸に違いない。自主返納させればそれでいい、事故を起こさなければそれでいいという考えは、あまりに一面的過ぎる。

家族の中に高齢のドライバー、特に男性の高齢ドライバーがいるという方。その方のプライドを損なわない接し方は、どのような接し方だろうか。家族であれば、ある程度はわかるのではないだろうか。その方用の接し方、あなたなりの接し方があるのではないだろうか。運転免許の自主返納を持ちかけるときには、その接し方を心掛けていただきたい。プライドを傷つけてしまっては、自主返納はスムーズに行われない。むしろ返納を頑なに拒むようになってしまうだろう。だから慎重で、繊細な働きかけが不可欠なのだ。そのやり方をよく考えていただきたい。自主返納がスムーズに行われるかどうかは、相手のプライドをいかに傷つけないか、にかかっている。


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